33 / 43
第9章 原始的生活への退行
9.2 交換を伴わない生活形態
しおりを挟む
本節では、非計測的生存様式の進行形として現れる、交換を伴わない生活形態について整理する。ここでいう「交換の不在」とは、物や労力の移動が存在しないことを意味しない。問題となるのは、交換を成立させていた前提条件そのものが消失している点にある。
制度的経済における交換は、等価性、記録、清算という三つの要素によって支えられていた。価値が比較可能であり、取引が記録され、将来的な均衡が期待されることで、交換は行為として意味を持つ。9.1で述べた非計測的生存様式では、これらの前提が成立しないため、交換は制度として維持されない。
交換を伴わない生活形態では、行為は必要に応じて発生し、完結する。食料があれば食べ、修理が必要であれば修理する。そこに「返礼」や「対価」を期待する構造は存在しない。行為の結果が将来の関係性に持ち越されることはなく、未清算という状態が恒常化する。
この未清算性は、不公平や搾取を必ずしも生まない。なぜなら、比較と累積が行われないためである。誰がどれだけ受け取ったか、どれだけ貢献したかという問い自体が、意味を持たなくなる。結果として、負債や義務といった概念は生活の中心から退き、行為はその都度の必要性によって選択される。
交換を伴わない生活形態では、関係性も固定化されにくい。取引履歴が存在しないため、過去の行為が将来の行為を拘束することがない。これは、制度的経済において重視されてきた信用や信頼とは異なる構造である。ここで成立しているのは、人格や履歴への信頼ではなく、現在の状況に対する即時的な反応である。
重要なのは、この生活形態が利他性や道徳的選択に依存していない点である。助け合いは存在し得るが、それは徳目として奨励されるものではなく、単に状況に適合した行為として現れる。交換が消失することで、善意や利害といった評価語も同時に後景化する。
以上より、交換を伴わない生活形態は、制度的経済の否定や批判として現れるのではない。それは、交換を成立させるための条件が失われた環境において、なお生活が継続するための実践的帰結である。次節では、このような生活形態が、なぜ合理的と評価し得るのかを検討する。
【参考文献】
ヨハン・L・ベルク『返礼なき行為――初期キリスト教における交換概念の消失』(ノード宗教社会学叢書、2182)
ダニエル・K・ロウ『1000の顔を持つ男――返済御免整形道中』(グレイホライゾンプレス、2025)
江戸生活文化研究会 編『帳簿のない暮らし』(東方生活史叢書、2172)
制度的経済における交換は、等価性、記録、清算という三つの要素によって支えられていた。価値が比較可能であり、取引が記録され、将来的な均衡が期待されることで、交換は行為として意味を持つ。9.1で述べた非計測的生存様式では、これらの前提が成立しないため、交換は制度として維持されない。
交換を伴わない生活形態では、行為は必要に応じて発生し、完結する。食料があれば食べ、修理が必要であれば修理する。そこに「返礼」や「対価」を期待する構造は存在しない。行為の結果が将来の関係性に持ち越されることはなく、未清算という状態が恒常化する。
この未清算性は、不公平や搾取を必ずしも生まない。なぜなら、比較と累積が行われないためである。誰がどれだけ受け取ったか、どれだけ貢献したかという問い自体が、意味を持たなくなる。結果として、負債や義務といった概念は生活の中心から退き、行為はその都度の必要性によって選択される。
交換を伴わない生活形態では、関係性も固定化されにくい。取引履歴が存在しないため、過去の行為が将来の行為を拘束することがない。これは、制度的経済において重視されてきた信用や信頼とは異なる構造である。ここで成立しているのは、人格や履歴への信頼ではなく、現在の状況に対する即時的な反応である。
重要なのは、この生活形態が利他性や道徳的選択に依存していない点である。助け合いは存在し得るが、それは徳目として奨励されるものではなく、単に状況に適合した行為として現れる。交換が消失することで、善意や利害といった評価語も同時に後景化する。
以上より、交換を伴わない生活形態は、制度的経済の否定や批判として現れるのではない。それは、交換を成立させるための条件が失われた環境において、なお生活が継続するための実践的帰結である。次節では、このような生活形態が、なぜ合理的と評価し得るのかを検討する。
【参考文献】
ヨハン・L・ベルク『返礼なき行為――初期キリスト教における交換概念の消失』(ノード宗教社会学叢書、2182)
ダニエル・K・ロウ『1000の顔を持つ男――返済御免整形道中』(グレイホライゾンプレス、2025)
江戸生活文化研究会 編『帳簿のない暮らし』(東方生活史叢書、2172)
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
サイレント・サブマリン ―虚構の海―
来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。
科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。
電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。
小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。
「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」
しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。
謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か——
そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。
記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える——
これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。
【全17話完結】
恋愛リベンジャーズ
廣瀬純七
SF
拓也は、かつての恋人・純への後悔を抱えたまま生きてきた。ある日、過去へ戻れる不思議なアプリを手に入れるが戻った先で彼を待っていたのは、若き日の純ではなく――純そのものになってしまった自分自身だった。かつての恋人とやり直すはずが、過去の自分を相手に恋をするという奇妙で切ない関係が始まっていく。時間と心が交差する、不思議な男女入れ替わりストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる