触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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最終章

1.雲蒸竜変 その①:嘘つき

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 1.雲蒸竜変うんじょうりょうへん

 反乱の鎮圧も終わり、諸外国との戦争にもなんとなんとし、内外のごたごたに一段落ついたところで――王都にて、クーデターが起こった。

 前政府はロクな精査もせず、怪しと思えば断頭台ギロチンに送り込む恐怖政治を繰り広げており、官民から愛想を尽かされていた。情勢が落ち着いたのであれば、これ以上のさばらせておく意味もないという訳だ。

 この時、私は独断で持ち場を離れたことや反乱軍の蜂起を主導したヘレナとの繋がりを疑われてつい先日まで投獄されていたが、クーデターを主導した一人であるイスラエル・レカペノスの口添えもあり、すぐに出てこれた。

 しかし、今まで順風満帆だった出世はこの影響で停滞し、私は予備役へと回されてしまった。

 まあ、このこと自体は特に気にしていない。イスラエル・レカペノスとのツテもあるので、出世コースに戻ろうと思えばいつでも戻れるだろう。

 それに、予備役も悪いことばかりじゃない。

 役職を解かれて生まれた暇な時間を有効活用すべく、私は王都郊外に打ち捨てられた古びた教会を訪れていた。

 こんな人気ひとけのないところへ来た理由は、ある人物がこの教会に住み着いたようだとワキールから情報を得たからである。私は、そいつに会いに来たのだ。

 教会の敷地内に踏み入った時、私の耳が遠くで砂利を踏みしめる音を捉えた。

「マチルダ?」

 目的の人物の名を呼びかけると、教会の裏手から油断なく杖を手にしたマチルダが姿を現す。

「……リン、久しぶりね」

 杖を降ろし、マチルダは徐に私の前へ歩み出てきた。そこにかつての覇気はなく、まるで未亡人のような影のある表情だった。

「探したわ。押しも押されもせぬシーモア家の御息女が、なんとも、まあ、落ちぶれたものねぇ」
「……そうね」
「あらら」

 張り合いがなくて寂しいじゃないか。マチルダには、いつまでも小憎たらしい笑顔でいて欲しかったのに。

 マチルダは、朽ちかけた教会のドアをぎいと押し開く。

「こんなところで立ち話もなんだし……上がってく? 謙遜じゃなく、ロクなもてなしもできないけれど……」
「じゃあ、そうさせてもらおうかしら。こっちも暇してるしね」

 教会の中は存外に片付いており、見ると柱とかも腐ってはいなかった。とはいえ、これを手直しするぐらいなら、いっそのこと建て直した方が安く済みそうだ。

「座って」

 マチルダに促され、私は教会によくある長椅子に座った。マチルダは一度別の部屋へ引っ込んで、ガタガタと机を運んできた。

「ちょっと高さが合わないんだけど……椅子も机もこれぐらいしかなくて」

 劣悪な環境に四苦八苦しながらも茶を出してくれるマチルダの姿を見て、私は気付くと微笑みを浮かべていた。

「な、なによ……」
「いいえ、何でもないわ」

 元気そうで少し安心した。マチルダはこうして茶をれるのが趣味だった。そして、ヘレナに「美味しい」と言ってもらうと、本当に可愛く笑うのだ。その時だけは、私もマチルダのことを好きになれそうだった。

 今や飲み慣れてきた茶を飲み、ほっと息を吐きつつ話を切り出す。

「そういえば、アディエラはどうしたの?」
「クラウディアさんとシンシアと一緒にガリア帝国へ発ったわ。向こうにロクサーヌが居ると聞いたら即決だった」
「そう……あの娘も可哀想な娘だからね。向こうで幸せにやってくれてると良いけど」

 あの異形の体は、国教会の影響下にある国々では暮らしづらかろう。いや、或いは別の文化圏に行っても完全には受け入れてもらえないかもしれない。グィネヴィアが『白い』というだけで迫害されたことを考えると、やはり奇異の視線からは逃れられないだろう。

 しかし、ガリアにはロクサーヌが居る。なら、きっと大丈夫だ。それに彼女の友人たちも居ることだし。

 これはもう完全に私の手を離れていることなので、心配しても詮無きこと。私はアディエラの無事を祈って、心配する思いを頭から追い出した。

「それで……今日は何の用があって来たの? リン」
「用って訳じゃ……マチルダの様子を見に来たのよ。ヘレナの後を追うんじゃないかと心配して」
「しないわよ。私はヘレナ様の墓を守っていかなきゃいけないんだから」

 聞くと、教会の裏手に墓があるという。私は、茶と菓子を腹の中に片付けてから、墓参りをさせてもらうことにした。

 草も満足に刈られていない野原の真ん中に、野趣な墓石がでんと置かれていた。

『ヘレナ・アーヴィン ここに眠る』

 簡素だが、どこか暖かみを感じる墓だった。

 私は、墓前に跪き祈りを捧げた。

 理想に生き、そして理想に没した一人の国士へ。
 ――どうか、安らかなる眠りを。

 ひとまずこれで大方満足した私は「よいしょ」と立ち上がり、懐から取り出した麻袋をマチルダへ投げ渡した。

「これ、受け取って」
「なによ……」

 麻袋の中身を覗いたマチルダが、驚き顔のまま暫し固まった。

「こんな大金……どうしたのよ」

 私は曖昧に笑って誤魔化した。

 麻袋の中身は、政府が人民議会コミティア成立時より発行している公債だ。阿呆ほど刷っているから、少しぐらいガメても気付かないだろうと思って、印刷所からちょろまかしてきた。

「経済学者の友人によると、そのうち価値がなくなる紙切れだそうだから、早めに現物に換えることをオススメするわ」

 政府に信用がない上、戦争、世情不安、制限なき増刷、そして外国から密輸される贋札などにより、その価値は極めて不安定かつ一時的なものに過ぎない。他人くれてやったところで全く惜しくはなかった。

「こんなの……貰えないわ。アナタが使って。私は家から資産を持ち出しているから、施しを受けなくても大丈夫よ。どうにかやっていけるわ」
「じゃあ、ヘレナの黄泉路を助ける冥銭オボルス銀貨とでも思ってよ。私としても、ヘレナの墓がなくなっちゃうのは忍びないし、この朽ちかけの教会を取り壊して何か新しくデッカイのでも建てたら?」
「私じゃなくヘレナ様に……うん、そういうことなら」

 マチルダは麻袋一杯の公債を懐に収めた。それを見届けた私は速やかに帰り支度を整える。

「それじゃ……私はもう行くわね。もしかしたら、もう会うこともないかもしれないけど……元気でやってくれると実は嬉しいから」

 穏やかに別れを告げ、この場を立ち去ろうとしたところで、「……ねえ、待って」と消え入りそうな声で制止される。

「アナタは、これからどうする気なの?」

 漠然とした問いだが、私はその意図を察していた。つまるところ、マチルダはこういうことを聞きたい訳だ。

 亡命するつもりなのか。
 それとも、この国に留まり何かを成そうというのか。

 そして、後者である場合――を選ぶ気なのか。

 尊敬するヘレナ・アーヴィンか。
 それとも、彼女を殺したイスラエル・レカペノスか。

 マチルダは、そう問うているのだ。

 私は、自分でも驚くほどにすらすらと答えた。

「――革命を完遂おわらせる。私は、そのためにこの国に残った」
「アナタ、まさか……! ……いえ、アナタの人生はアナタのものだわ」

 差し出がましいことはしないとばかりに、マチルダは訳知り顔で引き下がった。

 それから私たちは再び軽く形式的な別れの挨拶を済ませ、穏やかにそれぞれの道へ別れた。マチルダは朽ちた教会へ、私は近くに待たせておいた馬車へ。別れ際、マチルダのまなじりには光るものが溢れ、そしてすぐに彼女の手によってぬぐわれた。

 馬車に乗り込むと、中で待っていたコーネリアが胡乱げな眼を私へ注ぐ。

「ねえ……結局、何がしたかったの?」
「だから、マチルダの顔を見に来たのよ」
「落ちぶれた貴族の顔を? 嘘でしょ」

 嫌な解釈をする。コーネリアも、本気で言っている訳ではないのだろうが。

 私は、御者に馬車を出発させながらコーネリアの応対をする。

「私、そんなにマチルダのこと嫌いじゃないわよ」

 好きでもないけれど。

「そうなの? リンのことだから、お得意のはりつけにでもするのかと」
「うーん……なんていうのかな。私、他人と争うのが好きだと思うんだけど、弱ってる相手を叩きのめす趣味はないのよね」
「えー、嘘。リンってば嗜虐趣味サディズムはあるでしょ、絶対」
「……そんな訳ないじゃない」

 確かに躊躇なく他人を叩きのめしてきたが、傍から見ればそれを好きでやっているようにでも見えていたのだろうか。甚だ心外だと言わせてもらおう。

「私が他人を虐めるのを楽しんでいるよう見えた?」
「だって、貴方……戦ってる時はいつも笑ってるじゃない」
「……うっそー」
「ほんと」

 言われて、が脳裏にフラッシュバックする。それは、私自身を第三者視点から見ている映像で、いつかの大魔法祭フェストゥムに出場した時の光景のようだった。

 これは――マネの記憶の断片か。

 なるほど、確かに。スタテイラの使い魔メイト宝石獣カーバンクルのどてっ腹に蹴りを入れながら、私は笑っている。それはそれは、もう、楽しそうに。

 傍から見れば、暴力を楽しんでいるようにしか見えないな、これは。

「――ねえ、ヘレナの後追いなんかしちゃ駄目よ」

 ふと、コーネリアは私に身を寄せてそう囁いた。その婀娜あだっぽい仕草に心がざわつくも、私は表面上平静を装う。

「しないよ。後追いなんて」
「うそ。だって、あの戦いが終わってから貴方はずっとをしてる……」
「……そればっかりは否定できないわね」

 ヘレナから多大な影響を受けたことは確かだ。

 立て続けに起こったヘレナの死とイスラエル・レカペノスの抱擁という出来事は、私の人生の大きな転換点となった。私の人生は、ヨッパ攻囲戦以前と以後でキッパリ区切ることができるだろう。

「でも、だからこそと断言できる」
「どうして?」
「私に影響を与えている人間は、ヘレナだけじゃないから」

 クラウディア、ロクサーヌ、ルゥ、店長のイーナースさん、アヒメレクさん、ツォアル卿、ズラーラ、サフル、シジズモンドさん、メッサーラ、ナタリーさん、スタテイラ、ファラフナーズ、チャチャムさん、ラビブ神父、ヴァネッサ副学院長、ルシュディー、コンラッド、ルクマーン……。

 そして、ヘレナとイスラエル・レカペノス。

 私に影響を与えた人物は、ざっと挙げただけでもこれだけいる。良い奴ばかりじゃない……だが、悪い奴ばかりでもなかった。そんな彼らの意志をそっくり受け継ぐつもりはない。

 彼らの矜持を、思想を、想いを、全て糧として飲み下し、己が血肉にする。

「私は――幸せになりたいな。と一緒に」

 そのために頑張ると、イスラエル・レカペノスの腕の中で決めた。

 もちろん、その「皆」の中にはコーネリアも入っている。そのことを伝えるために、私はコーネリアを優しく抱き締めた。

「不安なんでしょう? 大丈夫、私はどこへもいかない。絶対に変わらない。だから、安心して……」
「……ぃ」

 腕の中のコーネリアは何事か呟いたが、それは言葉にならず馬車の走行音に掻き消された。

 その日、私たちはそのまま別れたが、果たしてコーネリアはなんと言いたかったのだろうか。取るに足らない筈のそんな疑問が、何故か頭から離れなかった。思えば、私は頭のどこかで予感していたのかもしれない。

 翌日、は唐突に齎された。

『嘘をつかない貴方が好きでした』

 そんな簡便な書き置きを残して、コーネリアは失踪した。

 ああ……そうか。
 あれは「嘘つき」と言ったのか。

「嘘なんて……ひとつも吐いてないのにね」

 信じてもらえなかったみたいだ。

 私は、最近吸い出した葉巻用のマッチを擦って、灰皿の中でその書き置きを燃やした。書き置きはあっという間に火に包まれ、そこには黒い燃え滓だけが残った。
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