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空港
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旅客機は滑走路に入るとエンジンの出力を上げていった。轟音とともに機体の速度が上がると、そこに道があるかのように空に舞い上がり雲の中に吸い込まれていった。
そして、静寂が戻るとパラソルを叩く雨の音が広がった。
豊彦は繰り返される離陸の光景を飽きる事なく見つめていた。映美も同じ様に見つめていた。二人とも無言のままだった。
最近元気がない豊彦を空港に誘い出したのは映美だった。買い物をしている時も食事の準備をしている時も、デートをしている時も何かが豊彦の心を覆い尽くしている様に見えた。
社会の中で生活をしていれば、自分の思った通りにならない事は沢山ある。それでも、どこかで折り合いをつけて生活をするものだった。そう言う事を分かっていても、ダメな時はある。それを映美は経験をしていた。だから、普段の生活から遠い場所にある空港に連れ出したのだった。
雨の日の展望デッキに人影はなかった。
フェンス際で望遠レンズを付けたカメラで旅客機の離陸の瞬間を狙う人、スマホでフライト情報を確認する人、駐機場の旅客機を撮影する人、写真を確認しながら友だちと談笑する人、子どものはしゃぐ姿を見守る夫婦、そこに彼らはいなかった。
時おり、出発までの時間つぶしに展望デッキに出てきても、雨を嫌がり軒先で帰る人ばかりだった。
数分おきに旅客機が滑走路に現れると、轟音とともに飛び立っていく。
いつもなら話題の絶えない二人だった。豊彦がぽつりぽつりと話すものの、映美の声は豊彦には届いていなかった。そして二人はパラソルを叩く雨の音が包んでいた。
映美は自分に出来る事がない事は十分に理解していた。何か問題があれば原因を探し解決策を考えて実行する。視野狭窄になっていれば別の角度からの意見が言える。でも、小さな問題が溢れかえり流されて溺れている時に周りに出来る事は、ただ傍にいる事しかできなかった。
豊彦も分かっているはずだった。こう言う時は踏ん張って頑張るしかない。力づくで乗り越えていくしかない。しかし、分かっていても力が出ない。
「キューーーン、ゴゴウ」
手を低い位置から、ヒコウキに見立てて空高く上げている。唸るエンジン音に合わせて何回も何回も「キューーーン、ゴゴウ」と。ワクワクしているのが後ろ姿からも伝わってきた。
展望デッキにいた人の視線が集まった。
彼はそんな事に微塵も気づかず、次のヒコウキが滑走路に入ってくるのをじっと待っていた。
「キューーーン、ゴゴウ」
唸るエンジン音に合わせて何回も何回も「キューーーン、ゴゴウ」
「気楽でいいな」
ぽつりと、豊彦が言った。普段の豊彦からは聞かれない一言だった。
「ホントに彼は気楽かな? 色々な差別を受けているんじゃないかな? そしたら彼だって傷ついているよ。ただ、うまく表現できないだけじゃないかな?」
彼にとって住みやすい社会だとは思えない。自分の気持ちが伝わらないもどかしさもあるだろう。
「でも、大好きなんだよ。日常の嫌な事も何もかも吹き飛ばすほどにヒコウキが大好きなんだよ」
豊彦は黙っていた。でも、映美には分かった。
「キューーーン、ゴゴウ」
唸るエンジン音に合わせて何回も何回も「キューーーン、ゴゴウ」
後ろ姿しか見えない彼の目が輝いている事は伝わってきた。彼の嬉しそうな声を聞いていると、映美も嬉しくなってきていた。
「何をこんなに疲れていたのかな?」
ぽつりと、豊彦が言った。
「子どもの頃、あんな大きな物が空を飛ぶって凄いと思っていた。大人になって初めて旅客機に乗った時もホントに飛んだって感動した。ずーっと眼下の風景を見ていたよ」
豊彦は立ち上がると両腕を広げた。
「こうやって、走っていたよ」
映美はホッとしていた。
「映美さん、ありがとう。お陰で気持ちが切り替わりました。彼にも感謝です。忘れていた大切な事を思い出せました」
映美は豊彦と腕を組むと、
「豊彦くん、グルテンフリーのケーキ屋さん見つけたの。帰りにどうですか?」
「いいですね。久しぶりに甘い物を食べたいですね」
二人は、空港をあとにした。
そして、静寂が戻るとパラソルを叩く雨の音が広がった。
豊彦は繰り返される離陸の光景を飽きる事なく見つめていた。映美も同じ様に見つめていた。二人とも無言のままだった。
最近元気がない豊彦を空港に誘い出したのは映美だった。買い物をしている時も食事の準備をしている時も、デートをしている時も何かが豊彦の心を覆い尽くしている様に見えた。
社会の中で生活をしていれば、自分の思った通りにならない事は沢山ある。それでも、どこかで折り合いをつけて生活をするものだった。そう言う事を分かっていても、ダメな時はある。それを映美は経験をしていた。だから、普段の生活から遠い場所にある空港に連れ出したのだった。
雨の日の展望デッキに人影はなかった。
フェンス際で望遠レンズを付けたカメラで旅客機の離陸の瞬間を狙う人、スマホでフライト情報を確認する人、駐機場の旅客機を撮影する人、写真を確認しながら友だちと談笑する人、子どものはしゃぐ姿を見守る夫婦、そこに彼らはいなかった。
時おり、出発までの時間つぶしに展望デッキに出てきても、雨を嫌がり軒先で帰る人ばかりだった。
数分おきに旅客機が滑走路に現れると、轟音とともに飛び立っていく。
いつもなら話題の絶えない二人だった。豊彦がぽつりぽつりと話すものの、映美の声は豊彦には届いていなかった。そして二人はパラソルを叩く雨の音が包んでいた。
映美は自分に出来る事がない事は十分に理解していた。何か問題があれば原因を探し解決策を考えて実行する。視野狭窄になっていれば別の角度からの意見が言える。でも、小さな問題が溢れかえり流されて溺れている時に周りに出来る事は、ただ傍にいる事しかできなかった。
豊彦も分かっているはずだった。こう言う時は踏ん張って頑張るしかない。力づくで乗り越えていくしかない。しかし、分かっていても力が出ない。
「キューーーン、ゴゴウ」
手を低い位置から、ヒコウキに見立てて空高く上げている。唸るエンジン音に合わせて何回も何回も「キューーーン、ゴゴウ」と。ワクワクしているのが後ろ姿からも伝わってきた。
展望デッキにいた人の視線が集まった。
彼はそんな事に微塵も気づかず、次のヒコウキが滑走路に入ってくるのをじっと待っていた。
「キューーーン、ゴゴウ」
唸るエンジン音に合わせて何回も何回も「キューーーン、ゴゴウ」
「気楽でいいな」
ぽつりと、豊彦が言った。普段の豊彦からは聞かれない一言だった。
「ホントに彼は気楽かな? 色々な差別を受けているんじゃないかな? そしたら彼だって傷ついているよ。ただ、うまく表現できないだけじゃないかな?」
彼にとって住みやすい社会だとは思えない。自分の気持ちが伝わらないもどかしさもあるだろう。
「でも、大好きなんだよ。日常の嫌な事も何もかも吹き飛ばすほどにヒコウキが大好きなんだよ」
豊彦は黙っていた。でも、映美には分かった。
「キューーーン、ゴゴウ」
唸るエンジン音に合わせて何回も何回も「キューーーン、ゴゴウ」
後ろ姿しか見えない彼の目が輝いている事は伝わってきた。彼の嬉しそうな声を聞いていると、映美も嬉しくなってきていた。
「何をこんなに疲れていたのかな?」
ぽつりと、豊彦が言った。
「子どもの頃、あんな大きな物が空を飛ぶって凄いと思っていた。大人になって初めて旅客機に乗った時もホントに飛んだって感動した。ずーっと眼下の風景を見ていたよ」
豊彦は立ち上がると両腕を広げた。
「こうやって、走っていたよ」
映美はホッとしていた。
「映美さん、ありがとう。お陰で気持ちが切り替わりました。彼にも感謝です。忘れていた大切な事を思い出せました」
映美は豊彦と腕を組むと、
「豊彦くん、グルテンフリーのケーキ屋さん見つけたの。帰りにどうですか?」
「いいですね。久しぶりに甘い物を食べたいですね」
二人は、空港をあとにした。
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