空港

風宮 秤

文字の大きさ
1 / 1

空港

しおりを挟む
 旅客機は滑走路に入るとエンジンの出力を上げていった。轟音とともに機体の速度が上がると、そこに道があるかのように空に舞い上がり雲の中に吸い込まれていった。
 そして、静寂が戻るとパラソルを叩く雨の音が広がった。
 豊彦は繰り返される離陸の光景を飽きる事なく見つめていた。映美も同じ様に見つめていた。二人とも無言のままだった。

 最近元気がない豊彦を空港に誘い出したのは映美だった。買い物をしている時も食事の準備をしている時も、デートをしている時も何かが豊彦の心を覆い尽くしている様に見えた。
 社会の中で生活をしていれば、自分の思った通りにならない事は沢山ある。それでも、どこかで折り合いをつけて生活をするものだった。そう言う事を分かっていても、ダメな時はある。それを映美は経験をしていた。だから、普段の生活から遠い場所にある空港に連れ出したのだった。

 雨の日の展望デッキに人影はなかった。
 フェンス際で望遠レンズを付けたカメラで旅客機の離陸の瞬間を狙う人、スマホでフライト情報を確認する人、駐機場の旅客機を撮影する人、写真を確認しながら友だちと談笑する人、子どものはしゃぐ姿を見守る夫婦、そこに彼らはいなかった。
 時おり、出発までの時間つぶしに展望デッキに出てきても、雨を嫌がり軒先で帰る人ばかりだった。

 数分おきに旅客機が滑走路に現れると、轟音とともに飛び立っていく。
 いつもなら話題の絶えない二人だった。豊彦がぽつりぽつりと話すものの、映美の声は豊彦には届いていなかった。そして二人はパラソルを叩く雨の音が包んでいた。
 映美は自分に出来る事がない事は十分に理解していた。何か問題があれば原因を探し解決策を考えて実行する。視野狭窄になっていれば別の角度からの意見が言える。でも、小さな問題が溢れかえり流されて溺れている時に周りに出来る事は、ただ傍にいる事しかできなかった。
 豊彦も分かっているはずだった。こう言う時は踏ん張って頑張るしかない。力づくで乗り越えていくしかない。しかし、分かっていても力が出ない。


「キューーーン、ゴゴウ」
 手を低い位置から、ヒコウキに見立てて空高く上げている。唸るエンジン音に合わせて何回も何回も「キューーーン、ゴゴウ」と。ワクワクしているのが後ろ姿からも伝わってきた。
 展望デッキにいた人の視線が集まった。
 彼はそんな事に微塵も気づかず、次のヒコウキが滑走路に入ってくるのをじっと待っていた。
「キューーーン、ゴゴウ」
 唸るエンジン音に合わせて何回も何回も「キューーーン、ゴゴウ」

「気楽でいいな」
 ぽつりと、豊彦が言った。普段の豊彦からは聞かれない一言だった。
「ホントに彼は気楽かな? 色々な差別を受けているんじゃないかな? そしたら彼だって傷ついているよ。ただ、うまく表現できないだけじゃないかな?」
 彼にとって住みやすい社会だとは思えない。自分の気持ちが伝わらないもどかしさもあるだろう。
「でも、大好きなんだよ。日常の嫌な事も何もかも吹き飛ばすほどにヒコウキが大好きなんだよ」
 豊彦は黙っていた。でも、映美には分かった。

「キューーーン、ゴゴウ」
 唸るエンジン音に合わせて何回も何回も「キューーーン、ゴゴウ」
 後ろ姿しか見えない彼の目が輝いている事は伝わってきた。彼の嬉しそうな声を聞いていると、映美も嬉しくなってきていた。

「何をこんなに疲れていたのかな?」
 ぽつりと、豊彦が言った。
「子どもの頃、あんな大きな物が空を飛ぶって凄いと思っていた。大人になって初めて旅客機に乗った時もホントに飛んだって感動した。ずーっと眼下の風景を見ていたよ」
 豊彦は立ち上がると両腕を広げた。
「こうやって、走っていたよ」
 映美はホッとしていた。
「映美さん、ありがとう。お陰で気持ちが切り替わりました。彼にも感謝です。忘れていた大切な事を思い出せました」
 映美は豊彦と腕を組むと、
「豊彦くん、グルテンフリーのケーキ屋さん見つけたの。帰りにどうですか?」
「いいですね。久しぶりに甘い物を食べたいですね」
 二人は、空港をあとにした。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されないと知った時、私は

yanako
恋愛
私は聞いてしまった。 彼の本心を。 私は小さな、けれど豊かな領地を持つ、男爵家の娘。 父が私の結婚相手を見つけてきた。 隣の領地の次男の彼。 幼馴染というほど親しくは無いけれど、素敵な人だと思っていた。 そう、思っていたのだ。

私の夫は妹の元婚約者

彼方
恋愛
私の夫ミラーは、かつて妹マリッサの婚約者だった。 そんなミラーとの日々は穏やかで、幸せなもののはずだった。 けれどマリッサは、どこか意味ありげな態度で私に言葉を投げかけてくる。 「ミラーさんには、もっと活発な女性の方が合うんじゃない?」 挑発ともとれるその言動に、心がざわつく。けれど私も負けていられない。 最近、彼女が婚約者以外の男性と一緒にいたことをそっと伝えると、マリッサは少しだけ表情を揺らした。 それでもお互い、最後には笑顔を見せ合った。 まるで何もなかったかのように。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

婚約者の幼馴染って、つまりは赤の他人でしょう?そんなにその人が大切なら、自分のお金で養えよ。貴方との婚約、破棄してあげるから、他

猿喰 森繁
恋愛
完結した短編まとめました。 大体1万文字以内なので、空いた時間に気楽に読んでもらえると嬉しいです。

だって悪女ですもの。

とうこ
恋愛
初恋を諦め、十六歳の若さで侯爵の後妻となったルイーズ。 幼馴染にはきつい言葉を投げつけられ、かれを好きな少女たちからは悪女と噂される。 だが四年後、ルイーズの里帰りと共に訪れる大きな転機。 彼女の選択は。 小説家になろう様にも掲載予定です。

夫から「用済み」と言われ追い出されましたけれども

神々廻
恋愛
2人でいつも通り朝食をとっていたら、「お前はもう用済みだ。門の前に最低限の荷物をまとめさせた。朝食をとったら出ていけ」 と言われてしまいました。夫とは恋愛結婚だと思っていたのですが違ったようです。 大人しく出ていきますが、後悔しないで下さいね。 文字数が少ないのでサクッと読めます。お気に入り登録、コメントください!

私の療養中に、婚約者と幼馴染が駆け落ちしました──。

Nao*
恋愛
素適な婚約者と近く結婚する私を病魔が襲った。 彼の為にも早く元気になろうと療養する私だったが、一通の手紙を残し彼と私の幼馴染が揃って姿を消してしまう。 どうやら私、彼と幼馴染に裏切られて居たようです──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。最終回の一部、改正してあります。)

包帯妻の素顔は。

サイコちゃん
恋愛
顔を包帯でぐるぐる巻きにした妻アデラインは夫ベイジルから離縁を突きつける手紙を受け取る。手柄を立てた夫は戦地で出会った聖女見習いのミアと結婚したいらしく、妻の悪評をでっち上げて離縁を突きつけたのだ。一方、アデラインは離縁を受け入れて、包帯を取って見せた。

処理中です...