触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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第二章

5.愛国者 後編 その⑥:化物

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「私は……負けてないいいいいいいいいい!」

 そうだ、思い出した。聡明なる私は、こういう状況に陥った時の用意も抜かりなくしておいたのだった。

「馬鹿な……確かに両断した筈……!」

 徐々に鮮明さを取り戻してゆく視界の中では、サフルが槍を杖にして立っていた。石の表皮を纏わぬ彼は、思ったよりも若々しい顔付きをしていた。

 私は喉奥をくつくつと鳴らして笑う。

「斬った? 馬鹿言わないで、現に私はこうして両の足で立っているッ!」

 一歩踏み出すと、制服のスカートの上部が溶け落ちる。あらわになった黒いインナーの下では、蠢くマネの体組織が上下に泣き別れた私の身体を健気に繋ぎ止めていた。

 戦術・其ノ二百十七――拡張血管。
 戦術・其ノ二百十八――拡張神経。

 マネに血管と神経を作らせ、身体の可動域を拡張する技である。

 そもそもマネは私の動きを補助サポートする際、筋肉への電気信号を読み取って動きを合わせていた。なので、その読み取った電気信号を別の神経へ中継リレーすることができれば、加えて血管も延長することができれば、理論上は例え首を斬り落とされたとしても私は生存することができる。

 とはいえ、そう簡単に試せるものでもないので、これがぶっつけ本番なのだが、こうして無事に生きているということは、問題なく成功したと見て良いだろう。

「その『スライム』が……繋ぎ止めているというのか!? しかし、アメは一つ残らず全て遠方に投棄した筈……!」
「『魔石ノクティルカ』よ」

 私は答えた。そして、空っぽになったカラギウスの剣の柄を見せつける。

 マネのエネルギー源はアメ玉だけではない。魔石ノクティルカもまたそうだ。というより、これまでは費用対効果や携行性・保存性の観点からアメ玉を用いていただけであり、本来マネは魔石ノクティルカを主食とする。

 そのため、万が一の時に備えてマネには魔道具アーティファクトの動力源が魔石ノクティルカであること、そしてその取り出し方をみっちりレクチャーしておいた。

(よくカラギウスの剣の柄に魔石ノクティルカが入っていることを思い出してくれた!)

 上出来も上出来。帰ったら芸を覚えた犬にするが如く、褒めて褒めて褒めまくってくれよう。勉強も、一日だけ免除だ。

『一日……だけかよ』

 妙に静かだと思ったら、どうやら忙しいのか喋ることもままならないらしい。もし喋る余裕があったなら、マネは私に「退け」と煩く言ったことだろう。だが、私がそのような舐めた勧告に従わないことは分かっている。だから、無為な体組織の消耗を避けるためにマネは黙っているのだ。

 さあ、早いところ勝負を決めてしまわなくては。

 しかし、焦りは禁物。カラギウスの剣は三本ほど持ってきていたのだが、それらに使われていた魔石ノクティルカの全てを拡張血管と拡張神経を作るのに消費してしまっているらしい。

 つまり私は今、無手の状態だ。

 最後まで小賢しく策を弄さなければ勝利はない。視界を巡らせ、私の意識が朦朧とする前と後で戦場に起こった変化を把握し、勝利への道筋を模索する。

「ば、化け物が……」
「アンタには言われたくない」

 ――見えた。

 勝ち筋はある。しかし、成功するかどうかは五分五分だ。それでもやるほかないと覚悟を決め、私は無手で構えた。

「私はまだ戦える。つまり、勝負はまだ付いていないということよ。アンタも構えなさい。――さあ、最終ラウンドよ!」
「ぐっ……はあ、はあ……」

 サフルは息を切らしながら、よろよろと杖がわりにしていた槍を曖昧に構える。その時、彼の憔悴しきった表情が、まるでスイッチを切り替えたようにパァッとこの場に似つかわしくないほど明るいものへ変わる。

「ふ、ふふふ……」

 まるで、精神病罹患者のような薄気味の悪い空笑そらわらい。ヤケクソにでもなったか?

 ――いいや、違う。その眼は死んでいない。

「ああ! 見える、見えるぞ! ここで俺がたおれようと関係ない! いずれ〝思想〟は国中に広まり、ゆくゆくは一般常識コモンセンスとなるだろう! ざっと三十年! あと三十年もすれば、この地は自ずとあるべき姿へ回帰する!」

 精神的に追い込まれて発狂したというには、そのサフルの口調はどこか理知的すぎた。狂い、自己憐憫の末に愚にもつかない慰めを口にした訳ではなく、彼は本気で、正気で、心の底からそんな展望を描いているようだった。

「あのね、そんなこと……みすみす王党派がさせると思って? アンタたちの存在は既に露呈しているわ。その望みが成就する可能性なんて――」
「するさ。必ずな。ゴムやバネが反発するように、この国の歪みに対しても同じことが起こるというだけのこと。自然の摂理だ」

 サフルは私の言葉を遮り、自信をもって断言してみせた。

「イリュリア王国を我が故国と認識し、心の拠り所アイデンティティとしている者は存外に少ない。それもその筈、殆どの者は生まれ育った地域から出ることなく、地元の民族的な繋がりを持った狭いコミュニティの中で一生を終えるからだ。彼らにとってはそれこそが『国』なのだ!」

 一瞬、ヨナちゃんの顔が頭を過ぎった。次いで、ズラーラの顔も。

「ッ――ああ、そう!」

 心中の苛立ちを紛らわすように、私は舌戦を止めて正面から突っ込んだ。対するサフルは、満足に表情筋も動かせないのか、さっき作ったぎこちない笑みをずっと湛えている。

 消耗しているのは相手も同じことだろうが、どちらかといえばこちらが不利だ。なにせ、相討ちでは困るのだ。私はこんなところで死んでやる気は毛頭ない。

 相討ちでは……困るのだ。

(一工夫が必要だ。……マネ、頼むわよ)

 サフルの槍先、やや低く――限界まで力を温存していると見た。恐らく、最後に残った力を振り絞って私と刺し違えるつもりなのだろう。

(そうはさせない――私は絶対に勝って、!)

 走り出すと、上下半身の不確かな結合が激しい揺れを引き起こす。収めなおした内蔵が、また再びまろび出てしまいそうだ。

「ぎゃ、がああああああああああああああああああ!」

 私はまるで気が触れたかのように叫声を上げ、その揺れを抑えるのでなく逆に利用し、大きく跳躍して肉食動物のようにサフルへ飛び掛かった。すると、それを待っていましたとばかりにサフルが突きを放つ。

(狙いは――心臓か!)

 なれば、何ら支障なし。私は身を捩ることすらせず、サフルの槍は私の胸部を刺し貫いた。

「ご、ごぽ……」

 私の口から、苦悶の声と血液が溢れ出す。槍は完全に私の身体を貫通し、持ち手ぎりぎりのところまで突き刺さっていた。普通なら致命傷は免れない。

 そう、

 次の瞬間、槍からサフルの手がズリ落ち、支えを失った私は胸部に刺さった槍ごと地面に落下した。

 ――で。

「ぐはっ……!」

 もう一方の下半身は、足の指で保持した削岩機のビットをマネの補助サポートを借りてサフルの腹部へ深々と突き立てていた。

「アンタが捨てたビットよ……!」

 突撃の最中に、こっそりとマネに拾わせておいたのだ。

 胸に刺さる石塊の槍がボロボロと崩れてゆく。ここで槍まで炸裂されたら流石にヤバかったが、既に魔力は枯渇していたので無理だったようだ。もちろん、炸裂された場合の用意としてマネの体組織で槍を覆ってはいたが、それも万全な対策とは言い難いので、使わずに済んで幸いだった。

 地面に倒れ伏すサフルと入れ替わるように、私は再び上下半身を結合させてふらふと立ち上がる。

「なぜだ……なぜ、死なない……! その位置……心の臓を確実に貫いている筈……!」
「ぐ、ぎゃっぎゃ、がっ! 残念でした!」

 私は血反吐をぶち撒けながら、胸元の傷口を手でグイッと広げて中身をサフルに見せ付けた。

「既に大事な臓器は移動済みなのよ! アンタが刺したのは私の皮膚と肉だけ。死ぬほど痛いけど、死にはしないわ!」

 すかさず、広げた傷口にマネの体組織が集まり止血をしてくれる。それを見て、サフルは遂に全身を弛緩させた。

「負け……か……。俺の……いや、俺たちの……」

 ひとたび気力を切らした途端、意識を保つことすら難しくなったのだろう、光を失った朧気な視線が何かを探して虚空を彷徨う。

「……だが、せいぜい束の間の喜びを噛みしめるがいい……敵は、我々だけとは限らん……! 『指輪』も……既に奴らの手に、渡った……」
「『指輪』?」
「ふっ……所詮は其の方も……王党派貴族どもの使い走りに……過ぎないと……」
「ちょっと、『指輪』ってどういうことよ?」

 その問いに、答えが返ってくることはなかった。気絶か、死亡か。とにかく、サフルはピクリとも動かなくなった。

 別に生死は考えちゃいなかったが、今は生きていて欲しいと願った。

(けど、何にしても……私が生き残らなきゃ意味ないわ)

 緊張の糸が途切れると、立っているのにも辛さを感じるようになり、私はへたりこむように遺構の残骸の一つに腰掛けた。

「ねえ、あと何分もつ?」
『一分……持てばってとこだ』

 だ、そうだ。私の寿命は残り一分。遺書をしたためる暇もないなと考え、不謹慎ながら失笑が漏れた。

「良い人生だったわね」
「ふざけろ」
「あ、普通に喋った」

 誂い混じりに私が笑うと、それに抗議するかのように少し体組織が震えた。

「なあ、マジに答えろよ? それだけ余裕かますってことは、こっから生き残れる見込みがあるんだよな?」
「あったりまえでしょ」
「ふざけてねぇで教えろよ」

 マネが怒りを滲ませ始めたところで、私は後ろを指差した。

「戦闘中でも、タイムキープぐらいちゃんとしときなさいよ。そろそろ……十五分、ジャストよ」
「……は? お前、まさか……あの時のヘレナの言葉を信じて……?」
「はあ……馬鹿ね。そんな訳ないじゃない」

 十五分。ヘレナは確かに十五分で片付けると宣言した。もちろん、私はその言葉を信じてなどいない。ただ、こちらへ向かってくる生命反応が見えたので、恐らくそれがヘレナだろうと当たりを付けていただけだ。

 程なくして、風切り音を響かせながら霊鳥シムルグが空から舞い降りてくる。その背中から身を乗り出したヘレナは、今までに見たこともないほど純心で、屈託のない笑みを浮かべていた。

「くっ、ははは! これはまた随分と女を上げたなァ――リン!」
「……アンタもね、ヘレナ」

 血生臭い風が吹き上げ、ヘレナの長い髪を巻き上げる。折からに登り始めた日光に照らされて、ピンク色をしたヘレナのがてらてらとした輝きを放つ。ヘレナは、左側頭部に大きな怪我を負っており、そこから中身である脳が剥き出しになっていた。

 左側頭部の頭蓋骨を半分ほど持っていかれるような大怪我だが、ヘレナはそれを物ともせずに木箱を抱えて霊鳥シムルグの背から飛び降りる。その傷を近くで見て初めて、『空気』のようなものが頭蓋骨の代わりとなって蓋をしていることに気づいた。

(成程、魔女ウィッチだ)

 ヘレナは風属性魔法を得意としている。それで応急処置をしたのだろう。

 ともあれ、ヘレナの持ってきてくれたアメ玉のおかげで私の命は繋がった。

「マネ、これを消化したら寿命はどれくらい伸びる? 下半身の神経とかはもう要らないわよ」
「んー……二十分ってとこだ。生命維持に障りのない程度に拡張血管・拡張神経の機能を抑え、安静にすること前提で二十分だな」
「木箱一つでそれくらいかぁー……」

 私は本陣に残してきたアメ玉の総数を脳内で概算しながら嘆いた。

 予想していた以上に、拡張神経・拡張神経の消耗が激しい。しかも、これは維持コストである。この状態を構築する際の初期コストには魔石ノクティルカ三コ分の保有魔力を要した。

(この状態を維持したまま戦闘するには、もう少し魔石ノクティルカが必要ね)

 でなければ、これは僅かばかりの生存を担保する延命手段でしかない。

 さて、戦術考察に関しては後でも出来る。今はさっさと治癒魔法士の待つ本陣に戻って身体をくっつけてもらおう。何時までもプラプラしていては不便だ。

 私は木箱の中身をマネに取り込ませ、順次消化させてゆく。そして、立ち上がろうとした時、ヘレナがそれを手で制してきた。

「動くな。今の話は聞いていた。キミは私が運ぼう」
「あ、ちょっと……! 今、触ると――」

 拡張血管・拡張神経を使っている間は、マネの体組織が常に活性状態となっており、『酸の性質』も同じく顕在化している。だから、不用意に触っては危険だと注意しようとした。だが、その前にヘレナはマネの体組織に触れてしまった。

 じゅうじゅうと音を立てて、体組織に触れたヘレナの腕が熱傷を負う。注意が間に合わなかったかと思っていると、驚いたことにヘレナは全く平然として、眉根一つ動かすことなくそのまま私を抱き上げた。

「行こう、『英雄』の凱旋だ」
「もう……勝手にして」

 私は疲労も相まって何も言えなくなり、ヘレナに身を任せて霊鳥シムルグの背に乗った。

 何が楽しいのか、その間ヘレナはずっと微笑んでいた。

(馬鹿みたいに楽しそう……純粋、すぎる……)

 何時までも止めない『英雄』云々の戯言にしろ、サフルの言っていた『指輪』にしろ、ヘレナに対して言いたいことは山ほどあったが、その侠気きょうきと不可解なほどに純粋な笑顔に免じて追求は先送りにしてやることにした。具体的には私の身体の状態が落ち着くまでは。

 それはとても、を持った人間の顔には思えなかったから……。

 ばさ、ばさ、と大きく翼を動かしながら霊鳥シムルグが助走を始める。ヘレナの指示でサフルを足で掴んでから、霊鳥シムルグは力強い羽ばたきで朝焼けの空へと飛び立った。

 高度の上昇に伴い日差しは強まり、ヘレナの端正な横顔がオレンジ色に染まる。

(アンタのこと……もっと知らなきゃね)

 分かった気になるだけでは駄目だ。深く知らなければ、また見誤る。『革命』とは何か、その真意は。今までは危機感や反骨心から知ろうとしていたが、今となっては単純な知識欲の方が強くなってきていた。

(それは……サフルの〝思想〟に対抗できるようなものなのかしら……?)

 どこか他人事のようにも感じていたヘレナの企みに、ほんの僅かな期待を寄せ始めている私がいた。
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