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第14章:女帝の説法
戦闘の熱が引いていく。
破壊された店内には、硝煙の匂いと、高価な酒が入り混じった甘い香りが漂っていた。
床には、気絶した甲賀の重装歩兵たちが、壊れた人形のように転がっている。
その惨状の中で、一人だけ意識を保っている男がいた。
今回の襲撃作戦を指揮していた隊長、「黒鴉(クロガラス)」のリーダーだ。
彼は壁にもたれかかり、荒い息を吐いていた。マスクは割れ、顔半分が血に濡れている。右腕は脱臼し、武器は弾切れ。
完全に詰んでいた。
コツ、コツ、コツ。
瓦礫を踏むヒールの音が近づいてくる。
隊長は虚ろな目で顔を上げた。
そこに立っていたのは、アゲハだった。黒留袖に一滴の返り血も浴びていないその姿は、戦場に舞い降りた女神か、あるいは死神か。
「……殺せ」
隊長は掠れた声で言った。
「俺は任務に失敗した。生きて帰れば、組織に消される。……ここでお前の手にかかるなら、本望だ」
彼は懐のサバイバルナイフに震える手を伸ばそうとした。最後の誇りを守るための自害。
だが、アゲハは動じなかった。
彼女は隊長の目の前で優雅にしゃがみ込むと、懐から純白の布を取り出した。
ナイフではない。湯気を立てる、温かいお絞りだった。
「お顔が煤(すす)だらけになっていてよ」
アゲハは、ためらうことなく、隊長の血と油にまみれた顔を拭った。
母親が、泥遊びをして帰ってきた我が子にするように。優しく、丁寧に。
隊長は呆気にとられ、ナイフを握る力を失った。
「な、何をする……俺は敵だぞ……この店を壊した張本人だぞ!」
「ええ、そうね。素晴らしい暴れっぷりだったわ」
アゲハは微笑みながら、汚れたお絞りを置き、今度は瓦礫の山から奇跡的に無事だった棚へと手を伸ばした。
取り出したのは、琥珀色の液体が揺れるクリスタルボトル。最高級コニャック「ルイ13世」。
そして、二つのバカラグラス。
トクトクトク……。
静寂の中に、酒を注ぐ音だけが響く。その芳醇な香りが、鼻腔をくすぐり、殺伐とした空気を塗り替えていく。
「飲みなさい。……戦士の休息よ」
差し出されたグラス。
隊長は、それが毒入りかどうか疑うことさえ忘れていた。アゲハの瞳があまりにも澄んでいたからだ。
震える手でグラスを受け取り、一口含む。
カッと喉が焼けるような熱さ。そして、五臓六腑に染み渡る深いコク。
張り詰めていた神経の糸が、プツリと切れた。
「……なぜだ」
隊長はグラスを見つめながら呟いた。
「俺たちは、使い捨ての道具だ。感情も、名前も捨てた。……そんな俺に、なぜ情けをかける」
「道具じゃないわ」
アゲハは自分のグラスを掲げ、夜明け前の空にかざした。
「貴方は、ただの寂しい人間よ。誰かに認められたくて、居場所が欲しくて、必死に牙を研いできた。……違う?」
「話術・魂の鎮魂(レクイエム)」。
それは、相手を論破する技術ではない。説教でもない。
相手の心の奥底にある「空洞」を見抜き、そこへ言葉という名の温かいスープを注ぎ込む、究極の受容。
アゲハの声は、鼓膜ではなく、魂の深淵に響いた。
「組織は貴方を捨てるかもしれない。でも、『胡蝶』は違う。ここは迷い込んだ全ての蝶が羽を休める場所。敵も味方も関係ない。……辛かったでしょう、一人で」
隊長の肩が震え始めた。
彼が捨てたはずの「感情」が、ダムが決壊するように溢れ出した。
殺戮マシーンとして改造され、心を摩耗させてきた数十年。誰にも言えなかった孤独。恐怖。
それを、敵であるはずの女が、たった一杯の酒で肯定したのだ。
「……う、ううっ……!」
大の大人が、顔を覆って泣き崩れた。
獣のような慟哭が、店内に響く。
アゲハは何も言わず、ただ隣に座り、彼の背中をさすり続けた。赤子が泣き止むまであやすように。
やがて、隊長は涙を拭い、顔を上げた。その瞳からは、爬虫類のような冷たさは消え、人間らしい光が戻っていた。
彼は懐から一枚のチップを取り出し、テーブルに置いた。
「……甲賀の、次期襲撃計画データだ」
「あら、こんな高価なお支払いは困るわ」
「とっておいてくれ。……俺の、ツケ払いだ」
隊長は、憑き物が落ちたような顔で笑った。
戦いは、剣によってではなく、心によって決着した。
最強の武器はミサイルでも忍術でもない。「おもてなし」という名の愛であることを、女帝は証明してみせたのだ。
破壊された店内には、硝煙の匂いと、高価な酒が入り混じった甘い香りが漂っていた。
床には、気絶した甲賀の重装歩兵たちが、壊れた人形のように転がっている。
その惨状の中で、一人だけ意識を保っている男がいた。
今回の襲撃作戦を指揮していた隊長、「黒鴉(クロガラス)」のリーダーだ。
彼は壁にもたれかかり、荒い息を吐いていた。マスクは割れ、顔半分が血に濡れている。右腕は脱臼し、武器は弾切れ。
完全に詰んでいた。
コツ、コツ、コツ。
瓦礫を踏むヒールの音が近づいてくる。
隊長は虚ろな目で顔を上げた。
そこに立っていたのは、アゲハだった。黒留袖に一滴の返り血も浴びていないその姿は、戦場に舞い降りた女神か、あるいは死神か。
「……殺せ」
隊長は掠れた声で言った。
「俺は任務に失敗した。生きて帰れば、組織に消される。……ここでお前の手にかかるなら、本望だ」
彼は懐のサバイバルナイフに震える手を伸ばそうとした。最後の誇りを守るための自害。
だが、アゲハは動じなかった。
彼女は隊長の目の前で優雅にしゃがみ込むと、懐から純白の布を取り出した。
ナイフではない。湯気を立てる、温かいお絞りだった。
「お顔が煤(すす)だらけになっていてよ」
アゲハは、ためらうことなく、隊長の血と油にまみれた顔を拭った。
母親が、泥遊びをして帰ってきた我が子にするように。優しく、丁寧に。
隊長は呆気にとられ、ナイフを握る力を失った。
「な、何をする……俺は敵だぞ……この店を壊した張本人だぞ!」
「ええ、そうね。素晴らしい暴れっぷりだったわ」
アゲハは微笑みながら、汚れたお絞りを置き、今度は瓦礫の山から奇跡的に無事だった棚へと手を伸ばした。
取り出したのは、琥珀色の液体が揺れるクリスタルボトル。最高級コニャック「ルイ13世」。
そして、二つのバカラグラス。
トクトクトク……。
静寂の中に、酒を注ぐ音だけが響く。その芳醇な香りが、鼻腔をくすぐり、殺伐とした空気を塗り替えていく。
「飲みなさい。……戦士の休息よ」
差し出されたグラス。
隊長は、それが毒入りかどうか疑うことさえ忘れていた。アゲハの瞳があまりにも澄んでいたからだ。
震える手でグラスを受け取り、一口含む。
カッと喉が焼けるような熱さ。そして、五臓六腑に染み渡る深いコク。
張り詰めていた神経の糸が、プツリと切れた。
「……なぜだ」
隊長はグラスを見つめながら呟いた。
「俺たちは、使い捨ての道具だ。感情も、名前も捨てた。……そんな俺に、なぜ情けをかける」
「道具じゃないわ」
アゲハは自分のグラスを掲げ、夜明け前の空にかざした。
「貴方は、ただの寂しい人間よ。誰かに認められたくて、居場所が欲しくて、必死に牙を研いできた。……違う?」
「話術・魂の鎮魂(レクイエム)」。
それは、相手を論破する技術ではない。説教でもない。
相手の心の奥底にある「空洞」を見抜き、そこへ言葉という名の温かいスープを注ぎ込む、究極の受容。
アゲハの声は、鼓膜ではなく、魂の深淵に響いた。
「組織は貴方を捨てるかもしれない。でも、『胡蝶』は違う。ここは迷い込んだ全ての蝶が羽を休める場所。敵も味方も関係ない。……辛かったでしょう、一人で」
隊長の肩が震え始めた。
彼が捨てたはずの「感情」が、ダムが決壊するように溢れ出した。
殺戮マシーンとして改造され、心を摩耗させてきた数十年。誰にも言えなかった孤独。恐怖。
それを、敵であるはずの女が、たった一杯の酒で肯定したのだ。
「……う、ううっ……!」
大の大人が、顔を覆って泣き崩れた。
獣のような慟哭が、店内に響く。
アゲハは何も言わず、ただ隣に座り、彼の背中をさすり続けた。赤子が泣き止むまであやすように。
やがて、隊長は涙を拭い、顔を上げた。その瞳からは、爬虫類のような冷たさは消え、人間らしい光が戻っていた。
彼は懐から一枚のチップを取り出し、テーブルに置いた。
「……甲賀の、次期襲撃計画データだ」
「あら、こんな高価なお支払いは困るわ」
「とっておいてくれ。……俺の、ツケ払いだ」
隊長は、憑き物が落ちたような顔で笑った。
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