俺と料理と彼女と家と

washusatomi

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第11話 自炊の先輩

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 俺は進歩的であるつもりだった。

 料理ができる男。それはまだまだこの日本社会で希少な存在だと思っていた。
 しかし、それは自分の先進性を過大評価したものだったらしい。

 青少年センターの調理室。男女半々とはいかないが、十人中四人は男性だ。
 一人は俺、もう一人は三十台の体格のいい男性。そして、小学生男子が二人だ。
 年代が若いほど料理に意欲的という傾向が見いだせる。いや、サンプル数が四だからただの偶然かもしれないが。

 少年二人は三十代男性の足元でキャッキャとはしゃいでいる。変声期の予兆もない甲高い声だ。十歳くらいだろうか。

 まあ気持ちは分かる。テンション上がるよなあ。俺も、だだっ広い空間にアイランド型調理台を見てわくわくと胸が躍るのを感じてる。

 その傍で田村さんがしゃがみ込んで覗き込んでいるのがガスオーブンなんだろう。ああ、こんな広い台所を自由に使って料理ができるだなんて!

 大人の男性に声を掛けられて、子どもたちは手に持っていたエプロンを身に着け始める。でも、後ろの紐は締められない。

「先生、後ろー、とめてー」

 一人が男性を先生と呼ぶと背中を向けた。先生がよしよしと腰を屈みこんで紐を結んでやる。

 もう一人の子は田村さんに「お願いー」と頼む。俺が近寄ると、その子が俺を見上げてにこりと笑った。二重瞼がくっきりとした南国風の顔立ちだ。

 その子のエプロンの紐を結んだ田村さんが立ち上がって、紹介してくれた。

「この子がM国のご家庭のお子さんだよ」

 その子は礼儀正しくぺこりと頭を下げる。

「はじめましてー」

「初めまして」

 もう一人の子がくっついてくる。この年齢の仲の良い子ども同士というものは磁石がつっつくように離れないものだ。こちらの子はキツネ目の細面をしている。

「今日、料理!」

「料理!」

 似てない二人は良く似た口調で口々に叫ぶ。

「カレーつくる!」

「日本のカレー!」

 え? そうなの? 俺は田村さんを見た。確か今日はガスオーブンを使ったアフリカ料理を作るはずじゃ……。

「あ、この子たちは、あの学童保育の指導員さんと一緒にあっちのコンロで日本のカレーを作るの」

 三十代の男性が会釈してくれたのでに俺も返し、それから少年たちに声を掛けた。

「君たち、料理は初めて?」

「うん!」

「小学校の家庭科には早いかな? なんで作ろうと思ったの?」

 細面のあっさり顔の子が答える。

「こいつのお母さんと一緒に食べるから!」

 子どもの解答というのは要領を得ない。「こいつ」と呼ばれたM国の少年が「ええとね」と前置きをして話す。

「僕のママ、お仕事が変わって、今は前より早く家に帰れるようになったんだ。でも、そこからご飯作って洗濯物畳んでってしてると遅くなっちゃう。だから、僕達が晩御飯を作るの」

「僕も一緒!」

 田村さんが話を纏めてくれる。

「お母さんが帰宅してから料理してたら、他の家事とも合わせて就寝も遅くなっちゃうからね。それでお母さんが家にいて別の家事をしている間に、台所で子どもたちがご飯を作っておくことにしたんですって。お友達も一緒にね」

 なるほど。材料と切って炒めてゆでてルウを混ぜるだけのカレーを子どもたちで作って、それを夕食にするのか。

「偉いぞ、坊主たち」

 俺はそれぞれの肩に両手を載せた。

「自分の飯を自分で作れるようになるのが自立と言うものだぞ!」

 二人はきょとんと俺を見上げる。

「カレーは入門者向けだ。これを皮切りに、世界中の料理をつくってみよう!」

 邪気のない澄んだ声の答えが返って来た。

「うん!」「うん!」

 学童保育の指導員さんが「おおい、こっち」と呼ぶので二人は駆け出していき、田村さんの声が二人の小さな背中を追いかける。

「包丁で指を切らないようにね!」

 子どもたち聞いているのかいないのか。「はーい。じゃがいも、にんじん、玉ねぎ!」「カレー、カレー」と騒ぐのをやめず、指導員さんが「じゃあ、お前は玉ねぎの皮をむいて。お前は人参を洗って」と負けずに大声で指示を始めた。

 大人達はアフリカ料理だ。だだっぴろいアイランド型の調理台に別れて作業をする。俺を除く男性陣はみんなカレーの方に行ってしまったので、数人の女性に黒一点だがあまり気にならない。

 白髪頭の女性から、まだ大学生くらいのどこか幼い感じの女性もいるが、みんなあまり浮ついたところがなくてきぱきした感じだ。

 トントントントン。

 田村さんが玉ねぎをみじん切りにしている。包丁がまな板を叩く音が実にリズミカルだ。

「田村さん、手際いいなあ!」

「私、大学進学で地元を離れてからずっと自炊してたもの」

 う……。俺は、さっきの坊主立ちに偉そうなことを言ったが、自炊を始めたのはついこの間のことだったのだ。

「田村さんは社会人になる前に既に四年のキャリアがあるんだなあ……」

「キャリア!」と吹き出しながら、田村さんは刻んだ玉ねぎを脇に寄せて、今度は人参の皮をむく。

「狭いワンルームマンションのミニキッチンで地味に自炊してただけだよ。一ノ瀬君みたいに台所優先で賃貸物件選ぶほど熱心じゃないわ。一ノ瀬君なら、すぐに料理上手になれるから、さっきの男の子たちにも教えてあげてね」

「おう!」

 切り刻んんだ材料をボウルに集める。白髪頭の女性がざっくりミンチと一緒にこね合わせる。これを耐熱皿に入れることになっているが……。若い学生さんが「私は実家住みだから、家の台所からルクルーゼ持ってきました~」と重たそうな容器をどん、と置いた。

 年配の女性が丁寧にボウルから肉だねを耐熱皿に移していく。

「ルクルーゼかあ。高級品だなあ」

 調理台を片付けていた田村さんが俺のつぶやきに手を止めた。ちょっとほっとした表情だ。

「あ、一ノ瀬君的にもルクルーゼは高級品?」

「うん。鍋を買いに行った時にお店に並ん出るのを見てたんだけど、高いなあと思った」

 田村さんは冗談めかして「良かった~。庶民の仲間だね!」と胸をなでおろす仕草をして見せた。

「ああ、田村さんと千石さんが通ってた大学はリッチな人が多いから。ルクルーゼなんか普段使いなんだろうね」

「もっと高級な品々に囲まれて暮らしているよ、裕福なお宅は」

「田村さんはそうでもない? あ、でも、大阪からこっちの私立大学に進学してきて下宿もしてたんだから、田村さんの家もそれだけの教育費を出せる家庭なんだね」

 俺の家は私大の学費で精いっぱいだった。だから、学生時代は一人暮らしにあこがれても、実家でメシマズ母の料理に甘んじていたのだ。

 田村さんははエプロンを外す。オーブンで焼き上がるまで二十分あった。

「親にお金の負担をさせて申し訳ないから、それで自炊はマストだったんだよ」

「堅実だね。親孝行だ」

「まあ、私、体が悪くて医療費もかかったから。親に申し訳なくて、お給料もらうようになってから、些少な額だけど仕送りしてる。あ、自分の老後も考えてNISAやiDeCoもやってるよ」

「へええ」

 彼女は、確か司法書士だったか行政書士だったか法律関係の資格を持って事務所に働いてると何かの折に教えてもらっていた。資格手当も含め安月給ではないだろうけれど、そんなに高収入というイメージもないが……。

「一ノ瀬君も分かると思うけど、自炊が軌道に乗るとかなり節約になるよね」

 ああ、それはそうだ。

「俺、一度1000円の生姜焼き定食の原価を計算してみたことがある」

「へええ」

「一回に使用する調味料の値段を合わせても300円くらいで出来るよなあ」

 彼女は感心してくれる。

「そこできちんと数値で把握しようとするところが、理系だよねー」

「そうかも」

 後は互いの知っている節約レシピを教え合った。彼女がよく作るという、いつでもお安い鳥の胸肉のピリ辛炒めは簡単そうだ。俺からは青魚の開きに片栗粉をまぶし、しょうゆと酒とみりんとで蒲焼風に仕上げる料理を教えた。

「ただし……」

「ただし?」

「仕上げの山椒だけは、少々高くても直前にミルで挽くタイプの瓶のがいい。香りが全く違うから」

 彼女は目を細めた。

「そうだね。ケチるばかりじゃなくて、ここってところはお金出して美味しく食べたいよね。ありがとう」

 そこにチーンという金属音が鳴った。オーブン料理が焼き上がったのだ。あちこちにいたメンバーと一緒に、二人で立ち上がって見に行く。ルクルーゼの中で肉だねが盛り上がり、そしてこんがりと焼けていた。ほわあっと香ばしい湯気が立ちのぼる。

 落ち着いていた女性陣も色めき立ち、子ども二人も「アフリカー」「アフリカのお肉料理ー」と騒ぎだす。

 ルクルーゼの持ち主の学生さんが切り分けでお皿によそってくれた。

 一口食べた皆が笑いあう。

「美味しい」「いい感じ!」「家でも作ってみたい!」「オーブンがあったらなあ!」

 白髪頭の女性が音頭を取った。

「これから毎週土曜はここに集まりましょうか」

 俺を含む全員が賛成した。
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