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第三章
3.宝探し実習 その②:チャチャム画房
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宿を出て、私は行き交う人々の往来に身を溶け込ませた。宿の中で制服から私服に着替えているので、どこからどう見てもただの女の子にしか見えない筈だ。
こうして歩いていると、さっきの人相書きに似た人物を幾人も見つけることができる。本気で探すつもりなら、アレは一度忘れた方が良いだろう。
「さて……どう思う?」
小声で囁くと、髪に紛れて耳裏に細い触手が伸びてくる。
「聞き込みなんて、わざわざリンを呼びつけてまでやらせる仕事じゃねえな」
「そうね、他に幾らでも適任者は居るはずだわ。別に魔法が必須という訳でもないのだし、適当な使用人にでもやらせればそれで事足りる」
恐らく、ポーラはヘレナに言われて指令を伝えただけで何も知らないだろう。彼女は隠し事が下手なタイプなので、何か隠していたらすぐに分かる。
もしかすると、ヘレナやマチルダが姿を見せないのはその為だろうか?
「どうする? フケるか?」
「いえ……取り敢えず、聞き込みには行こうと思ってる。私も『指輪』の情報は欲しいし、報酬の金も結構な額だったし欲しい。だから、利害の一致ということで働いてやっても良いんだけど……ヘレナの掌の上で転がされるのだけは真っ平、思い通りになんかさせてたまるもんですか」
往来から外れ、狭い路地を行く。この路地の先が例の露店があった場所だ。人気は薄れたが、それでも誰も通らない訳じゃない。最近は取り締まりも激しいし、無許可で露店を開くなら、こういう場所が最適といえるだろう。
「つっても、具体的にどうすんだよ」
「それは後で考える。今は聞き込みをしましょ」
さっきも言ったが、情報が欲しいのは私も一緒だった。
家々が陽射しを遮っているおかげで、この路地は少し薄暗い。といっても、犯罪や貧民窟を想起させるジメッとした暗さではない。誰がしているかしらないが掃除もまあまあ行き届いていて清潔感がある。
辺りを見回すと、『チャチャム画房』と書かれた慎ましやかな看板が目に入った。ただの民家にしか見えなかったが、画房とあるからには画房なのだろう。
そのチャチャム画房には、路地に面した大きな窓がついており、それは換気のためにか今も開け放たれていた。これなら、警察とヒジャーズ商人が押し問答した際、騒ぎを聞きつけていてもおかしくない。
私は、ここから聞き込みを始めることにした。
「ごめんくださーい。誰か居ますかー?」
「あ、はーい、ただいまー!」
奥から出て来たのは、エプロンのようなものを付けた爽やかな青年だった。白い肌なので、ベレニケには珍しい植民者系だ。
「貴方がチャチャムさんですか?」
「あー、違うよ。僕はその弟子だね。お嬢ちゃんは、お仕事の依頼で来たのかな?」
「いえ――私は魔女のリンです」
私は身分証明がわりに隠し持っていた杖先に光を灯してみせた。すると、優しげな微笑みを浮かべていたお弟子さんの顔色がガラッと変わる。
これは――恐怖の情だ。
ただの小娘だと思っていた相手が立場ある人物だと分かり、失礼な態度を取れば咎を受けるのではないかと恐れている。実に小市民的な反応だ。
まあ、情報を聞き出すならこれぐらいで丁度いい。良い人そうなので、心は痛むが。
「一ヶ月前、画房前の路地で露店を開いていたヒジャーズ商人と、彼から『指輪』を買っていった人物について、知っていることがあればお聞かせ願えますか」
お弟子さんはコクコクと頷いて承諾してくれた。しかし、当時は師であるチャチャムのみが画房におり、お弟子さんは所用で出かけていたとのこと。
今は逆にその師チャチャムが留守にしているそうだが、もう間もなく戻ってくるとのことで、私は画房の中で待たせてもらうことにした。
奥に引っ込んでいったお弟子さんが、カップと菓子を手に戻ってくる。
「西方の葉で淹れた茶です。こんなものしかありませんが……」
「お構いなく。口調も、そう堅苦しくせずともいいですよ。見た目通りに私は子供ですので」
「は、はあ……」
なんだか、子供対応と客対応が微妙に混ざってるような感じでギクシャクしている。
せっかくなので出された茶を啜った。うーん、渋い。まずい。
じっと黙りこくって待つというのも気まずいので、私は適当な世間話を振ることにした。
「お師匠さんは、どんな人なんですか?」
「え? えー、と……職人肌というか、気難しい感じ? でも、絵の腕はたしかで、ベレニケ伯の宮殿の壁一つを任されたこともあるんだ」
「へえ、あの宮殿の壁を」
「僕はその絵を見て画家を志したんだ。機会があったら見てみると良いよ」
前に行った時、絵なんて見た覚えはないが、そんな高名な画匠の作品があるなら見ておけば良かった。なんか、損した気分。
お弟子さんが、おずおずと「作業の続きをしていても良いか」と聞いてきたので、「お構いなく」と返すと、彼はほっとしたように息をついて画材の群れの中に進んでゆき、白い布のかかった画架の前に立った。
白い布が取り払われると、製作途中の絵があらわになる。それは、二人の男女が抱き合っている絵だった。
男はこちらに背を向け膝立ちになり、女はそんな男を上から包み込むように優しく抱きしめている。周囲には、天使のような羽の生えた者たちが自由に舞い飛び、二人を祝福しているかのようだ。
「好奇心で聞きますが、それは何の絵なんですか?」
「一応、宗教画になるのかな……まあ、まだ仕事も任せられないような徒弟の習作だよ」
宗教画……言われてみれば、そこはかとなく荘厳で神秘的な雰囲気を演出しているように見える。
(……うそついた)
私に芸術的な審美眼なんて備わってないし、全然分からない。しかし、習作と謙遜する割には上手く描けているんじゃないかと、素人目に思った。
お弟子さんは続きを描きながら、その絵について話してくれた。
「この街にはね、建国の英雄、初代イリュリア王に纏わる伝説があるんだ。三百年前、この地を訪れた英雄たちは地元の諸豪と折り合いがつかず、また植民者たちの間でも諍いは絶えなかった。その仲裁と闘争に奔走する英雄は心身ともに疲弊し、このベレニケの神殿にて暫し静養したという。その夜、英雄は天から舞い降りてきた『神』に慈悲深き抱擁を受ける」
説明を受けて、絵の見方が分かった。つまり、抱きしめられている男が建国の英雄、初代イリュリア王であり、抱きしめている女が『神』だ。
「その神秘的な祝福と癒しによって活力を取り戻した英雄は鬼神の如き活躍で付近を平定し、現代まで三百年も続く王朝を築いた。……この絵は、その光景を描いているのさ。題名は――さしずめ『英雄の誕生』とでも言ったところかな」
実際のところは、本当に『神』に抱きしめられた訳ではなく、何かの比喩とかそれっぽい脚色とかだろうけどね、とお弟子さんが夢のないことを付け足すと、マネが私にしか聞こえない声で「だろうな」と呟いた。
二人につられて、私も少々夢のないことを口走る。
「三百年続いたといっても、途中で分裂や反乱はありましたし、その間に一度も王家の血が途絶えなかったのは単に運が良かったからとしか言えません」
「厳しいことを言うね……お嬢ちゃん」
「私は魔女ですから。国の将来を担う者として恥ずかしくないよう教育を受けてます。現場としてはシビアな感性も必要ですよ」
「はは。街の皆は、君たち魔法使いに感謝しているよ。国防も、農業も、治水も、全て『神』の遣わした君たちによって支えられている」
お弟子さんの言葉が再び引っかかった。『神』……その言葉をどういう意味で使っているのか。ちょっとした懸念が頭を過ぎる。
「ところで……その題材は、少しまずいんじゃないかとも思うんですが……」
「お嬢ちゃんは、『偶像崇拝』のことを言っているのかい?」
私は首肯した。国教会は、偶像崇拝を禁止している。といっても、長い年月を経てそれは有名無実化し、絵画や彫刻などにさんざ国教会関係のモチーフが描かれてきたが、それでも『唯一神』はまだ不可侵の領域だ。
「その点に関しては大丈夫さ。これは国教会の『唯一神』ではなく、この地に古くから伝わる『神』だからね。戦いの女神と言われるトァナとかが、この題材にピッタリじゃないかな」
「そ、そんな詭弁が国教会に――」
「それに」
私の言葉を遮り、お弟子さんは敢然と言い放つ。
「仮に国教会の弾圧を受けたところで、僕の筆は誰にも止められないよ」
もう、私を魔女と知って怯えていた気弱そうな青年の姿はない。そこにいるのは、若き情熱をギラギラと燃やす一端の芸術家だ。
ならば、もはや何も言うまい。
彼の意志の硬さは十分に伝わった。もともと、部外者である私が口出しすることではないのだ。
「――偉くなったものだな。徒弟風情が」
「あっ、師匠!」
突然聞こえた嗄れた声に振り向くと、画房の入口に一人の老人が立っていた。他に人は見当たらないので、頑迷固陋の皺を顔中に刻むこの老人がこの画房の主、チャチャムさんなのだろう。
私へ無感動な視線をぶつけながら、チャチャムさんは荷物をお弟子さんに渡し、「客か?」とぶっきらぼうに聞いてきた。
「いえ、魔女のリンです。一ヶ月前、この画房前で開かれていた露店について、チャチャムさんにお伺いしたいことがあってきました」
「一ヶ月前……なんだ、今更そんな昔のこと」
「そこで、無許可の露店を開いていたヒジャーズ商人と、そこで『指輪』を購入した者について――」
「なんだ、それならもう十分話したろう?」
話した、とは誰の事を言っているのだろうか。そいつは王党派の使いなのか、それとも……。
「……それとは別口です。宜しければ、前に来た者の事も教えて頂けると……」
「いや、それは口止めされてるんでね。もう金を受け取っちまった」
「はあ」
口性無い人だ。口止めされておいて、そこまで言ってしまうのか。これは、なるべく遠回しな言い方は避けて、直接的な言い方をした方が良さそうだ。
ドカッと画房の真ん中の椅子に腰を下ろしたチャチャムさんを追いかけ、私もその隣にあった椅子に座った。
「それで、お話の方は」
「報酬次第だ」
たぶん、前に訪ねてきた者の『口止め』はその話をしないことも含んでいると思うが、そこは突っ込まないことにした。私は小切手帳からヘレナ名義の小切手を千切り取り、適当に十万£と書き入れた。
こういうのにも相場とかあるのだろうか? 分からないので適当だ。
「こんなもんで、どうでしょう」
「ふん……まあいい」
「換金はしばらく時間を開けてくださいね」
「マズイのか?」
「はい。できれば数ヶ月ほどお願いします」
少し期間を開けとけば、仮に渡しすぎていても怒られることはないだろう。ヘレナも、数ヶ月後までこの金の流れを追うまいて。
乱暴に小切手を私の手から奪い取り懐に収めたチャチャムさんは、ガチャガチャと画材の整理をしながらその片手間に話してくれた。
外で開かれている露店――どうみても無許可――の呼び込みの声がうるさかったので、お弟子さんに用事を申し付けたついでに通報させたこと、警察が来て無理矢理に露店を撤去させたこと、その最中に通りがかった市民風の男が『指輪』を買っていったこと、その風貌、歩いていった方角……。
概ねポーラから聞いていた話と相違ない。
私は、今日の事と一ヶ月前の話をこれ以上他言しない事を頼みつつ、新たに小切手を千切って渡した。チャチャムさんは、小切手に書かれた二十万£を一瞥した後にゆっくりと頷いた。
だが、いざ画房を出ようとした時、チャチャムさんが「おい」と呼び止めてきた。
「どうして、その男を……あー、『指輪』を探しているんだ?」
「国教会の『回収令』はご存知ですか?」
「知らん」
閉口した。今どき、国教会を意識せずに生きられるなんて、なんて幸せな人生を送っているのだろう。
「……民宗派と呼ばれるいかれたカルト集団が、その『指輪』を血眼になって探しているんです。例え『指輪』が偽物だったとしても、購入した者にも被害が及ぶかも知れない。だから、その前に回収しないと……私たちの身元が不安なら、その小切手の名義を調べてもらえば由緒ある王党派貴族だと分かる筈です。それに私自身は昨日の新聞を見てもらえばちょっとだけ活躍が乗ってます。では」
「……ああ」
チャチャムさんは思案顔になり、それきり何も言わなかった。
その後、近所のもの数人にも聞き込みを行ったが、チャチャムさんの他には当時居合わせた者はおらず、これといって収穫はなかった。
こうして歩いていると、さっきの人相書きに似た人物を幾人も見つけることができる。本気で探すつもりなら、アレは一度忘れた方が良いだろう。
「さて……どう思う?」
小声で囁くと、髪に紛れて耳裏に細い触手が伸びてくる。
「聞き込みなんて、わざわざリンを呼びつけてまでやらせる仕事じゃねえな」
「そうね、他に幾らでも適任者は居るはずだわ。別に魔法が必須という訳でもないのだし、適当な使用人にでもやらせればそれで事足りる」
恐らく、ポーラはヘレナに言われて指令を伝えただけで何も知らないだろう。彼女は隠し事が下手なタイプなので、何か隠していたらすぐに分かる。
もしかすると、ヘレナやマチルダが姿を見せないのはその為だろうか?
「どうする? フケるか?」
「いえ……取り敢えず、聞き込みには行こうと思ってる。私も『指輪』の情報は欲しいし、報酬の金も結構な額だったし欲しい。だから、利害の一致ということで働いてやっても良いんだけど……ヘレナの掌の上で転がされるのだけは真っ平、思い通りになんかさせてたまるもんですか」
往来から外れ、狭い路地を行く。この路地の先が例の露店があった場所だ。人気は薄れたが、それでも誰も通らない訳じゃない。最近は取り締まりも激しいし、無許可で露店を開くなら、こういう場所が最適といえるだろう。
「つっても、具体的にどうすんだよ」
「それは後で考える。今は聞き込みをしましょ」
さっきも言ったが、情報が欲しいのは私も一緒だった。
家々が陽射しを遮っているおかげで、この路地は少し薄暗い。といっても、犯罪や貧民窟を想起させるジメッとした暗さではない。誰がしているかしらないが掃除もまあまあ行き届いていて清潔感がある。
辺りを見回すと、『チャチャム画房』と書かれた慎ましやかな看板が目に入った。ただの民家にしか見えなかったが、画房とあるからには画房なのだろう。
そのチャチャム画房には、路地に面した大きな窓がついており、それは換気のためにか今も開け放たれていた。これなら、警察とヒジャーズ商人が押し問答した際、騒ぎを聞きつけていてもおかしくない。
私は、ここから聞き込みを始めることにした。
「ごめんくださーい。誰か居ますかー?」
「あ、はーい、ただいまー!」
奥から出て来たのは、エプロンのようなものを付けた爽やかな青年だった。白い肌なので、ベレニケには珍しい植民者系だ。
「貴方がチャチャムさんですか?」
「あー、違うよ。僕はその弟子だね。お嬢ちゃんは、お仕事の依頼で来たのかな?」
「いえ――私は魔女のリンです」
私は身分証明がわりに隠し持っていた杖先に光を灯してみせた。すると、優しげな微笑みを浮かべていたお弟子さんの顔色がガラッと変わる。
これは――恐怖の情だ。
ただの小娘だと思っていた相手が立場ある人物だと分かり、失礼な態度を取れば咎を受けるのではないかと恐れている。実に小市民的な反応だ。
まあ、情報を聞き出すならこれぐらいで丁度いい。良い人そうなので、心は痛むが。
「一ヶ月前、画房前の路地で露店を開いていたヒジャーズ商人と、彼から『指輪』を買っていった人物について、知っていることがあればお聞かせ願えますか」
お弟子さんはコクコクと頷いて承諾してくれた。しかし、当時は師であるチャチャムのみが画房におり、お弟子さんは所用で出かけていたとのこと。
今は逆にその師チャチャムが留守にしているそうだが、もう間もなく戻ってくるとのことで、私は画房の中で待たせてもらうことにした。
奥に引っ込んでいったお弟子さんが、カップと菓子を手に戻ってくる。
「西方の葉で淹れた茶です。こんなものしかありませんが……」
「お構いなく。口調も、そう堅苦しくせずともいいですよ。見た目通りに私は子供ですので」
「は、はあ……」
なんだか、子供対応と客対応が微妙に混ざってるような感じでギクシャクしている。
せっかくなので出された茶を啜った。うーん、渋い。まずい。
じっと黙りこくって待つというのも気まずいので、私は適当な世間話を振ることにした。
「お師匠さんは、どんな人なんですか?」
「え? えー、と……職人肌というか、気難しい感じ? でも、絵の腕はたしかで、ベレニケ伯の宮殿の壁一つを任されたこともあるんだ」
「へえ、あの宮殿の壁を」
「僕はその絵を見て画家を志したんだ。機会があったら見てみると良いよ」
前に行った時、絵なんて見た覚えはないが、そんな高名な画匠の作品があるなら見ておけば良かった。なんか、損した気分。
お弟子さんが、おずおずと「作業の続きをしていても良いか」と聞いてきたので、「お構いなく」と返すと、彼はほっとしたように息をついて画材の群れの中に進んでゆき、白い布のかかった画架の前に立った。
白い布が取り払われると、製作途中の絵があらわになる。それは、二人の男女が抱き合っている絵だった。
男はこちらに背を向け膝立ちになり、女はそんな男を上から包み込むように優しく抱きしめている。周囲には、天使のような羽の生えた者たちが自由に舞い飛び、二人を祝福しているかのようだ。
「好奇心で聞きますが、それは何の絵なんですか?」
「一応、宗教画になるのかな……まあ、まだ仕事も任せられないような徒弟の習作だよ」
宗教画……言われてみれば、そこはかとなく荘厳で神秘的な雰囲気を演出しているように見える。
(……うそついた)
私に芸術的な審美眼なんて備わってないし、全然分からない。しかし、習作と謙遜する割には上手く描けているんじゃないかと、素人目に思った。
お弟子さんは続きを描きながら、その絵について話してくれた。
「この街にはね、建国の英雄、初代イリュリア王に纏わる伝説があるんだ。三百年前、この地を訪れた英雄たちは地元の諸豪と折り合いがつかず、また植民者たちの間でも諍いは絶えなかった。その仲裁と闘争に奔走する英雄は心身ともに疲弊し、このベレニケの神殿にて暫し静養したという。その夜、英雄は天から舞い降りてきた『神』に慈悲深き抱擁を受ける」
説明を受けて、絵の見方が分かった。つまり、抱きしめられている男が建国の英雄、初代イリュリア王であり、抱きしめている女が『神』だ。
「その神秘的な祝福と癒しによって活力を取り戻した英雄は鬼神の如き活躍で付近を平定し、現代まで三百年も続く王朝を築いた。……この絵は、その光景を描いているのさ。題名は――さしずめ『英雄の誕生』とでも言ったところかな」
実際のところは、本当に『神』に抱きしめられた訳ではなく、何かの比喩とかそれっぽい脚色とかだろうけどね、とお弟子さんが夢のないことを付け足すと、マネが私にしか聞こえない声で「だろうな」と呟いた。
二人につられて、私も少々夢のないことを口走る。
「三百年続いたといっても、途中で分裂や反乱はありましたし、その間に一度も王家の血が途絶えなかったのは単に運が良かったからとしか言えません」
「厳しいことを言うね……お嬢ちゃん」
「私は魔女ですから。国の将来を担う者として恥ずかしくないよう教育を受けてます。現場としてはシビアな感性も必要ですよ」
「はは。街の皆は、君たち魔法使いに感謝しているよ。国防も、農業も、治水も、全て『神』の遣わした君たちによって支えられている」
お弟子さんの言葉が再び引っかかった。『神』……その言葉をどういう意味で使っているのか。ちょっとした懸念が頭を過ぎる。
「ところで……その題材は、少しまずいんじゃないかとも思うんですが……」
「お嬢ちゃんは、『偶像崇拝』のことを言っているのかい?」
私は首肯した。国教会は、偶像崇拝を禁止している。といっても、長い年月を経てそれは有名無実化し、絵画や彫刻などにさんざ国教会関係のモチーフが描かれてきたが、それでも『唯一神』はまだ不可侵の領域だ。
「その点に関しては大丈夫さ。これは国教会の『唯一神』ではなく、この地に古くから伝わる『神』だからね。戦いの女神と言われるトァナとかが、この題材にピッタリじゃないかな」
「そ、そんな詭弁が国教会に――」
「それに」
私の言葉を遮り、お弟子さんは敢然と言い放つ。
「仮に国教会の弾圧を受けたところで、僕の筆は誰にも止められないよ」
もう、私を魔女と知って怯えていた気弱そうな青年の姿はない。そこにいるのは、若き情熱をギラギラと燃やす一端の芸術家だ。
ならば、もはや何も言うまい。
彼の意志の硬さは十分に伝わった。もともと、部外者である私が口出しすることではないのだ。
「――偉くなったものだな。徒弟風情が」
「あっ、師匠!」
突然聞こえた嗄れた声に振り向くと、画房の入口に一人の老人が立っていた。他に人は見当たらないので、頑迷固陋の皺を顔中に刻むこの老人がこの画房の主、チャチャムさんなのだろう。
私へ無感動な視線をぶつけながら、チャチャムさんは荷物をお弟子さんに渡し、「客か?」とぶっきらぼうに聞いてきた。
「いえ、魔女のリンです。一ヶ月前、この画房前で開かれていた露店について、チャチャムさんにお伺いしたいことがあってきました」
「一ヶ月前……なんだ、今更そんな昔のこと」
「そこで、無許可の露店を開いていたヒジャーズ商人と、そこで『指輪』を購入した者について――」
「なんだ、それならもう十分話したろう?」
話した、とは誰の事を言っているのだろうか。そいつは王党派の使いなのか、それとも……。
「……それとは別口です。宜しければ、前に来た者の事も教えて頂けると……」
「いや、それは口止めされてるんでね。もう金を受け取っちまった」
「はあ」
口性無い人だ。口止めされておいて、そこまで言ってしまうのか。これは、なるべく遠回しな言い方は避けて、直接的な言い方をした方が良さそうだ。
ドカッと画房の真ん中の椅子に腰を下ろしたチャチャムさんを追いかけ、私もその隣にあった椅子に座った。
「それで、お話の方は」
「報酬次第だ」
たぶん、前に訪ねてきた者の『口止め』はその話をしないことも含んでいると思うが、そこは突っ込まないことにした。私は小切手帳からヘレナ名義の小切手を千切り取り、適当に十万£と書き入れた。
こういうのにも相場とかあるのだろうか? 分からないので適当だ。
「こんなもんで、どうでしょう」
「ふん……まあいい」
「換金はしばらく時間を開けてくださいね」
「マズイのか?」
「はい。できれば数ヶ月ほどお願いします」
少し期間を開けとけば、仮に渡しすぎていても怒られることはないだろう。ヘレナも、数ヶ月後までこの金の流れを追うまいて。
乱暴に小切手を私の手から奪い取り懐に収めたチャチャムさんは、ガチャガチャと画材の整理をしながらその片手間に話してくれた。
外で開かれている露店――どうみても無許可――の呼び込みの声がうるさかったので、お弟子さんに用事を申し付けたついでに通報させたこと、警察が来て無理矢理に露店を撤去させたこと、その最中に通りがかった市民風の男が『指輪』を買っていったこと、その風貌、歩いていった方角……。
概ねポーラから聞いていた話と相違ない。
私は、今日の事と一ヶ月前の話をこれ以上他言しない事を頼みつつ、新たに小切手を千切って渡した。チャチャムさんは、小切手に書かれた二十万£を一瞥した後にゆっくりと頷いた。
だが、いざ画房を出ようとした時、チャチャムさんが「おい」と呼び止めてきた。
「どうして、その男を……あー、『指輪』を探しているんだ?」
「国教会の『回収令』はご存知ですか?」
「知らん」
閉口した。今どき、国教会を意識せずに生きられるなんて、なんて幸せな人生を送っているのだろう。
「……民宗派と呼ばれるいかれたカルト集団が、その『指輪』を血眼になって探しているんです。例え『指輪』が偽物だったとしても、購入した者にも被害が及ぶかも知れない。だから、その前に回収しないと……私たちの身元が不安なら、その小切手の名義を調べてもらえば由緒ある王党派貴族だと分かる筈です。それに私自身は昨日の新聞を見てもらえばちょっとだけ活躍が乗ってます。では」
「……ああ」
チャチャムさんは思案顔になり、それきり何も言わなかった。
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ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
ガチャで領地改革! 没落辺境を職人召喚で立て直す若き領主』
雪奈 水無月
ファンタジー
魔物大侵攻《モンスター・テンペスト》で父を失い、十五歳で領主となったロイド。
荒れ果てた辺境領を支えたのは、幼馴染のメイド・リーナと執事セバス、そして領民たちだった。
十八歳になったある日、女神アウレリアから“祝福”が降り、
ロイドの中で《スキル職人ガチャ》が覚醒する。
ガチャから現れるのは、防衛・経済・流通・娯楽など、
領地再建に不可欠な各分野のエキスパートたち。
魔物被害、経済不安、流通の断絶──
没落寸前の領地に、ようやく希望の光が差し込む。
新たな仲間と共に、若き領主ロイドの“辺境再生”が始まる。
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