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第9章:裏切り者のルージュ
翌日の夜。
華やかなフロアの喧騒とは裏腹に、女子更衣室(バックヤード)には、張り詰めた空気が漂っていた。
繭は、同僚のサキの挙動がおかしいことに気づいていた。
サキは明るい性格で人気のあるホステスだが、ここ数日、顔色が優れない。そして今、彼女はロッカーから出したハンドバッグを、震える手で抱きしめていた。
バッグの隙間から、黒い封筒が見えている。
(……あれは、甲賀の定紋)
繭の目が鋭くなる。
サキは借金を抱えていた。それをネタに、敵対する甲賀企業のスパイに脅され、顧客データを持ち出すよう強要されているのだ。
裏切りは、伊賀の掟では死罪。
繭が腰のクナイに手を伸ばしかけた時、背後からアゲハが現れ、扇子で繭の手を制した。
「待ちなさい。……泳がせるのよ」
サキがフロアに出る。
客席には、甲賀のスパイである男が待ち構えていた。
サキは強張った笑顔で接客しながら、テーブルの下で封筒を渡そうとする。その中には、店の顧客リストが入ったUSBメモリがあるはずだ。
男の手が伸びる。サキの手が震える。
受け渡しが完了する寸前。
「あら、失礼」
アゲハが通りかかりざま、わざとらしく躓(つまづ)いた。
彼女が持っていたトレイから、氷の入ったペールが滑り落ちる。
ガシャン! バラバラバラ!
派手な音と共に、氷が床に散乱した。
「きゃっ!」
驚いたサキが身を縮め、男も反射的に足元を見た。
全員の視線が床の氷に釘付けになった、その〇・三秒の間。
アゲハのもう片方の手が、神速で動いた。
「忍法・蜃気楼(しんきろう)のすり替え」。
サキの手の中にあった封筒を抜き取り、代わりに「同じ重さ、同じ感触の偽の封筒」を握らせる。
その動作はあまりに速く、滑らかで、当のサキ本人ですら、手の中身が入れ替わったことに気づかない。
「申し訳ありません、すぐにお拭きしますわ」
アゲハは何事もなかったかのように微笑み、優雅に立ち上がった。
サキは動揺したまま、偽の封筒を男に渡してしまった。
男はニヤリと笑い、中身を確認もせずに懐へ入れる。
彼が持ち帰ったのは、顧客リストではない。開いた瞬間に甲賀のメインサーバーへ侵入し、データを破壊する**「ウィルスプログラム」**が入った囮だ。
閉店後。
更衣室で一人震えるサキの元に、アゲハが静かに入ってきた。
サキは床に土下座した。
「ママ……私……私……っ!」
殺される。そう覚悟して震えるサキの肩を、アゲハは優しく抱き起こした。
「馬鹿な子ね。相談してくれればよかったのに」
アゲハはドレッサーから、真紅の口紅を取り出した。
「甲賀の借金は、店の方で綺麗にしておいたわ。……その代わり、これからは貴方の命、この店のために使いなさい」
アゲハは、泣きじゃくるサキの唇に、紅を引いてやる。
「この赤は、血の契約の色よ。貴方は一度死んで、生まれ変わったの」
サキは涙で化粧を崩しながら、何度も頷いた。
裏切り者を処刑するのではなく、救済し、二重スパイ(ダブル・エージェント)として敵組織に送り込む。
これぞ、女帝アゲハの**「人心掌握術」**。
恐怖で縛るのではない。圧倒的な恩義と愛で縛る。その鎖は、鋼鉄よりも強固に、女たちの結束を固めていくのだった。
鏡の中のサキの唇は、以前よりも強く、鮮やかに燃えていた。
華やかなフロアの喧騒とは裏腹に、女子更衣室(バックヤード)には、張り詰めた空気が漂っていた。
繭は、同僚のサキの挙動がおかしいことに気づいていた。
サキは明るい性格で人気のあるホステスだが、ここ数日、顔色が優れない。そして今、彼女はロッカーから出したハンドバッグを、震える手で抱きしめていた。
バッグの隙間から、黒い封筒が見えている。
(……あれは、甲賀の定紋)
繭の目が鋭くなる。
サキは借金を抱えていた。それをネタに、敵対する甲賀企業のスパイに脅され、顧客データを持ち出すよう強要されているのだ。
裏切りは、伊賀の掟では死罪。
繭が腰のクナイに手を伸ばしかけた時、背後からアゲハが現れ、扇子で繭の手を制した。
「待ちなさい。……泳がせるのよ」
サキがフロアに出る。
客席には、甲賀のスパイである男が待ち構えていた。
サキは強張った笑顔で接客しながら、テーブルの下で封筒を渡そうとする。その中には、店の顧客リストが入ったUSBメモリがあるはずだ。
男の手が伸びる。サキの手が震える。
受け渡しが完了する寸前。
「あら、失礼」
アゲハが通りかかりざま、わざとらしく躓(つまづ)いた。
彼女が持っていたトレイから、氷の入ったペールが滑り落ちる。
ガシャン! バラバラバラ!
派手な音と共に、氷が床に散乱した。
「きゃっ!」
驚いたサキが身を縮め、男も反射的に足元を見た。
全員の視線が床の氷に釘付けになった、その〇・三秒の間。
アゲハのもう片方の手が、神速で動いた。
「忍法・蜃気楼(しんきろう)のすり替え」。
サキの手の中にあった封筒を抜き取り、代わりに「同じ重さ、同じ感触の偽の封筒」を握らせる。
その動作はあまりに速く、滑らかで、当のサキ本人ですら、手の中身が入れ替わったことに気づかない。
「申し訳ありません、すぐにお拭きしますわ」
アゲハは何事もなかったかのように微笑み、優雅に立ち上がった。
サキは動揺したまま、偽の封筒を男に渡してしまった。
男はニヤリと笑い、中身を確認もせずに懐へ入れる。
彼が持ち帰ったのは、顧客リストではない。開いた瞬間に甲賀のメインサーバーへ侵入し、データを破壊する**「ウィルスプログラム」**が入った囮だ。
閉店後。
更衣室で一人震えるサキの元に、アゲハが静かに入ってきた。
サキは床に土下座した。
「ママ……私……私……っ!」
殺される。そう覚悟して震えるサキの肩を、アゲハは優しく抱き起こした。
「馬鹿な子ね。相談してくれればよかったのに」
アゲハはドレッサーから、真紅の口紅を取り出した。
「甲賀の借金は、店の方で綺麗にしておいたわ。……その代わり、これからは貴方の命、この店のために使いなさい」
アゲハは、泣きじゃくるサキの唇に、紅を引いてやる。
「この赤は、血の契約の色よ。貴方は一度死んで、生まれ変わったの」
サキは涙で化粧を崩しながら、何度も頷いた。
裏切り者を処刑するのではなく、救済し、二重スパイ(ダブル・エージェント)として敵組織に送り込む。
これぞ、女帝アゲハの**「人心掌握術」**。
恐怖で縛るのではない。圧倒的な恩義と愛で縛る。その鎖は、鋼鉄よりも強固に、女たちの結束を固めていくのだった。
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