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#008 温泉

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 俺は風呂桶のようなものでお湯を掬い、頭から一気に被る。こういうのは心臓から遠い場所からかけた方がいいんだろうが、そんなことすらどうでもよかった。

「まさかこっちの世界でこんないい風呂に入れるとは思わなかったぜ」

 しかもどうやら温泉らしい。厳密には炎の龍脈と水の龍脈がぶつかり合う地点に沸くお湯、とのこと。部屋に案内される前にアリーシャが教えてくれた。湯舟は岩を削った感じで露天風呂のここにはしっくりきている。

「ソウヤ殿もこちらの世界に来て多少、筋肉がついてきたのでは?」

 俺の隣でエリックさんが上腕二頭筋を見せびらかしてくる。その顔はどことなく自慢げだ。

「まぁ……そうかもだけど、あんまり見せつけてこないでくださいよ……」
「はっはっは、失礼しました」
「それにしても、なんというかこう……お風呂があるだけで随分違うものですね」
「えぇ、そうですな。私も久方ぶりに温かいお湯に浸かれます」
「エリックさんも普段は水浴びとか?」
「はい。私は騎士ですから、あまりそういった贅沢はできません」
「そっか、大変ですね」
「いえいえ、好きでやっていることですから。それに、この旅は魔王討伐の旅。これしきのこと苦ではありません」

 エリックさんは爽やかな笑顔でそう言った。
 本当にこの人は良くできた人だ。俺がエリックさんの立場なら、きっとここまで頑張れない。
 そもそも魔王討伐のために勇者の旅に同行しろなんて言われたらプレッシャーで逃げ出してしまいそうだ。まったく俺は……まだ自分のことばかりだな。

「エリックさんはすごいな」
「いえ、まだまだ未熟者です」
「そんな事ないですよ」
「ふむ……では一つだけアドバイスを差し上げましょうか」
「お、お願いします!」
「いつぞやナナリー嬢がぼそっと言っておりましたが、ソウヤ様はもう少し周りに頼るべきだと思いますな」
「頼る……ですか」
「はい。確かに勇者として召喚され、魔王を倒すためにこの世界に来たかもしれません。しかし、それは一人で成し遂げなければならないことではないはずです。我々は同じ使命を背負った仲間。互いに支え合うべき存在なのでしょう」
「…………」
「それにソウヤ様は女神の加護を受けているとはいえ、こちらに来る前はただの学生だったのでしょう? すぐに戦えたら、我々騎士の名が泣きますぞ」

 笑いながらそう話すエリックさん。確かにそうかもしれない。旅の仲間たちには俺が地球でどういう暮らしをしていたのか、ちょっとだけ話した。魔物がいなくて魔法もなくて、でも高度な文明が発達した世界。異世界転生したらすぐにチート勇者になれると思ってたけど、やっぱり……自分一人で何でもできるなんてわけ、ないんだよなあ。

「……確かにそうかもしれないですね」
「もっとも、これは私の持論であり、強制するつもりはありません。ただ、覚えておいて損は無いかと」
「ありがとうございます」

 なんだか、俺はまだ甘えた考えをしていたようだ。自分一人の力でなんとかしようと思い過ぎていたのかもしれない。そんな甘い考えだから、就職や仕事もうまくいかなかったんだろうなぁ。

「にしても……」

 俺がぼんやりと空を眺めていると、エリックさんが衝撃の発言を放った。

「女性陣は遅いですなぁ」
「は?」
「ん……? ソウヤ殿が元居た世界は知りませんが、こちらの世界は男女混浴が一般的ですぞ」
「はぁあ!?」
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