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Episode3-2 橘結芽の非日常
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高校二年生になってもわたしを取り巻く環境は変わらなかった。もとから人と関わるのは苦手だった。見てくれがいいからか、男から言い寄られることがあった。女はそれが気にくわないのか、距離を取られた。もとから他人を信頼しようと思ったこともない。家にも学校にも居場所なんてなかった。金だけはあったから、上っ面の付き合いこそあった。それも億劫で、適当に過ごしてきたけれど、とうとう両親が離婚することになった。わたしは母に連れられて母の実家がある地方に引っ越してきた。それなりに勉強も出来る地方の高校は、悪くない雰囲気だったものの余所者への忌避感というのはあるのか、誰もわたしに声をかけてはこなかった。空っぽで満たされない空虚な生活。それも一年くらい経てば周囲も慣れてくるのか、昔みたいな上っ面の付き合いというものは何人かと持つようになった。
ただ、何かが足りない気がする。心のどこかにぽっかりと穴が空いたような……いや、いつも空虚ではあるのだけれど、かすかに満たしてくれる何かがあったような気がするんだ。いつ買ったのか、何のために買ったのか記憶にない百合を模した綺麗な簪。しかも二本。簪そのものはわたしは好き好んでいるけれど、二本とも使うなんてことはない。かすかに痛む身体のあちこちが、誰かと交わったような感覚を残す。じくじくと疼くこの衝動は何なのだろうか。この疼きを収めてくれる誰かなんていないのに。
いつも通りの授業があって、いつものように昼休みになる。そう言えば、お昼ご飯を持ち合わせていない。誰かが作ってくれていたような……母か? そんなはずない。祖母も入院して短くない。自分の食事は自分で用意しなければ。取り敢えず、今日は購買へ行こう。わたしはおかしくなんかない。記憶が欠けているなんてこともないはずだ。
昼食を済ませ午後の授業を怠惰に過ごす。特段、理解に苦しむ点はない。――と勉強していたから。……誰と、誰とだろう? 一緒に勉強する人なんていないじゃないか。わたし一人で勉強したってきちんと理解できる。なんら難しいことなんてない。わたしは一人だ。
それから数日、どうにも何かが欠けているような感覚を抱えながら過ごしていた。春休みが終わってまた日常の生活リズムが変わったことによるストレスからかろうか、そう思ってわたしは、上っ面の付き合いでカラオケに誘われたのをいいことに、珍しく参加してみることにした。誰か一人ひどく喜んでいるクラスメイトがいたが、彼女の名前すらわたしは知らなかったし、知ろうとも思わなかった。ただ、カラオケ店内での会話で彼女が犬飼佳美という名前であることを知った。特段それ以上のことはなく、解散することとなりわたしは夜道を一人帰路につくことになった。駅から近いカラオケ店だったため家にも近い。一人でもよく行く店だから、今回の誘いに乗ったというのもある。電灯の少ない暗い道を歩く。ローファーのかかとがコツコツと固い音を立てる。この暗い道が記憶をつつく。この道を通ってはいけないと心が叫ぶ。馬鹿なことを言わないで、ここを通らなきゃ帰れないじゃない。足取りが重い。進むのを嫌がる。何か、一線引かれているような進みがたさをひしひしと感じる。
不意にあの百合の簪をポケットから取り出す。何故か二本持っているこれの一方を、今日も髪をまとめるのにも使っている。何故かこればかりを使ってしまう。特別の愛着があるのか、わたしには分からない。でもこれを握っていると、重かった足取りが気にならなくなる。
何か、薄い膜を破ったような……あるいは冷房の効いた部屋から暑い屋外へ出たような……そんな妙な感覚が肌に張り付いた。その時、あの夜の記憶がかすかに戻ってきた。真紅の髪の少女と、誰かが変な化物に吹き飛ばされて……それから、血が溢れて、違う、血はそんなに多く出ていなかった。頬に傷が奔って顔は血まみれだったけれど、あの子の傷は致命傷になるようなものじゃなかった。それに、彼女は消えてしまった。人が消えるはずないのに。じゃあ……あの赤い髪の子はどうなったんだろう? そして、あの化物は……何だった? あの後、どうなった?
あぁ、聞こえる。あの時も聞いた化物のうめき声。それに金属と金属がぶつかるような音。あの赤髪の子だって怪我をしていたはずなのに。真っ直ぐ、真っ直ぐ歩く。戦っている音が大きくなる。
「君は!?」
「おや、人間ですね」
化物に睨まれる。アイツが――を殺した。名前を思い出せない大事な人を。
「貴女にも消えてもらいましょう」
振り上げられた爪がわたしに迫る。この空っぽな人生を終える。どこかほっとしたような感覚がわたしにこみ上げてくる。
「ダメ!」
彼女の声が聞こえた。凄まじい早さでわたしに近づき、庇おうとする。振り下ろされた爪はそれでもわたしを切り裂いた。ただ、深々と抉る傷にはならなかった。
「今度こそ、救う!」
彼女がわたしを突き放したから、先端だけがわたしを切り裂いた。それでも、何かがわたしから流れ出していく感覚は止まない。赤髪のあの子が大きな鎌を振るって化物を遠ざける。彼女はわたしを抱えて起こすと、今助けるからと、そっと口づけを落とした。
ただ、何かが足りない気がする。心のどこかにぽっかりと穴が空いたような……いや、いつも空虚ではあるのだけれど、かすかに満たしてくれる何かがあったような気がするんだ。いつ買ったのか、何のために買ったのか記憶にない百合を模した綺麗な簪。しかも二本。簪そのものはわたしは好き好んでいるけれど、二本とも使うなんてことはない。かすかに痛む身体のあちこちが、誰かと交わったような感覚を残す。じくじくと疼くこの衝動は何なのだろうか。この疼きを収めてくれる誰かなんていないのに。
いつも通りの授業があって、いつものように昼休みになる。そう言えば、お昼ご飯を持ち合わせていない。誰かが作ってくれていたような……母か? そんなはずない。祖母も入院して短くない。自分の食事は自分で用意しなければ。取り敢えず、今日は購買へ行こう。わたしはおかしくなんかない。記憶が欠けているなんてこともないはずだ。
昼食を済ませ午後の授業を怠惰に過ごす。特段、理解に苦しむ点はない。――と勉強していたから。……誰と、誰とだろう? 一緒に勉強する人なんていないじゃないか。わたし一人で勉強したってきちんと理解できる。なんら難しいことなんてない。わたしは一人だ。
それから数日、どうにも何かが欠けているような感覚を抱えながら過ごしていた。春休みが終わってまた日常の生活リズムが変わったことによるストレスからかろうか、そう思ってわたしは、上っ面の付き合いでカラオケに誘われたのをいいことに、珍しく参加してみることにした。誰か一人ひどく喜んでいるクラスメイトがいたが、彼女の名前すらわたしは知らなかったし、知ろうとも思わなかった。ただ、カラオケ店内での会話で彼女が犬飼佳美という名前であることを知った。特段それ以上のことはなく、解散することとなりわたしは夜道を一人帰路につくことになった。駅から近いカラオケ店だったため家にも近い。一人でもよく行く店だから、今回の誘いに乗ったというのもある。電灯の少ない暗い道を歩く。ローファーのかかとがコツコツと固い音を立てる。この暗い道が記憶をつつく。この道を通ってはいけないと心が叫ぶ。馬鹿なことを言わないで、ここを通らなきゃ帰れないじゃない。足取りが重い。進むのを嫌がる。何か、一線引かれているような進みがたさをひしひしと感じる。
不意にあの百合の簪をポケットから取り出す。何故か二本持っているこれの一方を、今日も髪をまとめるのにも使っている。何故かこればかりを使ってしまう。特別の愛着があるのか、わたしには分からない。でもこれを握っていると、重かった足取りが気にならなくなる。
何か、薄い膜を破ったような……あるいは冷房の効いた部屋から暑い屋外へ出たような……そんな妙な感覚が肌に張り付いた。その時、あの夜の記憶がかすかに戻ってきた。真紅の髪の少女と、誰かが変な化物に吹き飛ばされて……それから、血が溢れて、違う、血はそんなに多く出ていなかった。頬に傷が奔って顔は血まみれだったけれど、あの子の傷は致命傷になるようなものじゃなかった。それに、彼女は消えてしまった。人が消えるはずないのに。じゃあ……あの赤い髪の子はどうなったんだろう? そして、あの化物は……何だった? あの後、どうなった?
あぁ、聞こえる。あの時も聞いた化物のうめき声。それに金属と金属がぶつかるような音。あの赤髪の子だって怪我をしていたはずなのに。真っ直ぐ、真っ直ぐ歩く。戦っている音が大きくなる。
「君は!?」
「おや、人間ですね」
化物に睨まれる。アイツが――を殺した。名前を思い出せない大事な人を。
「貴女にも消えてもらいましょう」
振り上げられた爪がわたしに迫る。この空っぽな人生を終える。どこかほっとしたような感覚がわたしにこみ上げてくる。
「ダメ!」
彼女の声が聞こえた。凄まじい早さでわたしに近づき、庇おうとする。振り下ろされた爪はそれでもわたしを切り裂いた。ただ、深々と抉る傷にはならなかった。
「今度こそ、救う!」
彼女がわたしを突き放したから、先端だけがわたしを切り裂いた。それでも、何かがわたしから流れ出していく感覚は止まない。赤髪のあの子が大きな鎌を振るって化物を遠ざける。彼女はわたしを抱えて起こすと、今助けるからと、そっと口づけを落とした。
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