84 / 158
第三章
4.勝利 その③:禍乱
しおりを挟む
「す、すごい……です……!」
「お美事ですわ! わたくし、空振った時はもう駄目かと……」
地面から聞こえてくる称賛の声を聞き流し、私は倒れ伏す青年のもとに歩み寄り顔を覗き込む。地面に突っ伏したままピクリとも動かないので、ちょっと心配になった。
「死んじゃいないわよね? 一応、非殺傷兵器だけを集めさせたつもりだけど……マネのやることだし、万が一ということも……」
「ケッ、オレ様がそんな間違いをするかよ」
「どうかしら。打ちどころが悪けりゃ落ちただけでも人は死ぬわ。月を蝕むものはまあまあ頑丈みたいだけど……」
脈もあるし呼吸もしているようなので、取り敢えず死んではいないようだ。これで拷問はできる。一安心したところで、私の興味は青年の持つ大剣の方に移った。
「マネ、これがミーシャとロクサーヌを死なずに斬った攻撃のタネよね?」
「ああ……だろうな」
彼の手を踏んで分捕ってみると、剣身から柄から全体にビッシリと術式が記述されていた。恐らく内部にもあるのだろう。しかし、私はその内容を全く読み取ることができなかった。
(これ……暗号化されてる)
術式は、技術の秘匿を目的に暗号化されることがままある。そういうものは他人には効果が分からないので往々にして自分用だが、造り手に信用がある場合に限り市場に出回ることもある。
「マネ、これ読める?」
「読めねえよ。だが……そういう魔法剣は大概斬るのと戻すのでセットだぜ。じゃねえと事故った時に困んだろ。毒使いが解毒剤を持ち歩くようなもんだ。ちょっと魔力流してみろよ」
言われた通り剣に魔力を流してみると、確かに剣の中に二つの魔法回路があるのを感じた。そのどっちかが戻す方だろうと当たりをつけ、試しにロクサーヌの体を合わせて断面を撫でてみたらこれが一発でビンゴ。ものの見事にくっついた。
「おお、こりゃ凄いわね! 作った奴は天才だわ!」
ロクサーヌはおずおずと立ち上がり、体の調子を確かめる。
「少し、ズレているような気が……しませんこと?」
「気のせいよ」
「よ、よく見てくださいまし! ほら、脇腹の辺りが何か変ですわ!」
ロクサーヌは、振り向いて体を捻りながら斬られたから、ミーシャと比べると切り口がカーブを描いていた。その所為で、変な風にくっついたのかもしれない。しかし、生きているのなら問題はないだろう。
「アンタ、結構心配性なのねー。大丈夫、気のせいよ……たぶん」
「たぶんでは困りますわ!」
同じ方法でミーシャも元に戻った。
これで二回使ったことになるが、その過程で消費した魔力の少なさに私は舌を巻いた。〝人界〟に、これほど魔力効率の良い魔法剣を製造できる者はいない。
(造り手は相当に技術を持った者ね。高位の魔族とかでしょう……けど、月を蝕むものには知識や技術も受け継がれるのかしら?)
それにそんな高位の魔族が月を蝕むものとなることに同意するもなのかという疑問もある。
詳しいところは分からないが、現在判明している情報によると〘人魔合一〙の術は一方的に人間側が得をするようなものに思える。魔力を借りるだけ借りて、それきり。利子つけて返す訳でもない。だから、知性ある魔族がそれに同意するようには思えなかった。
分からないことといえばもう一つ、この剣の存在価値だ。確かに完成度の高い品だが、相手を無力化したいというだけならカラギウスの剣でもこと足りる。違いは、エネルギー源が自身の持つ魔力か、誰でも使える魔石かといったところ。
(もしかして魔石も用意できないほど民宗派は資金難なのかしら? だから、こういう高度だけど属人的なものに頼る。アレだけ資金を流してたフェイナーン伯が捕まっちゃったことだし……別に不思議じゃない)
私は一旦ロクサーヌに大剣を投げ渡した。
「逃げらんないようにそれで適当にアイツを斬っといて。ロープで縛っとくより確実でしょ」
「それは構いませんが……リンさん、どこかへ向かうおつもりなんですの?」
「ルゥたちのところよ! ナタリーさんもいるし大丈夫だとは思うんだけど、やっぱり心配だわ」
これはまだロクサーヌたちには言えないことだが、ベレニケの包囲網は一次~三次からなる三重構造となっている。
一次包囲網は月を蝕むものを高精度で探知する天才魔法工学技師ナタン・メーイールによる新作の結界で、二次包囲網はそれを狩る軍人や『聖歌隊』といった人員、三次包囲網はそこで出た討ち漏らしを更に狩る待機要員といった具合だ。
現在地は三次包囲網とほぼ重なる場所なので月を蝕むものが来ることはそうそうない筈だったのだが、現にこうして包囲網を突破され襲撃を受けている。そのことを考えると、ルゥたちのいる工業特区はここよりも二次包囲網に近い為、もっと危ない状況になっているかもしれないのだ。
地面に散らばった武器類から使えそうな状態の良いものを拾って装備を整える。杖とカラギウスの剣二本、あとスタテイラとの戦いで使った小盾も回収する。存外に軽くて、なかなか使い心地が良かった。
(それと――銃を貰ってきましょ)
私は青年の顔付近に転がっていた短銃を拾い上げた。燧石式の短銃だから携行性も良いし、デザインも格好いいし気に入った。ざっと全体を調べてみたがどこも壊れていない。弾込めに使う槊杖もあるし、青年の腰付けポーチにはまだ大量の紙製薬莢が残されていた。ポーチごと頂いていこう。
私はポーチの空きスペースにありったけのアメ玉を詰め込み、ポーチを腰に装着した。
そして、最後に……。
「ロクサーヌ、そいつを斬り終えたならその大剣を返してくれる? 使えそうだからそれも持ってくわ」
「どうぞ」
持って分かったことだが、この大剣は見た目から受ける印象より遥かに軽い。まあ、カラギウスの剣と比べれば重いが、工夫をすれば振り回せない訳でもなかった。
私は背中に大剣を持ってゆき、マネに保持させる。これ以上の装備は荷物になるので、この場に置いていくことにした。
「これでよし……見張りは頼んだわよ、二人とも」
「分かりましたわ」
「きをつけて!」
それじゃ、と短く別れを告げて走り出す。
現時刻は11時50分。ヨセフさんの職場が昼休憩に入るまで後二十分ある。マネにかっ飛ばさせれば、予定していた交渉開始時刻には間に合う計算だが、今となってはそれも関係ない。こうなった以上、計画は中止。無期限延期だ。
(とにかく無事で居てよ……!)
アメ玉を給餌するそばから、マネがそれを消費して加速する。そんな強行軍の甲斐あって、通常時は歩いて十五分かかる道程は一分ほどにまで縮まった。
しかし、そうまでして辿り着いた集合場所の空き地には誰の姿もなかった。
まさか、勝手に予定を早めてヨセフさんと交渉を……いや、眼をそらさず最悪のケースを直視するべきだろう。
何かがあったのだ。この場を離れざるを得ない何かが。
(月を蝕むものが絡むと知れば、ナタリーさんがそれを静観する筈がない……)
ナタリーさんは恐らくルゥとカルバを置いていこうとするだろうが、ルゥは親しい人間を一人で危地に向かわせる奴じゃない。カルバは分からないが、ルゥが行くなら着いてゆくだろう。
(どこへ向かった……ヨセフさんの職場か、技術工員寮か……?)
速やかに決断せねばならない。もし予測を間違えば、その時点で全てが手遅れになる。直感では駄目だ、慎重に少ない情報の中から確かな根拠を見出し、的確な判断をくださないと……。
無意識のうちに視覚から入るあらゆる情報を渫うように眼球を忙しなく廻し始めたその時、一陣の風が私の眼前に舞い降り声の吹き溜まりを形成した。
『指輪が奪われる!』
ナタリーさんの声だ。アリエルはナタリーさんに伝えることができたのだろう。
その端的かつ最小限の救援要請、確かに受け取った。
「向かうべきは――技術工員寮か」
私はヨセフさんの職場に背を向け、フセイン社の技術工員寮へ向かった。
辺りに散乱する千切れた植物郡、崩れた瓦礫、その影には何体もの力尽きた異形が横たわっている。……どれも、下見に来たときにはなかったものである。
間違いなく、ルゥたちが戦った痕跡だ。
「逃がすなァ!」
喧騒の中、野太い声がより一層の喧騒を引き起こす。誰かを追っているのだろう、自分が逆に追われ始めているとも知らずに。
「遂に追い詰めたぞ、観念してその箱をこちらに――!?」
袋小路に追い込まれたカルバに対し、野太い声の主が勝ち誇って口にした脅し文句は、しかしその途中で寸断される。上空から流星のように降り注いだ私によって、周囲の異形ともども魂を一刀両断されたからだ。
驚いたように目を見張るカルバを指差し、今度は私が吠える。
「カルバ! 状況!」
「っ……こっちは囮だ。これは予備の箱で何も入ってない。その間にルゥと姐さんが指輪の方をどうにかする、ってことになった。……本当は返り討ちにでもしてやるつもりだったんだけど、想像以上に数が多くて逃げ回ることしかできなかった……」
「上出来よ」
一人であの人数を相手に逃げ切れたのなら、私はカルバの評価を大幅に上げなければならない。よくぞ、ここまで持たせた。
「ルゥたちはどっちに逃げたの? 工員寮には居なかったわ」
「聞く余裕はなかった。それ以前に襲われ、別れざるを得なかったから。けど、恐らくは三次包囲網を目指す筈だ。そして、ヨセフとその家族も一緒だ。ルゥの性格ならほっとかない筈だから」
「なるほど、だいぶ理解したわ。――じゃあ、悪いけど先に行くわよ!」
「分かった……回復次第、私も全力で追う!」
アメ玉をいくつか纏めて叩きつけて加速しつつ、工員寮から三次包囲網を目指す際に通るであろう道筋の候補を脳内マップに複数本描き出す。
(民宗派の狙いはやはり『指輪』……まさか、私たちの用意した陽動を全部食い尽くす気なの? そこで『指輪』を奪取したとして、どうやって外に――)
――内通者か。
どうやって、彼らが『指輪』を包囲網の外へ出す気なのか。なぜ、民宗派がこんなにも詳細にこちらの情報を得ているのか。その疑問に対する答えは一つ、王党派の中に内通者がいるからだとしか考えられない。
一人、思い浮かんだのはツォアル事変の時にヘレナが特定したという内通者だが、今回のはそれとはまた別の内通者だろう。なぜなら、彼は中核に近い人物の筈であり、今回の件において民宗派は私たちの動きが陽動だということまでは知らないようだからだ。
つまり、中核からは遠い人物……いや、ちょっと待て。それはそれでおかしい。
民宗派の目的が『指輪』だとすると、なぜ揺動とは関係ないところで私闘をしていただけの私とロクサーヌたちまで襲った?
昨今、増えつつある民宗派と繋がりのない月を蝕むものの存在を鑑みると、それは民宗派に『指輪』とは別の行動指針――月を蝕むものを増やすというものがあることが分かる。
(内通者は当然、それを知っていて……まさか、民宗派を利用した?)
まだ確定した訳ではないが、私はその閃きに何か無視し得ぬものを感じていた。
仮にそうだとしたら、そんなことが出来るのは……やはり王党派の中核に近く、なおかつこのベレニケ付近にいる人物……。
「ムカつくなぁ」
ふと、そう思った。
このベレニケを中心に無数の陰謀が渦を巻き、私はその渦中に引かれ翻弄される一枚の板切れに過ぎない。そんな現状に気付けたところで、もはや挽回のしようもないことが凄くムカつく。
「あ~、すっごいムカつくわ!」
「……リン、ベストを尽くせ。やれることをやるしかねえ」
「ンなことは百も承知よ! それでも吐き出さなきゃ――やってられないのよッ!」
力一杯に剣を振るい、無防備な背中を晒していた異形を斬りつけると、異形は呻き声すら上げずに倒れた。すると、その向こうにあった瓦礫の山に埋もれるようにしてこちらを見上げる満身創痍のナタリーさんと目が合った。
その周囲には、薄く頼りない結界がぱちぱちと切れかけの電球のように明滅している。これは【簡易結界】だ。術式を記した物品を三方ないし四方に配置することで、簡易的なものではあるが、周囲に結界を作り出す技術。
「嬢ちゃんか……!? 助かった……!」
私の姿を見つけると同時、その頼りない【簡易結界】は崩れ去った。
「ルゥは?」
「この先だ……夫妻と子供を連れて逃げてる……」
周囲に敵影なし。ルゥの方を追ったか。急いで私も追わないとルゥが危ない。そんな現状を確認し終えると、ナタリーさんが苦々しい表情で私に縋りついてきた。
「アタシはもう戦えない、想像以上の数を相手にして魔力が底を突いちまった……! どうか、ルゥとカルバを頼む! もう頼れるのは嬢ちゃんしかいない。頼む、頼む、可愛い妹分なんだ。獣たちの手にかけさせる訳には……!」
「……分かりました。絶対助けてみせます」
ずっと疑っていた相手に頼むしかないような状況だ。藁にもすがる苦渋の選択だったことは想像に難くない。この事態の解決に対する貢献をもって、私の潔白の証明とさせてもらおう。
ナタリーさんは少し安心した様子で、瓦礫に身を預け目を閉じた。
「アリエルには救援要請を出させた。つまり、当座を凌げば……」
「助けが来るって訳ですね。ありがとうございます、希望が見えました。では、もう行きます」
「……頼んだよ……」
そう言ってナタリーさんは目を閉じて動かなくなった。死んではいない。魔力切れでダルい体を少し休めているだけだ。救援が早く到着することを祈ろう。
私はナタリーさんをその場に置き去りにして先を急いだ。
「お美事ですわ! わたくし、空振った時はもう駄目かと……」
地面から聞こえてくる称賛の声を聞き流し、私は倒れ伏す青年のもとに歩み寄り顔を覗き込む。地面に突っ伏したままピクリとも動かないので、ちょっと心配になった。
「死んじゃいないわよね? 一応、非殺傷兵器だけを集めさせたつもりだけど……マネのやることだし、万が一ということも……」
「ケッ、オレ様がそんな間違いをするかよ」
「どうかしら。打ちどころが悪けりゃ落ちただけでも人は死ぬわ。月を蝕むものはまあまあ頑丈みたいだけど……」
脈もあるし呼吸もしているようなので、取り敢えず死んではいないようだ。これで拷問はできる。一安心したところで、私の興味は青年の持つ大剣の方に移った。
「マネ、これがミーシャとロクサーヌを死なずに斬った攻撃のタネよね?」
「ああ……だろうな」
彼の手を踏んで分捕ってみると、剣身から柄から全体にビッシリと術式が記述されていた。恐らく内部にもあるのだろう。しかし、私はその内容を全く読み取ることができなかった。
(これ……暗号化されてる)
術式は、技術の秘匿を目的に暗号化されることがままある。そういうものは他人には効果が分からないので往々にして自分用だが、造り手に信用がある場合に限り市場に出回ることもある。
「マネ、これ読める?」
「読めねえよ。だが……そういう魔法剣は大概斬るのと戻すのでセットだぜ。じゃねえと事故った時に困んだろ。毒使いが解毒剤を持ち歩くようなもんだ。ちょっと魔力流してみろよ」
言われた通り剣に魔力を流してみると、確かに剣の中に二つの魔法回路があるのを感じた。そのどっちかが戻す方だろうと当たりをつけ、試しにロクサーヌの体を合わせて断面を撫でてみたらこれが一発でビンゴ。ものの見事にくっついた。
「おお、こりゃ凄いわね! 作った奴は天才だわ!」
ロクサーヌはおずおずと立ち上がり、体の調子を確かめる。
「少し、ズレているような気が……しませんこと?」
「気のせいよ」
「よ、よく見てくださいまし! ほら、脇腹の辺りが何か変ですわ!」
ロクサーヌは、振り向いて体を捻りながら斬られたから、ミーシャと比べると切り口がカーブを描いていた。その所為で、変な風にくっついたのかもしれない。しかし、生きているのなら問題はないだろう。
「アンタ、結構心配性なのねー。大丈夫、気のせいよ……たぶん」
「たぶんでは困りますわ!」
同じ方法でミーシャも元に戻った。
これで二回使ったことになるが、その過程で消費した魔力の少なさに私は舌を巻いた。〝人界〟に、これほど魔力効率の良い魔法剣を製造できる者はいない。
(造り手は相当に技術を持った者ね。高位の魔族とかでしょう……けど、月を蝕むものには知識や技術も受け継がれるのかしら?)
それにそんな高位の魔族が月を蝕むものとなることに同意するもなのかという疑問もある。
詳しいところは分からないが、現在判明している情報によると〘人魔合一〙の術は一方的に人間側が得をするようなものに思える。魔力を借りるだけ借りて、それきり。利子つけて返す訳でもない。だから、知性ある魔族がそれに同意するようには思えなかった。
分からないことといえばもう一つ、この剣の存在価値だ。確かに完成度の高い品だが、相手を無力化したいというだけならカラギウスの剣でもこと足りる。違いは、エネルギー源が自身の持つ魔力か、誰でも使える魔石かといったところ。
(もしかして魔石も用意できないほど民宗派は資金難なのかしら? だから、こういう高度だけど属人的なものに頼る。アレだけ資金を流してたフェイナーン伯が捕まっちゃったことだし……別に不思議じゃない)
私は一旦ロクサーヌに大剣を投げ渡した。
「逃げらんないようにそれで適当にアイツを斬っといて。ロープで縛っとくより確実でしょ」
「それは構いませんが……リンさん、どこかへ向かうおつもりなんですの?」
「ルゥたちのところよ! ナタリーさんもいるし大丈夫だとは思うんだけど、やっぱり心配だわ」
これはまだロクサーヌたちには言えないことだが、ベレニケの包囲網は一次~三次からなる三重構造となっている。
一次包囲網は月を蝕むものを高精度で探知する天才魔法工学技師ナタン・メーイールによる新作の結界で、二次包囲網はそれを狩る軍人や『聖歌隊』といった人員、三次包囲網はそこで出た討ち漏らしを更に狩る待機要員といった具合だ。
現在地は三次包囲網とほぼ重なる場所なので月を蝕むものが来ることはそうそうない筈だったのだが、現にこうして包囲網を突破され襲撃を受けている。そのことを考えると、ルゥたちのいる工業特区はここよりも二次包囲網に近い為、もっと危ない状況になっているかもしれないのだ。
地面に散らばった武器類から使えそうな状態の良いものを拾って装備を整える。杖とカラギウスの剣二本、あとスタテイラとの戦いで使った小盾も回収する。存外に軽くて、なかなか使い心地が良かった。
(それと――銃を貰ってきましょ)
私は青年の顔付近に転がっていた短銃を拾い上げた。燧石式の短銃だから携行性も良いし、デザインも格好いいし気に入った。ざっと全体を調べてみたがどこも壊れていない。弾込めに使う槊杖もあるし、青年の腰付けポーチにはまだ大量の紙製薬莢が残されていた。ポーチごと頂いていこう。
私はポーチの空きスペースにありったけのアメ玉を詰め込み、ポーチを腰に装着した。
そして、最後に……。
「ロクサーヌ、そいつを斬り終えたならその大剣を返してくれる? 使えそうだからそれも持ってくわ」
「どうぞ」
持って分かったことだが、この大剣は見た目から受ける印象より遥かに軽い。まあ、カラギウスの剣と比べれば重いが、工夫をすれば振り回せない訳でもなかった。
私は背中に大剣を持ってゆき、マネに保持させる。これ以上の装備は荷物になるので、この場に置いていくことにした。
「これでよし……見張りは頼んだわよ、二人とも」
「分かりましたわ」
「きをつけて!」
それじゃ、と短く別れを告げて走り出す。
現時刻は11時50分。ヨセフさんの職場が昼休憩に入るまで後二十分ある。マネにかっ飛ばさせれば、予定していた交渉開始時刻には間に合う計算だが、今となってはそれも関係ない。こうなった以上、計画は中止。無期限延期だ。
(とにかく無事で居てよ……!)
アメ玉を給餌するそばから、マネがそれを消費して加速する。そんな強行軍の甲斐あって、通常時は歩いて十五分かかる道程は一分ほどにまで縮まった。
しかし、そうまでして辿り着いた集合場所の空き地には誰の姿もなかった。
まさか、勝手に予定を早めてヨセフさんと交渉を……いや、眼をそらさず最悪のケースを直視するべきだろう。
何かがあったのだ。この場を離れざるを得ない何かが。
(月を蝕むものが絡むと知れば、ナタリーさんがそれを静観する筈がない……)
ナタリーさんは恐らくルゥとカルバを置いていこうとするだろうが、ルゥは親しい人間を一人で危地に向かわせる奴じゃない。カルバは分からないが、ルゥが行くなら着いてゆくだろう。
(どこへ向かった……ヨセフさんの職場か、技術工員寮か……?)
速やかに決断せねばならない。もし予測を間違えば、その時点で全てが手遅れになる。直感では駄目だ、慎重に少ない情報の中から確かな根拠を見出し、的確な判断をくださないと……。
無意識のうちに視覚から入るあらゆる情報を渫うように眼球を忙しなく廻し始めたその時、一陣の風が私の眼前に舞い降り声の吹き溜まりを形成した。
『指輪が奪われる!』
ナタリーさんの声だ。アリエルはナタリーさんに伝えることができたのだろう。
その端的かつ最小限の救援要請、確かに受け取った。
「向かうべきは――技術工員寮か」
私はヨセフさんの職場に背を向け、フセイン社の技術工員寮へ向かった。
辺りに散乱する千切れた植物郡、崩れた瓦礫、その影には何体もの力尽きた異形が横たわっている。……どれも、下見に来たときにはなかったものである。
間違いなく、ルゥたちが戦った痕跡だ。
「逃がすなァ!」
喧騒の中、野太い声がより一層の喧騒を引き起こす。誰かを追っているのだろう、自分が逆に追われ始めているとも知らずに。
「遂に追い詰めたぞ、観念してその箱をこちらに――!?」
袋小路に追い込まれたカルバに対し、野太い声の主が勝ち誇って口にした脅し文句は、しかしその途中で寸断される。上空から流星のように降り注いだ私によって、周囲の異形ともども魂を一刀両断されたからだ。
驚いたように目を見張るカルバを指差し、今度は私が吠える。
「カルバ! 状況!」
「っ……こっちは囮だ。これは予備の箱で何も入ってない。その間にルゥと姐さんが指輪の方をどうにかする、ってことになった。……本当は返り討ちにでもしてやるつもりだったんだけど、想像以上に数が多くて逃げ回ることしかできなかった……」
「上出来よ」
一人であの人数を相手に逃げ切れたのなら、私はカルバの評価を大幅に上げなければならない。よくぞ、ここまで持たせた。
「ルゥたちはどっちに逃げたの? 工員寮には居なかったわ」
「聞く余裕はなかった。それ以前に襲われ、別れざるを得なかったから。けど、恐らくは三次包囲網を目指す筈だ。そして、ヨセフとその家族も一緒だ。ルゥの性格ならほっとかない筈だから」
「なるほど、だいぶ理解したわ。――じゃあ、悪いけど先に行くわよ!」
「分かった……回復次第、私も全力で追う!」
アメ玉をいくつか纏めて叩きつけて加速しつつ、工員寮から三次包囲網を目指す際に通るであろう道筋の候補を脳内マップに複数本描き出す。
(民宗派の狙いはやはり『指輪』……まさか、私たちの用意した陽動を全部食い尽くす気なの? そこで『指輪』を奪取したとして、どうやって外に――)
――内通者か。
どうやって、彼らが『指輪』を包囲網の外へ出す気なのか。なぜ、民宗派がこんなにも詳細にこちらの情報を得ているのか。その疑問に対する答えは一つ、王党派の中に内通者がいるからだとしか考えられない。
一人、思い浮かんだのはツォアル事変の時にヘレナが特定したという内通者だが、今回のはそれとはまた別の内通者だろう。なぜなら、彼は中核に近い人物の筈であり、今回の件において民宗派は私たちの動きが陽動だということまでは知らないようだからだ。
つまり、中核からは遠い人物……いや、ちょっと待て。それはそれでおかしい。
民宗派の目的が『指輪』だとすると、なぜ揺動とは関係ないところで私闘をしていただけの私とロクサーヌたちまで襲った?
昨今、増えつつある民宗派と繋がりのない月を蝕むものの存在を鑑みると、それは民宗派に『指輪』とは別の行動指針――月を蝕むものを増やすというものがあることが分かる。
(内通者は当然、それを知っていて……まさか、民宗派を利用した?)
まだ確定した訳ではないが、私はその閃きに何か無視し得ぬものを感じていた。
仮にそうだとしたら、そんなことが出来るのは……やはり王党派の中核に近く、なおかつこのベレニケ付近にいる人物……。
「ムカつくなぁ」
ふと、そう思った。
このベレニケを中心に無数の陰謀が渦を巻き、私はその渦中に引かれ翻弄される一枚の板切れに過ぎない。そんな現状に気付けたところで、もはや挽回のしようもないことが凄くムカつく。
「あ~、すっごいムカつくわ!」
「……リン、ベストを尽くせ。やれることをやるしかねえ」
「ンなことは百も承知よ! それでも吐き出さなきゃ――やってられないのよッ!」
力一杯に剣を振るい、無防備な背中を晒していた異形を斬りつけると、異形は呻き声すら上げずに倒れた。すると、その向こうにあった瓦礫の山に埋もれるようにしてこちらを見上げる満身創痍のナタリーさんと目が合った。
その周囲には、薄く頼りない結界がぱちぱちと切れかけの電球のように明滅している。これは【簡易結界】だ。術式を記した物品を三方ないし四方に配置することで、簡易的なものではあるが、周囲に結界を作り出す技術。
「嬢ちゃんか……!? 助かった……!」
私の姿を見つけると同時、その頼りない【簡易結界】は崩れ去った。
「ルゥは?」
「この先だ……夫妻と子供を連れて逃げてる……」
周囲に敵影なし。ルゥの方を追ったか。急いで私も追わないとルゥが危ない。そんな現状を確認し終えると、ナタリーさんが苦々しい表情で私に縋りついてきた。
「アタシはもう戦えない、想像以上の数を相手にして魔力が底を突いちまった……! どうか、ルゥとカルバを頼む! もう頼れるのは嬢ちゃんしかいない。頼む、頼む、可愛い妹分なんだ。獣たちの手にかけさせる訳には……!」
「……分かりました。絶対助けてみせます」
ずっと疑っていた相手に頼むしかないような状況だ。藁にもすがる苦渋の選択だったことは想像に難くない。この事態の解決に対する貢献をもって、私の潔白の証明とさせてもらおう。
ナタリーさんは少し安心した様子で、瓦礫に身を預け目を閉じた。
「アリエルには救援要請を出させた。つまり、当座を凌げば……」
「助けが来るって訳ですね。ありがとうございます、希望が見えました。では、もう行きます」
「……頼んだよ……」
そう言ってナタリーさんは目を閉じて動かなくなった。死んではいない。魔力切れでダルい体を少し休めているだけだ。救援が早く到着することを祈ろう。
私はナタリーさんをその場に置き去りにして先を急いだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
マンションのオーナーは十六歳の不思議な青年 〜マンションの特別室は何故か女性で埋まってしまう〜
美鈴
ファンタジー
ホットランキング上位ありがとうございます😊
ストーカーの被害に遭うアイドル歌羽根天音。彼女は警察に真っ先に相談する事にしたのだが…結果を言えば解決には至っていない。途方にくれる天音。久しぶりに会った親友の美樹子に「──なんかあった?」と、聞かれてその件を伝える事に…。すると彼女から「なんでもっと早く言ってくれなかったの!?」と、そんな言葉とともに彼女は誰かに電話を掛け始め…
※カクヨム様にも投稿しています
※イラストはAIイラストを使用しています
ゲームコインをザクザク現金化。還暦オジ、田舎で世界を攻略中
あ、まん。@田中子樹
ファンタジー
仕事一筋40年。
結婚もせずに会社に尽くしてきた二瓶豆丸。
定年を迎え、静かな余生を求めて山奥へ移住する。
だが、突如世界が“数値化”され、現実がゲームのように変貌。
唯一の趣味だった15年続けた積みゲー「モリモリ」が、 なぜか現実世界とリンクし始める。
化け物が徘徊する世界で出会ったひとりの少女、滝川歩茶。
彼女を守るため、豆丸は“積みゲー”スキルを駆使して立ち上がる。
現金化されるコイン、召喚されるゲームキャラたち、 そして迫りくる謎の敵――。
これは、還暦オジが挑む、〝人生最後の積みゲー〟であり〝世界最後の攻略戦〟である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる