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佑奈が母親のことを口にするたび、佳子の心はざわついた。母娘二人でのつつましい生活にはきっと苦労も多いだろうと、佳子なりに理解しているつもりでいた。だが、佳子の中に佑奈の母に対する嫉妬めいた気持ちが渦巻き始めていた。
それは、近日行われる三者面談のために佳子の母が一時帰国してきたことに起因する。佳子の母である秀美は、必要最低限の話しかしなかった。佳子の健康を気遣う様子もあったが、大半は受験に向けての会話で、プライベートな話と言えば次の帰国は年末になることくらいだった。それもある意味、連絡事項のようなもので、佳子の寂しさを埋めることはなかった。
「明後日、三者面談があるでしょ? それでママが帰国してるんだけど、今日の勉強は図書室でいいかな?」
「え、お母さんがいるなら早く家に帰った方が――」
佑奈からすればそれは当たり前のことだったが、佳子はその言葉に俯いてしまった。佑奈にとって母と過ごす時間は温かく心安らぐものだが、佳子にとってはそうではない。
「私は……ママより佑奈が大事だから」
「……え?」
「私は、私のことをもっと優先してほしいんだよ……」
佳子の母は佳子より、夫である佳子の父を優先した。だから海外赴任に同行し、佳子を家に一人残した。佑奈は佳子より母親を優先して、帰らないでと縋る佳子をいつも袖にする。
母の秀美は夫の海外赴任が決まるまでは、佳子に対して母親らしく振る舞っていた。だが、佳子を一人日本に残して海外へ行ったことで、佳子は裏切られたと思ってしまった。絶望と孤独に擦り減った心を、佑奈がようやく癒してくれた。だからこそ、佑奈もまたいつか自分から離れてしまうのではないかと、常に不安と隣り合わせだった。それこそ、佑奈の母が万が一引っ越すとなったら、きっと佑奈も一緒にいなくなる。佳子にとってそれはなによりも恐ろしいことだった。
「佳子……」
人気のなくなってきた教室で、佑奈はそっと佳子を抱き寄せた。
「どうして、私じゃダメなのよ……」
佑奈の腕の中で、佳子が怨嗟を吐くように零したその言葉に佑奈は驚き、目を見開いた。いつもの佳子ではない。いつも優しくて、甘えん坊で、少し寂しげな彼女とはまるで違う、完全に別人のようだった。
「私と母親、どっちが大事なのよ!!」
激情に駆られたかのようなその言葉に、佑奈は息を呑んだ。
腕の中に佳子を抱いたまま佑奈は立ち尽くし、言葉を失った。胸が痛くて、どうしていいのかわからなくなった。すすり泣く声が伝わってくる。必死で佑奈に何かを求めている。
佑奈はその問いに、すぐには答えられなかった。頭が真っ白になり、胸の中で何かがぐしゃりと壊れたような気がした。佳子があまりにも必死で、あまりにも切羽詰まっていて、その真意をどう受け止めればいいのか、全くわからなかった。
「佳子……」
佑奈は、ただその名前を呼び背中をさするくらいが精一杯だった。自分が彼女をどれだけ大切に思っているか、でも、それでも母親を優先せざるを得ない自分が、どれほど無力かを、佳子には理解してもらいたかった。けれど、その言葉をどう伝えればいいのか、頭の中で整理できなかった。
佳子は泣きながら言葉を繰り返す。
「どうして、どうして私じゃだめなの? 私は……私だって、佑奈と一緒にいたいのに。ずっと、ずっと一緒にいたいのに……。パパもママも私を置いて行った……佑奈、は? 佑奈も……いなくなっちゃうの……?」
佑奈の腕から抜け出し、佳子は真っ直ぐに佑奈を見つめた。涙の溜まった目に見つめられ、佑奈は胸が締めつけられるような感覚に襲われ、無力さを痛感していた。佳子の抱える寂しさに気付いていたのに、なにか出来ることがあったのではないか、と。
「ごめん……」
佑奈は震える声で、やっとそれだけを口にした。けれど、それが佳子に届くことはなかった。佳子は泣きながら、無言で佑奈を見つめる。
二人の間に、重い沈黙が流れた。佑奈の中にある、母親への愛と、佳子への思いが交錯し、どちらを選ぶべきかなんて、彼女にはわからなかった。
佳子はただ一人で、泣き続けた。
それは、近日行われる三者面談のために佳子の母が一時帰国してきたことに起因する。佳子の母である秀美は、必要最低限の話しかしなかった。佳子の健康を気遣う様子もあったが、大半は受験に向けての会話で、プライベートな話と言えば次の帰国は年末になることくらいだった。それもある意味、連絡事項のようなもので、佳子の寂しさを埋めることはなかった。
「明後日、三者面談があるでしょ? それでママが帰国してるんだけど、今日の勉強は図書室でいいかな?」
「え、お母さんがいるなら早く家に帰った方が――」
佑奈からすればそれは当たり前のことだったが、佳子はその言葉に俯いてしまった。佑奈にとって母と過ごす時間は温かく心安らぐものだが、佳子にとってはそうではない。
「私は……ママより佑奈が大事だから」
「……え?」
「私は、私のことをもっと優先してほしいんだよ……」
佳子の母は佳子より、夫である佳子の父を優先した。だから海外赴任に同行し、佳子を家に一人残した。佑奈は佳子より母親を優先して、帰らないでと縋る佳子をいつも袖にする。
母の秀美は夫の海外赴任が決まるまでは、佳子に対して母親らしく振る舞っていた。だが、佳子を一人日本に残して海外へ行ったことで、佳子は裏切られたと思ってしまった。絶望と孤独に擦り減った心を、佑奈がようやく癒してくれた。だからこそ、佑奈もまたいつか自分から離れてしまうのではないかと、常に不安と隣り合わせだった。それこそ、佑奈の母が万が一引っ越すとなったら、きっと佑奈も一緒にいなくなる。佳子にとってそれはなによりも恐ろしいことだった。
「佳子……」
人気のなくなってきた教室で、佑奈はそっと佳子を抱き寄せた。
「どうして、私じゃダメなのよ……」
佑奈の腕の中で、佳子が怨嗟を吐くように零したその言葉に佑奈は驚き、目を見開いた。いつもの佳子ではない。いつも優しくて、甘えん坊で、少し寂しげな彼女とはまるで違う、完全に別人のようだった。
「私と母親、どっちが大事なのよ!!」
激情に駆られたかのようなその言葉に、佑奈は息を呑んだ。
腕の中に佳子を抱いたまま佑奈は立ち尽くし、言葉を失った。胸が痛くて、どうしていいのかわからなくなった。すすり泣く声が伝わってくる。必死で佑奈に何かを求めている。
佑奈はその問いに、すぐには答えられなかった。頭が真っ白になり、胸の中で何かがぐしゃりと壊れたような気がした。佳子があまりにも必死で、あまりにも切羽詰まっていて、その真意をどう受け止めればいいのか、全くわからなかった。
「佳子……」
佑奈は、ただその名前を呼び背中をさするくらいが精一杯だった。自分が彼女をどれだけ大切に思っているか、でも、それでも母親を優先せざるを得ない自分が、どれほど無力かを、佳子には理解してもらいたかった。けれど、その言葉をどう伝えればいいのか、頭の中で整理できなかった。
佳子は泣きながら言葉を繰り返す。
「どうして、どうして私じゃだめなの? 私は……私だって、佑奈と一緒にいたいのに。ずっと、ずっと一緒にいたいのに……。パパもママも私を置いて行った……佑奈、は? 佑奈も……いなくなっちゃうの……?」
佑奈の腕から抜け出し、佳子は真っ直ぐに佑奈を見つめた。涙の溜まった目に見つめられ、佑奈は胸が締めつけられるような感覚に襲われ、無力さを痛感していた。佳子の抱える寂しさに気付いていたのに、なにか出来ることがあったのではないか、と。
「ごめん……」
佑奈は震える声で、やっとそれだけを口にした。けれど、それが佳子に届くことはなかった。佳子は泣きながら、無言で佑奈を見つめる。
二人の間に、重い沈黙が流れた。佑奈の中にある、母親への愛と、佳子への思いが交錯し、どちらを選ぶべきかなんて、彼女にはわからなかった。
佳子はただ一人で、泣き続けた。
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