アヤカシガリ

緑谷

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「また失踪事件か、物騒になったなあ……」

 夕食後。テレビのニュースを見ていた養父の弘正ひろまさが、おもむろにぽつりと呟いた。

「しかも若い男の人ばかりですってね。うちの子も心配になってきたわねぇ」

 由梨江も心配げに相槌を打ち、優雅なしぐさで茶をすする。そんな両親を横目に、比呂也は皿を抱えたまま胸を張った。

「へーきへーき。弓月が守ってくれるって、な、弓月!」
「プライドってもんはねーのかお前」
「俺超弱いし!」
「威張るようなことかよ」
「だってお前、少なくとも正義の味方じゃん? だーから大丈夫! 期待してんぜ、弓月!」

 無条件の信頼は、時折妙に苦しくなる。妖狩はお前が思ってるように、弱い者のために戦ってるわけじゃねえ。そんな言葉をかろうじて飲み込み、弓月は短く「あっそ」と言い捨てた。さほど気にした様子もなく、比呂也は鼻歌交じりで台所に向かう。今日の洗い物は比呂也の当番だ。あの調子だと、胸中を悟られてはいないようだ。柄にもなく安堵し、弓月は再びテレビを眺める。

 ニュースは続く。被害者は日本の各地に点々とし、だんだん中心に向かっていくにつれて増加している。被害者は
白昼のうちに行方不明となり、その地点から近い場所――付近の山、あるいは破棄された旧道のトンネルなど、人気の少ない場所に放置されているのだという。皆乾ききったミイラ状態の死体で発見されており、目撃情報も一切無い怪事件として、この一週間報道されっぱなしだった。

 ミイラ状態ということは、全身の体液が抜かれているのだろう。白昼堂々さらわれ、犯人の目撃情報が皆無、そして人気のない場所で変死体が発見される、ということは、やはり人間の犯行ではないだろう。

 しかし、各所の同業者とて何もしていないはずはない。これくらいの予想は駆け出しだってできる。

(とんでもねぇスピードで移動してるのか? ……まさかな。いくら妖でも、そりゃ無理だ)

 風穴は妖の世界につながっている。しかし、その開き方はあくまでもランダムだ。場所の特定などできはしない。強い怨念があればできるかもしれないが、妖自体がそんな感情を持っているとは聞いたことがない。妖は負の念に惹かれるものであって、負の念を抱くものではないのだ。

 弓月が思案をめぐらせる目の前で、にわかにニュースキャスターが声をあげた。次いで

 大きく表示されたテロップには、


『新情報! 行方不明男性の周辺に現れていた、紅いコートの女性の行方は!? ――某県北東門町きたあずまかどちょうにて目撃情報』


 紅い、コートの、女。北東門町で、目撃。

 北東門町はここだ。キャスターは続ける。一番新しい犠牲者は昨日の夜行方不明になり、今朝見つかったばかりだ。場所は違う。ここではない。もっと遠い。一日では到底たどり着けないほど遠く離れた山奥だった。

 どうやって移動した。男性が行方不明になる前に女がうろついているのを周辺住民が見た。他の場所でもそうだった。どうやって移動したんだ? 一瞬で移動できる術はない。夜半に移動した? タクシーを使った形跡はないという。徒歩? 不可能だ。電車も新幹線もそれらしき人物を見た人はいない。飛行機? 違う。船。違う。一瞬で移動など人間にできるわけがない。妖でも不可能に近い。近いはずだ。

「……弓月ちゃん」

 思考に由梨江の言葉が混じる。普段のおっとりした姿からは想像できないほど、彼女は狼狽していた。

「比呂也、台所にいないわ。家中探しても見当たらないの。お皿は洗いかけでそのままだし……」

 そんな馬鹿な――言いかけて、弓月はとっさに身を起こした。

 空気がざわついている。奇妙な雰囲気が辺りを包んでいた。ぴんと張り詰めた空気、神経をじかに撫でられているような不快感。ざわざわと風が鳴っている。その音の合間を縫って、女の笑い声がした。甲高く不気味な声が、耳を舐めて流れていく。

「弓月ちゃん? どうしたの?」

 由梨江の問いかけに答えず、弓月は庭に飛び出した。笑い声は止まない。サンダルを突っかけ暗い空を見上げた。それから周囲を見回し、

「蜘蛛の糸……」

 竹の葉についた透明な糸を見つけた。気づけば笑い声は止み、生温かい空気が辺りを満たしている。そのくせ手足が凍えるほど冷たいのは、妖気が充満しているからだ。

「弓月ちゃん」
「出ないでください」

 厳しい声音で制すると、弓月は素早く部屋に戻った。窓を閉め、鍵をかけてカーテンを引く。

「おばさん。勝手口の鍵には、異常ありませんでしたね」
「ええ……弓月ちゃんの言うとおり、お塩盛っておいてあるわ」

 塩は清めの力を持つ。入り口に二つ盛っておけば、悪いものを内側に入れず、悪いものを外へ出さない簡単な結界を作り出す。破られたとは考えにくい。

 弓月は台所へと足を向けた。小さな器に盛られた塩は、依然として綺麗なままだった。扉は薄く開いており、冷たい妖気が境界線の外側にわだかまっている。

 内側には入られていない。入られていないならば、外に出たのだ。あるいはおびき出された。扉に触れることはできなくても、声をかけることならできる。境界線の外に出れば、人は無力な餌となる。

「馬鹿野郎……!」

 自分の詰めの甘さを痛感し、歯軋りをして弓月は呻く。修行不足だった。いつ連絡が取れるとも知れない男に頼る前に、違和感を覚えた時から徹底的に洗い出していればよかった。妖狩がついていながら、何と言う失態。だが、それを悔やんでいる時間はない。

「おばさん、誰かが訪ねてきても、絶対に扉は開けないでください。できることなら、怯えずに待っていてください。絶対に、生きたまま連れて戻ります。ですから、俺の言いつけを守って待っていてください」

 由梨江は黙って唇を噛み、祈るように両手を組んだ。弘正が、そんな妻の肩をそっと抱いてうなずく。

「わかった。気をつけてな、弓月ちゃん」
「弓月ちゃん……絶対に、帰ってきてね……絶対よ」

 両親の死を思い出したのか、由梨江は瞳に涙を浮かべて弓月の手を握り締めた。細かく震える小さな両手を、弓月は力いっぱい握り締める。

 人間と妖狩は、心を交わらせることなどできない。いつか誰かがそう言っていた。けれど、今この瞬間だけは人間であらせてほしい。意思持たぬ盾だとしても、道具だとしても、人間なんだと思わせてほしい。

「分かりました。死なないで、帰ってきますから」

 二人の養父母は、ようやくかすかな笑みを見せた。不安に彩られてはあるが、自分の子どもに向けるのと何ら変わりない、暖かな笑みであった。





 もうどれほど走っただろうか。さすがに息が切れてくる。頼りは時折わざとらしく残された、あの蜘蛛の糸だけであった。

 ただの蜘蛛の糸ではない。妖気の塊のようなものだ。やや粘り気を帯びたそれは、少しでも力を緩めると空気にたなびいてどこかに行ってしまう。しかし、たとえどれだけ横に引っ張っても切れない弾力性があった。これが幾重にも連なり巻きつけば、獲物は絶対に逃れられないだろう。

 今までの犠牲者もこうして捕らえられたのだろうか。そんなことを考えながら、糸を左右に引っ張った。

 警察の必死の捜索でも分からないのは、相手が人間として存在していないからだ。狩りのときだけ人間の姿をしていればいいのだから、どれだけ人相書きを描こうが特徴を列挙しようが意味がない。ただでさえ紅いコートは目立つ。男の気を引くために、何らかの細工がしてあったのかもしれない。確かめる必要はありそうだが、まずはさらわれた比呂也を助けるのが先だ。

 走ることさらにしばし、いつしか弓月は鬱蒼とした森にたどり着いていた。冠桜高校のさらに北、町の北東にに陣取った森林地帯である。誰かの所有地だと聞いたことはあるが、ほとんど手入れもされておらず、かといって手を加えることもできず、放置されて久しかった。

 その広さは高校の敷地二つ分、単純計算で二十分もあれば反対側にたどり着ける程度である。しかし規模こそ大きくはないものの、森林内は常に薄暗く人気がない。そのせいか、学生の間では割と有名な心霊スポットとして噂になっていた。行方不明者も一年に一人出るが、必ずこの森の付近で消息を絶っている。

 今になって考えてみれば、ここは町の鬼門にあたる。鬼門は鬼の通る道、妖が湧いていても何ら不思議ではない。ひょっとしたら、地図で記されているよりももっと深いのかもしれない。弓月は闇を孕む木々の合間をにらみつけ、まっすぐに入っていく。

 息が詰まりそうなほどの静寂。耳が痛くなるほどの沈黙。白い糸はまるで霞のようにたなびいて、木にへばりつき、あるいは草に絡まり、または生き物のように体をくねらせて空を泳いでいる。全くの無音だ。虫の声一つしない。


  ひらいたひらいた 何の花がひらいた
  れんげの花がひらいた ひらいたと思ったら
  いつのまにかつぼんだ


 静寂を弓月の唄が裂く。凝縮された力をつかみ、引き抜いて手に携える。抜き身の刃が照らし出すのは、黒々とした樹木の幹だ。そこに白い糸が絡みつき、妖気も同じように全身にまとわりついてくる。それを無言で振り払い、さらに奥を目指して進んだ。

 やがて視界は開け、小さな広場の前に出た。とっさに身を隠し、様子を伺う。人為的に作られただろうその場所に、紅のコートをまとった女が一人たたずんでいた。表情は分からない。何かを食い入るように見つめていた。その目の前には白い塊が浮いている。否、浮いているのではない。無数の糸で吊られた巨大な繭だ。繭とも少々違うやもしれない。

 そう、これは言うなれば――

「蜘蛛の獲物……」

 時折激しく揺れるそれは、中の人間の無事を示していた。次いでくぐもった叫びがあがる。弓月、という名前が聞こえた。女は気づいた様子がない。
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