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第一章
4.革命の気運 その⑤:ムカつく
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その夜、私は封筒の中にあった案内に従ってフェイナーン伯のお屋敷を訪問した。気は進まなかったが、ここでグィネヴィアの顔を立ててやれば今後の諸侯派との関係にも良い影響を与えるだろうと思っての判断だ。
これも夢のため、私は自分にそう言い聞かせた。
わざわざ学院まで迎えに寄越してくれた馬車でお屋敷の正門前まで乗り付けると、厳かに鉄の門が開かれる。そして、外からは高い塀に隠れて見えなかったお屋敷の豪奢な外観があらわになる。
(不必要にデカイ家だ……)
門の中へ入り、お屋敷の入口前まで来たところで馬車を降り、貧乏人の僻みを込めてお屋敷を睨み上げていると、微笑みを湛えた執事の人が歩み寄ってきて案内を申し出る。彼のエスコートで、私はお屋敷の中にお邪魔した。
広い部屋に通され、白いテーブルクロスのかかった大きなテーブルの端に座らされる。
今日はよくよく導かれることの多い日だ。それが、まるで他人に自分の行く末を決められているみたいで、少しだけ嫌だった。
それからすぐにフェイナーン伯がやってきた。どうやら、グィネヴィアとレイラは同席しないみたいだ。いきなり知らないオッサンと二人きりで食事とかめちゃ嫌すぎるのだが、何はさておき挨拶だ。
「今日はお招きいただきありがとうございます。礼儀作法も知らぬ田舎者ですが――」
「よく来たねぇ! 君がリンちゃんだね? 大丈夫、大丈夫、リンちゃんに礼儀とかそういうのは期待してないよ、見習いさんだもの、ヘッヘッヘ! まあ、同郷の誼だ。自分の家だと思って寛いでくれ給え」
フェイナーン伯は恰幅の良いお腹を揺らして笑った。白髪交じりの初老にも関わらず、なんだかエネルギッシュだ。彼はこの国の諸侯派貴族には珍しく商売っ気が強く、しかもかなり成功しているというから、そういうところからくる気質なのかもしれない。
そういえば、フェイナーン伯はグィネヴィアの命の恩人なんだとか。あのお茶会では具体的なところまでは話していなかったが、言い方からすると一宿一飯の恩義という小さなものではなさそうだった。
私は促されるままに運ばれてきた食事に手を付ける。
「美味いだろう?」
「あ、はい……美味しい、です」
エドム地方の郷土料理ということだったが、私が食べていたような庶民的な料理と違って見たこともないような凝った料理ばかりで、美味いは美味いのだがいまいち反応に困った。
「そのサラダは産地から直接野菜を取り寄せているんだ」
「へー、そうなんですかぁ」
「エドムで採れた野菜だ! 新鮮だろう! かかっているソースはうちのシェフの特製だ。あんまりにも美味いからレストランをやっていたところを頼み込んでうちに勤めてもらったんだ」
そんな風に毒にも薬にもならない話を交わしながら、私は運ばれてくる豪勢な料理たちを呑み下してゆく。
その最中にしばしば挟まれるこちらの緊張を解すような物言い、遥か年下の小娘に向かって大の大人が媚びるような笑み、そしてご機嫌伺いの目まぐるしい視線。
(ああ……)
ふと気付く。これが、所謂『接待』というやつなのか。昔は密かに憧れたこともあったが、実際はなかなかどうして気の休まる暇がなくて居心地が悪い。
最後に訳のわからないデザートが出てきたところで、フェイナーン伯が「時に――」と雰囲気を改め切り出した。
「君、信心深い方かね?」
「えと、それは国教のこと……ですよね? いえ、村に小さな教会はありましたが、あまり……」
フェイナーン伯の眼が鋭く光る。応答を間違えたか? 諸侯派だから、植民者の齎した国教ではなく、既にほぼ駆逐された民間宗教の方を信仰していると言ってほしかったとか……?
そんな私の不安も余所に、フェイナーン伯はニカッと笑った。
「そうか、なら良かった。実はこういう催しも用意しているんだ」
「えっ……!?」
フェイナーン伯が乾いた拍手を数度打ち鳴らすと、ぞろぞろと男たちが部屋に入ってきた。面食らったのは、その誰もが正視に耐えないような露出度の高い際どめの格好をしていたことだ。
上は五十代のオジサマ、下は十代にも満たなそうな幼子まで、幅広い年齢層のバリエーション豊かな男たちがフェイナーン伯の背後に整列する。
そして、時間が止まった。
向こうの働きかけは終わり、その場にいる全員が私の反応を待って顔を覗き込んでくる。
『下賤な土着民の考えた下卑たもてなしがキミを待っているさ』
ふと、ヘレナの言葉が頭に過ぎった。
(え、まさか、これってそういうこと……!?)
色々と突然のことで反応が遅れたが、ここはきちんと断らなければ。嬉々として寝たら(まかり間違ってもそんなことはしないけど)、弱みとかを握られて諸侯派に付かざるを得なくなるかもしれない。
「あ、あの! ……そういうのは……」
「ん、もしかして男より女の方が良かったのかな? それは失礼した。好色だと聞いて、私はてっきり男好きだと……そういえば、クレプスクルムは女学院だったね」
好色!? ちょっと待て、どこからそんな話を聞いたんだ。いや、心当たりはめちゃくちゃある。マネの所為じゃないのかこれは!?
「それはすまなかった、少し時間は貰うが今夜中に手配は――」
「ち、違います! そういうのはまだ早い、かなと思ったり……私、中等部二年ですし……外泊許可も取ってないし……」
消え入りそうな声で私がそう言うと、フェイナーン伯の顔からすっと色が消え、怖いぐらいの無表情で黙りこくる。その突然の豹変に驚いて、私は言葉に詰まってしまった。
(えっ、なに、なんなの? 私、なにかマズイこと言った……?)
気まずい沈黙が流れる中、フェイナーン伯はいきなり手を叩いて大笑いをした。
「……ハッハッハ! そうかそうか。今は決まったお相手が居ないと聞いて用意したが、要らぬお節介だったなァ。それじゃ、別の……贈り物にしようか。我々の親交の証に」
「お、贈り物……それなら……」
フェイナーン伯は表向き笑顔を浮かべてはいるが、その額には青筋が浮かんでいた。彼の接待を断ったことが不興を買ってしまったのだろうか。
しかし、いきなり裸の男を見せつけられて、戸惑わず喜べという方が無茶な話だ。実は私が知らないだけで魔女見習いの間でもこういうのが一般的なのか?
訳の分からない気持ち悪さと内心で戦っていると、フェイナーン伯は怒気を滲ませながら威圧的に男たちを下がらせ、代わりに小箱を持ってこさせた。
「これは……」
中に入っていたのは綺麗なペンダントだった。変なものでなかったことに安心して受け取ろうとしたその時、ふとそのペンダントから魔法的な気配を感じて反射的に手を引っ込める。
「気づいたかね。このペンダントには微弱ながら【活力】の加護が刻まれている、つまりマジックアイテムだ。もしかすると、君の魔力量も多少は改善されるかもしれない。……お気に召したかな?」
瞬く間に根拠のない警戒心が思考を侵犯する。果たして、これは受け取っても良いものか。
「どう思う?」
私は小声でマネに相談した。
「ちと、ちゃちい品だな。心配なら術式の記述を読んでみろよ。読めるんだろ? 優等生」
「……そう、よね。確かに、そうだわ」
ニナに貰った指輪のように、内部に術式が刻まれているようなこともなく、暗号化もされていない。言ってはなんだが、マネの言うように「ちゃちい」と思ってしまった。デザイン以外は私でも作れそうなものだし、効果は本当に気休め程度だろう。
しかし、問題らしい問題もないのに受け取らないというのは失礼にあたりそうだ。
ヘレナの予言通りに少々下品なもてなしだったが、ロクサーヌの勧めも頭にあった。それに、食事中の会話の中で一度も『諸侯派に付け』と直接勧誘されなかったのは好材料だった。他は全部駄目だったけど。
たぶん、フェイナーン伯は――というより諸侯派は――もっと長い目で見て私を勧誘するつもりなのだろう。まだ私は中等部二年生。高等部に上がるまで二年弱、卒業までは五年もある。普通の人間関係だって、少しずつ付き合いを深めて行くのが常道だ。私的ではないものなら、なおさらそうである。
(何もおかしくはない……おかしいのはヘレナだけだ)
結局、私はそのペンダントを受け取り、今日のところはこの辺で退散することにした。
「リン君、次はまた違った趣向の催しを用意しておくよ」
「……ええ、それは……楽しみですね」
「また会える日を楽しみにしている!」
従者一同に見送られながら、私は再びフェイナーン伯の用意してくれた馬車で学院へ戻った。
まだ少しだけ散らかっている自室に戻るやいなや、私は昨日の再現をするかのように一直線にベッドの上へと飛び込んだ。
「あ゛~……」
予定していたことが一つもできなかった。マネとの連携だって話し合いたかったし、食わせる糖分についても研究したかったし、勉強も、魔法の修練だってしたかった。
(これが普通の魔女なの……?)
魔法使いが神の祝福を受けたものとして一種の信仰対象だったのも今や過去の話。とはいえ、この現状は些か俗っぽ過ぎる。
大体、私が好色だなんて誰から聞いたのだろうか。私の風評が変に捻じ曲がって諸侯派の生徒から伝わったのか?
――いや或いは、何者かがわざと捻じ曲げて入れ知恵したのかもしれない。
ヘレナは、『下卑たもてなしが待っている』と、私がどのような歓待を受けるか知っているような口振りだった。王党派に引き込もうという彼女が、私と諸侯派の関係悪化を目的として工作した可能性は否めない。
(まあ……そっちはいいや。現状、分かりようもないことだし)
派閥に関する思考を打ち切ると、今度は指輪の方が気になってきた。
警察は犯人を、指輪を見つけられるのだろうか。
貰い物の正体不明のマジックアイテムの方は、ニナには悪いがどうでもいい。だが、父の形見の指輪にはまだ未練があった。
犯人の目的は十中八九マジックアイテムの方だろうから、『父の形見の指輪だけは返してくれ』と叫んで回ったら返ってきたりしないだろうか。そんなことはありえないと分かっていても、そんな展望を思い描いてしまった。
「なあ、リン。これ以上勧誘で一日が潰れるのは勘弁だぜ。世の中、深入りしなくたって良いこともある。中立は両方の敵だぜ。徒党を組んでおけば得するもある。早いトコどっちに付くか決めよーぜ」
「……じゃ、諸侯派かしら」
そう答えると、顔の前まで伸びてきた触手が怪訝そうにぷるぷると震えた。
「なんだなんだ、やけにあっさり決めるじゃないか」
「なによ、決めろって言っといて」
「いやぁな、これは〝人界〟における人間同士の政治的な営みだから、オレ様があんまり煩く口出しするのもどうかと思うし、それがリンの決定なら異存はねえ。けど、一応どうしてか理由を聞いといてもいいか? お前さんの使い魔として」
「うーん」
私は少し考えを整理してから、その理由を話した。
「まあ、やっぱり私はエドム地方の生まれだし、ロクサーヌの勧めもある。家族だって故郷の村に残してきてるし、ママは村が気に入ってる。でも、それ以上にヘレナが怖いかな。下手に関わると火傷しちゃいそう……」
諸侯派は諸侯派で、今日みたいな『接待』をされると困ってしまうが、それも次からは私の要望を伝えれば簡単に解決できよう。正面から言うと角が立つので、それとなくグィネヴィアやレイラを介して伝えれば良い。
(こういうペンダントとかなら大歓迎なんだけどねー)
私は首元のペンダントを持ち上げた。【活力】の加護は果たして機能しているのだろうか。今のところ実感はまったくない。
まあ、次からはもっと性能の良い物にして欲しいところだ。なんて、心が諸侯派に傾きかけた途端、生来のガメつさが顔を出し始める。
「うざいのはうざいんだけど、利用価値のあるうざさなのよねぇ。男は要らないけども」
「カカカ、いいじゃねえか。男でもペンダントでも貰えるもんはなんでも貰っとけばよ」
「……冗談でしょ。というか、男をあてがわれて何するかマネは分かってる訳?」
「交尾だろ?」
何でもないことのように即答するマネ。私はなんだか脱力してしまった。
「はあ……死になさい」
「んだよ、皆やってんだろ? 人間は交尾が好きじゃねえか」
「あ~も~、うるさいうるさい!」
デリカシーの欠片もないマネを無視して布団を引っかぶり、私は今日も不貞寝を決め込んだ。
コンコン。
「――おい――リン、起き――!」
微睡みの中、ノックのような物音とマネらしき呼び声が聞こえる。夢か現か幻か、判然とせぬ意識でぼんやり考えている間にも、物音は絶え間なく連続的に響く。
コンコン、ゴッ――ガシャン!
「――リン! 起きろ!」
「……もう、一体なに、よ、ぉ――!?」
半覚醒の体が無理矢理に動かされ、遅れて意識が急浮上する。霞み、チラつく視界を擦った時、私の体は既にベッドを飛び降りており、枕元に置いておいたカラギウスの剣を形だけ構えて窓に相対していた。段々と鮮明になる視界が、揺れるカーテンの向こうに人影をとらえる。
(何? また泥棒が来たの? もう、盗るものなんて何もないわよ)
よく見ると窓の一部が叩き割られており、そこから突き込まれた腕が窓の鍵に触れた。カチャリと解錠の音が鳴り、身構える私の前で窓が勢いよく押し開かれる。外から一陣の風が吹き込みカーテンが大きく靡き、人影の正体が露わになる。私はハッと息を呑んだ。
「ク、クラウディア教官!? ど、どうして……!?」
「リン、そのペンダントを私に預けてくれ」
クラウディア教官は私の問いには答えず、窓枠から身を乗り出させて私に右手を伸ばした。
「頼む、何も聞かずにそのペンダントを渡してくれ。――時間がないんだ、早く!」
クラウディア教官は頻りに背後を気にしながら、焦った様子で私を急かし立てる。
寝起きな上、突然のことに思考も回らず、訳も分からぬままに私はペンダントを手に取る。しかし、それを首から外して差し出す前に、マネの触手が腕に絡みついて妨害してきた。
「渡すな! こいつ、なんか怪しいぞ!」
「ちょ、ちょっと、クラウディア教官に向かってなんてこと言うのよ!」
「――早く!」
その時、クラウディア教官の背後から複数人の足音と怒号が聞こえてきた。クラウディア教官は顔をしかめ、少し逡巡するような素振りをした後、「チッ」と舌打ちを残し窓枠を蹴って夜の闇に消えた。
慌てて窓辺に駆け寄るも、その時には既にクラウディア教官の姿はどこにもなく、代わりに息を荒げた警察官たちが周囲を見渡していた。その中には、昨日の朝に話したアーシムさんの姿もあった。
「クソッ、逃したか……! 急いで結界管理人のもとへ向かい、記録を取ってこい!」
「あの、アーシムさん? どういうことなんですか、状況が良くわからないんですけど……」
「……すまない、こちらの不手際によるミスだ」
アーシムさんは申し訳無さそうに頭を下げた。
「クラウディア・ローゼンクランツの居所を探し当てるまでは良かったが、同行を願い出る段になってみすみす逃亡を許してしまった。それでも何とか再捕捉してここまで追ってきたものの、後一歩及ばず再び取り逃がしてしまった。しかし、烙印はしたのでおおよその位置は掴めている。問題は、どうやってあのクラウディア・ローゼンクランツを捕縛するかだが……」
「主任、その辺で……」
「……ああ、そうだな。すまない、被害者の君といえども、これ以上話すと捜査情報の漏洩になってしまう」
アーシムさんは部下の警察官たちにてきぱきと指示をする。その背後では、今まさに朝日が昇ろうとしていた。急に叩き起こされた所為か、その光が嫌に目に染みてズキズキと頭痛がした。
(どうして、クラウディア教官は警察の同行を拒否して逃げたんだろう……)
折節実習の後はクラブ活動もないので、クラウディア教官が学院を出ていること自体はおかしくない。しかし、己に何ら瑕疵がないならば逃げる必要はない筈だ。
その上、ペンダントを欲しがったのも不可解だ。そもそも、これの存在をどこで知ったというのか。私はフェイナーン伯の屋敷から自室まで直帰しているし、その間、使用人と御者以外の人に会っていない。
(なぜ……?)
考えていると頭痛が酷くなってきた。俯いて痛む頭を抑えていると、アーシムさんが心配そうに窓辺に寄ってくる。
「怪我をしたのか?」
「い、いえ! 大丈夫、です!」
紛らわしい動きをした所為で心配をかけてしまったようだ。私は、怪我がないことをアピールするために頭痛を堪えて空元気を出した。
「それはよかった。警備を強化してやりたいが、生憎と人手不足でな。学院側に対応してもらうほかない」
「い、いえ、気を使っていただかなくても、私の部屋にこれ以上金目のものはないので……」
「何を言う。こうして被害が出ている以上、君の身に何かあってからでは遅い。警備については、こちらから学院の方にかけあっておこう。それより、朝早く叩き起こされて気も立っているだろうが、これだけは答えて欲しい」
アーシムさんは眼光鋭く私を見据えた。
「クラウディア・ローゼンクランツとは、何か話したか?」
「話、ですか……えーと、出し抜けに『このペンダントを渡してくれ』と言われました」
本当にそれだけだ。アーシムさんの怪訝そうな視線がペンダントに向かう。
「……そのペンダントは? 昨日はしていなかったように思うが……」
「昨日の夜に貰ったんです。フェイナーン伯という人に」
「フェイナーン……今度は諸侯派か」
諸侯派――その言葉を聞いた瞬間、ある考えが電撃の如く脳裏に閃いた。
「それでは失礼する」
去ってゆくアーシムさんの声も聞こえないぐらい、私は夢中で思索する。頭痛はもう治っていた。
指輪を盗んだ犯人は――サマンサだ。
そして、その背後にいるのは恐らく諸侯派で間違いない。まだ説明できないことも多いが、少なくともそう考えればヘレナと諸侯派の動きには納得がいく。
まず、どういう訳か、ヘレナとマチルダは盗難事件に諸侯派が関与していることに気づいている。
『リン、行ってくるといい』『行きなさいよ、それ』
『ヘレナ様はアナタに期待しているの。全身全霊で応えなさい』
その上で、私に何かを期待しているらしい。
その期待とは、私が真実に辿り着くことだろうか。でなければ、『リンの王党派入りは確実』なんて、私が諸侯派を見限ることを確信しているかのような不可解極まりない言動は取れない。
次に、フェイナーン伯がくれたこのペンダント。これは私の魔力波長(魔法的な鍵)を採取する目的で渡されたものだ。あの小箱は最新型だったから、さぞかし盗んだ諸侯派も開けるのに苦労しているに違いない。
であれば、男をあてがおうとしたのにも理由が付く。情事の中で、髪の毛の一本や二本採取しようと思ってのことだろう。魔力波長の偽造には高度な魔法的技術を要するが、手元にサンプルがあれば幾分か楽になる。
恐らく、このペンダントもそのために用意していたものだ。
このペンダントの術式には無駄が多い。通常の【活力】の加護には不要なシーケンスが複数あり、その幾つかは私の魔力をペンダントのうちに留めるような働きをするものだ。詰まるところ、魔力痕をより濃く残そうという腹だろう。
そして、そのペンダントを回収しにきたクラウディア教官もまた、ヘレナと同じく諸侯派の動きを察知していたと思われる。その目的は恐らく諸侯派の計画を阻止することだ。でなければ、このタイミングで私に接触してくる理由がない。クラウディア教官が諸侯派で、フェイナーン伯の味方なら私にそのまま付けさせておけば良いだけだ。
諸侯派の立場になって考えてみると、このタイミングでペンダントを直接に回収してしまうのは一連の企みが露呈してしまうリスクがある。回収するにしても、サマンサのような人間を使ってリスクを減らしつつ間接的に回収するだろうし、どうしてもすぐに回収しなければならない事情があったとか、クラウディア教官でなければ駄目な理由があったとしても、警察に追われているような状況で回収を強行させるとは考えにくい。
だから、教官の目的は恐らく諸侯派の計画を阻止することにあると思うが、しかしそうすると、なぜ警察から逃げ回っているのかが分からない。事情を話してしまえば良いような気もする。そうできない理由があるのか、或いは私の考えがどこか的はずれなのか。
そもそも、クラウディア教官がどちらの派閥に属していたかという点から既に情報が抜け落ちている。私の眼には、どちらの派閥からも距離を置いているように見えたから。
(……うーん、犯人の目星はついたけど、相変わらず分からないことだらけね……)
陽が昇り、外が完全に明るくなっても、私は朝食も取らず思考に耽った。
ヘレナはなぜ諸侯派の動きを知っていたのか。クラウディア教官はどこでペンダントのことを知ったのか。
あれだけデカイお屋敷を王都に構えるほど裕福な商売に成功しているフェイナーン伯が、高々二百万£のマジックアイテムの指輪をこんなにも回りくどい方法で盗む理由も分からない。
もしかして、あの指輪には私の知らない価値でもあるのか?
分からない。分からない。分からない……。
その言葉を何度目かに思い浮かべた時、急に腹の底からドス黒い感情が湧き上がってきた。
「……なんか、ムカつく」
不意にそんな言葉が口をついた。
「お? やっとしゃべったな」
「全部が全部、私の手の届かないところで動いていて、私はその動きに右往左往させられて! それでいて被害は私が一番受けてるのよ!?」
ムカつく、ムカついて仕方がない。
「いいぜ。なんかしんねぇけど調子出てきたな!」
畜生、絶対にこのままじゃ済まさない……!
「――この事件、今日中にカタを付けるわ!」
「おお、いっちょ行くかー!」
適当なマネに囃し立てられ、私は今日も休日返上だと半ばやけくそ気味に拳を突き上げた。
これも夢のため、私は自分にそう言い聞かせた。
わざわざ学院まで迎えに寄越してくれた馬車でお屋敷の正門前まで乗り付けると、厳かに鉄の門が開かれる。そして、外からは高い塀に隠れて見えなかったお屋敷の豪奢な外観があらわになる。
(不必要にデカイ家だ……)
門の中へ入り、お屋敷の入口前まで来たところで馬車を降り、貧乏人の僻みを込めてお屋敷を睨み上げていると、微笑みを湛えた執事の人が歩み寄ってきて案内を申し出る。彼のエスコートで、私はお屋敷の中にお邪魔した。
広い部屋に通され、白いテーブルクロスのかかった大きなテーブルの端に座らされる。
今日はよくよく導かれることの多い日だ。それが、まるで他人に自分の行く末を決められているみたいで、少しだけ嫌だった。
それからすぐにフェイナーン伯がやってきた。どうやら、グィネヴィアとレイラは同席しないみたいだ。いきなり知らないオッサンと二人きりで食事とかめちゃ嫌すぎるのだが、何はさておき挨拶だ。
「今日はお招きいただきありがとうございます。礼儀作法も知らぬ田舎者ですが――」
「よく来たねぇ! 君がリンちゃんだね? 大丈夫、大丈夫、リンちゃんに礼儀とかそういうのは期待してないよ、見習いさんだもの、ヘッヘッヘ! まあ、同郷の誼だ。自分の家だと思って寛いでくれ給え」
フェイナーン伯は恰幅の良いお腹を揺らして笑った。白髪交じりの初老にも関わらず、なんだかエネルギッシュだ。彼はこの国の諸侯派貴族には珍しく商売っ気が強く、しかもかなり成功しているというから、そういうところからくる気質なのかもしれない。
そういえば、フェイナーン伯はグィネヴィアの命の恩人なんだとか。あのお茶会では具体的なところまでは話していなかったが、言い方からすると一宿一飯の恩義という小さなものではなさそうだった。
私は促されるままに運ばれてきた食事に手を付ける。
「美味いだろう?」
「あ、はい……美味しい、です」
エドム地方の郷土料理ということだったが、私が食べていたような庶民的な料理と違って見たこともないような凝った料理ばかりで、美味いは美味いのだがいまいち反応に困った。
「そのサラダは産地から直接野菜を取り寄せているんだ」
「へー、そうなんですかぁ」
「エドムで採れた野菜だ! 新鮮だろう! かかっているソースはうちのシェフの特製だ。あんまりにも美味いからレストランをやっていたところを頼み込んでうちに勤めてもらったんだ」
そんな風に毒にも薬にもならない話を交わしながら、私は運ばれてくる豪勢な料理たちを呑み下してゆく。
その最中にしばしば挟まれるこちらの緊張を解すような物言い、遥か年下の小娘に向かって大の大人が媚びるような笑み、そしてご機嫌伺いの目まぐるしい視線。
(ああ……)
ふと気付く。これが、所謂『接待』というやつなのか。昔は密かに憧れたこともあったが、実際はなかなかどうして気の休まる暇がなくて居心地が悪い。
最後に訳のわからないデザートが出てきたところで、フェイナーン伯が「時に――」と雰囲気を改め切り出した。
「君、信心深い方かね?」
「えと、それは国教のこと……ですよね? いえ、村に小さな教会はありましたが、あまり……」
フェイナーン伯の眼が鋭く光る。応答を間違えたか? 諸侯派だから、植民者の齎した国教ではなく、既にほぼ駆逐された民間宗教の方を信仰していると言ってほしかったとか……?
そんな私の不安も余所に、フェイナーン伯はニカッと笑った。
「そうか、なら良かった。実はこういう催しも用意しているんだ」
「えっ……!?」
フェイナーン伯が乾いた拍手を数度打ち鳴らすと、ぞろぞろと男たちが部屋に入ってきた。面食らったのは、その誰もが正視に耐えないような露出度の高い際どめの格好をしていたことだ。
上は五十代のオジサマ、下は十代にも満たなそうな幼子まで、幅広い年齢層のバリエーション豊かな男たちがフェイナーン伯の背後に整列する。
そして、時間が止まった。
向こうの働きかけは終わり、その場にいる全員が私の反応を待って顔を覗き込んでくる。
『下賤な土着民の考えた下卑たもてなしがキミを待っているさ』
ふと、ヘレナの言葉が頭に過ぎった。
(え、まさか、これってそういうこと……!?)
色々と突然のことで反応が遅れたが、ここはきちんと断らなければ。嬉々として寝たら(まかり間違ってもそんなことはしないけど)、弱みとかを握られて諸侯派に付かざるを得なくなるかもしれない。
「あ、あの! ……そういうのは……」
「ん、もしかして男より女の方が良かったのかな? それは失礼した。好色だと聞いて、私はてっきり男好きだと……そういえば、クレプスクルムは女学院だったね」
好色!? ちょっと待て、どこからそんな話を聞いたんだ。いや、心当たりはめちゃくちゃある。マネの所為じゃないのかこれは!?
「それはすまなかった、少し時間は貰うが今夜中に手配は――」
「ち、違います! そういうのはまだ早い、かなと思ったり……私、中等部二年ですし……外泊許可も取ってないし……」
消え入りそうな声で私がそう言うと、フェイナーン伯の顔からすっと色が消え、怖いぐらいの無表情で黙りこくる。その突然の豹変に驚いて、私は言葉に詰まってしまった。
(えっ、なに、なんなの? 私、なにかマズイこと言った……?)
気まずい沈黙が流れる中、フェイナーン伯はいきなり手を叩いて大笑いをした。
「……ハッハッハ! そうかそうか。今は決まったお相手が居ないと聞いて用意したが、要らぬお節介だったなァ。それじゃ、別の……贈り物にしようか。我々の親交の証に」
「お、贈り物……それなら……」
フェイナーン伯は表向き笑顔を浮かべてはいるが、その額には青筋が浮かんでいた。彼の接待を断ったことが不興を買ってしまったのだろうか。
しかし、いきなり裸の男を見せつけられて、戸惑わず喜べという方が無茶な話だ。実は私が知らないだけで魔女見習いの間でもこういうのが一般的なのか?
訳の分からない気持ち悪さと内心で戦っていると、フェイナーン伯は怒気を滲ませながら威圧的に男たちを下がらせ、代わりに小箱を持ってこさせた。
「これは……」
中に入っていたのは綺麗なペンダントだった。変なものでなかったことに安心して受け取ろうとしたその時、ふとそのペンダントから魔法的な気配を感じて反射的に手を引っ込める。
「気づいたかね。このペンダントには微弱ながら【活力】の加護が刻まれている、つまりマジックアイテムだ。もしかすると、君の魔力量も多少は改善されるかもしれない。……お気に召したかな?」
瞬く間に根拠のない警戒心が思考を侵犯する。果たして、これは受け取っても良いものか。
「どう思う?」
私は小声でマネに相談した。
「ちと、ちゃちい品だな。心配なら術式の記述を読んでみろよ。読めるんだろ? 優等生」
「……そう、よね。確かに、そうだわ」
ニナに貰った指輪のように、内部に術式が刻まれているようなこともなく、暗号化もされていない。言ってはなんだが、マネの言うように「ちゃちい」と思ってしまった。デザイン以外は私でも作れそうなものだし、効果は本当に気休め程度だろう。
しかし、問題らしい問題もないのに受け取らないというのは失礼にあたりそうだ。
ヘレナの予言通りに少々下品なもてなしだったが、ロクサーヌの勧めも頭にあった。それに、食事中の会話の中で一度も『諸侯派に付け』と直接勧誘されなかったのは好材料だった。他は全部駄目だったけど。
たぶん、フェイナーン伯は――というより諸侯派は――もっと長い目で見て私を勧誘するつもりなのだろう。まだ私は中等部二年生。高等部に上がるまで二年弱、卒業までは五年もある。普通の人間関係だって、少しずつ付き合いを深めて行くのが常道だ。私的ではないものなら、なおさらそうである。
(何もおかしくはない……おかしいのはヘレナだけだ)
結局、私はそのペンダントを受け取り、今日のところはこの辺で退散することにした。
「リン君、次はまた違った趣向の催しを用意しておくよ」
「……ええ、それは……楽しみですね」
「また会える日を楽しみにしている!」
従者一同に見送られながら、私は再びフェイナーン伯の用意してくれた馬車で学院へ戻った。
まだ少しだけ散らかっている自室に戻るやいなや、私は昨日の再現をするかのように一直線にベッドの上へと飛び込んだ。
「あ゛~……」
予定していたことが一つもできなかった。マネとの連携だって話し合いたかったし、食わせる糖分についても研究したかったし、勉強も、魔法の修練だってしたかった。
(これが普通の魔女なの……?)
魔法使いが神の祝福を受けたものとして一種の信仰対象だったのも今や過去の話。とはいえ、この現状は些か俗っぽ過ぎる。
大体、私が好色だなんて誰から聞いたのだろうか。私の風評が変に捻じ曲がって諸侯派の生徒から伝わったのか?
――いや或いは、何者かがわざと捻じ曲げて入れ知恵したのかもしれない。
ヘレナは、『下卑たもてなしが待っている』と、私がどのような歓待を受けるか知っているような口振りだった。王党派に引き込もうという彼女が、私と諸侯派の関係悪化を目的として工作した可能性は否めない。
(まあ……そっちはいいや。現状、分かりようもないことだし)
派閥に関する思考を打ち切ると、今度は指輪の方が気になってきた。
警察は犯人を、指輪を見つけられるのだろうか。
貰い物の正体不明のマジックアイテムの方は、ニナには悪いがどうでもいい。だが、父の形見の指輪にはまだ未練があった。
犯人の目的は十中八九マジックアイテムの方だろうから、『父の形見の指輪だけは返してくれ』と叫んで回ったら返ってきたりしないだろうか。そんなことはありえないと分かっていても、そんな展望を思い描いてしまった。
「なあ、リン。これ以上勧誘で一日が潰れるのは勘弁だぜ。世の中、深入りしなくたって良いこともある。中立は両方の敵だぜ。徒党を組んでおけば得するもある。早いトコどっちに付くか決めよーぜ」
「……じゃ、諸侯派かしら」
そう答えると、顔の前まで伸びてきた触手が怪訝そうにぷるぷると震えた。
「なんだなんだ、やけにあっさり決めるじゃないか」
「なによ、決めろって言っといて」
「いやぁな、これは〝人界〟における人間同士の政治的な営みだから、オレ様があんまり煩く口出しするのもどうかと思うし、それがリンの決定なら異存はねえ。けど、一応どうしてか理由を聞いといてもいいか? お前さんの使い魔として」
「うーん」
私は少し考えを整理してから、その理由を話した。
「まあ、やっぱり私はエドム地方の生まれだし、ロクサーヌの勧めもある。家族だって故郷の村に残してきてるし、ママは村が気に入ってる。でも、それ以上にヘレナが怖いかな。下手に関わると火傷しちゃいそう……」
諸侯派は諸侯派で、今日みたいな『接待』をされると困ってしまうが、それも次からは私の要望を伝えれば簡単に解決できよう。正面から言うと角が立つので、それとなくグィネヴィアやレイラを介して伝えれば良い。
(こういうペンダントとかなら大歓迎なんだけどねー)
私は首元のペンダントを持ち上げた。【活力】の加護は果たして機能しているのだろうか。今のところ実感はまったくない。
まあ、次からはもっと性能の良い物にして欲しいところだ。なんて、心が諸侯派に傾きかけた途端、生来のガメつさが顔を出し始める。
「うざいのはうざいんだけど、利用価値のあるうざさなのよねぇ。男は要らないけども」
「カカカ、いいじゃねえか。男でもペンダントでも貰えるもんはなんでも貰っとけばよ」
「……冗談でしょ。というか、男をあてがわれて何するかマネは分かってる訳?」
「交尾だろ?」
何でもないことのように即答するマネ。私はなんだか脱力してしまった。
「はあ……死になさい」
「んだよ、皆やってんだろ? 人間は交尾が好きじゃねえか」
「あ~も~、うるさいうるさい!」
デリカシーの欠片もないマネを無視して布団を引っかぶり、私は今日も不貞寝を決め込んだ。
コンコン。
「――おい――リン、起き――!」
微睡みの中、ノックのような物音とマネらしき呼び声が聞こえる。夢か現か幻か、判然とせぬ意識でぼんやり考えている間にも、物音は絶え間なく連続的に響く。
コンコン、ゴッ――ガシャン!
「――リン! 起きろ!」
「……もう、一体なに、よ、ぉ――!?」
半覚醒の体が無理矢理に動かされ、遅れて意識が急浮上する。霞み、チラつく視界を擦った時、私の体は既にベッドを飛び降りており、枕元に置いておいたカラギウスの剣を形だけ構えて窓に相対していた。段々と鮮明になる視界が、揺れるカーテンの向こうに人影をとらえる。
(何? また泥棒が来たの? もう、盗るものなんて何もないわよ)
よく見ると窓の一部が叩き割られており、そこから突き込まれた腕が窓の鍵に触れた。カチャリと解錠の音が鳴り、身構える私の前で窓が勢いよく押し開かれる。外から一陣の風が吹き込みカーテンが大きく靡き、人影の正体が露わになる。私はハッと息を呑んだ。
「ク、クラウディア教官!? ど、どうして……!?」
「リン、そのペンダントを私に預けてくれ」
クラウディア教官は私の問いには答えず、窓枠から身を乗り出させて私に右手を伸ばした。
「頼む、何も聞かずにそのペンダントを渡してくれ。――時間がないんだ、早く!」
クラウディア教官は頻りに背後を気にしながら、焦った様子で私を急かし立てる。
寝起きな上、突然のことに思考も回らず、訳も分からぬままに私はペンダントを手に取る。しかし、それを首から外して差し出す前に、マネの触手が腕に絡みついて妨害してきた。
「渡すな! こいつ、なんか怪しいぞ!」
「ちょ、ちょっと、クラウディア教官に向かってなんてこと言うのよ!」
「――早く!」
その時、クラウディア教官の背後から複数人の足音と怒号が聞こえてきた。クラウディア教官は顔をしかめ、少し逡巡するような素振りをした後、「チッ」と舌打ちを残し窓枠を蹴って夜の闇に消えた。
慌てて窓辺に駆け寄るも、その時には既にクラウディア教官の姿はどこにもなく、代わりに息を荒げた警察官たちが周囲を見渡していた。その中には、昨日の朝に話したアーシムさんの姿もあった。
「クソッ、逃したか……! 急いで結界管理人のもとへ向かい、記録を取ってこい!」
「あの、アーシムさん? どういうことなんですか、状況が良くわからないんですけど……」
「……すまない、こちらの不手際によるミスだ」
アーシムさんは申し訳無さそうに頭を下げた。
「クラウディア・ローゼンクランツの居所を探し当てるまでは良かったが、同行を願い出る段になってみすみす逃亡を許してしまった。それでも何とか再捕捉してここまで追ってきたものの、後一歩及ばず再び取り逃がしてしまった。しかし、烙印はしたのでおおよその位置は掴めている。問題は、どうやってあのクラウディア・ローゼンクランツを捕縛するかだが……」
「主任、その辺で……」
「……ああ、そうだな。すまない、被害者の君といえども、これ以上話すと捜査情報の漏洩になってしまう」
アーシムさんは部下の警察官たちにてきぱきと指示をする。その背後では、今まさに朝日が昇ろうとしていた。急に叩き起こされた所為か、その光が嫌に目に染みてズキズキと頭痛がした。
(どうして、クラウディア教官は警察の同行を拒否して逃げたんだろう……)
折節実習の後はクラブ活動もないので、クラウディア教官が学院を出ていること自体はおかしくない。しかし、己に何ら瑕疵がないならば逃げる必要はない筈だ。
その上、ペンダントを欲しがったのも不可解だ。そもそも、これの存在をどこで知ったというのか。私はフェイナーン伯の屋敷から自室まで直帰しているし、その間、使用人と御者以外の人に会っていない。
(なぜ……?)
考えていると頭痛が酷くなってきた。俯いて痛む頭を抑えていると、アーシムさんが心配そうに窓辺に寄ってくる。
「怪我をしたのか?」
「い、いえ! 大丈夫、です!」
紛らわしい動きをした所為で心配をかけてしまったようだ。私は、怪我がないことをアピールするために頭痛を堪えて空元気を出した。
「それはよかった。警備を強化してやりたいが、生憎と人手不足でな。学院側に対応してもらうほかない」
「い、いえ、気を使っていただかなくても、私の部屋にこれ以上金目のものはないので……」
「何を言う。こうして被害が出ている以上、君の身に何かあってからでは遅い。警備については、こちらから学院の方にかけあっておこう。それより、朝早く叩き起こされて気も立っているだろうが、これだけは答えて欲しい」
アーシムさんは眼光鋭く私を見据えた。
「クラウディア・ローゼンクランツとは、何か話したか?」
「話、ですか……えーと、出し抜けに『このペンダントを渡してくれ』と言われました」
本当にそれだけだ。アーシムさんの怪訝そうな視線がペンダントに向かう。
「……そのペンダントは? 昨日はしていなかったように思うが……」
「昨日の夜に貰ったんです。フェイナーン伯という人に」
「フェイナーン……今度は諸侯派か」
諸侯派――その言葉を聞いた瞬間、ある考えが電撃の如く脳裏に閃いた。
「それでは失礼する」
去ってゆくアーシムさんの声も聞こえないぐらい、私は夢中で思索する。頭痛はもう治っていた。
指輪を盗んだ犯人は――サマンサだ。
そして、その背後にいるのは恐らく諸侯派で間違いない。まだ説明できないことも多いが、少なくともそう考えればヘレナと諸侯派の動きには納得がいく。
まず、どういう訳か、ヘレナとマチルダは盗難事件に諸侯派が関与していることに気づいている。
『リン、行ってくるといい』『行きなさいよ、それ』
『ヘレナ様はアナタに期待しているの。全身全霊で応えなさい』
その上で、私に何かを期待しているらしい。
その期待とは、私が真実に辿り着くことだろうか。でなければ、『リンの王党派入りは確実』なんて、私が諸侯派を見限ることを確信しているかのような不可解極まりない言動は取れない。
次に、フェイナーン伯がくれたこのペンダント。これは私の魔力波長(魔法的な鍵)を採取する目的で渡されたものだ。あの小箱は最新型だったから、さぞかし盗んだ諸侯派も開けるのに苦労しているに違いない。
であれば、男をあてがおうとしたのにも理由が付く。情事の中で、髪の毛の一本や二本採取しようと思ってのことだろう。魔力波長の偽造には高度な魔法的技術を要するが、手元にサンプルがあれば幾分か楽になる。
恐らく、このペンダントもそのために用意していたものだ。
このペンダントの術式には無駄が多い。通常の【活力】の加護には不要なシーケンスが複数あり、その幾つかは私の魔力をペンダントのうちに留めるような働きをするものだ。詰まるところ、魔力痕をより濃く残そうという腹だろう。
そして、そのペンダントを回収しにきたクラウディア教官もまた、ヘレナと同じく諸侯派の動きを察知していたと思われる。その目的は恐らく諸侯派の計画を阻止することだ。でなければ、このタイミングで私に接触してくる理由がない。クラウディア教官が諸侯派で、フェイナーン伯の味方なら私にそのまま付けさせておけば良いだけだ。
諸侯派の立場になって考えてみると、このタイミングでペンダントを直接に回収してしまうのは一連の企みが露呈してしまうリスクがある。回収するにしても、サマンサのような人間を使ってリスクを減らしつつ間接的に回収するだろうし、どうしてもすぐに回収しなければならない事情があったとか、クラウディア教官でなければ駄目な理由があったとしても、警察に追われているような状況で回収を強行させるとは考えにくい。
だから、教官の目的は恐らく諸侯派の計画を阻止することにあると思うが、しかしそうすると、なぜ警察から逃げ回っているのかが分からない。事情を話してしまえば良いような気もする。そうできない理由があるのか、或いは私の考えがどこか的はずれなのか。
そもそも、クラウディア教官がどちらの派閥に属していたかという点から既に情報が抜け落ちている。私の眼には、どちらの派閥からも距離を置いているように見えたから。
(……うーん、犯人の目星はついたけど、相変わらず分からないことだらけね……)
陽が昇り、外が完全に明るくなっても、私は朝食も取らず思考に耽った。
ヘレナはなぜ諸侯派の動きを知っていたのか。クラウディア教官はどこでペンダントのことを知ったのか。
あれだけデカイお屋敷を王都に構えるほど裕福な商売に成功しているフェイナーン伯が、高々二百万£のマジックアイテムの指輪をこんなにも回りくどい方法で盗む理由も分からない。
もしかして、あの指輪には私の知らない価値でもあるのか?
分からない。分からない。分からない……。
その言葉を何度目かに思い浮かべた時、急に腹の底からドス黒い感情が湧き上がってきた。
「……なんか、ムカつく」
不意にそんな言葉が口をついた。
「お? やっとしゃべったな」
「全部が全部、私の手の届かないところで動いていて、私はその動きに右往左往させられて! それでいて被害は私が一番受けてるのよ!?」
ムカつく、ムカついて仕方がない。
「いいぜ。なんかしんねぇけど調子出てきたな!」
畜生、絶対にこのままじゃ済まさない……!
「――この事件、今日中にカタを付けるわ!」
「おお、いっちょ行くかー!」
適当なマネに囃し立てられ、私は今日も休日返上だと半ばやけくそ気味に拳を突き上げた。
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