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ロゼルス家
31 計画
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爺様が怪我をしたのはそれから1週間後のことだった。馬車の車輪が外れ、乗っていた爺様は馬車ごと崖の下に落ちたのだ。
「どうして、こんな。あんなに点検をしたのに」
爺様を乗せ馬車を操作していたのは古参の御者だった。爺様が当主となった日からずっと一緒だったというその御者は、爺様の容態も確認しないままひっそりと首を吊った。彼が点検を怠るわけがないのだが、やっぱり年には勝てず見損ねたのだろうと誰もが噂した。
爺様は一命を取り留め身体に不自由は残ったが、口だけは達者なままだった。命を落としてもおかしくはない状況だったのに、少しの怪我で済んだのは御者の咄嗟の判断だったのだろう。
「大きく馬車が揺れたのはわかったが、そのあとは何が何だかよくわからなかった」
と、爺様は言った。若い時からずっと勤めていた御者の話を聞いても彼は特に気にした様子はなかった。それよりも馬車が1台使い物にならなくなったことを大きく悔やんでいた。そして今まで通り使用人に指示を出そうとするが、うまく伝えられなかったり人や物の名前を言い間違えるようになった。
気の毒に、と使用人たちは噂した。身体が不自由になり今まできたことができなくなった焦りか、爺様は見る見るうちに弱ってベッドで過ごすようになっていった。
義父母はいよいよ自分たちの代になってしまうことに戸惑っていた。今まで爺様が口出ししていたせいで、彼らは何一つ自分でやることはなかった。何をどうすればいいかもわからず、使用人に聞いてみたり、それは良くないと思い返したのか突然余計なことをしようとして失笑を買っていた。もはや義父母に従う使用人は皆無だった。
僕は後継者としての責務を全うしようと、義父母に代わり取り仕切ることにした。最初は戸惑っていた義父母だったが、爺様がやっていたことを僕がやるようになっただけだ。自分たちは今まで通り何もしなくていいのだと気づき、安心したのか何もかも僕に任せるようになった。
誰も何も気づいてはいなかった。僕はこの家を正常にしようと尽力しているだけだ。邪魔者の爺様がいなくなればそれでいいのだ。
「レイモンド、気晴らしにどこかへ連れて行ってくれない?」
アリーが顔のいいレイモンドに気がついた。今までは田舎から出てきた野暮ったい男だったはずが、与えられた給金を使い身なりに気を配るようになったせいか、レイモンドは屋敷の中でも目立つようになっていたのだ。
雇い主のお嬢様の言うことに逆らわないように、レイモンドは困惑しアリーの誘いを断ろうとしていたのだが、僕がそう言い含めたため御者としてアリーを連れ出すようになった。義父母も何も言わない。当たり前だ。アリーに意見をする人間は、この家にはいないのだから。
誰にも注意をされないので、アリーは調子に乗りレイモンドと二人で出かけるようになった。当初はメイドが一緒に行き、景色のいい場所へ行き馬車から降りずに帰ってきていたそうだ。しかしいつの頃からかアリーはメイドも連れていかず、レイモンドと二人っきりで出かけるようになった。
彼らがどこへ行っているか、誰も知らない。しかしもしこのことが知られれば大変なことになる。ラガン家との婚姻はなくなるし、アリーは他の貴族との婚姻もできなくなる。やむなく僕はアリーに注意をする。義父母がやらないので僕がやるしかないのだ。
「うるさいわね、貧乏男爵がしゃしゃり出てくるんじゃないわよッ!」
そう言ってアリーから水をかけられた。
「養子にしてあげたからって楯突くんじゃないわよ。大人しくしてりゃいいのよ」
病弱でベッドから離れられないお気の毒なお嬢様のアリーは、僕のすぐそばに来ると僕を平手打ちで殴った。パシーンという音が部屋に響く。か弱い女の力ではあったが、そこそこに痛かった。
その日からアリーは堂々とレイモンドと一緒に出て行くことになった。毎朝出かけ夜まで帰ってこない。帰ってきたアリーは上機嫌で鼻歌混じりで部屋に戻って行く。その様子を使用人たちは冷めた目で見ていた。
「機嫌がいいのは結構だが、どこで何しているんだか」
「あんな大っぴらに遊び歩いてたんじゃ、すぐに噂が広がるわよ」
「今から別のお屋敷に勤めたいけど、紹介状は書いてもらえないわよね」
アリーが遊び歩いているという噂がすぐに流れるはずだった。しかしここで義父母たちが意外な活躍をしてしまう。彼らは先手を取って、ラガン家との婚約は整っていてすぐにでも式を挙げると噂を流したのだ。そのためアリーが出歩いているのは、花嫁修行をしに出かけているのだと人々は納得してしまった。
「いつまでこんなことするんですか?」
夜中、レイモンドが憔悴しきった顔で僕の部屋に入ってきた。連日アリーの世話をしているのだ。まともな神経では耐えられないだろう。
「あの女、隙あれば体を触ってくるんですよ。商売女よりも薄気味悪い。まだ若いのに年増女みたいな目つきでゾッとしますよ」
「もう少しの我慢だよ」
僕の答えにレイモンドはため息をついた。
「両親は僕がこんなことをしてると知ったら・・・」
そう言って涙をこぼす。根は真面目な彼はきっと限界を超えているはずだ。だがここまで来たらこのまま突っ走るしかない。
「大丈夫。君は良く働いてくれている。本当に助かっているんだ。あのアリーのお守りなんて誰にも頼めない。君にしかできないんだよ」
レイモンドの愚痴を聞き彼を宥めながら、僕は何度も褒めてやる。そうして彼は納得し、また明日アリーを連れ出すのだ。
屋敷にアリーがいないだけで使用人たちの仕事ぶりが違う。安心して働いているのがよくわかるし、作業効率も上がっている。使用人たちは本当にレイモンドに感謝しているのだ。
この家を僕は乗っ取る。爺様が死んだら実質は僕のものだろう。アリーをロゼルス家に嫁がせ、僕はアニーと結婚する。アリーに叩かれた僕をアニーは心底心配してくれた。姉が申し訳ないと謝ってもくれた。心優しい女性なのだ。
まさかアリーはアニーを連れて嫁いだりはしないだろう。まさかアニーが家を出て行ったりもしないだろう。アニーは僕のものなのだから。
「どうして、こんな。あんなに点検をしたのに」
爺様を乗せ馬車を操作していたのは古参の御者だった。爺様が当主となった日からずっと一緒だったというその御者は、爺様の容態も確認しないままひっそりと首を吊った。彼が点検を怠るわけがないのだが、やっぱり年には勝てず見損ねたのだろうと誰もが噂した。
爺様は一命を取り留め身体に不自由は残ったが、口だけは達者なままだった。命を落としてもおかしくはない状況だったのに、少しの怪我で済んだのは御者の咄嗟の判断だったのだろう。
「大きく馬車が揺れたのはわかったが、そのあとは何が何だかよくわからなかった」
と、爺様は言った。若い時からずっと勤めていた御者の話を聞いても彼は特に気にした様子はなかった。それよりも馬車が1台使い物にならなくなったことを大きく悔やんでいた。そして今まで通り使用人に指示を出そうとするが、うまく伝えられなかったり人や物の名前を言い間違えるようになった。
気の毒に、と使用人たちは噂した。身体が不自由になり今まできたことができなくなった焦りか、爺様は見る見るうちに弱ってベッドで過ごすようになっていった。
義父母はいよいよ自分たちの代になってしまうことに戸惑っていた。今まで爺様が口出ししていたせいで、彼らは何一つ自分でやることはなかった。何をどうすればいいかもわからず、使用人に聞いてみたり、それは良くないと思い返したのか突然余計なことをしようとして失笑を買っていた。もはや義父母に従う使用人は皆無だった。
僕は後継者としての責務を全うしようと、義父母に代わり取り仕切ることにした。最初は戸惑っていた義父母だったが、爺様がやっていたことを僕がやるようになっただけだ。自分たちは今まで通り何もしなくていいのだと気づき、安心したのか何もかも僕に任せるようになった。
誰も何も気づいてはいなかった。僕はこの家を正常にしようと尽力しているだけだ。邪魔者の爺様がいなくなればそれでいいのだ。
「レイモンド、気晴らしにどこかへ連れて行ってくれない?」
アリーが顔のいいレイモンドに気がついた。今までは田舎から出てきた野暮ったい男だったはずが、与えられた給金を使い身なりに気を配るようになったせいか、レイモンドは屋敷の中でも目立つようになっていたのだ。
雇い主のお嬢様の言うことに逆らわないように、レイモンドは困惑しアリーの誘いを断ろうとしていたのだが、僕がそう言い含めたため御者としてアリーを連れ出すようになった。義父母も何も言わない。当たり前だ。アリーに意見をする人間は、この家にはいないのだから。
誰にも注意をされないので、アリーは調子に乗りレイモンドと二人で出かけるようになった。当初はメイドが一緒に行き、景色のいい場所へ行き馬車から降りずに帰ってきていたそうだ。しかしいつの頃からかアリーはメイドも連れていかず、レイモンドと二人っきりで出かけるようになった。
彼らがどこへ行っているか、誰も知らない。しかしもしこのことが知られれば大変なことになる。ラガン家との婚姻はなくなるし、アリーは他の貴族との婚姻もできなくなる。やむなく僕はアリーに注意をする。義父母がやらないので僕がやるしかないのだ。
「うるさいわね、貧乏男爵がしゃしゃり出てくるんじゃないわよッ!」
そう言ってアリーから水をかけられた。
「養子にしてあげたからって楯突くんじゃないわよ。大人しくしてりゃいいのよ」
病弱でベッドから離れられないお気の毒なお嬢様のアリーは、僕のすぐそばに来ると僕を平手打ちで殴った。パシーンという音が部屋に響く。か弱い女の力ではあったが、そこそこに痛かった。
その日からアリーは堂々とレイモンドと一緒に出て行くことになった。毎朝出かけ夜まで帰ってこない。帰ってきたアリーは上機嫌で鼻歌混じりで部屋に戻って行く。その様子を使用人たちは冷めた目で見ていた。
「機嫌がいいのは結構だが、どこで何しているんだか」
「あんな大っぴらに遊び歩いてたんじゃ、すぐに噂が広がるわよ」
「今から別のお屋敷に勤めたいけど、紹介状は書いてもらえないわよね」
アリーが遊び歩いているという噂がすぐに流れるはずだった。しかしここで義父母たちが意外な活躍をしてしまう。彼らは先手を取って、ラガン家との婚約は整っていてすぐにでも式を挙げると噂を流したのだ。そのためアリーが出歩いているのは、花嫁修行をしに出かけているのだと人々は納得してしまった。
「いつまでこんなことするんですか?」
夜中、レイモンドが憔悴しきった顔で僕の部屋に入ってきた。連日アリーの世話をしているのだ。まともな神経では耐えられないだろう。
「あの女、隙あれば体を触ってくるんですよ。商売女よりも薄気味悪い。まだ若いのに年増女みたいな目つきでゾッとしますよ」
「もう少しの我慢だよ」
僕の答えにレイモンドはため息をついた。
「両親は僕がこんなことをしてると知ったら・・・」
そう言って涙をこぼす。根は真面目な彼はきっと限界を超えているはずだ。だがここまで来たらこのまま突っ走るしかない。
「大丈夫。君は良く働いてくれている。本当に助かっているんだ。あのアリーのお守りなんて誰にも頼めない。君にしかできないんだよ」
レイモンドの愚痴を聞き彼を宥めながら、僕は何度も褒めてやる。そうして彼は納得し、また明日アリーを連れ出すのだ。
屋敷にアリーがいないだけで使用人たちの仕事ぶりが違う。安心して働いているのがよくわかるし、作業効率も上がっている。使用人たちは本当にレイモンドに感謝しているのだ。
この家を僕は乗っ取る。爺様が死んだら実質は僕のものだろう。アリーをロゼルス家に嫁がせ、僕はアニーと結婚する。アリーに叩かれた僕をアニーは心底心配してくれた。姉が申し訳ないと謝ってもくれた。心優しい女性なのだ。
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