9 / 43
第2章 理論的背景
2.3 生存と経済の制度的分離
しおりを挟む
近代以降の経済制度は、生存条件と経済活動を制度的に分離することで、その拡張性と安定性を獲得してきた。すなわち、個体の生存は直接的には市場取引の結果に左右されないものとして設計され、医療、公共衛生、最低限の生活保障といった仕組みが、経済活動の外部に配置されてきた。この分離は、経済行為を即時的な生死の問題から切り離し、長期的な投資や分業を可能にするという点で、制度上の重要な前提であった。
しかし、この分離は絶対的なものではなく、制度によって維持されている相対的な状態にすぎない。生存と経済が分離されているように見える状況においても、両者は常に間接的な結合関係を保っている。賃金、価格、補助金、保険といった制度的媒介を通じて、経済活動の結果は時間差を伴いながら生存条件に反映される。
地球外ハビタットにおいては、この制度的分離の構造がより露骨に現れる。閉鎖環境下では、生存に必要な資源の供給と循環が高度に工学化されており、経済活動と生命維持は物理的には密接に結びついている。一方で、制度上は、地球起源の貨幣体系や補助制度が導入されることで、両者は依然として分離された領域として扱われる。この結果、物理的には不可分であるはずの生存と経済が、記述上は分離された状態として存在する。
このような分離は、制度運用上の便宜としては有効であるが、記述上の歪みを生じさせる。すなわち、経済的に合理的と評価される行為が、生存条件の観点からは不利に作用する場合、あるいはその逆の状況が、制度内部では十分に可視化されない。生存が制度的に保証されている場合、この歪みは直ちに破綻として現れないため、長期間にわたって累積する可能性がある。
本研究が注目するのは、生存と経済を再び同一の参照軸に回帰させることではない。むしろ、両者が制度的に分離されているという事実を前提とした上で、その対応関係を別の尺度によって並行的に記述する可能性である。生存条件を直接的に経済制度へ組み込むことなく、経済活動の結果が生存にどのような影響を及ぼし得るかを、補助的に把握する枠組みが求められる。
この観点から見ると、価値尺度の抽象化と生存条件の制度的分離は、同時に進行してきた現象であると言える。抽象化された価値は、制度を通じて生存から距離を取り、その距離が経済活動の自由度を拡張してきた。一方で、その距離が過度に拡大した場合、制度は生存条件の変化に対する感度を失う。
以上の整理は、次章で導入される再記述の枠組みの前提を与える。すなわち、生存と経済が制度的に分離されたままであっても、両者の関係を同一の物理量に基づいて並行的に表現することは可能である。本研究は、この可能性を制度改革や倫理的主張に結びつけることなく、記述上の操作として提示する。
【参考文献】
高城 ミツル『我ら宇宙人!――地球外生活者のための新しいアイデンティティ』(ネビュラ・カルチャー社、2191)
リャン・チョウ/エマ・フェルド『閉鎖環境ハビタットにおける食料生産コストの構造分析』(軌道農業工学ジャーナル、第42巻第3号、2194)
岡本 光『最適化された檻――最新技術に囲まれた最低限の生活』(綴社、2196)
しかし、この分離は絶対的なものではなく、制度によって維持されている相対的な状態にすぎない。生存と経済が分離されているように見える状況においても、両者は常に間接的な結合関係を保っている。賃金、価格、補助金、保険といった制度的媒介を通じて、経済活動の結果は時間差を伴いながら生存条件に反映される。
地球外ハビタットにおいては、この制度的分離の構造がより露骨に現れる。閉鎖環境下では、生存に必要な資源の供給と循環が高度に工学化されており、経済活動と生命維持は物理的には密接に結びついている。一方で、制度上は、地球起源の貨幣体系や補助制度が導入されることで、両者は依然として分離された領域として扱われる。この結果、物理的には不可分であるはずの生存と経済が、記述上は分離された状態として存在する。
このような分離は、制度運用上の便宜としては有効であるが、記述上の歪みを生じさせる。すなわち、経済的に合理的と評価される行為が、生存条件の観点からは不利に作用する場合、あるいはその逆の状況が、制度内部では十分に可視化されない。生存が制度的に保証されている場合、この歪みは直ちに破綻として現れないため、長期間にわたって累積する可能性がある。
本研究が注目するのは、生存と経済を再び同一の参照軸に回帰させることではない。むしろ、両者が制度的に分離されているという事実を前提とした上で、その対応関係を別の尺度によって並行的に記述する可能性である。生存条件を直接的に経済制度へ組み込むことなく、経済活動の結果が生存にどのような影響を及ぼし得るかを、補助的に把握する枠組みが求められる。
この観点から見ると、価値尺度の抽象化と生存条件の制度的分離は、同時に進行してきた現象であると言える。抽象化された価値は、制度を通じて生存から距離を取り、その距離が経済活動の自由度を拡張してきた。一方で、その距離が過度に拡大した場合、制度は生存条件の変化に対する感度を失う。
以上の整理は、次章で導入される再記述の枠組みの前提を与える。すなわち、生存と経済が制度的に分離されたままであっても、両者の関係を同一の物理量に基づいて並行的に表現することは可能である。本研究は、この可能性を制度改革や倫理的主張に結びつけることなく、記述上の操作として提示する。
【参考文献】
高城 ミツル『我ら宇宙人!――地球外生活者のための新しいアイデンティティ』(ネビュラ・カルチャー社、2191)
リャン・チョウ/エマ・フェルド『閉鎖環境ハビタットにおける食料生産コストの構造分析』(軌道農業工学ジャーナル、第42巻第3号、2194)
岡本 光『最適化された檻――最新技術に囲まれた最低限の生活』(綴社、2196)
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
【拡散希望】これが息子の命を奪った悪魔たちです。
水井伸輔(Mizui Shinsuke)
SF
息子の死の真相は、AIだけが知っていた――。
16歳で急死した最愛の一人息子。仕事にかまけて彼を孤独にさせていた父親は、深い後悔から息子のスマホデータを元に「故人AIアバター」を制作する。
毎晩モニター越しの息子と語り合い、罪悪感を埋め合わせる日々。しかしある夜、AIの息子が信じられない言葉を口にする……。
狂気に満ちた暴走を始める父親。
現代社会の闇と、人間の心の歪みを抉る衝撃のショートショート。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる