触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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第三章

4.勝利 その③:禍乱

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「す、すごい……です……!」
「お美事ですわ! わたくし、空振った時はもう駄目かと……」

 地面から聞こえてくる称賛の声を聞き流し、私は倒れ伏す青年のもとに歩み寄り顔を覗き込む。地面に突っ伏したままピクリとも動かないので、ちょっと心配になった。

「死んじゃいないわよね? 一応、非殺傷兵器だけを集めさせたつもりだけど……マネのやることだし、万が一ということも……」
「ケッ、オレ様がそんな間違いをするかよ」
「どうかしら。打ちどころが悪けりゃ落ちただけでも人は死ぬわ。月を蝕むものリクィヤレハはまあまあ頑丈みたいだけど……」

 脈もあるし呼吸もしているようなので、取り敢えず死んではいないようだ。これで拷問はできる。一安心したところで、私の興味は青年の持つ大剣の方に移った。

「マネ、これがミーシャとロクサーヌを死なずに斬った攻撃のタネよね?」
「ああ……だろうな」

 彼の手を踏んで分捕ってみると、剣身から柄から全体にビッシリと術式が記述されていた。恐らく内部にもあるのだろう。しかし、私はその内容を全く読み取ることができなかった。

(これ……暗号化されてる)

 術式は、技術の秘匿を目的に暗号化されることがままある。そういうものは他人には効果が分からないので往々にして自分用だが、造り手に信用がある場合に限り市場に出回ることもある。

「マネ、これ読める?」
「読めねえよ。だが……そういう魔法剣マジックアイテムは大概斬るのと戻すのでセットだぜ。じゃねえと事故った時に困んだろ。毒使いが解毒剤を持ち歩くようなもんだ。ちょっと魔力流してみろよ」

 言われた通り剣に魔力を流してみると、確かに剣の中に二つの魔法回路があるのを感じた。そのどっちかが戻す方だろうと当たりをつけ、試しにロクサーヌの体を合わせて断面を撫でてみたらこれが一発でビンゴ。ものの見事にくっついた。

「おお、こりゃ凄いわね! 作った奴はだわ!」

 ロクサーヌはおずおずと立ち上がり、体の調子を確かめる。

「少し、ズレているような気が……しませんこと?」
「気のせいよ」
「よ、よく見てくださいまし! ほら、脇腹の辺りが何か変ですわ!」

 ロクサーヌは、振り向いて体を捻りながら斬られたから、ミーシャと比べると切り口がカーブを描いていた。その所為で、変な風にくっついたのかもしれない。しかし、生きているのなら問題はないだろう。

「アンタ、結構心配性なのねー。大丈夫、気のせいよ……たぶん」
「たぶんでは困りますわ!」

 同じ方法でミーシャも元に戻った。

 これで二回使ったことになるが、その過程で消費した魔力の少なさに私は舌を巻いた。〝人界〟に、これほど魔力効率の良い魔法剣マジックアイテムを製造できる者はいない。

(造り手は相当に技術を持った者ね。高位の魔族とかでしょう……けど、月を蝕むものリクィヤレハには知識や技術も受け継がれるのかしら?)

 それにそんな高位の魔族が月を蝕むものリクィヤレハとなることに同意するもなのかという疑問もある。

 詳しいところは分からないが、現在判明している情報によると〘人魔合一アハド・タルマ〙の術は一方的に人間側が得をするようなものに思える。魔力を借りるだけ借りて、それきり。利子つけて返す訳でもない。だから、知性ある魔族がそれに同意するようには思えなかった。

 分からないことといえばもう一つ、この剣の存在価値だ。確かに完成度の高い品だが、相手を無力化したいというだけならカラギウスの剣でもこと足りる。違いは、エネルギー源が自身の持つ魔力か、誰でも使える魔石ノクティルカかといったところ。

(もしかして魔石ノクティルカも用意できないほど民宗派は資金難なのかしら? だから、こういう高度だけど属人的なものに頼る。アレだけ資金を流してたフェイナーン伯が捕まっちゃったことだし……別に不思議じゃない)

 私は一旦ロクサーヌに大剣を投げ渡した。

「逃げらんないようにそれで適当にアイツを斬っといて。ロープで縛っとくより確実でしょ」
「それは構いませんが……リンさん、どこかへ向かうおつもりなんですの?」
「ルゥたちのところよ! ナタリーさんもいるし大丈夫だとは思うんだけど、やっぱり心配だわ」

 これはまだロクサーヌたちには言えないことだが、ベレニケの包囲網は一次~三次からなる三重構造となっている。

 一次包囲網は月を蝕むものリクィヤレハを高精度で探知する天才魔法工学技師ナタン・メーイールによる新作の結界で、二次包囲網はそれを狩る軍人や『聖歌隊ミスティカ』といった人員、三次包囲網はそこで出た討ち漏らしを更に狩る待機要員といった具合だ。

 現在地は三次包囲網とほぼ重なる場所なので月を蝕むものリクィヤレハが来ることはそうそうない筈だったのだが、現にこうして包囲網を突破され襲撃を受けている。そのことを考えると、ルゥたちのいる工業特区はここよりも二次包囲網に近い為、もっと危ない状況になっているかもしれないのだ。

 地面に散らばった武器類から使えそうな状態の良いものを拾って装備を整える。杖とカラギウスの剣二本、あとスタテイラとの戦いで使った小盾バックラーも回収する。存外に軽くて、なかなか使い心地が良かった。

(それと――銃を貰ってきましょ)

 私は青年の顔付近に転がっていた短銃を拾い上げた。燧石式フリントロックの短銃だから携行性も良いし、デザインも格好いいし気に入った。ざっと全体を調べてみたがどこも壊れていない。弾込めに使う槊杖カルカもあるし、青年の腰付けポーチにはまだ大量の紙製薬莢ペーパーカートリッジが残されていた。ポーチごと頂いていこう。

 私はポーチの空きスペースにありったけのアメ玉を詰め込み、ポーチを腰に装着した。

 そして、最後に……。

「ロクサーヌ、そいつを斬り終えたならその大剣を返してくれる? 使えそうだからそれも持ってくわ」
「どうぞ」

 持って分かったことだが、この大剣は見た目から受ける印象より遥かに。まあ、カラギウスの剣と比べれば重いが、工夫をすれば振り回せない訳でもなかった。

 私は背中に大剣を持ってゆき、マネに保持させる。これ以上の装備は荷物になるので、この場に置いていくことにした。

「これでよし……見張りは頼んだわよ、二人とも」
「分かりましたわ」
「きをつけて!」

 それじゃ、と短く別れを告げて走り出す。

 現時刻は11時50分。ヨセフさんの職場が昼休憩に入るまで後二十分ある。マネにかっ飛ばさせれば、予定していた交渉開始時刻には間に合う計算だが、今となってはそれも関係ない。こうなった以上、計画は中止。無期限延期だ。

(とにかく無事で居てよ……!)

 アメ玉を給餌するそばから、マネがそれを消費して加速する。そんな強行軍の甲斐あって、通常時は歩いて十五分かかる道程は一分ほどにまで縮まった。

 しかし、そうまでして辿り着いた集合場所の空き地には誰の姿もなかった。

 まさか、勝手に予定を早めてヨセフさんと交渉を……いや、眼をそらさず最悪のケースを直視するべきだろう。

 があったのだ。この場を離れざるを得ない何かが。

月を蝕むものリクィヤレハが絡むと知れば、ナタリーさんがそれを静観する筈がない……)

 ナタリーさんは恐らくルゥとカルバを置いていこうとするだろうが、ルゥは親しい人間を一人で危地に向かわせる奴じゃない。カルバは分からないが、ルゥが行くなら着いてゆくだろう。

(どこへ向かった……ヨセフさんの職場か、技術工員寮か……?)

 速やかに決断せねばならない。もし予測を間違えば、その時点で全てが手遅れになる。直感では駄目だ、慎重に少ない情報の中から確かな根拠を見出し、的確な判断をくださないと……。

 無意識のうちに視覚から入るあらゆる情報を渫うように眼球を忙しなく廻し始めたその時、一陣の風が私の眼前に舞い降りの吹き溜まりを形成した。

『指輪が奪われる!』

 ナタリーさんの声だ。アリエルはナタリーさんに伝えることができたのだろう。

 その端的かつ最小限の救援要請メッセージ、確かに受け取った。

「向かうべきは――技術工員寮か」

 私はヨセフさんの職場に背を向け、フセイン社の技術工員寮へ向かった。




 辺りに散乱する千切れた植物郡、崩れた瓦礫、その影には何体もの力尽きた異形が横たわっている。……どれも、下見に来たときにはなかったものである。

 間違いなく、ルゥたちが戦った痕跡だ。

「逃がすなァ!」

 喧騒の中、野太い声がより一層の喧騒を引き起こす。誰かを追っているのだろう、自分が逆に追われ始めているとも知らずに。

「遂に追い詰めたぞ、観念してその箱をこちらに――!?」

 袋小路に追い込まれたカルバに対し、野太い声の主が勝ち誇って口にした脅し文句は、しかしその途中で寸断される。上空から流星のように降り注いだ私によって、周囲の異形ともどもアニマを一刀両断されたからだ。

 驚いたように目を見張るカルバを指差し、今度は私が吠える。

「カルバ! 状況!」
「っ……こっちは囮だ。これは予備の箱で何も入ってない。その間にルゥと姐さんが指輪の方をどうにかする、ってことになった。……本当は返り討ちにでもしてやるつもりだったんだけど、想像以上に数が多くて逃げ回ることしかできなかった……」
「上出来よ」

 一人であの人数を相手に逃げ切れたのなら、私はカルバの評価を大幅に上げなければならない。よくぞ、ここまで持たせた。

「ルゥたちはどっちに逃げたの? 工員寮には居なかったわ」
「聞く余裕はなかった。それ以前に襲われ、別れざるを得なかったから。けど、恐らくは三次包囲網を目指す筈だ。そして、ヨセフとその家族も一緒だ。ルゥの性格ならほっとかない筈だから」
「なるほど、だいぶ理解したわ。――じゃあ、悪いけど先に行くわよ!」
「分かった……回復次第、私も全力で追う!」

 アメ玉をいくつか纏めて叩きつけて加速しつつ、工員寮から三次包囲網を目指す際に通るであろう道筋ルートの候補を脳内マップに複数本描き出す。

(民宗派の狙いはやはり『指輪』……まさか、私たちの用意した陽動を全部食い尽くす気なの? そこで『指輪』を奪取したとして、どうやって外に――)

 ――内通者か。

 どうやって、彼らが『指輪』を包囲網の外へ出す気なのか。なぜ、民宗派がこんなにも詳細にこちらの情報を得ているのか。その疑問に対する答えは一つ、王党派の中に内通者がいるからだとしか考えられない。

 一人、思い浮かんだのはツォアル事変の時にヘレナが特定したという内通者だが、今回のはそれとはまた別の内通者だろう。なぜなら、彼は中核に近い人物の筈であり、今回の件において民宗派は私たちの動きが陽動だということまでは知らないようだからだ。

 つまり、中核からは遠い人物……いや、ちょっと待て。それはそれでおかしい。

 民宗派の目的が『指輪』だとすると、なぜ

 昨今、増えつつある民宗派と繋がりのない月を蝕むものリクィヤレハの存在を鑑みると、それは民宗派に『指輪』とは別の行動指針――月を蝕むものリクィヤレハを増やすというものがあることが分かる。

(内通者は当然、それを知っていて……まさか、?)

 まだ確定した訳ではないが、私はその閃きに何か無視し得ぬものを感じていた。

 仮にそうだとしたら、そんなことが出来るのは……やはり王党派の、なおかつこのベレニケ付近にいる人物……。

「ムカつくなぁ」

 ふと、そう思った。

 このベレニケを中心に無数の陰謀が渦を巻き、私はその渦中に引かれ翻弄される一枚の板切れに過ぎない。そんな現状に気付けたところで、もはや挽回のしようもないことが凄くムカつく。

「あ~、すっごいムカつくわ!」
「……リン、ベストを尽くせ。やれることをやるしかねえ」
「ンなことは百も承知よ! それでも吐き出さなきゃ――やってられないのよッ!」

 力一杯に剣を振るい、無防備な背中を晒していた異形を斬りつけると、異形は呻き声すら上げずに倒れた。すると、その向こうにあった瓦礫の山に埋もれるようにしてこちらを見上げる満身創痍のナタリーさんと目が合った。

 その周囲には、薄く頼りない結界がぱちぱちと切れかけの電球のように明滅している。これは【簡易結界】だ。術式を記した物品を三方ないし四方に配置することで、簡易的なものではあるが、周囲に結界を作り出す技術。

「嬢ちゃんか……!? 助かった……!」

 私の姿を見つけると同時、その頼りない【簡易結界】は崩れ去った。

「ルゥは?」
「この先だ……夫妻と子供を連れて逃げてる……」

 周囲に敵影なし。ルゥの方を追ったか。急いで私も追わないとルゥが危ない。そんな現状を確認し終えると、ナタリーさんが苦々しい表情で私に縋りついてきた。

「アタシはもう戦えない、想像以上の数を相手にして魔力が底を突いちまった……! どうか、ルゥとカルバを頼む! もう頼れるのは嬢ちゃんしかいない。頼む、頼む、可愛い妹分なんだ。ケダモノたちの手にかけさせる訳には……!」
「……分かりました。絶対助けてみせます」

 ずっと疑っていた相手に頼むしかないような状況だ。藁にもすがる苦渋の選択だったことは想像に難くない。この事態の解決に対する貢献をもって、私の潔白の証明とさせてもらおう。

 ナタリーさんは少し安心した様子で、瓦礫に身を預け目を閉じた。

「アリエルには救援要請を出させた。つまり、当座を凌げば……」
「助けが来るって訳ですね。ありがとうございます、希望が見えました。では、もう行きます」
「……頼んだよ……」

 そう言ってナタリーさんは目を閉じて動かなくなった。死んではいない。魔力切れでダルい体を少し休めているだけだ。救援が早く到着することを祈ろう。

 私はナタリーさんをその場に置き去りにして先を急いだ。
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