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第三部 Waiting All Night
124話
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翌日も礼は体が求めるままに寝た。目が覚めた時には、陽はとっくに高くまで上がっており、外では実津瀬と蓮が邸の子供達と遊んでいる声が聞こえた。礼は起き上がると、縫がやってきた。昨日と同じように、薬湯を飲み、粥を食べると、促されるまま横になってまた眠った。
次に起きた時には、陽は西に傾き始めた頃だった。子供達は遊び疲れて部屋で昼寝をすると聞いた。
礼は体を起こして、今夜の準備をしようと思った。今夜、実言はこの邸に戻ってくる。
「ゆっくりと動きなさいませ。ここ二日は寝てばかりいたのですから」
わかっていると礼は頷いて、子供達の部屋に澪に支えられてそろりそろりと向かった。部屋に入ると双子はもう褥の上で目をとろんとさせていた。
「おかあしゃま……」
近づいてきた母を見て、顔を上げた実津瀬が言った。礼は実津瀬の手を握って反対の手で甲を撫でた。すると、実津瀬は安心したのか深く眠りに落ちて行った。褥から飛び出して寝ている蓮を膝の上に載せた。久しぶりに抱き上げるととても重くなった気がして、毎日成長しているのだと思った。ぽんぽんとお尻のあたりをさすりながら蓮をゆっくりと揺すって眠りに入るのを助けた。
二人の寝る姿を見ながら、礼は今夜実言がどんな姿で帰ってこようとも驚くことなく、その体を迎い入れ、必死に看病するのだと覚悟した。二人のためにも、夫の生に関わりたいと思うのだった。
「礼様、蓮様をこちらに。もうずいぶん大きくおなりだから、ずっと抱いているのも大変ですわ。今のあなた様にはもっと」
と子守の侍女が言った。
礼は侍女に蓮を渡して、一つの褥の上に眠る我が子二人を眺めた。
それを後ろから見ていた澪は、礼の尽きることなく見つめるのを止めさせるために声を掛けた。
「夜がありますから、あなた様も少し休みませんといけませんわ」
礼は返事をするように立ち上がり、二人を名残惜しそうに眺めたが、やがて心を決めて澪と共に夫と自分の部屋に戻って行った。
夕方から本家の従者や侍女たちがやってきた。実言と礼の邸の者たちとは、交流があるので慣れたもので、慌ただしく邸の中を動き回り、実言を迎え入れる準備をしていた。前日から本家が懇意にしている医者が王宮に出向いて実言を診ている。そこで、邸に戻ってからの治療の準備を整えている。
礼はお任せで、自分は部屋で脇息にもたれていた。礼が立ち上がろうものなら、澪と縫が座れと言って止めるからだった。
皆がせわしなく動いているのに、礼は夕餉を食べたりして、皆に申し訳ない気持ちだ。
「ひと寝入りされてもいいのですよ。実言様が戻られたら、あなた様は寝ていることなどできないでしょうから」
礼の性分をわかっている二人は、そう言って礼の体を少しでも休めるよう気遣った。昼寝から起きた子供達は、祖母の毬の部屋へと連れていかれた。おばあさまが二人を楽しませようとあれやこれや準備をしていた。たとえば、実津瀬には笛を吹いたり舞を舞ったりするのが好きだから、大人の笛を用意して吹かせたり、踊りのための衣装を毬が縫ってやっているのを見せて、どんなものにして欲しいか聞いた。蓮には、美しい紙を取り寄せてそれを見せてやる。透かし模様の入った薄紫のその紙を蓮は目を輝かせて観ている。一枚取り出して、蓮に筆を持たせて文字を書かせてやると、濃い墨が力強く滑って書き進むうちにかすれて行く。その線は子供にしては美しく操っていた。
「上手いね!蓮」
毬が言うと、蓮はにっこりと笑ってさらに筆を走らせた。
二人は祖母の策略にはまってきゃっきゃっと喜んで遊んでいる。そのまま、夕餉を食べて、実言が母に贈った御帳台の浜床に上がってふかふかの褥に二人は大喜びで、暫くは仲良く遊んでいたが、やがて遊び疲れて寝入ってしまった。
毬がそんな二人の寝顔を眺めていると、母屋が騒がしくなった。簀子縁まで出ると、空には半月が上がっていた。
脇息に寄りかかっていた礼は急に庭で男たちの掛け声や呼び声がして、実言が帰ってきたと、体を起こした。
「見て参りますから、礼様はまだ座っていらして」
と澪が言って、簀子縁に出て行った。
実言は王宮の一室を借りて、治療をしてもらっていた。謁見の間から退出し、医師の控える部屋にたどり着いたと同時に、意識を失ってから、一度も目覚めていない。すぐに傷口は洗われ、止血されたが、実言はうめき声さえ上げなかった。三日経っても何の変化もないのを、このまま置いておくわけにもいかず、父親の園栄は邸に連れて帰ると言って、陽が暮れると板に褥ごと載せて男たちに担がせて王宮を出た。外はまだ残暑で、外で涼む者がいるが、道はそれほど人の往来があるわけではなく、岩城実言は邸の者たちの肩によって運ばれて行った。
王宮から近いのは本家の邸であり、運ぶ者たちもその方が楽であるが、やはり自分の邸に、妻や子が待つ邸に戻るのが良かろうと園栄は、担ぐ者たちに頭を下げた。
そして、動くと汗が噴き出る中を、男たちは代わる代わる持ち手を肩で支えて実言をこの邸まで連れて帰った。
澪が簀子縁に出た時は、庭で実言を寝かせるために設えた部屋へ上がるのに、態勢をどうするかで、指揮を執る者や担ぎ手が掛け声を掛け合って階を上がろうとしているところだった。
澪は板の上に横になり衾を掛けられた実言を見て、礼を呼ばなくてはと、後ろを振り返るとそこには縫に支えられた礼がいた。
礼は澪を飛び越えて庭から階を上がっている担ぎ手に近寄り、板の上にいる実言に近づこうとした。
指示役の男が、一旦下ろせと言って、皆が声をそろえて発し、実言を載せた板を下ろした。後は、少しばかり調整して手を離した。
「皆、下がってよい」
との号令に、男たちはゆっくりと足を忍ばせて簀子縁へと出て行った。
「皆さま、こちらへどうぞ。別室でお休みくださいませ」
と声が掛かり、皆それに呼ばれるように簀子縁から離れて行った。
人が去った後、礼はすぐに実言の傍に寄り添い、衾の上に出ている手を握った。しかし、力いっぱい握っても、実言の上を向いた顔は何の反応もなく、口を引き結んで眠っているように見えた。礼のいる方に顔を向けて。
「礼……約束通り帰ってきただろう」
とは言ってくれない。
約束通りではあるが、物言わぬこんな姿で帰ってくるとは誰が想像しただろうか。
礼は握った実言の手を持ち上げて、その甲を自分の顔に押し付けた。自然と涙がこぼれて、実言の甲を濡らした。
「実言……」
礼は夫の名を呼んで、体を起こし頬の涙を拭った。そこで、庇の間に座っていた岩城本家の医者が入って来て、礼の隣に座った。
礼は深々と頭を下げて、王宮での実言の看病について礼を言った。
本家の医師、多良清澄は礼の言葉を遮るように言った。
「大后の計らいで、王宮の薬を使わしていただき、出血も止まって容態も落ち着いていると思われるのに、一向に目を覚まされない。どうしたものかと、困った。後は、邸であなたがこまごまと世話をして差し上げているうちに、黄泉の国に行くべきかこちらにとどまるべきか迷っているところを、自分はこちらに戻るべきと気づかれる日が来ると思う。だから、あなたの手で実言殿を看てあげなさい」
礼は再び深く頭を垂れて言った。
「精一杯夫の世話をいたします。どうか多良様のお力をお貸しくださいまし」
多良医師は頷いて。
「当たり前だよ。力を尽くそう」
と言った。
実言の顔は肩に剣を受けた時に比べて、格段に痩せていた。夫の生命力が細くなっていくのを礼は恐れた。その中で目の前にいる多良医師の存在がとても心強く思うのだった。皆で実言を救う手立てを探すのだと、自分一人ではないことが勇気になる気がした。
それから、多良医師は王宮から授かった塗り薬、飲み薬の細かな処方を礼に伝えた後、この邸を辞去した。本家からの従者や侍女たちも、別室や本家に帰って行って礼は実言と二人きりになった。
澪と縫が静かに庇の間に控えている。
「今日は帰ってきた旦那様と共寝をするわ。自分の体に無理はさせないから、心配しないであなたたちも部屋に帰って休んでちょうだい、ね」
と礼は言った。
礼は実言の寝る褥の上に上がって、寄り添った。澪は静かに近づいて衾を掛けた。
「実言様と一緒によくお眠りなさいまし。朝、また参りますわ」
澪の言葉に礼は頷いた。朝になれば、いつものように実言が目覚めていて、礼よりも先に寝所から出て、子供達の様子を見に行くような光景が現れそうな口ぶりだった。
それを聞いて、礼は目尻にうっすらと涙が浮かぶのだった。
次に起きた時には、陽は西に傾き始めた頃だった。子供達は遊び疲れて部屋で昼寝をすると聞いた。
礼は体を起こして、今夜の準備をしようと思った。今夜、実言はこの邸に戻ってくる。
「ゆっくりと動きなさいませ。ここ二日は寝てばかりいたのですから」
わかっていると礼は頷いて、子供達の部屋に澪に支えられてそろりそろりと向かった。部屋に入ると双子はもう褥の上で目をとろんとさせていた。
「おかあしゃま……」
近づいてきた母を見て、顔を上げた実津瀬が言った。礼は実津瀬の手を握って反対の手で甲を撫でた。すると、実津瀬は安心したのか深く眠りに落ちて行った。褥から飛び出して寝ている蓮を膝の上に載せた。久しぶりに抱き上げるととても重くなった気がして、毎日成長しているのだと思った。ぽんぽんとお尻のあたりをさすりながら蓮をゆっくりと揺すって眠りに入るのを助けた。
二人の寝る姿を見ながら、礼は今夜実言がどんな姿で帰ってこようとも驚くことなく、その体を迎い入れ、必死に看病するのだと覚悟した。二人のためにも、夫の生に関わりたいと思うのだった。
「礼様、蓮様をこちらに。もうずいぶん大きくおなりだから、ずっと抱いているのも大変ですわ。今のあなた様にはもっと」
と子守の侍女が言った。
礼は侍女に蓮を渡して、一つの褥の上に眠る我が子二人を眺めた。
それを後ろから見ていた澪は、礼の尽きることなく見つめるのを止めさせるために声を掛けた。
「夜がありますから、あなた様も少し休みませんといけませんわ」
礼は返事をするように立ち上がり、二人を名残惜しそうに眺めたが、やがて心を決めて澪と共に夫と自分の部屋に戻って行った。
夕方から本家の従者や侍女たちがやってきた。実言と礼の邸の者たちとは、交流があるので慣れたもので、慌ただしく邸の中を動き回り、実言を迎え入れる準備をしていた。前日から本家が懇意にしている医者が王宮に出向いて実言を診ている。そこで、邸に戻ってからの治療の準備を整えている。
礼はお任せで、自分は部屋で脇息にもたれていた。礼が立ち上がろうものなら、澪と縫が座れと言って止めるからだった。
皆がせわしなく動いているのに、礼は夕餉を食べたりして、皆に申し訳ない気持ちだ。
「ひと寝入りされてもいいのですよ。実言様が戻られたら、あなた様は寝ていることなどできないでしょうから」
礼の性分をわかっている二人は、そう言って礼の体を少しでも休めるよう気遣った。昼寝から起きた子供達は、祖母の毬の部屋へと連れていかれた。おばあさまが二人を楽しませようとあれやこれや準備をしていた。たとえば、実津瀬には笛を吹いたり舞を舞ったりするのが好きだから、大人の笛を用意して吹かせたり、踊りのための衣装を毬が縫ってやっているのを見せて、どんなものにして欲しいか聞いた。蓮には、美しい紙を取り寄せてそれを見せてやる。透かし模様の入った薄紫のその紙を蓮は目を輝かせて観ている。一枚取り出して、蓮に筆を持たせて文字を書かせてやると、濃い墨が力強く滑って書き進むうちにかすれて行く。その線は子供にしては美しく操っていた。
「上手いね!蓮」
毬が言うと、蓮はにっこりと笑ってさらに筆を走らせた。
二人は祖母の策略にはまってきゃっきゃっと喜んで遊んでいる。そのまま、夕餉を食べて、実言が母に贈った御帳台の浜床に上がってふかふかの褥に二人は大喜びで、暫くは仲良く遊んでいたが、やがて遊び疲れて寝入ってしまった。
毬がそんな二人の寝顔を眺めていると、母屋が騒がしくなった。簀子縁まで出ると、空には半月が上がっていた。
脇息に寄りかかっていた礼は急に庭で男たちの掛け声や呼び声がして、実言が帰ってきたと、体を起こした。
「見て参りますから、礼様はまだ座っていらして」
と澪が言って、簀子縁に出て行った。
実言は王宮の一室を借りて、治療をしてもらっていた。謁見の間から退出し、医師の控える部屋にたどり着いたと同時に、意識を失ってから、一度も目覚めていない。すぐに傷口は洗われ、止血されたが、実言はうめき声さえ上げなかった。三日経っても何の変化もないのを、このまま置いておくわけにもいかず、父親の園栄は邸に連れて帰ると言って、陽が暮れると板に褥ごと載せて男たちに担がせて王宮を出た。外はまだ残暑で、外で涼む者がいるが、道はそれほど人の往来があるわけではなく、岩城実言は邸の者たちの肩によって運ばれて行った。
王宮から近いのは本家の邸であり、運ぶ者たちもその方が楽であるが、やはり自分の邸に、妻や子が待つ邸に戻るのが良かろうと園栄は、担ぐ者たちに頭を下げた。
そして、動くと汗が噴き出る中を、男たちは代わる代わる持ち手を肩で支えて実言をこの邸まで連れて帰った。
澪が簀子縁に出た時は、庭で実言を寝かせるために設えた部屋へ上がるのに、態勢をどうするかで、指揮を執る者や担ぎ手が掛け声を掛け合って階を上がろうとしているところだった。
澪は板の上に横になり衾を掛けられた実言を見て、礼を呼ばなくてはと、後ろを振り返るとそこには縫に支えられた礼がいた。
礼は澪を飛び越えて庭から階を上がっている担ぎ手に近寄り、板の上にいる実言に近づこうとした。
指示役の男が、一旦下ろせと言って、皆が声をそろえて発し、実言を載せた板を下ろした。後は、少しばかり調整して手を離した。
「皆、下がってよい」
との号令に、男たちはゆっくりと足を忍ばせて簀子縁へと出て行った。
「皆さま、こちらへどうぞ。別室でお休みくださいませ」
と声が掛かり、皆それに呼ばれるように簀子縁から離れて行った。
人が去った後、礼はすぐに実言の傍に寄り添い、衾の上に出ている手を握った。しかし、力いっぱい握っても、実言の上を向いた顔は何の反応もなく、口を引き結んで眠っているように見えた。礼のいる方に顔を向けて。
「礼……約束通り帰ってきただろう」
とは言ってくれない。
約束通りではあるが、物言わぬこんな姿で帰ってくるとは誰が想像しただろうか。
礼は握った実言の手を持ち上げて、その甲を自分の顔に押し付けた。自然と涙がこぼれて、実言の甲を濡らした。
「実言……」
礼は夫の名を呼んで、体を起こし頬の涙を拭った。そこで、庇の間に座っていた岩城本家の医者が入って来て、礼の隣に座った。
礼は深々と頭を下げて、王宮での実言の看病について礼を言った。
本家の医師、多良清澄は礼の言葉を遮るように言った。
「大后の計らいで、王宮の薬を使わしていただき、出血も止まって容態も落ち着いていると思われるのに、一向に目を覚まされない。どうしたものかと、困った。後は、邸であなたがこまごまと世話をして差し上げているうちに、黄泉の国に行くべきかこちらにとどまるべきか迷っているところを、自分はこちらに戻るべきと気づかれる日が来ると思う。だから、あなたの手で実言殿を看てあげなさい」
礼は再び深く頭を垂れて言った。
「精一杯夫の世話をいたします。どうか多良様のお力をお貸しくださいまし」
多良医師は頷いて。
「当たり前だよ。力を尽くそう」
と言った。
実言の顔は肩に剣を受けた時に比べて、格段に痩せていた。夫の生命力が細くなっていくのを礼は恐れた。その中で目の前にいる多良医師の存在がとても心強く思うのだった。皆で実言を救う手立てを探すのだと、自分一人ではないことが勇気になる気がした。
それから、多良医師は王宮から授かった塗り薬、飲み薬の細かな処方を礼に伝えた後、この邸を辞去した。本家からの従者や侍女たちも、別室や本家に帰って行って礼は実言と二人きりになった。
澪と縫が静かに庇の間に控えている。
「今日は帰ってきた旦那様と共寝をするわ。自分の体に無理はさせないから、心配しないであなたたちも部屋に帰って休んでちょうだい、ね」
と礼は言った。
礼は実言の寝る褥の上に上がって、寄り添った。澪は静かに近づいて衾を掛けた。
「実言様と一緒によくお眠りなさいまし。朝、また参りますわ」
澪の言葉に礼は頷いた。朝になれば、いつものように実言が目覚めていて、礼よりも先に寝所から出て、子供達の様子を見に行くような光景が現れそうな口ぶりだった。
それを聞いて、礼は目尻にうっすらと涙が浮かぶのだった。
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