映美の悩み・豊彦くんの特殊能力

風宮 秤

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映美の悩み・豊彦くんの特殊能力

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 私はメガネコンプレックスだ。
 牛乳瓶の底のみたいなメガネの所為で文化祭の時には『学校で一番のがっかり美人』なんて称号を授かってしまったし、初デートの時にはメガネの死角に入った段差で躓き私を助けようとした豊彦くんにビンタをしてしまった。幸いメガネフェチの豊彦くんだからメガネ生活を続けていける。でもでも、絶対にメガネを必要としない生活すると心に決め、今の研究所に就職したのだった。
 研究所は自己再生能力を中心に研究が進められている。中でも虫歯に侵された歯を削って弱くなった部分に被せ物で誤魔化す治療から、永久歯に生え代わるプロセスを活性化した治療方法で歯を再生するのは研究所のヒット商品だ。街の歯医者から原始的なドリルの機械を一掃したのは患者にとって福音になったはずだ。ブリッジもインプラントの入れ歯も一掃した。もはや歯医者は患部に幹細胞を植え付けるだけの怖くない治療をする場所になったのだ。
 臓器の再生も順調に進んでいる。本人の臓器の健康な部分を摘出して培養液で大きくして病んだ臓器と入れ替える。自己組織の移植なので拒絶反応が起きない。ドナー待ちの不幸もなくなった。
 欠損部の再生も進んでいる。事故で指を落としても見た目はほぼ同じ物を作る事が出来るようになった。しかし、再生する組織は多岐に渡る。皮膚に筋肉、骨に神経、血管など。接合するにしても血管も神経も位置が同じでなければ繋げないなど課題が多い。更に子供の場合は成長を同期できないので、その指だけ長くなったり短くなったりする。義手や義足より高い機能を提供できると言っても完成度が高まるほどに違和感が際立つのは本人の細胞から作っても本物ではないと痛感せざるを得ない。
 それらに比べれば遥かに簡単だと思っていた視力の回復が困難を極めていた。座礁して身動き取れないと言っても良いくらいだった。正確に言うなら白内障は簡単だ。水晶体から細胞を採り培養して眼球に戻す。黄ばんだ世界から色も輪郭も取り戻す事ができる。しかし、私の乱視は角膜も水晶体も硝子体も網膜も、もちろん眼球の筋肉もパーツとしては全部正常なのだ。崩れたバランスが乱視を起こしていた。再生医療よりリハビリの分野の問題なのだ。近くを見たり遠くを見たり、上を見たり下を見たり、横を見たりを繰り返して眼球のストレッチをする事で整うのだ。試してみたら若干の効果があったのだが、二十歳前なら効果がもっと上がるのにと同僚に言われた時は絶望しかなかった。再生医療を目指して勉強していたあの時間をリハビリに費やしていれば・・・・。
 もう一つの問題があった。食物アレルギーだ。これも再生医療の延長線と学生の時には思っていたけど、これは免疫機能の感度の問題だった。正確に言うならば適正感度の免疫細胞に置き換えれば良いと思っていたのだった。しかし、免疫細胞を作る部分の問題なのか。免疫細胞を育てる部分の問題なのか。免疫を発揮する場所での問題なのか。生命は知れば知るほど分からない所が広がっていった。


 迂闊だった。
「彼氏がチェックしてくれるから外食も心配ない」ランチでの会話が命取りだった。私が小麦アレルギーなのは皆が知っている。忘年会や慰労会の途中で救急車騒ぎにしない為にも必要不可欠な情報だからだ。メニューだけでは判別できない。見た目で分からない味で分からない、食べて胃に到着した後で大事になる。だから、お店を選ぶ時には食物アレルギーの知識を確認して選ぶのがルールになっている。
「なんで彼氏さんは、グルテンの含有が分かるの?」直球ストレート、外堀埋めずに本丸に攻め入るような単刀直入に訊かれてしまった。
 答えようがない。豊彦くんの判断でアレルギーが出た事がないだけだ。出会った頃の豊彦くんはアレルギー表記のチェックをして原材料の確認をしてくれた。小麦を使っていてもグルテンの含有量が違う事を理解し、強力粉と薄力粉の違いがグルテンの含有量の違いだと理解し、調理の工程で小麦粉がポイントになる料理がある事を理解してくれた。
 豊彦くんは代替品を使い料理の見栄え、食感、味が遜色ないメニューを幾つも考えてくれた。その小麦粉を使った本来の料理と食べ比べをしているうちに、初見のどんな料理でもグルテンの含有を当てられるようになった。
「深層学習の結果だと思う・・・」以外に説明の術がなかったが、これが決め手になってしまった。
「つまり、グルテンを知覚しているから判別が出来る。と言う事だよね?」と言われては返す言葉がなかった。
「そう言う事だと思うけど、私に検証する術はないよ」と言えば、「大丈夫、食べ比べを期待していない。判別できる人を検証すれば解明できるよ」と、みんなの視線が私に集まった。
「・・・・相談する」と一言だけ。私は一生このままが好い。でも、他の人には豊彦くんがいない。飲み込む前に知覚出来ればアナフィラキシーを防げるようになるのだ。


 あれから一月後、会議室で豊彦くんはゲスト用のIDカードをポケットにつけて座っている。私は実験方法が漏れないようにするためにチームから外されていたのでゲスト感覚で座っている。検証チームは豊彦くんをチラチラ見ながら座っている。豊彦くんに色々な意味で注目が集まるのはランチの時に想像がついたけど、室長から来所と協力に感謝が伝えられると、みな研究者としての顔に戻った。
 事前アンケートでグルテンの有無はメニューを見れば九割が分かると言う事だった。パン、パスタ、ピザ、うどんのメニューは全部アウトだ。食べて確認するまでもない。アレルギー対策をしていればメニューに『グルテンフリー』と書かれるはずだからだ。
 蕎麦屋も難しくない。二割小麦粉の二八蕎麦はアウト。駅のホームの立ち食い蕎麦はそば粉二割の小麦粉八割の二八蕎麦でも実質は黒いうどん。値段の安さで小麦含有だと分かる。十割蕎麦は手打ちをしているので、アレルギーの話を出せば打ち粉の種類も教えてくれる。
「店に入った後で小麦粉使用って言われた記憶がないけど?」
 私の問いかけに、検証チームが色々な意味で反応した。
「事前チェックですよ。お店側も食べずに出たら気分良くないでしょうから」
「えー、そうだったの・・・」
 今まで『美味しい所を見つけた』と言われて初めての店で食事をした事があったのは、実際に食べて確認をしていた意味だったとは。
「おー・・・」と検証チームから声が漏れた。
 検証チームの反応に戸惑いながらも、目の前で毒見をした事がなかったか記憶を辿っている。
「あ! 里山公園。あそこで初めて天婦羅蕎麦を食べた。天婦羅の衣に小麦を使っていないか確認してくれたよね?」
 私に検証チームの視線が集まった。『その証言に間違いないよね?』と圧が掛かっている。アンケートで拾えなかった答えを奇しくも引き出していたのだ。
「お店の人に天婦羅の衣を片栗粉に代えるとアレルギーの人も食べられるから売りになると言ったら、試してくれたんですよ。それで、味見をしました・・・・」
 刺さる様な検証チームの期待に、息を呑む豊彦くんの気持ちが良く分かる。
「グルテンが分かったかどうかですよね? 天婦羅の衣をでんぷんの片栗粉にすると硬いサクサク感になります。それで分かります」
 検証チーム内の反応が分れた。天婦羅の衣を食べ比べた者はいなかったが、小麦粉と片栗粉の違いから類推して納得するものがいた。同時に別の疑問が生じた。
「卵が入っていれば、小麦粉の食感に近くなりませんか?」
「卵が入っていると、濃厚さが出てサクサク感が柔らかくなります」
「そうすると、卵と片栗粉の組み合わせと小麦粉での食感は近くなりませんか?」
「食感は似てきますが、濃厚さに違いが出ます」
 二人のマニアック過ぎる議論に誰も付いていけなかった。
「と、言う事は、小麦の有無を食感で判断しているのですか?」
「グルテンフリーの代替メニューの開発を続けているので違いには敏感になりますよね。それで気づけるようになったと思っています」
 豊彦くんの揺るぎない回答に検証チームは圧倒されていた。
「現段階で分かっている事をまとめると、小麦アレルギーの人は食べ比べが出来ない。小麦アレルギーがない人は関心がないから違いに気がつかない。しかし、豊彦さんは彼女のためのメニュー開発を進める中で違いに敏感になった。と言う事ですね?」
 研究課題として話し合っているのに物凄く恥ずかしい状況に私たちは置かれている。誰も気づかないうちに話が終わる事を願うしかない。
「アンケートで確認したかった事はこれで全部です。続いて本題の食べ比べの実験を行います。固形と液体とペースト、合わせて十種類のサンプルの中にグルテンが含まれるものとないものがあります。試食の結果を回答用紙に記入をお願いします。なお、検証チームにも参加してもらいます。サンプル作りに携わった上で区別出来るかも調べます」
 運ばれたサンプルは、クッキー、カレー、天婦羅の衣、小麦粉をお湯に溶いたものなどが出てきた。どれも市販品で間違いそうなものばかりだったが、味や食感を揃えるために手作りをしたと言った。豊彦くんが食感の違いで判断している可能性にチームリーダーは気がついていたようだ。

 チームリーダーが答え合わせを始めた。サンプル作成に携わったはずの研究員の正答率は六割程度だった。二つあるカレーのサンプルの内一つに小麦粉が入っているのが分かっていても違いが分からない者がいた。それに対して豊彦くんは全問正解だった。改めて豊彦くんの特異性が証明されたけれど、本人も困惑していた。
「グルテンだとモッチリした食感、でんぷんだとプルプルした食感です。食べる前に軽く揺すれば含水率が高いでんぷんの方が光沢もあるから直ぐ分かりますよ」
 と言っても、正答率の低い研究員が受け入れる筈もなかった。
「この液体はどうやって区別しました?」
 食感のない液体こそが、この実験の本丸と暗に分かるような押しの強さがあった。
「これが難しかったですね。これからは小麦の味、あれからは雑味のような混ざった味がしました」
 一同から感嘆の声があがった。
「やっぱりグルテンを味覚で判断できますね」
 豊彦くんは名探偵に追い詰められた犯人のようになっていた。
「・・・・、どう言う事ですか?」
 チームリーダーは結果に満足しているようだった。
「これは小麦粉からグルテンを抽出してお湯に溶いたもの。あれはグルテンを取り除いた小麦粉をお湯で溶いたもの。つまりグルテンの有無を知覚しています」
 豊彦くんは他のサンプルを思い返しているようだった。カレーのサンプルを舐め味の確認をしている。
「確かにそうですね。カレーの中にも小麦粉の味が含まれていますね。この液体のサンプルでハッキリ知覚する事が出来たように思います」
 豊彦くんのコメントを確かめるように検証チームも味の確認を始めたが、分かるような分からないような違いに困惑を深めていた。


 家路に向かう電車の中で豊彦くんはぐったりしている。グルテンを知覚できるのが分かってからの検証チームは解剖する勢いだった。食べ比べによる結果なら深層学習の結果と言える。知覚する器官があるのなら活性化させる事が可能かもしれない。採血を始めfMRIも急遽行った。薄力粉、強力粉のグルテンの濃さの違いのテストも行った。
 今日のテストの結果がどの様に実を結ぶかは分からない。何も得られないかもしれない。でも、うちの職場は研究所だ。アレルギーを抑える製薬になるかもしれない。小麦アレルギーが抑える調味料が出来て菓子パンやケーキが食べられるかもしれない。研究が進めば想像も出来なかった結果に繋がるはずだ。きっと社会も良くなるはず。
 

注意:本作はフィクションです。アレルギーに関し医学的裏付けのない描写です。

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