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第五章
外伝 5.英雄 その④:これより、我が軍はたった一度の敗北も経験することはないッ!
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※この話の時系列は、次章(最終章)の半ばになります。分かりにくかったらスミマセン。
―――――――――――――――――――――――――――
この度、めでたくもクーデターが勃発し、新たに五頭政府が樹立した。
五頭政府はその名の通り、五名の統領からなる政府で、先のような専制による恐怖政治を二度と引き起こさぬよう、行政権を分割するなど共和制を強めた体制となっている。
しかし、一介の軍官に過ぎない私――ヨシュア・コーヘンの眼からしても、船頭多くして船山に登るといった風情で、此度の政府も長続きするとは思えなかった。
それから暫くして、統領の一人、イスラエル・レカペノスの強い推薦を受けた彼女が、鳴り物入りで私の所属するパルティア方面軍の陣中にやってきた。
驚いたのは、想像していたよりも彼女が酷く少女然としていたことだ。目鼻立ちが特別際立っているという訳ではないのだが、その顔付きからはどことなく超然とした印象を受けた。そして、噂に聞く顔の上下を貫くグロテスクな傷跡はどこにもなかった。
彼女の逸話はいくつも聞いたことがある。
学院時代、かの英雄ベルンハルト中将との間に刃傷沙汰を起こしたとか、同じ魔女見習いである貴族の腕を斬り落としたとか。軍属となってからは反革命主義者の上官を二人殺し、王都で暴動を起こした民衆へ向けて大砲をぶっ放して鎮圧するほどの過激な革命主義者であるとか……。
そんな暴虐の所業がまことしやかに伝わる一方で、その華々しき戦績から民衆の人気は極めて高い。
時代が生んだ若き『天才』――新聞の掻き立てたセンセーショナルな見出し文は瞬く間に人口に膾炙し、持て囃す者は絶えない。
さて、そんな今をときめく彼女が、五頭政府の事実上のトップとも言える統領イスラエル・レカペノスの推薦を受けてパルティア方面軍に配属されて来たということは、つまり膠着する西部戦線の打破を期待して、総司令官は彼女に挿げ替えられるということなのだろう。
まだ正式な連絡や書面は届いていないが、概ねそういう理解で合っているだろうと誰もが思っていた。
しかし、ここでちょっとしたトラブルが発生する。
伝令役の兵士が道中で落馬し、その旨が書かれた辞令を風に攫われ紛失してしまったのだ。これに乗じ、無能なパルティア方面軍の現・総司令官は、指揮権の移譲を拒否した。
『正式な辞令が下れば自分は今すぐにでも指揮権を譲渡する。だが、そうでないのなら、このようなぽっと出の若造をそう易々と信用することはできない』……と。
総司令官にしてみれば、このまま何の手柄もなしではいかに権力者へ取り入ることの上手い彼でも投獄を免れない訳なのだから、それは必死にもなろうというもの。
弁の拙い私や他の幕僚は、総司令官に睨まれることを恐れて何も言わなかった。彼にかかれば、火のないところに煙を立てることなど朝飯前なのだ。彼が着任してからの短期間で、私たちは彼の悪辣さを骨の髄まで思い知らされていた。
色々と言い訳をさせてもらったが――つまり、私たちは沈黙のうちに総司令官の言葉に従ったということだ。
そのような巡り合わせの不幸もあり、かといってトンボ返りする訳にもいかない彼女は宙ぶらりんの状態で冷や飯食らいの応対を受けた。しかし、彼女は特に文句を言うでもなく、「そう」とだけ言って静かに受け入れた。
少女じみた外見の所為で良心の呵責に襲われるが、私も我が身が一番かわいい。なるべく、彼女のことは意識しないようにした。新たな辞令が届くまでの辛坊だ、と。
それから数日後、休憩中に一服していたところへ彼女が話しかけてきた。
「こんにちは、今いいかしら? 私はリン。――ああ、階級は覚えないで良いわよ。どうせ、すぐ関係なくなるから」
「は、はあ……自分はヨシュアであります。リン中将」
「覚えなくていいってのに。固いわねー」
リン中将は、童女のようにケラケラと笑った。
その仕草の中に老成した賢者のような深い洞察と知性を感じる一方、また別のどこかには高級娼婦を思わせる脱俗的な妖しい色気があった。多層的で、多角的で、次の瞬間には全く別の顔を見せる捉えないどころのない人物……というのが、リン中将の第一印象だった。
「時に――ヨシュア君! アンタを見込んで話がある!」
話……? 一介の軍官に過ぎない私に、取り立てて目ぼしい戦果も上げていない私に、一体何の用があるというのか。その意図を掴めないでいると、リン中将は真剣な顔付きになってこう切り出してきた。
「――『革命』とはなんぞや?」
心臓が飛び跳ねた。革命に通り一遍の魅力すら感じられずにいる私の心の奥底を見透かされたような気がして、全くもって気が気でなかった。吹き出た冷や汗が、滝のように服の下で滴り落ちてゆく。
私は今、詰問されているのか?
なぜ、どうして? どうして、心の裡がバレた?
誰にも話したことがないのに……!
緊張で乾いた喉を生唾で潤し、私は反革命主義者の尻尾を出さぬよう慎重に言葉を絞り出す。
「か、革命とは……えーと……この世をより良くしてゆくための行い……でしょうか?」
「ふふっ――違う。ぜんぜん違うよ」
ぎょろり、とまるで一個の生命体のようにリン中将の眼が動き、私の眼を覗き込んでくる。
何なんだ。もう勘弁して欲しいと心から願った。頼むから、これ以上小市民に過ぎない私を虐めないでくれ。
そんな私の願いが通じた訳ではないだろうが、リン中将は気持ち雰囲気を緩めて優しく語り出す。
「そこのところを皆、勘違いしている。だから、『革命』は何時までも成らない」
そう言って、リン中将は懐から魔道具を取り出した。彼女の代名詞ともいえる、旧式の『カラギウスの剣』だ。剣の柄のような形状をした本体部分には大小無数の傷が刻まれており、彼女と共に歩んできた年季のほどを感じさせる。
「革命とは、成せば魔道具のスイッチを切り替えるみたいにバチッと人の意識が変わる……そういうものじゃあないの」
ぱち、ぱち、とさながら手遊びをするように、カラギウスの剣の底部スイッチがリズミカルに何度も弾かれ、その度に魔力刃が出たり消えたり忙しく明滅する。
「人の意識は、革命以前からとっくに変化を遂げている。革命とは、それが表に出る現象のことを指す」
この意味が分かる? とリン中将はカラギウスの剣を仕舞いながら私に尋ねかけた。
「わ……わかりません……」
「あっはっは! でしょうね。ま、見てなさいよ。肝要なのは――時季」
リン中将は、まるで野獣のように牙を剥いて笑った。
「ここで革命の縮図を見せてあげる」
我がパルティア方面軍は、これまで敗戦に敗戦を重ねており、戦線は押し下げられ続けている。今回の戦は、それを挽回しようという類のもので、功に逸った総司令官の意向が色濃く反映されていた。
目標はトゥトゥルの砦。ここを取り返すことが出来れば、我が軍は局所的な有利を手にすることができ、反攻の足がかりを得られるだろう。
しかし、現実にそれができるかというと……「極めて怪しい」と言わざるを得なかった。
戦力の疲弊もそうだが、一番の懸念は総司令官の立案する『作戦』にあった。
総司令官が此度の戦における作戦を決定し、私たち幕僚へ何の相談もなく決められた作戦内容が下達される。その内容は、いつも通り必ずしも間違いだとは言い切れないが、些か古すぎるものだった。
この、必ずしも間違いだとは言い切れないというのがミソだ。旧来の戦術では定石といえるものだけで構成されている作戦ゆえに、弁の拙い私たち幕僚は総司令官を上手く説得することができないでいた。
このままでは駄目なのだと誰もが認識していた。
しかし、功に逸った総司令官は私たちの諫言を聞き入れないだろう。そんな諦観が私たちの心にはあった。変に抵抗して総司令官に眼を付けられでもしたら大変だ。それこそ、反革命主義者の烙印を押されて眼も当てられない末路を迎えることになる。
どうせ、もうすぐ飛ばされる人間に楯突いても仕方がない。
だから皆、総司令官の最後っ屁でとばっちりを受けぬよう、黙って彼の言葉を唯々諾々と受け入れるだけだった。
予定調和的な軍議が今日も恙無く進行してゆくかと思われたその時、以前には存在しなかった一つの異物がその存在を主張した。
「三千と一人」
今の今まで沈黙を貫いてきたリン中将が急にそんなことを口走った。その言葉は、軍議の中に訪れた不意の静寂を狙い澄ましたかのように放たれたので、さしたる声量でないにも関わらず見事に出席者全員の耳朶を叩いた。
ざわざわと困惑の広がる中、総司令官が苛立ち混じりに尋ねる。
「三千と……一人? それはどういう意味だ、リン中将!」
「今回の負け戦で出る死傷者の数。それが三千と一人」
嘲り笑うような調子で放たれたリン中将の返答に、総司令官は間髪入れず激怒した。
「――この痴れ者を営倉にブチ込んでおけッ! 敗北主義者を抱えていては、勝てる戦も勝てん!」
「仰せのとおりに」
肩を竦めたリン中将は、抵抗することなく営倉へ連行されてゆく。どうしてだろうか。その勝ち気な横顔から眼を離せない私が居るのは。
分かっている。これは――期待だ。
私の胸にあるこの感情は、間違いなくそれだ。
彼女なら、パルティア方面軍の苦境を……いや、それだけに留まらず、この国に、この世界に蟠る暗雲という暗雲をすっかり晴らしてくれるのではないか。
そんな無際限の期待が、どこからか溢れて止まないのだった。
トゥトゥル砦の攻略は、総司令官の練った作戦通りに進められた。
時代は既に移り変わっているというのに、魔法士部隊を主軸とした攻城戦を繰り広げた挙げ句、一般歩兵を磨り潰し、魔法使いに比肩し得る貴重な装甲部隊――ナタン・メーイール謹製魔道具『人工外骨格X-03』を纏った新しい実験的兵種――を活かせず遊兵として持て余す。
士気も劣悪だった。砲兵との連携は上手く取れず、装甲部隊は仲間の死を前にしながら、新たな〝力〟を試す機会すら与えられない現状に不満をためている。彼らによって総司令官の首が刎ね飛ばされるのは時間の問題と言えた。
そういう意味では、リン中将の着任はタイミングが悪かった。彼ら不満分子が暴発してからであれば、総司令官の交代もスムーズに行えたであろうに。
悪化する戦況を眺めながら、各方から入ってくる被害報告に耳を傾ける。しかし、途中からは気が滅入るだけなので聞き流すことにした。
リン中将に言われるまでもなく分かっている。これはどうせ負け戦だ。
ゆえに、私たちの関心はただ一点にのみ注がれていた。
いつ、誰が、撤退を進言するのか。その一点のみに。
図らずしも、その口火を切ったのは保身しか頭にない私たち幕僚ではなく、前線で戦う兵士たちだった。革命の旗のもとに集う彼らは、内心はどうあれ命令が下るまでは懸命に戦ってくれていた。それが、ここに来て真っ先に戦場を離れた。
一部が崩れれば、後はドミノ倒しだった。裏崩れ――後方の部隊が戦う前に崩れること――が発生し、各部隊は次々に潰走を始め、我が軍は敗北を決定的なものとした。
直に、この本陣も危うくなるだろう。私たちは総司令官の機嫌を窺いながらも、忙しなく撤退の準備を進め始めた。
そんな時だった。
「報告します!」
損害報告のために、一人の伝令兵が本陣に飛び込んできた。
「我が方の負傷者数、約2200! 死者数、約800! 合わせて被害は約三千にも上る見通しとのことです!」
瞬く間にどよめきが陣内を覆う。葬式のようだった空気が一変し、誰もが驚きに眼を丸くして互いの顔を見合った。
三千。その数字には、あまりにも聞き覚えがあり過ぎた。
「――予言的中ですね。総司令官閣下」
噂をすれば影、伝令兵の後ろからリン中将が姿を現した。呼びかけられた総司令官が、敗戦の怒りをそのままに心中の当惑をぶちまける。
「リン中将! なぜ営倉にブチ込んだ筈の貴様がここに居るッ!?」
「兵たちが出してくれたのですよ」
私たちは再び驚かされた。潰走したと思っていた各部隊の隊長格が、まるで親衛隊の如くズラッとリン中将の背後に並んでいたからだ。一体、いつの間に彼らと話をつけたのか。
『人の意識は、革命以前からとっくに変化を遂げている。革命とは、それが表に出る現象のことを指す』
ふと、いつかのリン中将の言葉が脳内に蘇ってきた。
『ここで革命の縮図を見せてあげる』
まさか……これが、そうなのか? 今から始まるというのか!?
革命が――!
私は、舞台に見入る観客のようにリン中将へ視線を注いだ。これから始まるであろうクライマックスの瞬間を見逃さぬように。
「総司令官閣下、貴官の無能は明らかだ。統領イスラエル・レカペノスの名において、パルティア方面軍総司令の任を解く」
「ふ……ふざけるなッ! この私を投獄でもすると言うのか!? 認めぬ……私は、こんなものではない……! 貴様のような小娘なんぞにィ……!」
「――いいえ、投獄なんてしない」
次の瞬間、私たちは言葉を失った。
「アンタはここで死ぬ」
「えっ――」
誰が発したか、そんな簡素な感嘆詞が聞こえた直後、電光石火の一閃で斬り飛ばされた総司令官の首が、赤い尾を引きながら宙を舞った。
やったのは、もちろんリン中将だ。
私たちは突然のことに言葉を失った。ここは戦場だ。倫理に悖る行いが日常的に行われている。だが、今以上に心が震えたことはなかった。
リン中将は血の滴るカラギウスの剣を投げ、宙空を舞う総司令官の首を机の上に縫い止めた。怒りの形相のまま死した彼は幸運と言えるだろう。きっと、痛みを感じる間もなかった筈だから。
三千と、一人。
私たちはその言葉の意味を誤解のしようもないほどに理解させられた。
「これより、パルティア方面軍は私が指揮する。まずは、戦線をテフサまで引き下げ消耗した軍の建て直しを図る。そして、来年四月を目処に『未回収のイリュリア』を攻略する」
「なっ……!」
不可能だ、そんなこと出来る訳がない。『未回収のイリュリア』は、イリュリア王国の建国以来、数ある王侯貴族がそれを欲し続けて、終ぞ得られなかった我が国の悲願。それを約一年ちょっとの短期間で攻略するなんて、大言壮語にもほどがある。
それなのに……なぜだ……?
なぜ、こんなにも心が躍る……ッ!?
「トゥトゥルに散った同朋のため、ここに誓おう」
リン中将――あらためパルティア方面軍新総司令官は、その将器、そのカリスマ、その英雄性を余すことなく存分に魅せ付ける。
「これより、我が軍はたった一度の敗北も経験することはないッ!」
怪気炎だ。大言壮語の怪気炎には違いない。だが、私たちはその怪し気な炎にどうしようもなく惹かれた。さながら夏虫の如く。私たちは、星々を眺めるように新たな指揮官の一人舞台を見上げていた。
もはや、恭順以外の選択肢など頭を過ぎることすらなかった。
こうして、手痛い筈のトゥトゥルの敗戦は、血なまぐさい新総司令官の任命式として華々しく幕を下ろした。
それから、新総司令官閣下の指揮のもとテフサまで退いたパルティア方面軍は、地道に建て直しを図った。それが進むに連れ、先の敗戦の正確な損害状況なども入ってくる。
その中で、心胆を寒からしめる事実が幾つも判明した。
まず、辞令を紛失の名目で握りつぶしたのは、他ならぬ総司令官閣下本人だったということだ。彼女は最初から、このようにして我々に己の存在を認めさせるつもりでいた。
しかも、総司令官閣下の仕込みはそれだけではなかった。
あの時、本陣に飛び込んできて「我が方の死傷者数、約三千」と伝えた伝令も、一番始めに撤退を始めて営倉から総司令官閣下を解放した彼らも、全て総司令官閣下の仕込みだった。
私は、そんな舞台裏を本人から聞かされて甚く感銘を受けた。まったくもって異端の人心掌握術である。一体、誰に習えばそのようなことができるのか、疑問でならない。
しかし、ここまでならまだ抜かりないだけで、人間の領域といえるだろう。
もう一つの事実を知った時……私は破瓜の恐怖に打ち震える生娘のように鳥肌を立て、震える歯で唇を噛みしめながら生唾を呑み下すほかなかった。
それは改めて部隊の損害状況を集計し直した時のこと。上がってきた報告書を読んだ私は自分の眼を疑った。
死者:868
重傷:615
軽傷:1518
計、三千とんで一人。
神憑り――と、そう称するほかない。その輝きは、例え偶然の産物だとしても、私たち凡人には軍神の所業に思えて仕方がなかったのである。
故に、総司令官閣下が畏れ多くも私を秘書官に任命してくださった時、私は二つ返事でその任を拝命した。任命の理由を聞くと、「アンタが一番革命を信じていなさそうだったから」と彼女は笑って答えた。
「アンタを口説き落とせるのなら、私は他の全てを口説き落とせると思ってね」
「総司令官閣下は、慧眼をお持ちなのですね」
「ふっふっふ、ヨシュア君。もう秘書官仕草が様になっているのではないかねー? もっと褒めても良いんじゃよ? ふっふっふ」
総司令官閣下は、まるで無垢な少女を思わせるあどけない笑顔を浮かべた。しかし、例の如くそれも一瞬だけのことで、次の瞬間には血なまぐさい獅子のように剣呑な眼付で働く兵らを睥睨する。
「――さて、雌伏の時も今日が最後だ」
その時、私は自身を包む感覚の正体を知った。
これは安心感だ。
私は、凄まじい安心感の中にいた。もう既に、私たちは英雄譚の一文として、後世にまで謳われる偉業と一体化しているのだ。そう思うと、この世に不可能なんてものはないのだと感じられた。
尽きることのない勇気と未来への希望が湧いてくる。
「刮目せよ。明日からの一日一日を全て記憶せよ。一年後、我々は絶頂期の只中にいるだろう!」
彼女の言葉を疑うものはいない。誰の頭にも予感めいたものがあった。
一年後、私たちは本当に人生の絶頂期を経験するだろう、と。
――ヨシュア・コーヘン著 『黄金時代』序章より
―――――――――――――――――――――――――――
この度、めでたくもクーデターが勃発し、新たに五頭政府が樹立した。
五頭政府はその名の通り、五名の統領からなる政府で、先のような専制による恐怖政治を二度と引き起こさぬよう、行政権を分割するなど共和制を強めた体制となっている。
しかし、一介の軍官に過ぎない私――ヨシュア・コーヘンの眼からしても、船頭多くして船山に登るといった風情で、此度の政府も長続きするとは思えなかった。
それから暫くして、統領の一人、イスラエル・レカペノスの強い推薦を受けた彼女が、鳴り物入りで私の所属するパルティア方面軍の陣中にやってきた。
驚いたのは、想像していたよりも彼女が酷く少女然としていたことだ。目鼻立ちが特別際立っているという訳ではないのだが、その顔付きからはどことなく超然とした印象を受けた。そして、噂に聞く顔の上下を貫くグロテスクな傷跡はどこにもなかった。
彼女の逸話はいくつも聞いたことがある。
学院時代、かの英雄ベルンハルト中将との間に刃傷沙汰を起こしたとか、同じ魔女見習いである貴族の腕を斬り落としたとか。軍属となってからは反革命主義者の上官を二人殺し、王都で暴動を起こした民衆へ向けて大砲をぶっ放して鎮圧するほどの過激な革命主義者であるとか……。
そんな暴虐の所業がまことしやかに伝わる一方で、その華々しき戦績から民衆の人気は極めて高い。
時代が生んだ若き『天才』――新聞の掻き立てたセンセーショナルな見出し文は瞬く間に人口に膾炙し、持て囃す者は絶えない。
さて、そんな今をときめく彼女が、五頭政府の事実上のトップとも言える統領イスラエル・レカペノスの推薦を受けてパルティア方面軍に配属されて来たということは、つまり膠着する西部戦線の打破を期待して、総司令官は彼女に挿げ替えられるということなのだろう。
まだ正式な連絡や書面は届いていないが、概ねそういう理解で合っているだろうと誰もが思っていた。
しかし、ここでちょっとしたトラブルが発生する。
伝令役の兵士が道中で落馬し、その旨が書かれた辞令を風に攫われ紛失してしまったのだ。これに乗じ、無能なパルティア方面軍の現・総司令官は、指揮権の移譲を拒否した。
『正式な辞令が下れば自分は今すぐにでも指揮権を譲渡する。だが、そうでないのなら、このようなぽっと出の若造をそう易々と信用することはできない』……と。
総司令官にしてみれば、このまま何の手柄もなしではいかに権力者へ取り入ることの上手い彼でも投獄を免れない訳なのだから、それは必死にもなろうというもの。
弁の拙い私や他の幕僚は、総司令官に睨まれることを恐れて何も言わなかった。彼にかかれば、火のないところに煙を立てることなど朝飯前なのだ。彼が着任してからの短期間で、私たちは彼の悪辣さを骨の髄まで思い知らされていた。
色々と言い訳をさせてもらったが――つまり、私たちは沈黙のうちに総司令官の言葉に従ったということだ。
そのような巡り合わせの不幸もあり、かといってトンボ返りする訳にもいかない彼女は宙ぶらりんの状態で冷や飯食らいの応対を受けた。しかし、彼女は特に文句を言うでもなく、「そう」とだけ言って静かに受け入れた。
少女じみた外見の所為で良心の呵責に襲われるが、私も我が身が一番かわいい。なるべく、彼女のことは意識しないようにした。新たな辞令が届くまでの辛坊だ、と。
それから数日後、休憩中に一服していたところへ彼女が話しかけてきた。
「こんにちは、今いいかしら? 私はリン。――ああ、階級は覚えないで良いわよ。どうせ、すぐ関係なくなるから」
「は、はあ……自分はヨシュアであります。リン中将」
「覚えなくていいってのに。固いわねー」
リン中将は、童女のようにケラケラと笑った。
その仕草の中に老成した賢者のような深い洞察と知性を感じる一方、また別のどこかには高級娼婦を思わせる脱俗的な妖しい色気があった。多層的で、多角的で、次の瞬間には全く別の顔を見せる捉えないどころのない人物……というのが、リン中将の第一印象だった。
「時に――ヨシュア君! アンタを見込んで話がある!」
話……? 一介の軍官に過ぎない私に、取り立てて目ぼしい戦果も上げていない私に、一体何の用があるというのか。その意図を掴めないでいると、リン中将は真剣な顔付きになってこう切り出してきた。
「――『革命』とはなんぞや?」
心臓が飛び跳ねた。革命に通り一遍の魅力すら感じられずにいる私の心の奥底を見透かされたような気がして、全くもって気が気でなかった。吹き出た冷や汗が、滝のように服の下で滴り落ちてゆく。
私は今、詰問されているのか?
なぜ、どうして? どうして、心の裡がバレた?
誰にも話したことがないのに……!
緊張で乾いた喉を生唾で潤し、私は反革命主義者の尻尾を出さぬよう慎重に言葉を絞り出す。
「か、革命とは……えーと……この世をより良くしてゆくための行い……でしょうか?」
「ふふっ――違う。ぜんぜん違うよ」
ぎょろり、とまるで一個の生命体のようにリン中将の眼が動き、私の眼を覗き込んでくる。
何なんだ。もう勘弁して欲しいと心から願った。頼むから、これ以上小市民に過ぎない私を虐めないでくれ。
そんな私の願いが通じた訳ではないだろうが、リン中将は気持ち雰囲気を緩めて優しく語り出す。
「そこのところを皆、勘違いしている。だから、『革命』は何時までも成らない」
そう言って、リン中将は懐から魔道具を取り出した。彼女の代名詞ともいえる、旧式の『カラギウスの剣』だ。剣の柄のような形状をした本体部分には大小無数の傷が刻まれており、彼女と共に歩んできた年季のほどを感じさせる。
「革命とは、成せば魔道具のスイッチを切り替えるみたいにバチッと人の意識が変わる……そういうものじゃあないの」
ぱち、ぱち、とさながら手遊びをするように、カラギウスの剣の底部スイッチがリズミカルに何度も弾かれ、その度に魔力刃が出たり消えたり忙しく明滅する。
「人の意識は、革命以前からとっくに変化を遂げている。革命とは、それが表に出る現象のことを指す」
この意味が分かる? とリン中将はカラギウスの剣を仕舞いながら私に尋ねかけた。
「わ……わかりません……」
「あっはっは! でしょうね。ま、見てなさいよ。肝要なのは――時季」
リン中将は、まるで野獣のように牙を剥いて笑った。
「ここで革命の縮図を見せてあげる」
我がパルティア方面軍は、これまで敗戦に敗戦を重ねており、戦線は押し下げられ続けている。今回の戦は、それを挽回しようという類のもので、功に逸った総司令官の意向が色濃く反映されていた。
目標はトゥトゥルの砦。ここを取り返すことが出来れば、我が軍は局所的な有利を手にすることができ、反攻の足がかりを得られるだろう。
しかし、現実にそれができるかというと……「極めて怪しい」と言わざるを得なかった。
戦力の疲弊もそうだが、一番の懸念は総司令官の立案する『作戦』にあった。
総司令官が此度の戦における作戦を決定し、私たち幕僚へ何の相談もなく決められた作戦内容が下達される。その内容は、いつも通り必ずしも間違いだとは言い切れないが、些か古すぎるものだった。
この、必ずしも間違いだとは言い切れないというのがミソだ。旧来の戦術では定石といえるものだけで構成されている作戦ゆえに、弁の拙い私たち幕僚は総司令官を上手く説得することができないでいた。
このままでは駄目なのだと誰もが認識していた。
しかし、功に逸った総司令官は私たちの諫言を聞き入れないだろう。そんな諦観が私たちの心にはあった。変に抵抗して総司令官に眼を付けられでもしたら大変だ。それこそ、反革命主義者の烙印を押されて眼も当てられない末路を迎えることになる。
どうせ、もうすぐ飛ばされる人間に楯突いても仕方がない。
だから皆、総司令官の最後っ屁でとばっちりを受けぬよう、黙って彼の言葉を唯々諾々と受け入れるだけだった。
予定調和的な軍議が今日も恙無く進行してゆくかと思われたその時、以前には存在しなかった一つの異物がその存在を主張した。
「三千と一人」
今の今まで沈黙を貫いてきたリン中将が急にそんなことを口走った。その言葉は、軍議の中に訪れた不意の静寂を狙い澄ましたかのように放たれたので、さしたる声量でないにも関わらず見事に出席者全員の耳朶を叩いた。
ざわざわと困惑の広がる中、総司令官が苛立ち混じりに尋ねる。
「三千と……一人? それはどういう意味だ、リン中将!」
「今回の負け戦で出る死傷者の数。それが三千と一人」
嘲り笑うような調子で放たれたリン中将の返答に、総司令官は間髪入れず激怒した。
「――この痴れ者を営倉にブチ込んでおけッ! 敗北主義者を抱えていては、勝てる戦も勝てん!」
「仰せのとおりに」
肩を竦めたリン中将は、抵抗することなく営倉へ連行されてゆく。どうしてだろうか。その勝ち気な横顔から眼を離せない私が居るのは。
分かっている。これは――期待だ。
私の胸にあるこの感情は、間違いなくそれだ。
彼女なら、パルティア方面軍の苦境を……いや、それだけに留まらず、この国に、この世界に蟠る暗雲という暗雲をすっかり晴らしてくれるのではないか。
そんな無際限の期待が、どこからか溢れて止まないのだった。
トゥトゥル砦の攻略は、総司令官の練った作戦通りに進められた。
時代は既に移り変わっているというのに、魔法士部隊を主軸とした攻城戦を繰り広げた挙げ句、一般歩兵を磨り潰し、魔法使いに比肩し得る貴重な装甲部隊――ナタン・メーイール謹製魔道具『人工外骨格X-03』を纏った新しい実験的兵種――を活かせず遊兵として持て余す。
士気も劣悪だった。砲兵との連携は上手く取れず、装甲部隊は仲間の死を前にしながら、新たな〝力〟を試す機会すら与えられない現状に不満をためている。彼らによって総司令官の首が刎ね飛ばされるのは時間の問題と言えた。
そういう意味では、リン中将の着任はタイミングが悪かった。彼ら不満分子が暴発してからであれば、総司令官の交代もスムーズに行えたであろうに。
悪化する戦況を眺めながら、各方から入ってくる被害報告に耳を傾ける。しかし、途中からは気が滅入るだけなので聞き流すことにした。
リン中将に言われるまでもなく分かっている。これはどうせ負け戦だ。
ゆえに、私たちの関心はただ一点にのみ注がれていた。
いつ、誰が、撤退を進言するのか。その一点のみに。
図らずしも、その口火を切ったのは保身しか頭にない私たち幕僚ではなく、前線で戦う兵士たちだった。革命の旗のもとに集う彼らは、内心はどうあれ命令が下るまでは懸命に戦ってくれていた。それが、ここに来て真っ先に戦場を離れた。
一部が崩れれば、後はドミノ倒しだった。裏崩れ――後方の部隊が戦う前に崩れること――が発生し、各部隊は次々に潰走を始め、我が軍は敗北を決定的なものとした。
直に、この本陣も危うくなるだろう。私たちは総司令官の機嫌を窺いながらも、忙しなく撤退の準備を進め始めた。
そんな時だった。
「報告します!」
損害報告のために、一人の伝令兵が本陣に飛び込んできた。
「我が方の負傷者数、約2200! 死者数、約800! 合わせて被害は約三千にも上る見通しとのことです!」
瞬く間にどよめきが陣内を覆う。葬式のようだった空気が一変し、誰もが驚きに眼を丸くして互いの顔を見合った。
三千。その数字には、あまりにも聞き覚えがあり過ぎた。
「――予言的中ですね。総司令官閣下」
噂をすれば影、伝令兵の後ろからリン中将が姿を現した。呼びかけられた総司令官が、敗戦の怒りをそのままに心中の当惑をぶちまける。
「リン中将! なぜ営倉にブチ込んだ筈の貴様がここに居るッ!?」
「兵たちが出してくれたのですよ」
私たちは再び驚かされた。潰走したと思っていた各部隊の隊長格が、まるで親衛隊の如くズラッとリン中将の背後に並んでいたからだ。一体、いつの間に彼らと話をつけたのか。
『人の意識は、革命以前からとっくに変化を遂げている。革命とは、それが表に出る現象のことを指す』
ふと、いつかのリン中将の言葉が脳内に蘇ってきた。
『ここで革命の縮図を見せてあげる』
まさか……これが、そうなのか? 今から始まるというのか!?
革命が――!
私は、舞台に見入る観客のようにリン中将へ視線を注いだ。これから始まるであろうクライマックスの瞬間を見逃さぬように。
「総司令官閣下、貴官の無能は明らかだ。統領イスラエル・レカペノスの名において、パルティア方面軍総司令の任を解く」
「ふ……ふざけるなッ! この私を投獄でもすると言うのか!? 認めぬ……私は、こんなものではない……! 貴様のような小娘なんぞにィ……!」
「――いいえ、投獄なんてしない」
次の瞬間、私たちは言葉を失った。
「アンタはここで死ぬ」
「えっ――」
誰が発したか、そんな簡素な感嘆詞が聞こえた直後、電光石火の一閃で斬り飛ばされた総司令官の首が、赤い尾を引きながら宙を舞った。
やったのは、もちろんリン中将だ。
私たちは突然のことに言葉を失った。ここは戦場だ。倫理に悖る行いが日常的に行われている。だが、今以上に心が震えたことはなかった。
リン中将は血の滴るカラギウスの剣を投げ、宙空を舞う総司令官の首を机の上に縫い止めた。怒りの形相のまま死した彼は幸運と言えるだろう。きっと、痛みを感じる間もなかった筈だから。
三千と、一人。
私たちはその言葉の意味を誤解のしようもないほどに理解させられた。
「これより、パルティア方面軍は私が指揮する。まずは、戦線をテフサまで引き下げ消耗した軍の建て直しを図る。そして、来年四月を目処に『未回収のイリュリア』を攻略する」
「なっ……!」
不可能だ、そんなこと出来る訳がない。『未回収のイリュリア』は、イリュリア王国の建国以来、数ある王侯貴族がそれを欲し続けて、終ぞ得られなかった我が国の悲願。それを約一年ちょっとの短期間で攻略するなんて、大言壮語にもほどがある。
それなのに……なぜだ……?
なぜ、こんなにも心が躍る……ッ!?
「トゥトゥルに散った同朋のため、ここに誓おう」
リン中将――あらためパルティア方面軍新総司令官は、その将器、そのカリスマ、その英雄性を余すことなく存分に魅せ付ける。
「これより、我が軍はたった一度の敗北も経験することはないッ!」
怪気炎だ。大言壮語の怪気炎には違いない。だが、私たちはその怪し気な炎にどうしようもなく惹かれた。さながら夏虫の如く。私たちは、星々を眺めるように新たな指揮官の一人舞台を見上げていた。
もはや、恭順以外の選択肢など頭を過ぎることすらなかった。
こうして、手痛い筈のトゥトゥルの敗戦は、血なまぐさい新総司令官の任命式として華々しく幕を下ろした。
それから、新総司令官閣下の指揮のもとテフサまで退いたパルティア方面軍は、地道に建て直しを図った。それが進むに連れ、先の敗戦の正確な損害状況なども入ってくる。
その中で、心胆を寒からしめる事実が幾つも判明した。
まず、辞令を紛失の名目で握りつぶしたのは、他ならぬ総司令官閣下本人だったということだ。彼女は最初から、このようにして我々に己の存在を認めさせるつもりでいた。
しかも、総司令官閣下の仕込みはそれだけではなかった。
あの時、本陣に飛び込んできて「我が方の死傷者数、約三千」と伝えた伝令も、一番始めに撤退を始めて営倉から総司令官閣下を解放した彼らも、全て総司令官閣下の仕込みだった。
私は、そんな舞台裏を本人から聞かされて甚く感銘を受けた。まったくもって異端の人心掌握術である。一体、誰に習えばそのようなことができるのか、疑問でならない。
しかし、ここまでならまだ抜かりないだけで、人間の領域といえるだろう。
もう一つの事実を知った時……私は破瓜の恐怖に打ち震える生娘のように鳥肌を立て、震える歯で唇を噛みしめながら生唾を呑み下すほかなかった。
それは改めて部隊の損害状況を集計し直した時のこと。上がってきた報告書を読んだ私は自分の眼を疑った。
死者:868
重傷:615
軽傷:1518
計、三千とんで一人。
神憑り――と、そう称するほかない。その輝きは、例え偶然の産物だとしても、私たち凡人には軍神の所業に思えて仕方がなかったのである。
故に、総司令官閣下が畏れ多くも私を秘書官に任命してくださった時、私は二つ返事でその任を拝命した。任命の理由を聞くと、「アンタが一番革命を信じていなさそうだったから」と彼女は笑って答えた。
「アンタを口説き落とせるのなら、私は他の全てを口説き落とせると思ってね」
「総司令官閣下は、慧眼をお持ちなのですね」
「ふっふっふ、ヨシュア君。もう秘書官仕草が様になっているのではないかねー? もっと褒めても良いんじゃよ? ふっふっふ」
総司令官閣下は、まるで無垢な少女を思わせるあどけない笑顔を浮かべた。しかし、例の如くそれも一瞬だけのことで、次の瞬間には血なまぐさい獅子のように剣呑な眼付で働く兵らを睥睨する。
「――さて、雌伏の時も今日が最後だ」
その時、私は自身を包む感覚の正体を知った。
これは安心感だ。
私は、凄まじい安心感の中にいた。もう既に、私たちは英雄譚の一文として、後世にまで謳われる偉業と一体化しているのだ。そう思うと、この世に不可能なんてものはないのだと感じられた。
尽きることのない勇気と未来への希望が湧いてくる。
「刮目せよ。明日からの一日一日を全て記憶せよ。一年後、我々は絶頂期の只中にいるだろう!」
彼女の言葉を疑うものはいない。誰の頭にも予感めいたものがあった。
一年後、私たちは本当に人生の絶頂期を経験するだろう、と。
――ヨシュア・コーヘン著 『黄金時代』序章より
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