紅の忍法帖 ~伊賀幕府・ラスト・アナログ~

TAKAHARA HIROKI

文字の大きさ
44 / 50

第14章:女帝の説法

戦闘の熱が引いていく。
 破壊された店内には、硝煙の匂いと、高価な酒が入り混じった甘い香りが漂っていた。
 床には、気絶した甲賀の重装歩兵たちが、壊れた人形のように転がっている。
 その惨状の中で、一人だけ意識を保っている男がいた。
 今回の襲撃作戦を指揮していた隊長、「黒鴉(クロガラス)」のリーダーだ。
 彼は壁にもたれかかり、荒い息を吐いていた。マスクは割れ、顔半分が血に濡れている。右腕は脱臼し、武器は弾切れ。
 完全に詰んでいた。
 コツ、コツ、コツ。
 瓦礫を踏むヒールの音が近づいてくる。
 隊長は虚ろな目で顔を上げた。
 そこに立っていたのは、アゲハだった。黒留袖に一滴の返り血も浴びていないその姿は、戦場に舞い降りた女神か、あるいは死神か。
「……殺せ」
 隊長は掠れた声で言った。
「俺は任務に失敗した。生きて帰れば、組織に消される。……ここでお前の手にかかるなら、本望だ」
 彼は懐のサバイバルナイフに震える手を伸ばそうとした。最後の誇りを守るための自害。
 だが、アゲハは動じなかった。
 彼女は隊長の目の前で優雅にしゃがみ込むと、懐から純白の布を取り出した。
 ナイフではない。湯気を立てる、温かいお絞りだった。
「お顔が煤(すす)だらけになっていてよ」
 アゲハは、ためらうことなく、隊長の血と油にまみれた顔を拭った。
 母親が、泥遊びをして帰ってきた我が子にするように。優しく、丁寧に。
 隊長は呆気にとられ、ナイフを握る力を失った。
「な、何をする……俺は敵だぞ……この店を壊した張本人だぞ!」
「ええ、そうね。素晴らしい暴れっぷりだったわ」
 アゲハは微笑みながら、汚れたお絞りを置き、今度は瓦礫の山から奇跡的に無事だった棚へと手を伸ばした。
 取り出したのは、琥珀色の液体が揺れるクリスタルボトル。最高級コニャック「ルイ13世」。
 そして、二つのバカラグラス。
 トクトクトク……。
 静寂の中に、酒を注ぐ音だけが響く。その芳醇な香りが、鼻腔をくすぐり、殺伐とした空気を塗り替えていく。
「飲みなさい。……戦士の休息よ」
 差し出されたグラス。
 隊長は、それが毒入りかどうか疑うことさえ忘れていた。アゲハの瞳があまりにも澄んでいたからだ。
 震える手でグラスを受け取り、一口含む。
 カッと喉が焼けるような熱さ。そして、五臓六腑に染み渡る深いコク。
 張り詰めていた神経の糸が、プツリと切れた。
「……なぜだ」
 隊長はグラスを見つめながら呟いた。
「俺たちは、使い捨ての道具だ。感情も、名前も捨てた。……そんな俺に、なぜ情けをかける」
「道具じゃないわ」
 アゲハは自分のグラスを掲げ、夜明け前の空にかざした。
「貴方は、ただの寂しい人間よ。誰かに認められたくて、居場所が欲しくて、必死に牙を研いできた。……違う?」
 「話術・魂の鎮魂(レクイエム)」。
 それは、相手を論破する技術ではない。説教でもない。
 相手の心の奥底にある「空洞」を見抜き、そこへ言葉という名の温かいスープを注ぎ込む、究極の受容。
 アゲハの声は、鼓膜ではなく、魂の深淵に響いた。
「組織は貴方を捨てるかもしれない。でも、『胡蝶』は違う。ここは迷い込んだ全ての蝶が羽を休める場所。敵も味方も関係ない。……辛かったでしょう、一人で」
 隊長の肩が震え始めた。
 彼が捨てたはずの「感情」が、ダムが決壊するように溢れ出した。
 殺戮マシーンとして改造され、心を摩耗させてきた数十年。誰にも言えなかった孤独。恐怖。
 それを、敵であるはずの女が、たった一杯の酒で肯定したのだ。
「……う、ううっ……!」
 大の大人が、顔を覆って泣き崩れた。
 獣のような慟哭が、店内に響く。
 アゲハは何も言わず、ただ隣に座り、彼の背中をさすり続けた。赤子が泣き止むまであやすように。
 やがて、隊長は涙を拭い、顔を上げた。その瞳からは、爬虫類のような冷たさは消え、人間らしい光が戻っていた。
 彼は懐から一枚のチップを取り出し、テーブルに置いた。
「……甲賀の、次期襲撃計画データだ」
「あら、こんな高価なお支払いは困るわ」
「とっておいてくれ。……俺の、ツケ払いだ」
 隊長は、憑き物が落ちたような顔で笑った。
 戦いは、剣によってではなく、心によって決着した。
 最強の武器はミサイルでも忍術でもない。「おもてなし」という名の愛であることを、女帝は証明してみせたのだ。

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

身体交換

廣瀬純七
SF
大富豪の老人の男性と若い女性が身体を交換する話

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。