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本文
疑心 4
景色が移り変わる。視界に入り込む明るさが弱まって、シャンデリアの光が絞られたのかと思った。天井の照明がヴィンセントの頭に遮られていたことに遅れて気づく。
引き寄せられていたのは胸ぐらだった。彼が襟を掴んだことで、俺に求められている正装は崩された。
小さな悲鳴が上がる。おそらくはポーラのものだろう。次いでヴィンセントの名を呼ぶ、レオの制止が聞こえた。
眼前の彼は動かない。瞬きの権利を捨て、至近距離まで引きつけた俺を見ている。開かれた瞳孔は獲物を喰らう捕食者を思わせた。彼の挙動が示すのは威嚇の感情だ。それでもヴィンセントが物を言う素振りはなかった。
「君が狼だと騒いでるわけじゃない。俺にとって判断材料の一つになるのは、議論における皆の態度だと考えてる。そういう話だ」
強引に立たされたことで、テーブルの端に打ちつけた右手首が熱を持っていた。ネクタイごと絡め取られ、首の後ろに擦れた布がわずかに気道を圧迫する。呼吸が満足に吸いきれない。指先がちりちりと痺れる。
ヴィンセントに告げたのは本心だ。取り繕ったものではない、そのままの思考開示。
足りないピースでパズルをさせられている心地の初日、縋れるものなんて何もなかった。
狼は誰なのか。確信など持てはしない。どれだけ証拠をかき集めたとて、間違った考察をしないとどうして言い切れる。そうして処刑対象を選んだ暁に、指を差した相手が人狼でなかったのなら。絶望に浸りたくなるほどの恐ろしさすら、自らの生存のために選ばなくてはならない。
信じることができるのは、己が人狼ではないという事実だけ。
「ねぇ、質問をさせて。ここは話し合いの場よ、暴力に訴えても意味はない」
ダリアが声を張る。焦りを感じさせるものの、ざわつきに満ちた場でも彼女の台詞はよく響く。アシュクと口論をしていた時もそうだったな、と朧げに思った。
間近で舌打ちが聞こえる。握った拳に一度力を入れてから、ヴィンセントは手を振り下ろした。離された反動で重心がふらつく。ニナの椅子にぶつかりかけたのを、脚の力で踏みとどまる。
「議論を続ける。座り直して」
ヴィンセントと俺を交互に見やり、ダリアが呼びかける。ヴィンセントは彼女と反対の側を向いていた。腰を下ろす気配のない彼にダリアが眉根を寄せる。
視線の合わなくなったヴィンセントから目を逸らす。机から離れてしまっていた椅子を元の位置に戻し、席に着く。
自らの首筋に指を添えてみる。脈を辿れば、かすかに汗ばんだ皮膚が手のひらに吸い付いた。
呼吸を遮るものがなくなったという事実は思いのほか安堵感を生んでいたらしい。肺に留まっていた空気を吐き、適当にネクタイを締める。
その間もヴィンセントは微動だにしなかった。最前までの激情を忘れたかのように硬直した彼に、痺れを切らしたらしいダリアが話を進める。
「貴方は自分が狼ではないと主張したいんでしょう。なら、占い師の内訳についてはどんな考えを持っているの?」
沈黙が続く。占い師という単語を耳にして、ふと左隣のニナを盗み見る。彼女の表情はごく平坦なもので、今朝と変わらない葡萄色の瞳がヴィンセントのことを見ていた。
「狼を占う。人間様に化けてるかどうか、水晶玉でも覗き込むのか。あぁ、本当に馬鹿みてぇだな」
ダリアが片目を細める。何かを言い淀み、未だ席を立ったままの彼と対抗するように立ち上がった。彼女の位置からはヴィンセントの顔を直視することができないのだろう。彼の不平を額面通り受け取るのなら、それはこの期に及んで非現的な現実から目を背けようとする者の世迷言だ。
それでも俺の場所からは、彼の表情が分かる。
「たった一度きり占っただけで、そいつらの考えも何も共有されてない。どっちがどうとも思わねぇ」
言葉が途切れる。それ以上の意見を開示する気はないらしかった。不明瞭な彼の回答に進行役は何を思うのか。
ヴィンセントとダリア、二人に挟まれたポーラが両者を不安げに見上げている。
「じゃあ……例えばだけど。今日貴方はどこにいて、一体何をして過ごしていたの」
「それが何の証拠になる」
「後ろめたいことがないなら答えられるはずでしょ」
ダリアが前へと踏み込む。やり取りの合間に流れる静寂が、名状し難い焦燥感に拍車をかけていた。音を殺すようにして吸い込んだ空気がやたらと冷たく体内を冷やす。
ヴィンセントの視線は下へ固定されたままだった。静かな速度で瞼が降りて、結ばれていた口端が薄く開かれる。
「部屋、にいた」
聞き落としそうな声量の答えに、ダリアが一歩近づく。
「なにを——」
「なんだっていいだろ!」
空気が揺れる。彼へと詰め寄ろうとしていたダリアが肩を強張らせた。
今度はテーブルを叩くことも椅子を蹴ることもしない、彼の怒声が響く。
「ただ部屋にいた! 気の狂ったここに居続けたら脳みそ狂いそうだったから!」
びりびりと場を締め付ける咆哮に隠れて、息苦しさに喘ぐかのような拙い呼気が混ざっている。
「だいいち、紙切れたった一枚でなにが狼探しだ、クソ!」
力の入れ方が狂ったのか、胸元を押さえつけている彼の掌は大きく震えていた。ひとつ、ふたつ、整わない呼吸が漏れる。
ヴィンセントに声をかける者はいない。誰の目から見ようとも、彼が不安定に揺らいでいることは明らかだった。
縋るように口元へあてがわれた彼の手が、ゆっくりと顔を覆う。
不規則な息づかいだけがやけに鮮明に耳朶を打つ。
「くそ、あぁ、俺は」
箱の中身を包むための怒りは取り払われていた。剥き出しの彼から発されるのは、吐き捨てるような諦念の言葉だ。
「俺は人狼じゃない」
引き寄せられていたのは胸ぐらだった。彼が襟を掴んだことで、俺に求められている正装は崩された。
小さな悲鳴が上がる。おそらくはポーラのものだろう。次いでヴィンセントの名を呼ぶ、レオの制止が聞こえた。
眼前の彼は動かない。瞬きの権利を捨て、至近距離まで引きつけた俺を見ている。開かれた瞳孔は獲物を喰らう捕食者を思わせた。彼の挙動が示すのは威嚇の感情だ。それでもヴィンセントが物を言う素振りはなかった。
「君が狼だと騒いでるわけじゃない。俺にとって判断材料の一つになるのは、議論における皆の態度だと考えてる。そういう話だ」
強引に立たされたことで、テーブルの端に打ちつけた右手首が熱を持っていた。ネクタイごと絡め取られ、首の後ろに擦れた布がわずかに気道を圧迫する。呼吸が満足に吸いきれない。指先がちりちりと痺れる。
ヴィンセントに告げたのは本心だ。取り繕ったものではない、そのままの思考開示。
足りないピースでパズルをさせられている心地の初日、縋れるものなんて何もなかった。
狼は誰なのか。確信など持てはしない。どれだけ証拠をかき集めたとて、間違った考察をしないとどうして言い切れる。そうして処刑対象を選んだ暁に、指を差した相手が人狼でなかったのなら。絶望に浸りたくなるほどの恐ろしさすら、自らの生存のために選ばなくてはならない。
信じることができるのは、己が人狼ではないという事実だけ。
「ねぇ、質問をさせて。ここは話し合いの場よ、暴力に訴えても意味はない」
ダリアが声を張る。焦りを感じさせるものの、ざわつきに満ちた場でも彼女の台詞はよく響く。アシュクと口論をしていた時もそうだったな、と朧げに思った。
間近で舌打ちが聞こえる。握った拳に一度力を入れてから、ヴィンセントは手を振り下ろした。離された反動で重心がふらつく。ニナの椅子にぶつかりかけたのを、脚の力で踏みとどまる。
「議論を続ける。座り直して」
ヴィンセントと俺を交互に見やり、ダリアが呼びかける。ヴィンセントは彼女と反対の側を向いていた。腰を下ろす気配のない彼にダリアが眉根を寄せる。
視線の合わなくなったヴィンセントから目を逸らす。机から離れてしまっていた椅子を元の位置に戻し、席に着く。
自らの首筋に指を添えてみる。脈を辿れば、かすかに汗ばんだ皮膚が手のひらに吸い付いた。
呼吸を遮るものがなくなったという事実は思いのほか安堵感を生んでいたらしい。肺に留まっていた空気を吐き、適当にネクタイを締める。
その間もヴィンセントは微動だにしなかった。最前までの激情を忘れたかのように硬直した彼に、痺れを切らしたらしいダリアが話を進める。
「貴方は自分が狼ではないと主張したいんでしょう。なら、占い師の内訳についてはどんな考えを持っているの?」
沈黙が続く。占い師という単語を耳にして、ふと左隣のニナを盗み見る。彼女の表情はごく平坦なもので、今朝と変わらない葡萄色の瞳がヴィンセントのことを見ていた。
「狼を占う。人間様に化けてるかどうか、水晶玉でも覗き込むのか。あぁ、本当に馬鹿みてぇだな」
ダリアが片目を細める。何かを言い淀み、未だ席を立ったままの彼と対抗するように立ち上がった。彼女の位置からはヴィンセントの顔を直視することができないのだろう。彼の不平を額面通り受け取るのなら、それはこの期に及んで非現的な現実から目を背けようとする者の世迷言だ。
それでも俺の場所からは、彼の表情が分かる。
「たった一度きり占っただけで、そいつらの考えも何も共有されてない。どっちがどうとも思わねぇ」
言葉が途切れる。それ以上の意見を開示する気はないらしかった。不明瞭な彼の回答に進行役は何を思うのか。
ヴィンセントとダリア、二人に挟まれたポーラが両者を不安げに見上げている。
「じゃあ……例えばだけど。今日貴方はどこにいて、一体何をして過ごしていたの」
「それが何の証拠になる」
「後ろめたいことがないなら答えられるはずでしょ」
ダリアが前へと踏み込む。やり取りの合間に流れる静寂が、名状し難い焦燥感に拍車をかけていた。音を殺すようにして吸い込んだ空気がやたらと冷たく体内を冷やす。
ヴィンセントの視線は下へ固定されたままだった。静かな速度で瞼が降りて、結ばれていた口端が薄く開かれる。
「部屋、にいた」
聞き落としそうな声量の答えに、ダリアが一歩近づく。
「なにを——」
「なんだっていいだろ!」
空気が揺れる。彼へと詰め寄ろうとしていたダリアが肩を強張らせた。
今度はテーブルを叩くことも椅子を蹴ることもしない、彼の怒声が響く。
「ただ部屋にいた! 気の狂ったここに居続けたら脳みそ狂いそうだったから!」
びりびりと場を締め付ける咆哮に隠れて、息苦しさに喘ぐかのような拙い呼気が混ざっている。
「だいいち、紙切れたった一枚でなにが狼探しだ、クソ!」
力の入れ方が狂ったのか、胸元を押さえつけている彼の掌は大きく震えていた。ひとつ、ふたつ、整わない呼吸が漏れる。
ヴィンセントに声をかける者はいない。誰の目から見ようとも、彼が不安定に揺らいでいることは明らかだった。
縋るように口元へあてがわれた彼の手が、ゆっくりと顔を覆う。
不規則な息づかいだけがやけに鮮明に耳朶を打つ。
「くそ、あぁ、俺は」
箱の中身を包むための怒りは取り払われていた。剥き出しの彼から発されるのは、吐き捨てるような諦念の言葉だ。
「俺は人狼じゃない」
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