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第11章:熱の余韻、暁(あかつき)の共鳴
群馬県、秋名山の麓にある駐車場。
深夜の静寂を取り戻したはずのその場所には、未だ熱気が渦巻いていた。
並んで停車したRX-7とGT-R。
ボンネットからは陽炎が立ち上り、ブレーキローターは暗闇の中で赤黒い残光を放っている。
『チン、カン、キン……』
金属の収縮音が、二台の怪物が死力を尽くした証として響いていた。
如月美羽は、自動販売機で冷たいスポーツドリンクを買い、一気に喉に流し込んだ。
乾ききった体に水分が染み渡る。
手のひらの震えは止まったが、心臓の高鳴りはまだ続いている。
勝った。あのGT-Rに。
隣のベンチでタバコを吹かしていた黒木が、煙を夜空に吐き出しながら口を開いた。
「……恐れ入った。まさか、あの土壇場でアウト側の砂利に乗せるとはな」
「一か八かでした。でも、私のセブンの足なら、踏めると信じていましたから」
美羽が答えると、黒木は苦笑交じりに首を振った。
「タイヤを信じる、か。……俺は車重に甘えて、タイヤをいじめすぎたようだ。最後はフロントが逃げて、アクセルを踏み込めなかった」
黒木は立ち上がり、RX-7の前に歩み寄った。
「ボンネット、開けてもいいか?」
「ええ、どうぞ。少し冷やしたいところですし」
美羽がラッチを外すと、黒木がボンネットを持ち上げた。
露わになったエンジンルームを見て、黒木が目を見開いた。
「……なんだこれは。Vマウントか?」
そこに鎮座していたのは、ラジエーターとインタークーラーがV字型に配置された、美羽自慢の冷却システムだった。
「自作です。ワンオフのステーで角度を調整して、走行風を上下に分けています。これなら水温も吸気温度も犠牲になりません」
黒木は感嘆の声を漏らしながら、配管の溶接痕を指でなぞった。
「美しい溶接だ。……それに、タービンの遮熱処理も完璧だ。これだけの熱対策をしているからこそ、最後のストレートであれだけ伸びたのか」
彼は自分のGT-Rを振り返った。
「俺のRはパワーはあるが、冷却が追いついていなかった。後半、熱ダレでパワーダウンしていたのを、お前は見抜いていたんだな」
「整備士ですから。……車の悲鳴には敏感なんです」
美羽は誇らしげに微笑んだ。
ドライバーとしての腕だけではない。メカニックとしての知識と技術が、スペックの差を埋め、勝利を手繰り寄せたのだ。
「如月美羽、と言ったな」
黒木が真剣な眼差しで美羽を見た。
「俺は普段、プロのテストドライバーをしている。メーカーの試作車や、チューニングショップのデモカーを走らせてデータを取るのが仕事だ」
「テストドライバー……! だから、あんなに正確な挙動制御が」
美羽は合点がいった。彼の走りに無駄がなかったのは、限界領域でのコントロールを職業としているからだ。
「そんな俺が、プライベーターの、しかも女性整備士に負けた。……悔しいが、完敗だ」
黒木はポケットから名刺を取り出し、美羽に渡した。
そこには『黒木 隆(くろき たかし)』という名前と、有名なチューニングショップのロゴが刻まれていた。
「東京に戻ったら、一度ウチのショップに来い。お前のその技術、そしてセンス……。もっと大きなステージで活かせるかもしれない」
「スカウトですか?」
「まあ、そんなところだ。……それに、俺のリベンジマッチも受けてもらわないとな」
黒木はニヤリと笑った。
先ほどまでの殺気立った空気は消え、そこには走り屋同士の奇妙な連帯感が生まれていた。
東の空が白み始めていた。
暁の光が、紅いRX-7と蒼いGT-Rを照らし出す。
夜の支配者たちが、日常へと帰る時間だ。
「行こうか。……腹も減った」
黒木がGT-Rに乗り込む。
「そうですね。東京までランデブー走行と行きますか」
美羽もRX-7のシートに体を沈めた。
キーを回す。
13B-REWが軽やかに目覚める。
激闘を終えたエンジンは、どこか満足げな音を奏でているように聞こえた。
二台のマシンは、朝日を浴びながら関越自動車道を東京方面へと走り出した。
行きとは違う。
前を走るGT-Rのテールランプは、もはや敵のものではない。
互いの実力を認め合った、好敵手(ライバル)の背中だ。
美羽はステアリングを握りながら、心地よい疲労感に包まれていた。
勝った。
けれど、これで終わりではない。
黒木という壁を超えた先に、また新しい世界が待っている気がした。
(次は、どんな車と、どんなトラブルと出会うんだろう)
整備士として、走り屋として。
如月美羽の軌跡は、まだ始まったばかりだ。
高速道路の流れる景色の中で、彼女はアクセルを少し踏み増した。
紅きロータリーの咆哮が、朝の空気に高く、澄み渡って響いていった。
(最終章 完)
深夜の静寂を取り戻したはずのその場所には、未だ熱気が渦巻いていた。
並んで停車したRX-7とGT-R。
ボンネットからは陽炎が立ち上り、ブレーキローターは暗闇の中で赤黒い残光を放っている。
『チン、カン、キン……』
金属の収縮音が、二台の怪物が死力を尽くした証として響いていた。
如月美羽は、自動販売機で冷たいスポーツドリンクを買い、一気に喉に流し込んだ。
乾ききった体に水分が染み渡る。
手のひらの震えは止まったが、心臓の高鳴りはまだ続いている。
勝った。あのGT-Rに。
隣のベンチでタバコを吹かしていた黒木が、煙を夜空に吐き出しながら口を開いた。
「……恐れ入った。まさか、あの土壇場でアウト側の砂利に乗せるとはな」
「一か八かでした。でも、私のセブンの足なら、踏めると信じていましたから」
美羽が答えると、黒木は苦笑交じりに首を振った。
「タイヤを信じる、か。……俺は車重に甘えて、タイヤをいじめすぎたようだ。最後はフロントが逃げて、アクセルを踏み込めなかった」
黒木は立ち上がり、RX-7の前に歩み寄った。
「ボンネット、開けてもいいか?」
「ええ、どうぞ。少し冷やしたいところですし」
美羽がラッチを外すと、黒木がボンネットを持ち上げた。
露わになったエンジンルームを見て、黒木が目を見開いた。
「……なんだこれは。Vマウントか?」
そこに鎮座していたのは、ラジエーターとインタークーラーがV字型に配置された、美羽自慢の冷却システムだった。
「自作です。ワンオフのステーで角度を調整して、走行風を上下に分けています。これなら水温も吸気温度も犠牲になりません」
黒木は感嘆の声を漏らしながら、配管の溶接痕を指でなぞった。
「美しい溶接だ。……それに、タービンの遮熱処理も完璧だ。これだけの熱対策をしているからこそ、最後のストレートであれだけ伸びたのか」
彼は自分のGT-Rを振り返った。
「俺のRはパワーはあるが、冷却が追いついていなかった。後半、熱ダレでパワーダウンしていたのを、お前は見抜いていたんだな」
「整備士ですから。……車の悲鳴には敏感なんです」
美羽は誇らしげに微笑んだ。
ドライバーとしての腕だけではない。メカニックとしての知識と技術が、スペックの差を埋め、勝利を手繰り寄せたのだ。
「如月美羽、と言ったな」
黒木が真剣な眼差しで美羽を見た。
「俺は普段、プロのテストドライバーをしている。メーカーの試作車や、チューニングショップのデモカーを走らせてデータを取るのが仕事だ」
「テストドライバー……! だから、あんなに正確な挙動制御が」
美羽は合点がいった。彼の走りに無駄がなかったのは、限界領域でのコントロールを職業としているからだ。
「そんな俺が、プライベーターの、しかも女性整備士に負けた。……悔しいが、完敗だ」
黒木はポケットから名刺を取り出し、美羽に渡した。
そこには『黒木 隆(くろき たかし)』という名前と、有名なチューニングショップのロゴが刻まれていた。
「東京に戻ったら、一度ウチのショップに来い。お前のその技術、そしてセンス……。もっと大きなステージで活かせるかもしれない」
「スカウトですか?」
「まあ、そんなところだ。……それに、俺のリベンジマッチも受けてもらわないとな」
黒木はニヤリと笑った。
先ほどまでの殺気立った空気は消え、そこには走り屋同士の奇妙な連帯感が生まれていた。
東の空が白み始めていた。
暁の光が、紅いRX-7と蒼いGT-Rを照らし出す。
夜の支配者たちが、日常へと帰る時間だ。
「行こうか。……腹も減った」
黒木がGT-Rに乗り込む。
「そうですね。東京までランデブー走行と行きますか」
美羽もRX-7のシートに体を沈めた。
キーを回す。
13B-REWが軽やかに目覚める。
激闘を終えたエンジンは、どこか満足げな音を奏でているように聞こえた。
二台のマシンは、朝日を浴びながら関越自動車道を東京方面へと走り出した。
行きとは違う。
前を走るGT-Rのテールランプは、もはや敵のものではない。
互いの実力を認め合った、好敵手(ライバル)の背中だ。
美羽はステアリングを握りながら、心地よい疲労感に包まれていた。
勝った。
けれど、これで終わりではない。
黒木という壁を超えた先に、また新しい世界が待っている気がした。
(次は、どんな車と、どんなトラブルと出会うんだろう)
整備士として、走り屋として。
如月美羽の軌跡は、まだ始まったばかりだ。
高速道路の流れる景色の中で、彼女はアクセルを少し踏み増した。
紅きロータリーの咆哮が、朝の空気に高く、澄み渡って響いていった。
(最終章 完)
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