里山公園

風宮 秤

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里山公園

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「ねぇ 豊彦くん・・・」
 夕飯を運んでいる映美が、言い辛そうに言った。
「どうし・・・」
 振り向いた、豊彦は唖然としてしまった。
「分かった。全て分かった。里山公園に行きたいんだね?」
 申し訳なさそうに、こくりと頷く映美。そして小さい声で聞いた。
「豊彦くんには私の気持ちが筒抜けね」
「顔に書いてあるからね・・・」
 笑いを堪えながら言った。
「映美さん、真面目に聞きたい事があるんだけど。いいかな?」
 見当もつかないとキョトンとしている映美に畳みかけるように言った。
「マジックでオデコに書くのは止めた方が良いと思うよ。毛穴の奥にマジックが入り込んで落とすのが大変だし、メガネ掛けたままでオデコ洗うのも大変だと思うよ」
 事態の深刻さに気がついた映美は、洗面所に行くとクレンジングを始めた。何度も洗い直している音がリビングまで聞こえていた。乱視が強い映美は、クレンジングが終るとメガネを掛けて確認をして、またクレンジングをして・・・を繰り返していた。
「映美さ~ん、夕飯食べましょう。今日は天ぷらですよ、温かいうちに食べましょう」
 テーブルの真ん中にナス、シソ、レンコン、サツマイモの天ぷらを盛りつけた皿を置いた。
「今日の天ぷら粉は、米粉と片栗粉にヌカを混ぜてみました。衣の主張が強くなりすぎていませんか?」
 映美は良く味わってから、
「ちょっとヌカの主張が強いかな? レンコンが負けている感じかな?」
 ちゃんとに評価してくれるのは嬉しい。同じ作るなら美味しい物を作りたい。前回より美味しい物を作りたい。僕の気持ちに真摯に応えてくれるのは嬉しい。その真剣なオデコに文字が見えた気がした。

 !

 箸を置くと洗面所に駆け込んだ映美。クレンジングの音が聞こえる・・・。僕も箸を置くと洗面所に向かい後ろから両手をそっと押えた。
「映美さんには僕の気持ちが筒抜けですね」
 やっぱりと言う顔をしている映美。
「でも、ちゃんとに落ちていますよ。ちょっと、文字が浮かんで見えただけです」
 涙目で睨みつけられても、笑いを堪えるのに精いっぱい。
「天ぷら冷めちゃいますよ」
 顔を拭いてあげると、そのままリビングに連れて行った。映美さんの視線をチクチク感じながらの夕飯となった。

  ~・~・~

 里山公園のエントランスエリアには、産直の食品から江戸時代風の生活雑貨まで取りそろえた物品販売、里山に関する図書館があった。僕たちが目指したのはその奥にある生活体験エリアだった。
『ここより先は、長靴のこと』
 エリア内に周遊するゴンドラはあったものの舗装した道路はなかった。里山としての生態系が優先されているので、雨が降れば水たまりができ、獣道のような細い道がいたる所にあるからだ。
「僕たちも長靴を借りましょう」
 映美は、すっと足を伸ばして見せた。
「あ、ゴム製のロングブーツですね。男性用のサイズだと作業用の歩けないのばかりなんですよね・・・」
「ファッションの幅の広さは女性の需要が生み出したんですよ。男性もファッションの開拓をしないと」
 ちょっと自慢気に映美はくるりと回ってみせた。
「雨の日にお散歩デートしてくれますか?」
「エスコートしますよ」
 映美は傘を差す仕草をした。
「では、物品販売まで戻りましょう。長靴を売っていたと思いますので」


 エリア内は里山植物園と言われるだけの事はあった。市場から消えた地方独特の野菜が各地から集められ栽培を通して保存と販売がされていた。米も品種改良される前の背の高い稲が植えられていた。湿地では萱が生い茂り野鳥も集まっていた。それぞれの場所に行くと端末からエリアの説明を聞いたり、植物を撮影すると説明を聞いたりする事ができた。
「凄く沢山の種類がありますね」
 並べて育てられていると、品種の違いは一目瞭然だった。
「豊彦くん。実はね、ご当地品種の九割が絶滅しているの。残りの一割の中で気候と土壌にあった作物が集められているの」
「そんなに、品種が減っていたとは・・・・。なぜ、そんなに減ったんですか?」
「病気に弱い、収量が少ない、味や食感が消費者の嗜好と合わない。色々な理由があったけど外国産の遺伝子組み換え作物に政治的に滅ぼされたの」
 スーパーで売っていないけど美味しそうに見える食材が目の前に広がっているのにと思った。
「自然回帰の機運の中で計画されたのが、この里山公園でしたよね?」
「里山は人工の生態系なのよ。受けの良い言い方をすると自然と人間のコラボした生態系かな? でも、里山公園の開設は私たちが生まれる前に起きた原因不明の遺伝子組み換え作物の枯死が発端になっているとも言われているの」
 普段は聞き役に回る事が多い映美が熱く語り始めた。雑木林は燃料源であり畑である事。田んぼによる治水と湿原として利用する野鳥の事。特に保護活動虚しく絶滅した朱鷺の事など、展示物を前に多面的に話し続けた。
 説明を聞きながら、映美が自然と人間のコラボの成功例として里山を捉えていると感じた。映美の仕事は医薬品メーカーで再生促進剤の開発だった。それは、怪我や火傷の痕を綺麗になくすためのものだった。病気が減り寿命が延びる中で最後の市場と言われ、医薬品メーカーが鎬を削る開発分野だった。遺伝子操作で幹細胞を作り治療を目指すチームに対し、映美が属しているのは体細胞が放出する情報伝達物質で制御を目指すチームだった。
 映美が良く口にする『身体と医薬品のコラボで目に見える傷を治したい。そして心の傷も治したい』を思い出していた。

「豊彦さん、お腹すきましたね」
 語り尽くしたみたいだった。ここ数日のモヤモヤが吹っ切れたようだった。
「このエリアの休憩施設は・・・」
「近くに美味しいうどん屋があります。十割蕎麦も食べられるので大丈夫ですよ」
 二人には両方食べられるお店は大事だった。
「公園内だから、どのメニューも製法も拘った手作りだそうですよ。それと山菜の天ぷらが美味しいそうです」
 豊彦は山菜の天ぷらに反応した。
「山菜はスーパーで売ってないんですよね。楽しみです」


 萱葺き屋根の民家風の建物がうどん屋だった。ランチタイムは過ぎていて団子を食べるお客さんがいる程度だった。
「団子も手作りなのかな?」
 メニューを持ってきた店員さんが、
「白玉粉も米粉も体験コーナーで作っているでしょ。それに、全部公園産の作物だから美味しい事、請け合いだよ」
 しっかり、売り込まれてしまったけど、団子で足りるお腹ではなかった。
「では、ざるうどん、ざるそば、山菜天ぷらですね」
 店員は注文を確認すると厨房に向かった。それについて行くように豊彦も厨房に向かった。

 ニコニコしながら戻ってきた豊彦が言った。
「山菜の天ぷらうどんと天ぷらそばに変えてもらいました」
 映美はピンときた。
「山菜天ぷらそば初めてだな。楽しみだな」
「厨房の人も、レシピを伝授したら喜んでくれましたよ」
 暫く待つと、リクエストした山菜天ぷらが載ってうどんとそばが出てきた。豊彦は汁に浸かっていない天ぷらの衣を口に入れると良く咀嚼した・・・。
「大丈夫です。小麦粉は入っていないですよ」
 豊彦の判定を全面的に信じていた。人間はグルテンを知覚できない事を映美は知っていたが、豊彦には分かる事は身をもって知っていた。
「豊彦くん、ありがとう」
「温かいうちに食べましょう」
 二人とも味わいながら食べていた。
 店の中はゴマ油で揚げた天ぷらの香りが広がっていた。
「美味しかったですね。帰りに山菜を買って帰りましょうね」
 豊彦は満足そうに言った。
「思った以上に収穫の多い博物館ですね」
 映美も満足そうに言った。
「なにかを掴めたみたいですね」
「そうね・・・」
 ちょっと、考えてから続けた。
「遺伝子操作作物に対して自然作物の聖地の里山公園に来れば、自分の開発チームを肯定する何かがあるかな? 歴史に自分たちを肯定するエビデンスがあるかな。と思ってきたけれど。自然と人間の緩やかな関係と言うか、試行錯誤でのコミュニケーションと言うか。里山は自然と人間の緩やかなコミュニケーションで育まれたから何百年も維持ができたんだと思った。昔の品種改良って緩やかな遺伝子操作だなと思ったし、自分の研究を遺伝子操作チーム対情報伝達物質チームと言う対立関係で捉えていたな。と気づけた事かな?」
 二人とも答えがない事を知っていた。だからこそ、何かを掴めるまでは傍にいる事しかできない事も知っていた。
「良かったです」
 豊彦は言った。
「傍にいてくれたからですよ」
 映美は言った。

 まだ明るいと言っても、もうすぐ閉園時間だった。
「では、そろそろ帰りますか?」
 豊彦の提案に、ちょっと驚いてみせる映美だった。
「今日は夜の九時まで開園しているんですよ。ほら、人が増えてきたと思いませんか?」
 指さす先には、子ども連れやカップルなど確かに人が増えてきていた。
「私たちも行きましょう」
 豊彦の腕に手を回すと歩き始めた。カエルの鳴き声が聞こえてきた。
「一番来たかった場所がここですよ」
 映美が言っているのは水田の事だった。周りにも人が増えてきて、同じものを目当てに集まっているのが豊彦にも分かった。
「もうじき、分かりますよ」
 意味ありげに映美は呟いた。

 日が暮れ、辺りが急速に暗くなると感嘆の声があちらこちらで上がった。緑色の光が稲の間にも空にもあった。
「きれいでしょ。蛍の光」
 手を伸ばすと、蛍が一匹とまった。歓声をあげる映美は子どものようにハシャイデいた。
「どうしたの?」
 さっきまでの豊彦とは別人のようだった。
「光る虫、生きているのは始めてみたよ」
 硬直している豊彦に、上を指しながら言った。
「ゴンドラからも見えるみたいですよ」
「星空を飛んでいるようになるのかな?」
 ロマンチックな言葉を硬直したまま絞り出す豊彦だった。
 映美は腕を引っ張ると、
「いざ、夜空に飛び立ちましょう」
 二人は、ゴンドラステーションに向かった。
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