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第四章 皇太子滝宮の「伝統を継ぐもの」
夜の散歩
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*ヒデ*
夕食にアレックスたちが帰って来たと聞かされて一階に降りていくと、お手伝いのマーサと一緒に亜美が食事の用意をしていた。
2歳になるジャスティンが覚束ない片言でお喋りしては皆を笑わせている。
「あかちゃん、あーんあーんってた。ぼく、おっぱいあげゆ。」
「うーん、ジャスティンはおっぱいよりもおもちゃを貸してあげてくれ。」
「おもちゃ? ぼくの?」
「今遊んでいるおもちゃじゃないよ。ジャスティンがクレアみたいに赤ちゃんの時使ってたやつだよ。」
「うん。いいよ。かしてあげゆ。」
秀次はジャスティンと話していたアレックスに頷くと、用意されていた椅子に座った。
「もう赤ちゃんの名前が決まったのかい?」
「宮様、今日はすみませんでした。助かりました。」
「アル、もういいよ。ほとんど亜美のお手柄だからね。それより名前は決まったの?」
「ええいくつか考えてたんですが、顔を見たらクレアと自然に口に出てきました。」
「クレアね。ぴったりの名前だ。ねぇ、亜美。」
突然、話をふられて食器を並べていた亜美がぴくりとした。
「え? ええ、そうですね。可愛い巻き毛の黒髪にぴったりだと思います。」
食事はとても美味しかった。
特に日本食が2品あったのが嬉しかった。かぼちゃの煮物と冷ややっこだ。アレックスが秀次に気を利かせて亜美に頼んでくれたらしい。
亜美は関東出身なのに出汁の効いた煮物を作っていた。京都に住んでいる秀次のことやノッコの味に慣れたアルのことを考えたのだろう。
私もだんだん亜美のことがわかってきた。
自分から話したりアピールすることがないので、いるのかいないのかわからないような大人しい印象を与えるのだが、彼女はあれこれと水面下で気を遣って心配りをするタイプだ。
そして今日のようないざと言う時にはその力量をいかんなく発揮する。
夕食中の会話に、秀次は幾度となく亜美を引っ張り込んだ。
その度に彼女はきちんと冷静に自分の意見を言った。
いいぞこれはいい。
英語の能力、信頼のできる人柄、そして肩が凝らずに空気のように安心できる存在。
出しゃばりすぎず、控えめ過ぎることも無い。
后にぴったりの人物じゃないか!
秀次はますますじっくりと亜美を観察し続けた。
◇◇◇
*アミ*
宮様に夜の散歩に誘われた。
確かに言われる通り、日本から来た者にとって今の体内時計は真昼だ。寝る前に身体を動かさないともう一度眠れないかもしれない。
守屋さんも誘ったのだが、用事があると辞退された。
昼間のことがあるので2人っきりはハードルが高い。
亜美が緊張しているのがわかっているのだろう、宮様はくすくす笑いながら言った。
「大丈夫ですよ、亜美。ここでは完全な2人きりにはなれません。どこかでケネスかマイクが見てますから、私も悪いことはできないんです。安心してお話ししましょう。」
「ええ…。」
でもなんだかひっかかる。
夕食に降りて来た時から宮様は私のことを亜美と呼び捨てだ。
アルさんもたまにそう呼ぶが、アルさんのはノッコの口癖が移っているんだろう。
宮様は最初、さん付けしてくれていた。それが急にこんなに親しげに呼ぶものだろうか?
夜の庭は静かな虫の音と植物たちの芳香に満ちていた。
どこかからラベンダーの香りがする。
この庭はノッコに言わせるとテレビで特集を組まれるような有名な庭らしい。
前回来た結婚式の時にはゆっくりと庭を散歩する暇もなかったので、今回は庭を見せてもらうのを楽しみにしていた。
それがこんなに緊張した散歩になるとは思ってもみなかったが…。
「亜美はどんな仕事をしているんですか?」
「本屋に勤めていたんです。」
本屋の名前を言うと、宮様は「ああ、京都にも大きな支店があるところですね。」と知っていらっしゃるようだった。
亜美が店長候補になっていることや転勤の問題や塾の話などをして、この夏で一旦すべて止めて、秋から新しい就職先を探すつもりだというと、何故だか大層喜ばれた。
「それはいい時にあなたと出会いました。ちなみにお付き合いをしている方はいますか?」
…どういう意味だ?
なにか住み込みの仕事でも世話をしてくれるのだろうか?
「彼氏という意味でしたら…いませんけれど…。」
「ご主人も婚約者も彼もいないんですね。」
そこまで念を押して並べられると寂しい女のように聞こえる。
そうですよ。
ノッコみたいな素敵な旦那様もいないし、ターチみたいにバリバリに営業をしている彼氏もいません。
悪うございましたね。
亜美はちょっとふてくされて頷いた。
「良かった。亜美、それでは私の后になって頂けませんか?」
「…………は?」
「皇太子妃に就職してくださいませんか?」
この人何を言っているんだろう? ちょっと意味がわからないんだけど…。
皇太子妃って、皇太子の奥さんだよね。
またまたぁ、冗談キツイなぁ。ああいうのはどこぞのお嬢様がなるんじゃないの?
「宮様、あの…。」
「亜美、秀次と呼んでください。巷の呼び名のようにヒデでもいいですよ。」
時差ボケの頭もここまで来たかと言う感じ。
「ちょっと落ち着いてください。宮様、そういうことは冗談でも口にしてはいけません。」
「冗談ではありません。」
いやにムッとしている。ハンサムが怒ると迫力だなぁ。
けれどここは、はっきりさせておかなくてはならない。
「一体何を思ってたった1日でそういう考えに至ったのか聞かせて下さい。唐突すぎます。」
「経緯ですか…。まさかそんなことを聞かれるとは思いませんでした。」
私だって、わけのわからないプロポーズまがいのことをされるとは思ってもみませんでしたよっ。
「ええっと。そうですねぇ。まず、亜美の足は綺麗です。それから素顔の寝顔が面白いんです。寝ながら顔が変わるんですよ。知ってましたか? そして…英語ができるでしょう? 国際外交に強いです。そして今日ノッコの急場を救った冷静な判断力。これは心強いです。普段は控えめだが話すときにはきちんと自分の意見を言うのもいい。性格も信頼できます。それに貴方といると空気のような安らぎを感じるんです。これは、今までに紹介を受けた誰にも感じたことがありません。なので、亜美に私の后になってもらいたいと思いました。」
…なるほどね。
なんか興味と就職面接で言われるようなことがごちゃ混ぜになっている気がする。
遥か雲の上に住んでいる方の感性というのは、独特のものがあるのね。
安らぎを感じると言ってもらったのは嬉しかったけれど、母親にも親しい友達にも感じるものじゃないのかしら?
私も恋愛経験が無いのでわからないけど…。
それに情熱とか恋って感じとかが全然伝わってこない。冷静で客観的な感じ。
プロポーズってこんなもんなの?
「亜美、聞こえてますか?」
「ええ。よくわかりました。ありがとうございます。私を過分に評価して頂いて光栄です。でも私には過ぎたお話だと思います。なので残念ですがお断りさせていただきます。宮様にはもっとふさわしい方がいらっしゃると思いますよ。」
亜美ははっきりと宮様に返事をして、お辞儀をすると屋敷の方へ足を向けた。
今日一日降り続いていた雨の湿気が夜の大気に重くしっとりと含まれている中を、亜美は一人で、ぼんやりとした屋敷の明かりを目指して歩いていた。
でも初めてのプロポーズを皇太子殿下からしていただけるなんて…ふふ、ある意味私の勲章ね。
誰にも言えることじゃないけど。
夕食にアレックスたちが帰って来たと聞かされて一階に降りていくと、お手伝いのマーサと一緒に亜美が食事の用意をしていた。
2歳になるジャスティンが覚束ない片言でお喋りしては皆を笑わせている。
「あかちゃん、あーんあーんってた。ぼく、おっぱいあげゆ。」
「うーん、ジャスティンはおっぱいよりもおもちゃを貸してあげてくれ。」
「おもちゃ? ぼくの?」
「今遊んでいるおもちゃじゃないよ。ジャスティンがクレアみたいに赤ちゃんの時使ってたやつだよ。」
「うん。いいよ。かしてあげゆ。」
秀次はジャスティンと話していたアレックスに頷くと、用意されていた椅子に座った。
「もう赤ちゃんの名前が決まったのかい?」
「宮様、今日はすみませんでした。助かりました。」
「アル、もういいよ。ほとんど亜美のお手柄だからね。それより名前は決まったの?」
「ええいくつか考えてたんですが、顔を見たらクレアと自然に口に出てきました。」
「クレアね。ぴったりの名前だ。ねぇ、亜美。」
突然、話をふられて食器を並べていた亜美がぴくりとした。
「え? ええ、そうですね。可愛い巻き毛の黒髪にぴったりだと思います。」
食事はとても美味しかった。
特に日本食が2品あったのが嬉しかった。かぼちゃの煮物と冷ややっこだ。アレックスが秀次に気を利かせて亜美に頼んでくれたらしい。
亜美は関東出身なのに出汁の効いた煮物を作っていた。京都に住んでいる秀次のことやノッコの味に慣れたアルのことを考えたのだろう。
私もだんだん亜美のことがわかってきた。
自分から話したりアピールすることがないので、いるのかいないのかわからないような大人しい印象を与えるのだが、彼女はあれこれと水面下で気を遣って心配りをするタイプだ。
そして今日のようないざと言う時にはその力量をいかんなく発揮する。
夕食中の会話に、秀次は幾度となく亜美を引っ張り込んだ。
その度に彼女はきちんと冷静に自分の意見を言った。
いいぞこれはいい。
英語の能力、信頼のできる人柄、そして肩が凝らずに空気のように安心できる存在。
出しゃばりすぎず、控えめ過ぎることも無い。
后にぴったりの人物じゃないか!
秀次はますますじっくりと亜美を観察し続けた。
◇◇◇
*アミ*
宮様に夜の散歩に誘われた。
確かに言われる通り、日本から来た者にとって今の体内時計は真昼だ。寝る前に身体を動かさないともう一度眠れないかもしれない。
守屋さんも誘ったのだが、用事があると辞退された。
昼間のことがあるので2人っきりはハードルが高い。
亜美が緊張しているのがわかっているのだろう、宮様はくすくす笑いながら言った。
「大丈夫ですよ、亜美。ここでは完全な2人きりにはなれません。どこかでケネスかマイクが見てますから、私も悪いことはできないんです。安心してお話ししましょう。」
「ええ…。」
でもなんだかひっかかる。
夕食に降りて来た時から宮様は私のことを亜美と呼び捨てだ。
アルさんもたまにそう呼ぶが、アルさんのはノッコの口癖が移っているんだろう。
宮様は最初、さん付けしてくれていた。それが急にこんなに親しげに呼ぶものだろうか?
夜の庭は静かな虫の音と植物たちの芳香に満ちていた。
どこかからラベンダーの香りがする。
この庭はノッコに言わせるとテレビで特集を組まれるような有名な庭らしい。
前回来た結婚式の時にはゆっくりと庭を散歩する暇もなかったので、今回は庭を見せてもらうのを楽しみにしていた。
それがこんなに緊張した散歩になるとは思ってもみなかったが…。
「亜美はどんな仕事をしているんですか?」
「本屋に勤めていたんです。」
本屋の名前を言うと、宮様は「ああ、京都にも大きな支店があるところですね。」と知っていらっしゃるようだった。
亜美が店長候補になっていることや転勤の問題や塾の話などをして、この夏で一旦すべて止めて、秋から新しい就職先を探すつもりだというと、何故だか大層喜ばれた。
「それはいい時にあなたと出会いました。ちなみにお付き合いをしている方はいますか?」
…どういう意味だ?
なにか住み込みの仕事でも世話をしてくれるのだろうか?
「彼氏という意味でしたら…いませんけれど…。」
「ご主人も婚約者も彼もいないんですね。」
そこまで念を押して並べられると寂しい女のように聞こえる。
そうですよ。
ノッコみたいな素敵な旦那様もいないし、ターチみたいにバリバリに営業をしている彼氏もいません。
悪うございましたね。
亜美はちょっとふてくされて頷いた。
「良かった。亜美、それでは私の后になって頂けませんか?」
「…………は?」
「皇太子妃に就職してくださいませんか?」
この人何を言っているんだろう? ちょっと意味がわからないんだけど…。
皇太子妃って、皇太子の奥さんだよね。
またまたぁ、冗談キツイなぁ。ああいうのはどこぞのお嬢様がなるんじゃないの?
「宮様、あの…。」
「亜美、秀次と呼んでください。巷の呼び名のようにヒデでもいいですよ。」
時差ボケの頭もここまで来たかと言う感じ。
「ちょっと落ち着いてください。宮様、そういうことは冗談でも口にしてはいけません。」
「冗談ではありません。」
いやにムッとしている。ハンサムが怒ると迫力だなぁ。
けれどここは、はっきりさせておかなくてはならない。
「一体何を思ってたった1日でそういう考えに至ったのか聞かせて下さい。唐突すぎます。」
「経緯ですか…。まさかそんなことを聞かれるとは思いませんでした。」
私だって、わけのわからないプロポーズまがいのことをされるとは思ってもみませんでしたよっ。
「ええっと。そうですねぇ。まず、亜美の足は綺麗です。それから素顔の寝顔が面白いんです。寝ながら顔が変わるんですよ。知ってましたか? そして…英語ができるでしょう? 国際外交に強いです。そして今日ノッコの急場を救った冷静な判断力。これは心強いです。普段は控えめだが話すときにはきちんと自分の意見を言うのもいい。性格も信頼できます。それに貴方といると空気のような安らぎを感じるんです。これは、今までに紹介を受けた誰にも感じたことがありません。なので、亜美に私の后になってもらいたいと思いました。」
…なるほどね。
なんか興味と就職面接で言われるようなことがごちゃ混ぜになっている気がする。
遥か雲の上に住んでいる方の感性というのは、独特のものがあるのね。
安らぎを感じると言ってもらったのは嬉しかったけれど、母親にも親しい友達にも感じるものじゃないのかしら?
私も恋愛経験が無いのでわからないけど…。
それに情熱とか恋って感じとかが全然伝わってこない。冷静で客観的な感じ。
プロポーズってこんなもんなの?
「亜美、聞こえてますか?」
「ええ。よくわかりました。ありがとうございます。私を過分に評価して頂いて光栄です。でも私には過ぎたお話だと思います。なので残念ですがお断りさせていただきます。宮様にはもっとふさわしい方がいらっしゃると思いますよ。」
亜美ははっきりと宮様に返事をして、お辞儀をすると屋敷の方へ足を向けた。
今日一日降り続いていた雨の湿気が夜の大気に重くしっとりと含まれている中を、亜美は一人で、ぼんやりとした屋敷の明かりを目指して歩いていた。
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