紅の忍法帖 ~伊賀幕府・ラスト・アナログ~

TAKAHARA HIROKI

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第13章:情報奔流(データストリーム)

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アゲハたちが物理的な脅威を排除しているその裏側で、もうひとつの、目に見えない次元での死闘が沸点に達しようとしていた。
 戦場はカウンターの中。武器はPOSレジスター。
 そして戦う者は、新人の繭(マユ)ただ一人である。
 敵である甲賀企業連合の真の狙いは、VIPの暗殺や店舗の破壊といった派手な物理攻撃ではない。それは陽動だ。
 本丸は、この店「胡蝶」の地下サーバーを経由して接続されている、伊賀幕府財務局のメインフレームへの侵入。そして、国家予算データの改ざんによる経済崩壊である。
 繭の目の前にあるPOSレジのモニターは、すでに通常の会計画面ではなかった。
 警告色の赤一色に染まり、無数の不正アクセスログが滝のように流れ落ちている。
 『警告:ファイアウォール「金剛(コンゴウ)」突破率85%』
 『警告:多重ボットネットからのDDoS攻撃を検知』
 『警告:トロイの木馬「KOGA-X」がシステム深部へ侵攻中』
 敵のハッカー部隊は、世界中に分散させた数万台のゾンビPCを一斉に操り、暴力的なまでのデータ量で「胡蝶」のサーバーを押し潰そうとしていた。
 店内の空調が悲鳴を上げ、サーバー冷却ファンの音がジェットエンジンのように唸る。
 繭の額から、大粒の汗が滴り落ちた。
(速い……! 敵の演算速度は、こちらの予測を三桁上回っている!)
 だが、繭は退かなかった。彼女は大きく息を吸い込み、丹田に気を沈める。
 彼女の特技は、伊賀流忍術の中でも特異中の特異とされる**「電算忍法・算盤(そろばん)グリッド」**。
 彼女はデジタルなプログラムコードを書かない。キーボードも叩かない。
 彼女が操作するのは、POSレジの「テンキー」のみ。
 一見、時代遅れに見えるその物理ボタンこそが、彼女の最強の武器だ。
 繭の指が動いた。
 タタタタタタタタッ!!
 その速度は、肉眼では残像しか捉えられない。打鍵音は、機関銃の発射音のように繋がり、一つの轟音となって響く。
 『ドンペリ・ロゼ 3本』
 『フルーツ盛り合わせ 5皿』
 『チャージ料 20名分』
 『ミネラルウォーター 50本』
 画面には、次々とデタラメな注文が打ち込まれていく。
 だが、これは単なる注文ではない。
 「ドンペリ・ロゼ」の識別コードは十六進数で「0xA8F」。数量「3」を掛けることで生成されるパケットは、敵の侵入ルートであるポート8080番を物理的に閉鎖するコマンドとなる。
 「フルーツ盛り合わせ」は、データの細分化(フラグメンテーション)。
 「ミネラルウォーター」は、冷却システムのオーバークロック制御。
 繭の脳内では、流れる電子の海が、巨大な「帳簿」として可視化されていた。
 敵の攻撃データは「負債」。こちらの防御プログラムは「資産」。
 彼女は、襲い来る膨大な負債を、瞬時の暗算で相殺し、貸借対照表(バランスシート)を均衡させているのだ。
 アナログな「商い」の概念を、デジタルの攻防に変換する超高等技術。
(右翼からウイルス・パケット! 借方(デビット)が増大!)
 繭の左手が動く。
 『高級ブランデー「リシャール」 1本 キャンセル』
 即座に敵のウイルスが隔離領域へ飛ばされ、無効化される。
(中央突破してくる! 数が多すぎる……!)
 敵は、AIによる自動学習で攻撃パターンを変えてきた。こちらの防御壁の僅かな隙間――〇・〇一秒のラグを突いてくる。
 『警告:突破率98%。システムダウンまであと10秒』
 モニターのカウントダウンが無慈悲に時を刻む。
 繭の指先が熱を持つ。摩擦熱で指紋が焼けそうだ。
 (間に合わない……!?)
 恐怖が指を鈍らせそうになったその時、背後でアゲハの声がした。
「ツケにしておきなさい、繭!」
 その言葉が、雷のように繭の脳髄を貫いた。
 そうだ。今、ここで清算する必要はない。
 相手に、返済不可能なほどの「ツケ」を回してやればいい。
 繭の目がカッと見開かれた。瞳孔の中で、数字の列が奔流となって逆流する。
 彼女は、敵の本拠地サーバーのIPアドレスを逆探知し、ロックオンした。
 そして、レジの「請求」ボタンに指をかける。
 打ち込む数字は、金銭ではない。
 伊賀幕府が保有する、過去四百年分の膨大な機密データ――そのダミーデータ群だ。容量にして数ヨタバイト。
 「忍法・無限請求書(インフィニット・ビル)」。
「お支払いは、一括でお願いします!!」
 繭は叫びと共に、親指でエンターキーを弾くように叩き込んだ。
 カアァァァァン!!!
 レジのドロワー(金庫)が勢いよく飛び出し、チーンという軽快なベルの音が店内に響き渡った。
 その瞬間、地球の裏側にある甲賀の秘密基地で、メインサーバーが悲鳴を上げた。
 送りつけられた莫大なデータ量は、物理的なメモリ容量を瞬時に超越し、処理落ちどころか回路そのものを焼き切ったのだ。
 モニター上の赤い警告が、一瞬でフリーズし、そしてプツンと消えた。
 静寂。
 そして、緑色の文字が浮かび上がる。
 『全アクセス遮断。敵サーバー、沈黙を確認』
 繭は、白煙を上げるPOSレジに突っ伏した。
 全身の力が抜け、指一本動かせない。
 だが、その口元には、最高に意地の悪い笑みが浮かんでいた。
「……領収書は、要りませんよね」
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