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第三章
5.敗北 その②:二人目の内通者
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翌日以降、生徒たちは順次王都へ戻された。
軽傷だった私は、他の大多数と同様に第一陣として学院の学生寮に帰還した。
掃滅作戦及び回収作戦の影響もあり――表向きは折節実習を理由に――暫くは休日の予定となっている。しかし、何かをするという気分でもない。
私は、じっとベッドに腰掛け、床や壁を親の仇の如く睨みつけながら考える。その内容はもちろんベレニケで起こった一連の出来事に関してだ。
「気に入らない……気に入らないわ、ヘレナ!」
「なんでだよ」
私が思わず漏らした独り言にマネがツッコミを入れてくる。やはり、誰かが居ると違う。あの時と違って幾らか精神が安定しているのを感じる。
既に、マネにはこれまでの経緯を説明してある。しかし、私の憤りの理由までは伝わらなかったようだった。
「私はあの時――ヘレナに負けを認めたのよ」
「うん? 負けてはねえだろ。てか、百歩譲って負けでも別にいんじゃね。要するにヘレナを頼れる奴だと思ったって訳だろ? なら、遠慮なしに頼っとけばいい」
「頼ってやらんこともないけど、私より上だとは認めたくない」
メンドクセー、とマネは笑いながら大袈裟に体組織を揺らした。
「アンタ、そういうところは私と似てないわよね。力量や優劣には頓着しないというか。舐められると矜持のレベルで反発はするけど」
「お前の反発の度が過ぎてて、オレ様は引いてるよ。残酷趣味というか、嗜虐的だ」
「嗜虐的ぃ?」
「お前の戦ってる時の顔を鏡で見せてやりてえよ。大魔法祭で宝石獣を蹴ったくった時なんかもう……喜びを通り越して絶頂してたね、ありゃあ」
そんな訳がないだろう。私ほど、道徳的で暴力と縁遠い人間も珍しい。〝人界〟のモラリストといえば私のことだ。どうやら、〝魔界〟にまでは浸透していないようだが。
冗談はさておき、他人を痛めつける時に暗い悦楽があることは否定しない。しかし、そんなものは多かれ少なかれ誰にでもあるものだ。皆、理性によって抑制しているだけで。
「話が逸れちまったな、戻そう。オレ様、実は自分が誰かより優れてるとか劣ってるとか、そういうことは考えたことないのよ」
「生まれついての強者にのみ許される台詞ね」
「……ま、そうだな。それで困らなかったということは、つまりそういうことになるんだろう」
嫌味な野郎だ。まあ、それは今はどうでもいい。それよりも、今後のことについてマネと相談しつつ詰めていこうと私は意識を切り替える。
「それでなんだけど、私は二人目の内通者が存在する事実を誰にも明かさない気でいるわ」
「そりゃまた……どうして?」
「全員を疑っている段階だから。ヘレナを含めてね」
念のため言っておくが、決してヘレナがムカつくから頼りたくないからとかではない。
「ヘレナより先に二人目の内通者を突き止められたなら私の鬱憤も少しは晴れるわ。直接にぶん殴らずともね」
あの時、不必要なまでに暴力的になったことを、私も少しは反省していた。
チャチャムさんは私を信頼して任せてくれたのに、結局、私が関与した所為でヨセフさん家族を死なせてしまった。私はその事実に平静を保ったまま向き合うことができず、あのような暴力的な振る舞いに走ってしまった。
ルゥのことにしてもそうだ。
カルバを殴ってその口を封じたのも、要はつまらぬ八つ当たりに過ぎない。
暴力は何も解決しない。何も生みはしない。そう分かってはいても手は止まらなかった。私に激情家の面があることは、自覚はしても別に特段気にしてはいなかったが、これからは少し気にする。
ギュッ、と鬱血するほど強く握った拳に、マネの体組織が優しく絡み付いてくる。
(……大丈夫。マネが共に居てくれるうちは、まだ冷静でいられる)
私は拳を解き、ベッドから立ち上がった。
「私にはアテがある。まずはそこへ行ってみましょう」
「……そんなのあったか?」
「鈍ちん。ベルンハルト中将のことよ」
私は手早く身支度を整え部屋を出た。逸る気持ちが自然と足を早める。
「あの熊親爺がアテ? どうしてだよ」
「彼は大魔法祭に来てたわ。そして、その後の掃滅作戦には軍も関与していた。ということは、彼も多少は内情を知っているかもしれないでしょ?」
「なーるへそ!」
さて、彼の住処はどこなのだろう。まずはそこから調べなくては。
昼時になり小腹が空いてきたので、そこらのパン屋でサンドイッチを購入した。
(おっ、美味っ! あの店当たりだわ)
もう一口頬張りながら、突き止めたベルンハルト中将の邸宅の壁をマネの触手でよじ登る。そうして辿り着いた二階の大窓を覗き込むと、熊のように大きな背中が机に向かっているのが見えた。
コンコン、と大窓をノックしてみる。しかし、その背中は何の反応を示さない。
「聞こえてるんでしょー? おーい」
今度は強めにノックする。それでも、背中はピクリとも動かないので、段々とノックする手に力が籠もってゆく。
ドン、ドン! ドン――ガシャァ!
「あ、やば」
「何やってんだ、リン。馬鹿か?」
力を入れすぎて窓を割ってしまった。まあ、割ってしまったものは仕方ないので、そのまま腕を突っ込み鍵を開けて部屋の中に入る。
ベルンハルト中将の執務室は中々に片付いており、外見の印象に似合わず小綺麗にしているようだった。
私は残りのサンドイッチを口に詰め込みつつ、慇懃無礼にお辞儀をした。
「中将、約束どおりご挨拶に参りました」
「チッ、来るなと言った筈だが……それに、それの何処がちゃんとしたご挨拶なんだ?」
「あら、別れ際のやり取りを随分と詳しく覚えていらっしゃいますのね」
「気味が悪い」
ベルンハルト中将が吐き捨てるようにそう言った時、正面のドアがガチャリと押し開かれる。そして、その隙間から焦った様子の使用人が顔を出した。
「大丈夫ですか!? 何か、大きな音がしましたが……」
「大事ない。命知らずの小鳥が一匹、そこの窓に突っ込んできただけだ。死体も既に魔法で処理した」
「そうですか……窓の方、今日中に新調できるよう手配しておきます」
「頼む。ああ、それと昼食の時刻まで一人にしてくれるか? さっさとこの仕事を片付けてしまいたいのでな」
「畏まりました」
ガチャリとドアの閉まる音がしたので、私は身を隠していた中将の机の影から出て立ち上がる。私がわざわざ窓からやって来た理由を察して、上手いこと誤魔化してくれたのは助かった。
「ありがとうございます」
「で、何の用だ。本当に挨拶に来た訳でもなかろう。ヘレナ嬢の言い付けか?」
「いえ、私用です」
「帰れ」
机上の書類を纏めて席を立とうとするベルンハルト中将を「まあまあまあ」と宥め、上から肩を押してもう一度座らせる。
「私なりにこの国を思ってのことなんです。聞くだけ聞いてくださいよ」
「狂人が愛国心など持つな。碌なことにならん」
「ケケケ。リン、言われてるぞ」
暖簾に腕押し、このままでは埒が明かない。そう思った私は多少強引にでも話を進めることにした。
「――掃滅作戦及び回収作戦に於ける王党派の動き。それを推進した人物を教えて下さい」
「何?」
私の言葉を咀嚼したベルンハルト中将は、じわりと嘲るように口唇を歪めた。
「貴様、そんなことも知らぬのか。可愛がられてはおるようだが、信は置かれておらぬようだな。――当然だ! フハハハハ!」
「……許しましょう、許しましょう。教えてくれるのなら、笑おうが蔑もうがこの際は許しましょう!」
半分、自分に言い聞かせるように言った。こんなところで今朝の決意を破らせないでくれ。激情家な一面を反省させてくれ。私に拳を振るわせないでくれ。
カラギウスの剣をチラつかせてみせると、ベルンハルト中将は「失敬失敬」とわざとらしく咳き込み、癪に障る笑いを収める。
「推進した人物だったな……それはアーヴィン家の近縁者であろう。ロイ・アーヴィン宰相ではないようだが、それに準ずる立場の者には違いあるまい。それ以上は知らぬ。この儂のところへもアーヴィン家の使いっぱしりが連絡に来た程度のこと。詳しいことはヘレナ嬢にでも聞け」
ベルンハルト中将はまるで蝿か何かを追い払うように手をパッパッと振って、あてつけのように手元の書類に視線を落とした。しかし、私はそんな侮辱的なジェスチャーにも反応できないほど考えに夢中になっていた。
二人目の内通者は、王党派の中核に居る人物だ。これはもう間違いない。
付け加えるなら、ベルンハルト中将の証言によって『アーヴィン家の近縁者』の線が色濃くなってきた。
(……けど、それは現状においての話。確定ではないのだから、あまり限定し過ぎるのも良くない……)
私は胸中に生まれた蟠りを見て見ぬ振りして、思考の継続を優先する。
当初、私は二人目の内通者は下っ端に過ぎないと考えた。なぜなら、私の動きが陽動だということを民宗派が知らなかったからだ。
しかし、民宗派には『指輪』の確保の他にも目的があった。
それは、恐らく月を蝕むものを増やすこと。
(その事実に至った時、一つの閃きがあった)
二人目の内通者には別の目的があり、そのために民宗派を利用したのではないか?
その仮定を前提に判明している情報を整理し、二人目の内通者の動きを推測してみる。
二人目の内通者は、包囲網が敷かれた後に脱出の出来なくなった民宗派へ包囲の事実と、私を始めとする揺動の動きについて教えた。これは、その情報を知った民宗派が殺虫剤の煙に巻かれた害虫のように、最後の藻掻きとして『指輪』の確保と月を蝕むものを増やしに向かうと予想してのこと。
その動機とは何か。
恐らく、二人目の内通者は民宗派に私たちを襲わせたかったのだと思われる。
それは何故か。
恐らく、閉じた虫籠の中で騒ぎを大きくし、誘導をより完璧なものとするため。そして、民宗派の戦力を削りつつ民宗派の支配下にない月を蝕むものを増やしたかったのだ。
上記を踏まえ、大魔法祭から続く掃滅作戦及び回収作戦の流れを鑑みると、これはもはや下っ端程度が介入できる領分を大きく越えている。
従って、二人目の内通者は王党派の中核に近く、あの時ベレニケ付近に居た人物に絞られる。
「……ベルンハルト中将、来賓名簿と警備員名簿があるなら見せて頂けませんか」
「何故だ」
「二者択一なんですよ」
ベルンハルト中将が顔を上げて私の方を振り向く。顔を思いっきり顰めて、怪訝そうな表情だ。
「貴様はさっきから何を言っている?」
「ですから――今回の件を仕掛けた人物に恭順するか、或いは殺すか。私たちは、その極めて重要な二者択一を迫られているのですよ」
私は至極真面目にそう言った。
(もし、ヘレナが二人目の内通者なのであれば……)
その時は――私がこの手で始末する。
軽傷だった私は、他の大多数と同様に第一陣として学院の学生寮に帰還した。
掃滅作戦及び回収作戦の影響もあり――表向きは折節実習を理由に――暫くは休日の予定となっている。しかし、何かをするという気分でもない。
私は、じっとベッドに腰掛け、床や壁を親の仇の如く睨みつけながら考える。その内容はもちろんベレニケで起こった一連の出来事に関してだ。
「気に入らない……気に入らないわ、ヘレナ!」
「なんでだよ」
私が思わず漏らした独り言にマネがツッコミを入れてくる。やはり、誰かが居ると違う。あの時と違って幾らか精神が安定しているのを感じる。
既に、マネにはこれまでの経緯を説明してある。しかし、私の憤りの理由までは伝わらなかったようだった。
「私はあの時――ヘレナに負けを認めたのよ」
「うん? 負けてはねえだろ。てか、百歩譲って負けでも別にいんじゃね。要するにヘレナを頼れる奴だと思ったって訳だろ? なら、遠慮なしに頼っとけばいい」
「頼ってやらんこともないけど、私より上だとは認めたくない」
メンドクセー、とマネは笑いながら大袈裟に体組織を揺らした。
「アンタ、そういうところは私と似てないわよね。力量や優劣には頓着しないというか。舐められると矜持のレベルで反発はするけど」
「お前の反発の度が過ぎてて、オレ様は引いてるよ。残酷趣味というか、嗜虐的だ」
「嗜虐的ぃ?」
「お前の戦ってる時の顔を鏡で見せてやりてえよ。大魔法祭で宝石獣を蹴ったくった時なんかもう……喜びを通り越して絶頂してたね、ありゃあ」
そんな訳がないだろう。私ほど、道徳的で暴力と縁遠い人間も珍しい。〝人界〟のモラリストといえば私のことだ。どうやら、〝魔界〟にまでは浸透していないようだが。
冗談はさておき、他人を痛めつける時に暗い悦楽があることは否定しない。しかし、そんなものは多かれ少なかれ誰にでもあるものだ。皆、理性によって抑制しているだけで。
「話が逸れちまったな、戻そう。オレ様、実は自分が誰かより優れてるとか劣ってるとか、そういうことは考えたことないのよ」
「生まれついての強者にのみ許される台詞ね」
「……ま、そうだな。それで困らなかったということは、つまりそういうことになるんだろう」
嫌味な野郎だ。まあ、それは今はどうでもいい。それよりも、今後のことについてマネと相談しつつ詰めていこうと私は意識を切り替える。
「それでなんだけど、私は二人目の内通者が存在する事実を誰にも明かさない気でいるわ」
「そりゃまた……どうして?」
「全員を疑っている段階だから。ヘレナを含めてね」
念のため言っておくが、決してヘレナがムカつくから頼りたくないからとかではない。
「ヘレナより先に二人目の内通者を突き止められたなら私の鬱憤も少しは晴れるわ。直接にぶん殴らずともね」
あの時、不必要なまでに暴力的になったことを、私も少しは反省していた。
チャチャムさんは私を信頼して任せてくれたのに、結局、私が関与した所為でヨセフさん家族を死なせてしまった。私はその事実に平静を保ったまま向き合うことができず、あのような暴力的な振る舞いに走ってしまった。
ルゥのことにしてもそうだ。
カルバを殴ってその口を封じたのも、要はつまらぬ八つ当たりに過ぎない。
暴力は何も解決しない。何も生みはしない。そう分かってはいても手は止まらなかった。私に激情家の面があることは、自覚はしても別に特段気にしてはいなかったが、これからは少し気にする。
ギュッ、と鬱血するほど強く握った拳に、マネの体組織が優しく絡み付いてくる。
(……大丈夫。マネが共に居てくれるうちは、まだ冷静でいられる)
私は拳を解き、ベッドから立ち上がった。
「私にはアテがある。まずはそこへ行ってみましょう」
「……そんなのあったか?」
「鈍ちん。ベルンハルト中将のことよ」
私は手早く身支度を整え部屋を出た。逸る気持ちが自然と足を早める。
「あの熊親爺がアテ? どうしてだよ」
「彼は大魔法祭に来てたわ。そして、その後の掃滅作戦には軍も関与していた。ということは、彼も多少は内情を知っているかもしれないでしょ?」
「なーるへそ!」
さて、彼の住処はどこなのだろう。まずはそこから調べなくては。
昼時になり小腹が空いてきたので、そこらのパン屋でサンドイッチを購入した。
(おっ、美味っ! あの店当たりだわ)
もう一口頬張りながら、突き止めたベルンハルト中将の邸宅の壁をマネの触手でよじ登る。そうして辿り着いた二階の大窓を覗き込むと、熊のように大きな背中が机に向かっているのが見えた。
コンコン、と大窓をノックしてみる。しかし、その背中は何の反応を示さない。
「聞こえてるんでしょー? おーい」
今度は強めにノックする。それでも、背中はピクリとも動かないので、段々とノックする手に力が籠もってゆく。
ドン、ドン! ドン――ガシャァ!
「あ、やば」
「何やってんだ、リン。馬鹿か?」
力を入れすぎて窓を割ってしまった。まあ、割ってしまったものは仕方ないので、そのまま腕を突っ込み鍵を開けて部屋の中に入る。
ベルンハルト中将の執務室は中々に片付いており、外見の印象に似合わず小綺麗にしているようだった。
私は残りのサンドイッチを口に詰め込みつつ、慇懃無礼にお辞儀をした。
「中将、約束どおりご挨拶に参りました」
「チッ、来るなと言った筈だが……それに、それの何処がちゃんとしたご挨拶なんだ?」
「あら、別れ際のやり取りを随分と詳しく覚えていらっしゃいますのね」
「気味が悪い」
ベルンハルト中将が吐き捨てるようにそう言った時、正面のドアがガチャリと押し開かれる。そして、その隙間から焦った様子の使用人が顔を出した。
「大丈夫ですか!? 何か、大きな音がしましたが……」
「大事ない。命知らずの小鳥が一匹、そこの窓に突っ込んできただけだ。死体も既に魔法で処理した」
「そうですか……窓の方、今日中に新調できるよう手配しておきます」
「頼む。ああ、それと昼食の時刻まで一人にしてくれるか? さっさとこの仕事を片付けてしまいたいのでな」
「畏まりました」
ガチャリとドアの閉まる音がしたので、私は身を隠していた中将の机の影から出て立ち上がる。私がわざわざ窓からやって来た理由を察して、上手いこと誤魔化してくれたのは助かった。
「ありがとうございます」
「で、何の用だ。本当に挨拶に来た訳でもなかろう。ヘレナ嬢の言い付けか?」
「いえ、私用です」
「帰れ」
机上の書類を纏めて席を立とうとするベルンハルト中将を「まあまあまあ」と宥め、上から肩を押してもう一度座らせる。
「私なりにこの国を思ってのことなんです。聞くだけ聞いてくださいよ」
「狂人が愛国心など持つな。碌なことにならん」
「ケケケ。リン、言われてるぞ」
暖簾に腕押し、このままでは埒が明かない。そう思った私は多少強引にでも話を進めることにした。
「――掃滅作戦及び回収作戦に於ける王党派の動き。それを推進した人物を教えて下さい」
「何?」
私の言葉を咀嚼したベルンハルト中将は、じわりと嘲るように口唇を歪めた。
「貴様、そんなことも知らぬのか。可愛がられてはおるようだが、信は置かれておらぬようだな。――当然だ! フハハハハ!」
「……許しましょう、許しましょう。教えてくれるのなら、笑おうが蔑もうがこの際は許しましょう!」
半分、自分に言い聞かせるように言った。こんなところで今朝の決意を破らせないでくれ。激情家な一面を反省させてくれ。私に拳を振るわせないでくれ。
カラギウスの剣をチラつかせてみせると、ベルンハルト中将は「失敬失敬」とわざとらしく咳き込み、癪に障る笑いを収める。
「推進した人物だったな……それはアーヴィン家の近縁者であろう。ロイ・アーヴィン宰相ではないようだが、それに準ずる立場の者には違いあるまい。それ以上は知らぬ。この儂のところへもアーヴィン家の使いっぱしりが連絡に来た程度のこと。詳しいことはヘレナ嬢にでも聞け」
ベルンハルト中将はまるで蝿か何かを追い払うように手をパッパッと振って、あてつけのように手元の書類に視線を落とした。しかし、私はそんな侮辱的なジェスチャーにも反応できないほど考えに夢中になっていた。
二人目の内通者は、王党派の中核に居る人物だ。これはもう間違いない。
付け加えるなら、ベルンハルト中将の証言によって『アーヴィン家の近縁者』の線が色濃くなってきた。
(……けど、それは現状においての話。確定ではないのだから、あまり限定し過ぎるのも良くない……)
私は胸中に生まれた蟠りを見て見ぬ振りして、思考の継続を優先する。
当初、私は二人目の内通者は下っ端に過ぎないと考えた。なぜなら、私の動きが陽動だということを民宗派が知らなかったからだ。
しかし、民宗派には『指輪』の確保の他にも目的があった。
それは、恐らく月を蝕むものを増やすこと。
(その事実に至った時、一つの閃きがあった)
二人目の内通者には別の目的があり、そのために民宗派を利用したのではないか?
その仮定を前提に判明している情報を整理し、二人目の内通者の動きを推測してみる。
二人目の内通者は、包囲網が敷かれた後に脱出の出来なくなった民宗派へ包囲の事実と、私を始めとする揺動の動きについて教えた。これは、その情報を知った民宗派が殺虫剤の煙に巻かれた害虫のように、最後の藻掻きとして『指輪』の確保と月を蝕むものを増やしに向かうと予想してのこと。
その動機とは何か。
恐らく、二人目の内通者は民宗派に私たちを襲わせたかったのだと思われる。
それは何故か。
恐らく、閉じた虫籠の中で騒ぎを大きくし、誘導をより完璧なものとするため。そして、民宗派の戦力を削りつつ民宗派の支配下にない月を蝕むものを増やしたかったのだ。
上記を踏まえ、大魔法祭から続く掃滅作戦及び回収作戦の流れを鑑みると、これはもはや下っ端程度が介入できる領分を大きく越えている。
従って、二人目の内通者は王党派の中核に近く、あの時ベレニケ付近に居た人物に絞られる。
「……ベルンハルト中将、来賓名簿と警備員名簿があるなら見せて頂けませんか」
「何故だ」
「二者択一なんですよ」
ベルンハルト中将が顔を上げて私の方を振り向く。顔を思いっきり顰めて、怪訝そうな表情だ。
「貴様はさっきから何を言っている?」
「ですから――今回の件を仕掛けた人物に恭順するか、或いは殺すか。私たちは、その極めて重要な二者択一を迫られているのですよ」
私は至極真面目にそう言った。
(もし、ヘレナが二人目の内通者なのであれば……)
その時は――私がこの手で始末する。
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