神隠しな戦国おたく

TAKAHARA HIROKI

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第3章 蒼い旗印

雨に打たれる森の空気には、濃厚な鉄の臭いが立ち込めていた。血の臭いだ。
 博史は杉の木の陰から、眼前の惨状を息を殺して見つめていた。
 裏山のシェルターへ続く獣道。そこで、小雪たちを護衛していた警備隊が全滅していた。
 彼らは最期まで抵抗したのだろう。遺体は皆、逃げる方向ではなく、敵に向かって倒れている。
 そして、その中心にある泥溜まりに、一本の旗竿が折れて転がっていた。
 「蒼い鷹の旗」。
 博史と小雪がデザインし、椎葉の独立と自由の象徴として掲げてきた誇り高き旗印。
 鮮やかな蒼色は、今や泥と血で黒ずみ、見る影もない。
「……Found them.(いたぞ)」
 無機質な声が響いた。
 強力なサーチライトの光が、大木の根元を照らし出す。
 そこに、小雪と時(とき)が身を寄せ合って震えていた。
「お母様……」
「大丈夫よ、時。目を閉じていなさい」
 小雪は娘を背に隠し、泥だらけの薙刀(なぎなた)を構えていた。だが、その切っ先は震えている。
 彼女たちを取り囲むのは、最新鋭の装備で武装した傭兵たち十数名。
 その中心に立つリーダーらしき男――顔に火傷の痕がある巨漢――が、足元に落ちていた「蒼い旗」に目を留めた。
「Hmph.(ふん)」
 男は冷笑し、軍靴の底でその旗を踏みつけた。
 グリグリと、泥の中へねじ込むように。
「これが『東洋の奇跡』のシンボルか? ただの汚い布切れだな」
 男は小雪を見下し、日本語で告げた。
「終わりだ、奥方。あんたたちの夢も、国も、ここで終わりだ」
 小雪が悔しさに唇を噛み、叫んだ。
「その足を退けなさい! それは……私たちが皆で紡いできた絆です!」
「知ったことか」
 男が合図を送ると、部下が小雪の薙刀を銃床で叩き落とし、乱暴に彼女の腕をねじ上げた。
「きゃあっ!?」
「お母様!!」
 時(とき)が飛び出そうとするが、別の兵士に首根っこを掴まれる。
「さて、教授(プロフェッサー)はどこだ? この娘が人質になれば出てくるはずだが」
 リーダーが周囲の闇に向かって声を張り上げた。
「出てこい! さもなくば、この旗と同じように、娘の頭をカチ割るぞ!」
 リーダーが再び、足元の蒼い旗を踏みしめた、その時だった。
「……その汚い足を退けろ」
 闇の底から、凍てつくような声が響いた。
 リーダーが眉をひそめて振り返る。
 雷光が閃いた一瞬。
 博史が立っていた。
 雨に濡れた髪、泥だらけのジャケット。だが、その瞳だけは、かつて数万の軍勢を震え上がらせた「青き修羅」の光を宿していた。
 その右手には、ハンマーを起こしたリボルバーが握られている。
「あんた……」
 リーダーがニヤリと笑う。
「やっとお出ましだな、英雄気取りが」
「その旗は、ただの布じゃない」
 博史は銃口をリーダーに向けたまま、静かに、しかし腹の底から響く声で言った。
「それは、僕たちがこの時代で生きた証だ。何もない場所から、汗と泥にまみれて……皆で笑って、泣いて、作り上げた『時間』そのものだ!」
 博史の脳裏に、吾作や孫六、死んでいった仲間たちの笑顔が過(よ)ぎる。
 彼らが命懸けで守り、託してくれた未来。
 それを、こんな他所から来たハイエナどもに踏ませてなるものか。
「退けと言っているんだ。……聞こえなかったか?」
 博史が一歩踏み出す。
 その気迫に、周囲の傭兵たちが思わず銃を構え直す。
「威勢がいいな。だが、状況が見えていないのか?」
 リーダーは時(とき)のこめかみに銃を突きつけた。
「銃を捨てろ。さもなくば、この小さな頭脳を吹き飛ばす」
 博史の足が止まる。
 時(とき)が、涙でいっぱいの目で博史を見た。
「お父様……逃げて……!」
「時……」
 博史はゆっくりと、持っていた銃のハンマーを戻し、指をトリガーガードから外した。
 ゆっくりとしゃがみ込み、銃を地面に置く――ふりをした。
(距離、七メートル。敵、十二人。風速、強風)
 博史の目は死んでいなかった。
 泥にまみれた蒼い旗。それが風に吹かれ、ほんのわずかにめくれ上がったのを、博史は見逃さなかった。
 嵐が来る。突風が。
「……なあ、あんた」
 博史が低く呟く。
「この国の旗印には、もう一つ意味があるんだ」
「何だと?」
「『嵐を呼ぶ』ってことだよ!」
 ゴオオォォォォォッ!!
 タイミングを合わせたかのように、猛烈な突風が森を吹き抜けた。
 リーダーが踏んでいた旗が風を孕んで暴れ、彼の足元を掬(すく)うようにバタついた。
「ぬっ!?」
 リーダーがバランスを崩した、そのコンマ一秒。
 博史は銃を置くどころか、両手で構えて跳ね起きた。
 バァァンッ!!
 乾いた銃声が闇を切り裂く。
 放たれた弾丸は、時(とき)を掴んでいた兵士の肩を貫いた。
「走れぇぇッ! 旗を拾え!!」
 博史の叫びに、小雪が弾かれたように動いた。
 彼女は倒れた兵士を蹴り飛ばして娘を取り返すと同時に、泥の中から「蒼い旗」を引ったくった。
 泥だらけの旗が、雨の中で再び掲げられる。
 それは反撃の狼煙(のろし)だった。
 最後の戦いが始まる。
(最終章 第3章 完)

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