1 / 50
第1章:歌舞伎町の女帝
しおりを挟む
新宿、歌舞伎町。
かつて不夜城と呼ばれたこの街は、伊賀幕府による天下統一から四百年が過ぎた今も、その妖しい輝きを失ってはいなかった。
ただし、今のネオンサインには、一般人には読めない「隠し文字」が踊っている。
『口外無用』『一見(いちげん)の客、命の保証なし』
会員制高級クラブ『胡蝶(こちょう)』。
紫煙と高級な香水の香りが入り混じる店内の奥、VIP席にその女(ひと)はいた。
「あら、先生。今日はお酒が進んでいらっしゃいませんね」
鈴を転がすような声。艶やかな濡羽色の髪を夜会巻きにし、深紅の着物を完璧に着こなした美女――源氏名は揚羽(あげは)。
彼女は、この街で『女帝』と呼ばれている。
対面に座る男は、財務省の次官だった。額には脂汗が滲んでいる。
「い、いや……少し部屋が暑くてな」
「そうですか?」
揚羽は微笑みながら、男のグラスに氷を一つ、カランと落とした。
その瞬間、彼女の目は「接客」から「解析」へと切り替わる。
(脈拍数、通常時よりプラス三十。瞳孔の散大。貧乏ゆすりのリズムは、焦燥……いいえ、恐怖ね)
最新鋭の嘘発見器なら「異常なし」と判定するレベルの微細な震え。だが、揚羽の感覚(センサー)は誤魔化せない。
彼女は男の手首にそっと指を這わせた。愛撫に見せかけた、脈診(みゃくしん)である。
「……先生。東南アジアへのODA予算、横流しなさってますね?」
「な、なにを!」
「今、心臓が一度、大きく跳ねましたわ」
男が顔面蒼白になり、懐に手を伸ばした瞬間――。
ヒュッ!
風切り音と共に、店内の照明が一瞬だけ揺れた。
男の背後の闇から、黒い影が飛び出したのだ。財務省内の対立派閥が放った暗殺者(シノビ)だ。手にはセラミック製の短刀が握られている。
だが、揚羽は動じない。
彼女は男のグラスに水を注ぎながら、着物の袖を優雅に翻した。
その袖口から、何かが煌めく。
ガキンッ!
金属音が響き、暗殺者の短刀が弾き飛ばされた。
床に突き刺さったのは、揚羽が髪に挿していた一本の簪(かんざし)。
彼女は素手で暗殺者の手首を掴むと、そのまま関節を極め、畳の上へとねじ伏せた。最新の強化スーツを着た男が、着物姿の女に力負けし、悲鳴を上げる。
「あら、失礼。手が滑りましたわ」
揚羽は優雅に髪を直しながら、簪を拾い上げ、暗殺者の首筋に切っ先を突きつける。
その所作は、茶道の点前(てまえ)のように美しく、そして残酷だった。
「当店での狼藉は、伊賀の法度(はっと)に触れますよ? ……さあ、先生。お話の続きを」
震え上がる次官と、床に這いつくばる暗殺者。
揚羽はニッコリと微笑み、営業用の声に戻った。
「いらっしゃいませ、『胡蝶』へようこそ」
彼女にとって、これもまた日常。
データも証拠も残さない。人の心と体の隙間に入り込む、最強のアナログ諜報員。
それが、くの一・揚羽だった。
かつて不夜城と呼ばれたこの街は、伊賀幕府による天下統一から四百年が過ぎた今も、その妖しい輝きを失ってはいなかった。
ただし、今のネオンサインには、一般人には読めない「隠し文字」が踊っている。
『口外無用』『一見(いちげん)の客、命の保証なし』
会員制高級クラブ『胡蝶(こちょう)』。
紫煙と高級な香水の香りが入り混じる店内の奥、VIP席にその女(ひと)はいた。
「あら、先生。今日はお酒が進んでいらっしゃいませんね」
鈴を転がすような声。艶やかな濡羽色の髪を夜会巻きにし、深紅の着物を完璧に着こなした美女――源氏名は揚羽(あげは)。
彼女は、この街で『女帝』と呼ばれている。
対面に座る男は、財務省の次官だった。額には脂汗が滲んでいる。
「い、いや……少し部屋が暑くてな」
「そうですか?」
揚羽は微笑みながら、男のグラスに氷を一つ、カランと落とした。
その瞬間、彼女の目は「接客」から「解析」へと切り替わる。
(脈拍数、通常時よりプラス三十。瞳孔の散大。貧乏ゆすりのリズムは、焦燥……いいえ、恐怖ね)
最新鋭の嘘発見器なら「異常なし」と判定するレベルの微細な震え。だが、揚羽の感覚(センサー)は誤魔化せない。
彼女は男の手首にそっと指を這わせた。愛撫に見せかけた、脈診(みゃくしん)である。
「……先生。東南アジアへのODA予算、横流しなさってますね?」
「な、なにを!」
「今、心臓が一度、大きく跳ねましたわ」
男が顔面蒼白になり、懐に手を伸ばした瞬間――。
ヒュッ!
風切り音と共に、店内の照明が一瞬だけ揺れた。
男の背後の闇から、黒い影が飛び出したのだ。財務省内の対立派閥が放った暗殺者(シノビ)だ。手にはセラミック製の短刀が握られている。
だが、揚羽は動じない。
彼女は男のグラスに水を注ぎながら、着物の袖を優雅に翻した。
その袖口から、何かが煌めく。
ガキンッ!
金属音が響き、暗殺者の短刀が弾き飛ばされた。
床に突き刺さったのは、揚羽が髪に挿していた一本の簪(かんざし)。
彼女は素手で暗殺者の手首を掴むと、そのまま関節を極め、畳の上へとねじ伏せた。最新の強化スーツを着た男が、着物姿の女に力負けし、悲鳴を上げる。
「あら、失礼。手が滑りましたわ」
揚羽は優雅に髪を直しながら、簪を拾い上げ、暗殺者の首筋に切っ先を突きつける。
その所作は、茶道の点前(てまえ)のように美しく、そして残酷だった。
「当店での狼藉は、伊賀の法度(はっと)に触れますよ? ……さあ、先生。お話の続きを」
震え上がる次官と、床に這いつくばる暗殺者。
揚羽はニッコリと微笑み、営業用の声に戻った。
「いらっしゃいませ、『胡蝶』へようこそ」
彼女にとって、これもまた日常。
データも証拠も残さない。人の心と体の隙間に入り込む、最強のアナログ諜報員。
それが、くの一・揚羽だった。
0
あなたにおすすめの小説
忘却の艦隊
KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。
大型輸送艦は工作艦を兼ねた。
総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。
残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。
輸送任務の最先任士官は大佐。
新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。
本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。
他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。
公安に近い監査だった。
しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。
そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。
機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。
完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。
意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。
恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。
なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。
しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。
艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。
そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。
果たして彼らは帰還できるのか?
帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
二重のカーテン (スカートの下の黒い意志)
MisakiNonagase
青春
洗濯物の隙間に隠したのは、母としての祈りと、娘のプライド。
かつて、女子高生という生き物はもっと無防備で、自由だった。
44歳の主婦、愛子が朝のベランダで手にするのは、娘たちが毎日履き替える漆黒のオーバーパンツ、通称「黒パン」。それは、令和を生きる娘たちが自らの尊厳を守るために身に着ける、鉄壁の「鎧」だった。
小学校時代のママ友たちとのランチ会。そこで語られるのは、ブルセラショップに下着を売っていた奔放な50代、無防備なまま凛と歩くしかなかった40代、そして「見せないこと」に命を懸ける10代の、あまりに深い断絶。さらには、階段で石像のように固まる父、生徒の背後に立たないよう神経を削る教師……。
一枚の黒い布を通して浮き彫りになる、現代社会の歪さと、その根底にある不器用なまでの「優しさ」。
ベランダに干された黒いカーテンの向こう側に、あなたは何を見ますか?
大絶滅 2億年後 -原付でエルフの村にやって来た勇者たち-
半道海豚
SF
200万年後の姉妹編です。2億年後への移住は、誰もが思いもよらない結果になってしまいました。推定2億人の移住者は、1年2カ月の間に2億年後へと旅立ちました。移住者2億人は11万6666年という長い期間にばらまかれてしまいます。結果、移住者個々が独自に生き残りを目指さなくてはならなくなります。本稿は、移住最終期に2億年後へと旅だった5人の少年少女の奮闘を描きます。彼らはなんと、2億年後の移動手段に原付を選びます。
サイレント・サブマリン ―虚構の海―
来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。
科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。
電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。
小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。
「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」
しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。
謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か——
そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。
記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える——
これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。
【全17話完結】
『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』
月神世一
SF
【あらすじ】
「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」
坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。
かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。
背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。
目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。
鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。
しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。
部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。
(……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?)
現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。
すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。
精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる