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第三章
外伝 3.自由 その①:君は『唯一神』を愛するように『自由』を愛せるか?
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ラビブ神父が部屋の扉を開けると、その部屋の中央で拘束されていたナタリーが周囲の異形たちを睨み付けるのを止めて驚きで眼を丸くした。そして、何故ラビブ神父がここへ居るのかという当たり前の疑問に行き着き、眉根にシワを寄せる。
そんな彼女の様子を見たラビブ神父は、ひとまず怪我なく無事であることに安堵のため息をつき、革靴の底をつかつかと鳴らしながら部屋の中へ踏み入った。
「君達、もう行っていいよ。君達の盟主メッサーラによろしく伝えておいてくれ」
「――神父様! どうして、このような獣どもと親しげになさるのですか!?」
「こらこら、暴れない暴れない」
ラビブ神父は、優しく諭すように言いながらナタリーの拘束を解いてゆく。それを見て、周囲の異形たちは慌てふためき尻尾を巻いて部屋を出ていった
「ここで暴れることには何の意味もないよ。それは信仰心ですらない、ただの子供の癇癪だ」
拘束を完全に解き切った時、もう部屋の中にも外にも異形の気配はすっかりなくなっていたので、ナタリーは諦観まじりの落ち着きを取り戻していた。
ナタリーは拘束されていた部位を擦りつつ立ち上がり、正面からラビブ神父を見詰める。
「説明は、頂けるのでしょうね? 場合によっては……」
「場合によっては、なんだい?」
「……神父様を異端審問にかけざるを得なくなるやもしれません」
ラビブ神父はそれは困るとばかりに肩を竦めた。あまりにも真剣味に欠ける戯けた仕草に、ナタリーは殊更に眉根のシワを深める。
「悪かった。そう怒らないでくれ。全部説明する。彼らのことも、ルゥのことも」
「貴方のこともです!」
「分かっている、分かっているとも」
泣く子を宥めるようにナタリーを黙らせたラビブ神父は、不意に居住まいを正し聖職者たる威風を纏う。すると、自然とナタリーの背筋もピンと伸びた。
「時にナタリー。君は国教会の教えをどう解釈しているのかね?」
「どう、とは」
「ふむ、少し漠然とし過ぎた問いだったか。では、こう聞き直そう。君は国教会の教えに意味を感じているかね?」
それは極めて危うい問いだった。到底、聖職者の口の利き方ではない。この時代、この国で国教会の教えに背くということは、野卑な蛮人であることを世間に知らしめるが如き行いである。
「……当然です。お言葉ですが、神父様。その問い方だと、神父様はそう感じていないようにも取れてしまいますが」
「うむ。その通りだが?」
「っ――今すぐ訂正してください!」
ナタリーは腰の杖に手を伸ばそうとして、異形たちに没収されていたことを思い出し、ばつが悪そうにぎゅっと拳を握りしめる。
杖はない。だが、ナタリーは魔法使いであるのだから、素の身体能力だけでも一般人を取り押さえるぐらいは訳ない。ナタリーは、ラビブ神父の返答如何ですぐにでも飛びかかろうと身構えた。
そんじょそこらの人間なら、魔法使いにここまであからさまな敵対姿勢を取られると否応なく震え上がって許しを請うだろう。しかし、このラビブ神父にあっては、ナタリーの心中に潜む躊躇いを知るがゆえに動じない。
「君は、神を信じるか?」
「その問いの意味が分かりません。誰もが『信じている』と答えるでしょう」
即答しながらも困惑するナタリーに、ラビブ神父は続けて問う。
「では、その神とはどのような存在だ?」
「……救世主のような方でしょう。私のような不心得者には完璧な答えを出すことは難しいですが、恐らく国教会ならそう答える筈です」
今度は少し間を置いて出された答えに、ラビブ神父は深く頷いた。
「そうだろうね。人を愛し、人に愛される。――まあ、なんとも実に都合のいい存在だね」
神経をヤスリでもって逆撫でするような言葉に、敬虔な信者であるナタリーはかえって怯んでしまった。眼の前にいる彼は、本当に自分の知るあのラビブ神父なのか、ナタリーは自信が持てなかった。
物心のついた時から孤児院で寝食を共にし、学院を卒業してからも王党国教派として教えを請うてきた相手の思いがけぬ一面を見て、ナタリーの心は激しく打ちのめされていた。
ナタリーの信仰心は、それこそ子が親の振る舞いを見てそれに倣うように育まれてきたものであり、ナタリー自身にもその自覚があったからだ。
「やめて……やめてください……! その口で、神を否定するような言葉を吐かないでください……!」
「勘違いを正しておこう、万物の造物主たる創造神は実在する」
ラビブ神父は、いつも孤児院で子供たちへ話しかけるような口調で滔々と語り出す。
「それは、人間の歴史よりも遥かに長い時を生きた複数の魔族がその眼で見、その耳で聞き、その鼻で嗅ぎ、その肌で感じたと証言するのだから、まずもって確かだろう。しかし、国教会の言う『唯一神』は、政治的な都合により捻じ曲げられて来た紛い物に過ぎない」
「しかし、教皇猊下は『唯一神』の代理人であると――」
「そんなものは嘘っぱちだ。大体、その言葉が真実であると誰が保証するというんだい? 他ならぬ『唯一神』が黙して語らぬ以上、真相は信仰の中にあるのみさ」
「き、ききたくない……!」
「ナタリー」
耳を塞ぎ対話を拒むナタリーの肩を掴み、ラビブ神父は優しく囁いた。
「――それで良いんだ」
「えっ……?」
「紛い物で良いんだ。むしろ、悪いことがあるかい? それで、人間が幸せになれるのなら上等じゃあないか」
そう言ってラビブ神父が浮かべた笑顔は、この上ないほど慈愛に満ちたものだった。それを見て、「ああ、やはり」とナタリーは確信を得る。
やはり、この人は尊敬に値する人である、と。
そして、ナタリーはラビブ神父の語る説教の続きに耳を傾ける。
「歴史の話をしよう。国教会では好まれない、無明時代の歴史の話を」
ラビブ神父は、先程まで異形たちが使っていた椅子の一つに腰を落ち着け、ナタリーにも座るよう促す。
「かつて、化外の跋扈する古代には、絶対的な『唯一神』という概念は存在しなかった。人という種を虐げ、貪り、脅かす上位存在――魔族や魔物こそが我らの神だった。それが所謂、民宗派の言う『神』『神々』だ。彼らを崇め奉ることで、古代の人々はその庇護を受けて生を許されていたとされる。そして、強大かつ人間という種に寛大な『神』のもとには村邑ができ、市街ができ、やがて国ができた」
「俗に言う無明時代ですね」
「その通り。人間は虫ケラに等しい存在でありながらも、一定の秩序のもとでささやかな文明を育んでいた。しかし、その時代も突如として終焉を迎える」
無明時代の終焉。それは聖典に拠れば、魔族らの暴虐に痺れを切らした『唯一神』により光明が差した、とのことである。
ナタリーがいつかの神学の授業を思い出したところを見計らって、ラビブ神父は続ける。
「事実は聖典の記述とは異なる」
「では、なぜ無明時代は終焉を迎えたのですか……?」
「それは、さる七名の高位魔族が結託し魔力素の独占を目論み、虚数次元に実体のある隔離空間――今で言う〝魔界〟の原型を作ったことが始まりだそうだ」
ここからの話は、生憎と魔法的な知識に乏しいのでそっくりそのまま学者の受け売りになるが良いな? と断ってからラビブ神父は続ける。
「無事に隔離空間を拵えた彼らは、次に〝人界〟と隔離空間の間を繋ぐ大門を作った。この大門は、魔力素のみを通すように設計された」
「魔力素のみを? それは【召喚魔法】における召喚門の性質とよく似ていますね」
ナタリーは、今度は学生時代に受けた授業を思い出していた。
召喚門もまた、魔力素だけを通す性質を持っている。〝魔界〟の住民たちはそこから供給される魔法使いの魔力に、己の魂から抽出した己の情報を混ぜ込み、分体のようなものをこちらへ寄越してくれている……と、学院の教師は語っていた。
「ああ。それもその筈、召喚門は大門の仕組みを下敷きにして作られたものだそうだ」
〝人界〟と〝魔界〟が分かたれてから数日のうちに、大門の概要は分析されきっていた。もちろん、それは〝魔界〟での話であり、〝人界〟においては民宗派以外には殆どその存在の認知すらされていないのが実情である。
では、なぜ昨今の魔法使いが知りもしない仕組みの召喚門を扱えるのかというと、それは個人的事情から〝人界〟との繋がりを欲したとある魔族が、【契約召喚】という形で人間に技術供与したからである。
ランプの構造が分からずとも、スイッチの入れ方さえ知っていれば夜道は照らせるのだから、魔法使いの大半は「知らない」という事実を気にもとめない。もちろん、そこに関心を払ってその研究に心身を捧げる者も存在するが、解明の第一歩が達成されるまでには、あと三世代ほどの時を経るか、不世出の『天才』の出現を待たなくてはならない。
ラビブ神父は、逸れた話題をもとに戻そうと咳払いして間を入れた。
「コホン……それで、なぜ魔力素のみを通すようにしたかというと、当時の〝人界〟には空気と同じように魔力素が世界中に満ちていたからだ。そこに新たに作り出した隔離空間へ繋がる大門を開けば、水が低きに流れるが如く大量の魔力素が流れ込んでくる……筈だった」
「筈……ということは、そうはならなかったのですか?」
「現在、自然界において魔法使いが己のうちから生成するもの以外の魔力素は確認されていない」
それは迂遠な回答だったが、ナタリーはその言わんとするところを敏感に察した。何か予想外のことが起こり、〝人界〟の魔力素がすっかりなくなってしまったのだと。
「七名の高位魔族たちには一つ大きな誤算があった。それは原種の存在だ」
「原種……? それは……?」
「創造神は、我々の一人一人、砂粒の一つ一つを手ずから作った訳ではない。その原型となるような存在――原種を作ったのだ。我々は、魔族や魔物なども含めて皆、彼らから生まれた子供のようなもの。といっても、彼ら原種は生命というよりも自然に近い存在であり――それ故に、誤って魔力素と一緒に原種が大門を通過してきてしまったのだ」
それにより、何かしらの被害を蒙ったのだろうとは理解できるが、原種という言葉を初めて聞くナタリーには、その程度のほどが全く想像できなかった。
「つまり……原種によって大門が破壊されでもしたのですか?」
「良い線を言っている。だが、破壊されたのは隔離空間の方だ」
当初の予定では、独占といっても全体の魔力素の数十分の一程度を時間をかけて少しずつ掠め取っていこうという考えであり、〝人界〟の魔力素を全て独り占めにしてやろうなんて大それたことは思ってもみなかった。
大門を開いた後は、魔力素の流入量・貯蓄量を見ながら隔離空間の大きさを広げてゆくことで調整するつもりだった。
なぜ、量を抑えたか。それは、人間以外の生命にとっては魔力素こそが空気であり水であり食糧であり力そのものでもあり、何をするにも欠かせないものだからだ。そんなものを奪われれば、誰しもが死物狂いで抵抗するだろう。
全世界を相手にして勝利できるとまでは、彼らも傲ってはいなかった。また、その卑屈さが、このような計画を実行に移した動機でもあった。
しかし、そんな置きに行くような身の程を知る計画も、原種という予期せぬ存在によって全てが狂ってしまう。
大門の開門以前の原種たちは、沢山の子孫を残して使命を果たし、その存在を自然の中にじっと薄れさせていた。だが、突如として何もない隔離空間に放り込まれたことで、創造神に植え付けられた本能が覚醒めたのだ。
産めよ、増えよ、地に満ちよ――。
「魔力素の容れ物としての役目しか期待していなかった隔離空間の境界は一瞬にして崩壊し、大門から入ってきた魔力素はそこから更に外の虚数次元へ魔力素が流出し始めた。……これがどのような結果を生んだか、想像ができるかい?」
「……いえ、私程度では全く想像もつきません」
「虚数次元は、完全に物質や圧力の存在しない状態――物理学者が言うところの『絶対真空』に似た状態だと言われているが、現実に起こった事象を鑑みると――」
「すみません、『絶対真空』……? そういった一般学問には疎く……」
「不勉強だぞ、ナタリー。まあいい……さっきは魔力素を水に例えたが、その続きでいうと水を貯めていた容れ物に穴が開いたようなものだ。それも、特大の穴が」
ナタリーは、水筒の底が抜け落ちて中の水がそっくり地面に落ち、ばしゃっと広がる様を想像した。
「君が今想像したような穏当な結果に終わった訳じゃないことは、僅かに残る史料と当時を生き残った魔族の証言で分かる。恐らく、虚数次元は無ではなく極大の負の圧力をもった何かで満ちているのだ。その吸引力は凄まじく、世界は正に天変地異の様相を呈した。神学用語でいう『人魔開闢』だ」
大気や物質中に含まれる魔力素が一斉に大門へ殺到した。当然、魔族や魔物も例外ではない。
人間と異なり、魔族や魔物は身体の中にも多量の魔力素を多く含んでいた。というのも、彼らからすればそれが普通であり、人間が例外的な存在なのである。
魔力素の争奪戦からいち早く離脱する方向へ進化した人間は、それゆえにか弱く、だがそれゆえに『人魔開闢』の影響を最小限に留めることができた。
天地は返り、地上に積み上げられたありとあらゆるものが崩れ去った。
その後の〝人界〟に残された生命体は、人間の他にはほんの僅かな魔族と魔物だけだった。その大半が魔力素の消え失せた〝人界〟に適応できず干からびて死んだが、そのうちの少数の魔物が魔力素依存から脱して今の『獣』の元となり、また少数の魔族が人間に混じり『魔法士』の元となった。
「魔族・魔物の大半は大門を通過する際に圧死した。残ったものも大半は崩壊した隔離空間の境界から放り出され、虚数次元にて窒息死した。生き残ったものは、ただただ運が良かったとしか言いようのない有り様だった」
「ちょっと待ってください。聞いていると、それではまるで今現在の〝魔界〟というものが全く成立し得ないように思えるのですが……そこからどのようにして今のような形に収まったのですか?」
もっともな疑問である。ラビブ神父は出来の良い教え子の的を射た質問に頷き、用意していた答えを述べる。
「壊したのも原種なら、直したのも原種だった。彼らは周囲の環境が生命体の存在に困難な状況と判断すると、〝人界〟を作ったように虚数次元の中にまた新たな世界を創造した。それが今の〝魔界〟だ」
多くのものが死に絶えた。文明は途絶し、技術は失われ、信仰は光を失った。
だが同時に、多くのものが生まれた。新たな文明、新たな技術、新たな信仰。
それらは、先述の通り境界と共に大門が破壊されたことで、連絡の断たれた〝人界〟と〝魔界〟のそれぞれで発展していった。
「――これは私見だが、今語ったことは歴史的な偶然の結実であり、善悪で語るようなものではないと思う。だが、民宗派はそう達観しては見られない。言ってみれば、私たちの言う『唯一神』を奪われたようなものなのだから」
「つまり……〝人界〟と〝魔界〟の再統合が民宗派の目的ということですか?」
「その通り。大門は破壊されているが消えた訳じゃない。彼らはそれを修復し、再び両世界間に大門を開こうと言うのだ」
その気になれば、〝人界〟に来ることもできる高位魔族たちが〝魔界〟に引き篭もる理由は、自然界に魔力素のない〝人界〟が生存に適していない事と、苦労してまで行くほどの旨みが〝人界〟ないからである。
その前提を全てひっくり返してしまおうというのが民宗派の掲げるお題目。
もう一度、両世界間に大門を開いた場合、恐らく〝人界〟に魔力素が逆流してくると予想される。そうして〝人界〟と〝魔界〟の魔力素濃度を均一にし、大々的に門出を開くことで再び〝人界〟を人ならざる者の天下に回帰させようというのである。
「なるほど……では、彼らが『指輪』を探していることや、月を蝕むものを量産していることは、大門を開く一環ということなのでしょうか」
「ああ。件の大門を開いた七名の高位魔族――民宗派は彼らを七罪と称す――は、大門の開閉に際して二つの鍵を用意していた。一つ目の鍵はまず己の存在だ」
己の存在――より正確に言うと、己の魔力波長を鍵とした。
これは現代の〝人界〟においても頻繁に利用される個人認証である。あらかじめ魔力波長を鍵に記憶させておき、魔力を注ぐことで解錠する仕組みだ。
「現代の〝人界〟にもある魔力波長による個人認証を、彼ら七罪は遥か昔から普遍的に利用していた訳だな。しかし、七名が一堂に会することが難しい時もある。また、いつかは誰ぞかが欠けてしまうかもしれない。そういった不測の事態に備えて、彼らは二つ目の鍵を作った。それが――『指輪』だ」
彼ら七罪は、その鍵たる『指輪』を己の信者、つまり庇護下にある人間たちに託していた。先日、ヨトバタで発見された遺跡とそこから回収された『指輪』は、このような経緯のもとに建設・安置されたものである。
「当初、民宗派は七つの『指輪』を集めて大門を開こうとした。しかし、すぐにそれが無理筋であることに気付く」
「どうしてですか?」
「どこにあるかも分からないものを七つも揃えられる訳がないじゃないか。むしろ、『人魔開闢』で散逸せず四つも現存しており、なおかつそれを集められているというだけでも驚異的だよ。ともあれ、民宗派は路線変更を余儀なくされた。それが月を蝕むものを増やしていることに繋がるのだ」
「もう分かりますよ。魔力波長の方を狙っているのですね」
ナタリーの言葉にラビブ神父は深く頷く。
民宗派は、『指輪』の不足分を補うもう一つの鍵である魔力波長の方を揃えるべく、月を蝕むものを量産しているのだった。
「しかし――」
ここで、ナタリーの脳裏に一つの疑問が顔をもたげた。
「そう都合よく七罪が月を蝕むものになってくれるものですか? 話を聞く分では、〘人魔合一〙にはある程度のランダム性がある上に、〝魔界〟の住民側の協力も必要とのことですが……それに七罪だって今も生きているかどうか分からないではないですか」
「そうだ、普通に考えたら無理だ。しかし、民宗派の擁する『天才』――偉大なる呪祷士は何ら問題ないと豪語するばかりか、あと数ヶ月もすれば揃う計算であると大風呂敷を広げてみせた。曰く、似てさえいれば補整できるのだそうだ。問題となるのは魔力量だと」
「量……偽装対策ですか」
少量ならば手間暇かければ、魔力波長の偽装は可能である。なので、偽装の困難な量の魔力を設定するのが〝人界〟においても一般的だった。過去の彼ら七罪も、そのような対策を施していたのである。
「ああ。加えて言えば、その『天才』によって〘人魔合一〙の術には日夜改良が加えられている。このまま行けば、日数が縮むことはあっても伸びることはないだろう」
とここで、ラビブ神父はパンと手を叩いた。これはいつもの説教が終わる時の合図だ。ラビブ神父は少しだけ雰囲気を弛緩させながら、同じく肩の力を抜いたナタリーに問いかける。
「ここまで聞いて、君はどう思った? 何を感じた?」
「……やはり、民宗派の行いを許すことはできません。時代錯誤の信仰に固執し、それに我々を巻き込もうとする態度は独善に映ります」
「そうか。しかし、それは国教会も似たり寄ったりではないかい?」
ナタリーは返答に窮した。そもそもの話をするなら、始めに侵略的なまでに信仰の押し付けを行ったのは国教会である。
「なのになぜ、我々は良くて彼らは駄目なのか」
「そ、それは……」
「その心こそ独善である。ナタリー、いいかい?」
ラビブ神父は、ナタリーの両肩に手を添えて再び聖職者たる威風を纏う。
「『汝の敵を愛せよ』――敬意を払え! 彼らの文化と信仰を知り、尊重し、敬愛し、その上で――我々の幸福にとって障害となるから潰す! そのエゴイズムを努々忘れることなかれ」
ある意味では開き直りとも取れる喝破であるが、それは確かにナタリーの心に深く響いた。なぜなら、それは彼女の愚直な信仰心とままならぬ現実との折衷を貫く、実に都合の良いおためごかしだったからだ。
くらくらするような薫陶に酔うナタリーから離れ、ラビブ神父は自分に続いて部屋を出るように促す。
「行こう。そろそろ、向こうも終わった頃だろうからね」
「向こう……とは?」
「ヘレナ君とリン君の方さ。恐らく手酷く振られていることだろうから、慰めてやらくては。――ああ、そうだ。紹介もね」
「紹介?」
ナタリーは疑問を感じた。顔合わせなら、とっくの昔に済ませている。それも、ナタリーとヘレナは他ならぬラビブ神父の引き合いによって面識を得ているのだ。
それをなぜ改めて紹介することがある?
そんな彼女の疑問を先読みしていたかのように、ラビブ神父は不敵に微笑みを湛えながら振り返った。
「――君は『唯一神』を愛するように『自由』を愛せるか?」
触手の魔女・外伝 3.自由
そんな彼女の様子を見たラビブ神父は、ひとまず怪我なく無事であることに安堵のため息をつき、革靴の底をつかつかと鳴らしながら部屋の中へ踏み入った。
「君達、もう行っていいよ。君達の盟主メッサーラによろしく伝えておいてくれ」
「――神父様! どうして、このような獣どもと親しげになさるのですか!?」
「こらこら、暴れない暴れない」
ラビブ神父は、優しく諭すように言いながらナタリーの拘束を解いてゆく。それを見て、周囲の異形たちは慌てふためき尻尾を巻いて部屋を出ていった
「ここで暴れることには何の意味もないよ。それは信仰心ですらない、ただの子供の癇癪だ」
拘束を完全に解き切った時、もう部屋の中にも外にも異形の気配はすっかりなくなっていたので、ナタリーは諦観まじりの落ち着きを取り戻していた。
ナタリーは拘束されていた部位を擦りつつ立ち上がり、正面からラビブ神父を見詰める。
「説明は、頂けるのでしょうね? 場合によっては……」
「場合によっては、なんだい?」
「……神父様を異端審問にかけざるを得なくなるやもしれません」
ラビブ神父はそれは困るとばかりに肩を竦めた。あまりにも真剣味に欠ける戯けた仕草に、ナタリーは殊更に眉根のシワを深める。
「悪かった。そう怒らないでくれ。全部説明する。彼らのことも、ルゥのことも」
「貴方のこともです!」
「分かっている、分かっているとも」
泣く子を宥めるようにナタリーを黙らせたラビブ神父は、不意に居住まいを正し聖職者たる威風を纏う。すると、自然とナタリーの背筋もピンと伸びた。
「時にナタリー。君は国教会の教えをどう解釈しているのかね?」
「どう、とは」
「ふむ、少し漠然とし過ぎた問いだったか。では、こう聞き直そう。君は国教会の教えに意味を感じているかね?」
それは極めて危うい問いだった。到底、聖職者の口の利き方ではない。この時代、この国で国教会の教えに背くということは、野卑な蛮人であることを世間に知らしめるが如き行いである。
「……当然です。お言葉ですが、神父様。その問い方だと、神父様はそう感じていないようにも取れてしまいますが」
「うむ。その通りだが?」
「っ――今すぐ訂正してください!」
ナタリーは腰の杖に手を伸ばそうとして、異形たちに没収されていたことを思い出し、ばつが悪そうにぎゅっと拳を握りしめる。
杖はない。だが、ナタリーは魔法使いであるのだから、素の身体能力だけでも一般人を取り押さえるぐらいは訳ない。ナタリーは、ラビブ神父の返答如何ですぐにでも飛びかかろうと身構えた。
そんじょそこらの人間なら、魔法使いにここまであからさまな敵対姿勢を取られると否応なく震え上がって許しを請うだろう。しかし、このラビブ神父にあっては、ナタリーの心中に潜む躊躇いを知るがゆえに動じない。
「君は、神を信じるか?」
「その問いの意味が分かりません。誰もが『信じている』と答えるでしょう」
即答しながらも困惑するナタリーに、ラビブ神父は続けて問う。
「では、その神とはどのような存在だ?」
「……救世主のような方でしょう。私のような不心得者には完璧な答えを出すことは難しいですが、恐らく国教会ならそう答える筈です」
今度は少し間を置いて出された答えに、ラビブ神父は深く頷いた。
「そうだろうね。人を愛し、人に愛される。――まあ、なんとも実に都合のいい存在だね」
神経をヤスリでもって逆撫でするような言葉に、敬虔な信者であるナタリーはかえって怯んでしまった。眼の前にいる彼は、本当に自分の知るあのラビブ神父なのか、ナタリーは自信が持てなかった。
物心のついた時から孤児院で寝食を共にし、学院を卒業してからも王党国教派として教えを請うてきた相手の思いがけぬ一面を見て、ナタリーの心は激しく打ちのめされていた。
ナタリーの信仰心は、それこそ子が親の振る舞いを見てそれに倣うように育まれてきたものであり、ナタリー自身にもその自覚があったからだ。
「やめて……やめてください……! その口で、神を否定するような言葉を吐かないでください……!」
「勘違いを正しておこう、万物の造物主たる創造神は実在する」
ラビブ神父は、いつも孤児院で子供たちへ話しかけるような口調で滔々と語り出す。
「それは、人間の歴史よりも遥かに長い時を生きた複数の魔族がその眼で見、その耳で聞き、その鼻で嗅ぎ、その肌で感じたと証言するのだから、まずもって確かだろう。しかし、国教会の言う『唯一神』は、政治的な都合により捻じ曲げられて来た紛い物に過ぎない」
「しかし、教皇猊下は『唯一神』の代理人であると――」
「そんなものは嘘っぱちだ。大体、その言葉が真実であると誰が保証するというんだい? 他ならぬ『唯一神』が黙して語らぬ以上、真相は信仰の中にあるのみさ」
「き、ききたくない……!」
「ナタリー」
耳を塞ぎ対話を拒むナタリーの肩を掴み、ラビブ神父は優しく囁いた。
「――それで良いんだ」
「えっ……?」
「紛い物で良いんだ。むしろ、悪いことがあるかい? それで、人間が幸せになれるのなら上等じゃあないか」
そう言ってラビブ神父が浮かべた笑顔は、この上ないほど慈愛に満ちたものだった。それを見て、「ああ、やはり」とナタリーは確信を得る。
やはり、この人は尊敬に値する人である、と。
そして、ナタリーはラビブ神父の語る説教の続きに耳を傾ける。
「歴史の話をしよう。国教会では好まれない、無明時代の歴史の話を」
ラビブ神父は、先程まで異形たちが使っていた椅子の一つに腰を落ち着け、ナタリーにも座るよう促す。
「かつて、化外の跋扈する古代には、絶対的な『唯一神』という概念は存在しなかった。人という種を虐げ、貪り、脅かす上位存在――魔族や魔物こそが我らの神だった。それが所謂、民宗派の言う『神』『神々』だ。彼らを崇め奉ることで、古代の人々はその庇護を受けて生を許されていたとされる。そして、強大かつ人間という種に寛大な『神』のもとには村邑ができ、市街ができ、やがて国ができた」
「俗に言う無明時代ですね」
「その通り。人間は虫ケラに等しい存在でありながらも、一定の秩序のもとでささやかな文明を育んでいた。しかし、その時代も突如として終焉を迎える」
無明時代の終焉。それは聖典に拠れば、魔族らの暴虐に痺れを切らした『唯一神』により光明が差した、とのことである。
ナタリーがいつかの神学の授業を思い出したところを見計らって、ラビブ神父は続ける。
「事実は聖典の記述とは異なる」
「では、なぜ無明時代は終焉を迎えたのですか……?」
「それは、さる七名の高位魔族が結託し魔力素の独占を目論み、虚数次元に実体のある隔離空間――今で言う〝魔界〟の原型を作ったことが始まりだそうだ」
ここからの話は、生憎と魔法的な知識に乏しいのでそっくりそのまま学者の受け売りになるが良いな? と断ってからラビブ神父は続ける。
「無事に隔離空間を拵えた彼らは、次に〝人界〟と隔離空間の間を繋ぐ大門を作った。この大門は、魔力素のみを通すように設計された」
「魔力素のみを? それは【召喚魔法】における召喚門の性質とよく似ていますね」
ナタリーは、今度は学生時代に受けた授業を思い出していた。
召喚門もまた、魔力素だけを通す性質を持っている。〝魔界〟の住民たちはそこから供給される魔法使いの魔力に、己の魂から抽出した己の情報を混ぜ込み、分体のようなものをこちらへ寄越してくれている……と、学院の教師は語っていた。
「ああ。それもその筈、召喚門は大門の仕組みを下敷きにして作られたものだそうだ」
〝人界〟と〝魔界〟が分かたれてから数日のうちに、大門の概要は分析されきっていた。もちろん、それは〝魔界〟での話であり、〝人界〟においては民宗派以外には殆どその存在の認知すらされていないのが実情である。
では、なぜ昨今の魔法使いが知りもしない仕組みの召喚門を扱えるのかというと、それは個人的事情から〝人界〟との繋がりを欲したとある魔族が、【契約召喚】という形で人間に技術供与したからである。
ランプの構造が分からずとも、スイッチの入れ方さえ知っていれば夜道は照らせるのだから、魔法使いの大半は「知らない」という事実を気にもとめない。もちろん、そこに関心を払ってその研究に心身を捧げる者も存在するが、解明の第一歩が達成されるまでには、あと三世代ほどの時を経るか、不世出の『天才』の出現を待たなくてはならない。
ラビブ神父は、逸れた話題をもとに戻そうと咳払いして間を入れた。
「コホン……それで、なぜ魔力素のみを通すようにしたかというと、当時の〝人界〟には空気と同じように魔力素が世界中に満ちていたからだ。そこに新たに作り出した隔離空間へ繋がる大門を開けば、水が低きに流れるが如く大量の魔力素が流れ込んでくる……筈だった」
「筈……ということは、そうはならなかったのですか?」
「現在、自然界において魔法使いが己のうちから生成するもの以外の魔力素は確認されていない」
それは迂遠な回答だったが、ナタリーはその言わんとするところを敏感に察した。何か予想外のことが起こり、〝人界〟の魔力素がすっかりなくなってしまったのだと。
「七名の高位魔族たちには一つ大きな誤算があった。それは原種の存在だ」
「原種……? それは……?」
「創造神は、我々の一人一人、砂粒の一つ一つを手ずから作った訳ではない。その原型となるような存在――原種を作ったのだ。我々は、魔族や魔物なども含めて皆、彼らから生まれた子供のようなもの。といっても、彼ら原種は生命というよりも自然に近い存在であり――それ故に、誤って魔力素と一緒に原種が大門を通過してきてしまったのだ」
それにより、何かしらの被害を蒙ったのだろうとは理解できるが、原種という言葉を初めて聞くナタリーには、その程度のほどが全く想像できなかった。
「つまり……原種によって大門が破壊されでもしたのですか?」
「良い線を言っている。だが、破壊されたのは隔離空間の方だ」
当初の予定では、独占といっても全体の魔力素の数十分の一程度を時間をかけて少しずつ掠め取っていこうという考えであり、〝人界〟の魔力素を全て独り占めにしてやろうなんて大それたことは思ってもみなかった。
大門を開いた後は、魔力素の流入量・貯蓄量を見ながら隔離空間の大きさを広げてゆくことで調整するつもりだった。
なぜ、量を抑えたか。それは、人間以外の生命にとっては魔力素こそが空気であり水であり食糧であり力そのものでもあり、何をするにも欠かせないものだからだ。そんなものを奪われれば、誰しもが死物狂いで抵抗するだろう。
全世界を相手にして勝利できるとまでは、彼らも傲ってはいなかった。また、その卑屈さが、このような計画を実行に移した動機でもあった。
しかし、そんな置きに行くような身の程を知る計画も、原種という予期せぬ存在によって全てが狂ってしまう。
大門の開門以前の原種たちは、沢山の子孫を残して使命を果たし、その存在を自然の中にじっと薄れさせていた。だが、突如として何もない隔離空間に放り込まれたことで、創造神に植え付けられた本能が覚醒めたのだ。
産めよ、増えよ、地に満ちよ――。
「魔力素の容れ物としての役目しか期待していなかった隔離空間の境界は一瞬にして崩壊し、大門から入ってきた魔力素はそこから更に外の虚数次元へ魔力素が流出し始めた。……これがどのような結果を生んだか、想像ができるかい?」
「……いえ、私程度では全く想像もつきません」
「虚数次元は、完全に物質や圧力の存在しない状態――物理学者が言うところの『絶対真空』に似た状態だと言われているが、現実に起こった事象を鑑みると――」
「すみません、『絶対真空』……? そういった一般学問には疎く……」
「不勉強だぞ、ナタリー。まあいい……さっきは魔力素を水に例えたが、その続きでいうと水を貯めていた容れ物に穴が開いたようなものだ。それも、特大の穴が」
ナタリーは、水筒の底が抜け落ちて中の水がそっくり地面に落ち、ばしゃっと広がる様を想像した。
「君が今想像したような穏当な結果に終わった訳じゃないことは、僅かに残る史料と当時を生き残った魔族の証言で分かる。恐らく、虚数次元は無ではなく極大の負の圧力をもった何かで満ちているのだ。その吸引力は凄まじく、世界は正に天変地異の様相を呈した。神学用語でいう『人魔開闢』だ」
大気や物質中に含まれる魔力素が一斉に大門へ殺到した。当然、魔族や魔物も例外ではない。
人間と異なり、魔族や魔物は身体の中にも多量の魔力素を多く含んでいた。というのも、彼らからすればそれが普通であり、人間が例外的な存在なのである。
魔力素の争奪戦からいち早く離脱する方向へ進化した人間は、それゆえにか弱く、だがそれゆえに『人魔開闢』の影響を最小限に留めることができた。
天地は返り、地上に積み上げられたありとあらゆるものが崩れ去った。
その後の〝人界〟に残された生命体は、人間の他にはほんの僅かな魔族と魔物だけだった。その大半が魔力素の消え失せた〝人界〟に適応できず干からびて死んだが、そのうちの少数の魔物が魔力素依存から脱して今の『獣』の元となり、また少数の魔族が人間に混じり『魔法士』の元となった。
「魔族・魔物の大半は大門を通過する際に圧死した。残ったものも大半は崩壊した隔離空間の境界から放り出され、虚数次元にて窒息死した。生き残ったものは、ただただ運が良かったとしか言いようのない有り様だった」
「ちょっと待ってください。聞いていると、それではまるで今現在の〝魔界〟というものが全く成立し得ないように思えるのですが……そこからどのようにして今のような形に収まったのですか?」
もっともな疑問である。ラビブ神父は出来の良い教え子の的を射た質問に頷き、用意していた答えを述べる。
「壊したのも原種なら、直したのも原種だった。彼らは周囲の環境が生命体の存在に困難な状況と判断すると、〝人界〟を作ったように虚数次元の中にまた新たな世界を創造した。それが今の〝魔界〟だ」
多くのものが死に絶えた。文明は途絶し、技術は失われ、信仰は光を失った。
だが同時に、多くのものが生まれた。新たな文明、新たな技術、新たな信仰。
それらは、先述の通り境界と共に大門が破壊されたことで、連絡の断たれた〝人界〟と〝魔界〟のそれぞれで発展していった。
「――これは私見だが、今語ったことは歴史的な偶然の結実であり、善悪で語るようなものではないと思う。だが、民宗派はそう達観しては見られない。言ってみれば、私たちの言う『唯一神』を奪われたようなものなのだから」
「つまり……〝人界〟と〝魔界〟の再統合が民宗派の目的ということですか?」
「その通り。大門は破壊されているが消えた訳じゃない。彼らはそれを修復し、再び両世界間に大門を開こうと言うのだ」
その気になれば、〝人界〟に来ることもできる高位魔族たちが〝魔界〟に引き篭もる理由は、自然界に魔力素のない〝人界〟が生存に適していない事と、苦労してまで行くほどの旨みが〝人界〟ないからである。
その前提を全てひっくり返してしまおうというのが民宗派の掲げるお題目。
もう一度、両世界間に大門を開いた場合、恐らく〝人界〟に魔力素が逆流してくると予想される。そうして〝人界〟と〝魔界〟の魔力素濃度を均一にし、大々的に門出を開くことで再び〝人界〟を人ならざる者の天下に回帰させようというのである。
「なるほど……では、彼らが『指輪』を探していることや、月を蝕むものを量産していることは、大門を開く一環ということなのでしょうか」
「ああ。件の大門を開いた七名の高位魔族――民宗派は彼らを七罪と称す――は、大門の開閉に際して二つの鍵を用意していた。一つ目の鍵はまず己の存在だ」
己の存在――より正確に言うと、己の魔力波長を鍵とした。
これは現代の〝人界〟においても頻繁に利用される個人認証である。あらかじめ魔力波長を鍵に記憶させておき、魔力を注ぐことで解錠する仕組みだ。
「現代の〝人界〟にもある魔力波長による個人認証を、彼ら七罪は遥か昔から普遍的に利用していた訳だな。しかし、七名が一堂に会することが難しい時もある。また、いつかは誰ぞかが欠けてしまうかもしれない。そういった不測の事態に備えて、彼らは二つ目の鍵を作った。それが――『指輪』だ」
彼ら七罪は、その鍵たる『指輪』を己の信者、つまり庇護下にある人間たちに託していた。先日、ヨトバタで発見された遺跡とそこから回収された『指輪』は、このような経緯のもとに建設・安置されたものである。
「当初、民宗派は七つの『指輪』を集めて大門を開こうとした。しかし、すぐにそれが無理筋であることに気付く」
「どうしてですか?」
「どこにあるかも分からないものを七つも揃えられる訳がないじゃないか。むしろ、『人魔開闢』で散逸せず四つも現存しており、なおかつそれを集められているというだけでも驚異的だよ。ともあれ、民宗派は路線変更を余儀なくされた。それが月を蝕むものを増やしていることに繋がるのだ」
「もう分かりますよ。魔力波長の方を狙っているのですね」
ナタリーの言葉にラビブ神父は深く頷く。
民宗派は、『指輪』の不足分を補うもう一つの鍵である魔力波長の方を揃えるべく、月を蝕むものを量産しているのだった。
「しかし――」
ここで、ナタリーの脳裏に一つの疑問が顔をもたげた。
「そう都合よく七罪が月を蝕むものになってくれるものですか? 話を聞く分では、〘人魔合一〙にはある程度のランダム性がある上に、〝魔界〟の住民側の協力も必要とのことですが……それに七罪だって今も生きているかどうか分からないではないですか」
「そうだ、普通に考えたら無理だ。しかし、民宗派の擁する『天才』――偉大なる呪祷士は何ら問題ないと豪語するばかりか、あと数ヶ月もすれば揃う計算であると大風呂敷を広げてみせた。曰く、似てさえいれば補整できるのだそうだ。問題となるのは魔力量だと」
「量……偽装対策ですか」
少量ならば手間暇かければ、魔力波長の偽装は可能である。なので、偽装の困難な量の魔力を設定するのが〝人界〟においても一般的だった。過去の彼ら七罪も、そのような対策を施していたのである。
「ああ。加えて言えば、その『天才』によって〘人魔合一〙の術には日夜改良が加えられている。このまま行けば、日数が縮むことはあっても伸びることはないだろう」
とここで、ラビブ神父はパンと手を叩いた。これはいつもの説教が終わる時の合図だ。ラビブ神父は少しだけ雰囲気を弛緩させながら、同じく肩の力を抜いたナタリーに問いかける。
「ここまで聞いて、君はどう思った? 何を感じた?」
「……やはり、民宗派の行いを許すことはできません。時代錯誤の信仰に固執し、それに我々を巻き込もうとする態度は独善に映ります」
「そうか。しかし、それは国教会も似たり寄ったりではないかい?」
ナタリーは返答に窮した。そもそもの話をするなら、始めに侵略的なまでに信仰の押し付けを行ったのは国教会である。
「なのになぜ、我々は良くて彼らは駄目なのか」
「そ、それは……」
「その心こそ独善である。ナタリー、いいかい?」
ラビブ神父は、ナタリーの両肩に手を添えて再び聖職者たる威風を纏う。
「『汝の敵を愛せよ』――敬意を払え! 彼らの文化と信仰を知り、尊重し、敬愛し、その上で――我々の幸福にとって障害となるから潰す! そのエゴイズムを努々忘れることなかれ」
ある意味では開き直りとも取れる喝破であるが、それは確かにナタリーの心に深く響いた。なぜなら、それは彼女の愚直な信仰心とままならぬ現実との折衷を貫く、実に都合の良いおためごかしだったからだ。
くらくらするような薫陶に酔うナタリーから離れ、ラビブ神父は自分に続いて部屋を出るように促す。
「行こう。そろそろ、向こうも終わった頃だろうからね」
「向こう……とは?」
「ヘレナ君とリン君の方さ。恐らく手酷く振られていることだろうから、慰めてやらくては。――ああ、そうだ。紹介もね」
「紹介?」
ナタリーは疑問を感じた。顔合わせなら、とっくの昔に済ませている。それも、ナタリーとヘレナは他ならぬラビブ神父の引き合いによって面識を得ているのだ。
それをなぜ改めて紹介することがある?
そんな彼女の疑問を先読みしていたかのように、ラビブ神父は不敵に微笑みを湛えながら振り返った。
「――君は『唯一神』を愛するように『自由』を愛せるか?」
触手の魔女・外伝 3.自由
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