35 / 49
3巻
3-2
しおりを挟む
◆
それからどれくらいの時が経ったか。
暗闇の中では時間の感覚が麻痺してしまって分からない。
足音がした。
響くような高い音ではないが、静寂の中では目立つ音だった。
ヒスイがその足音に反応して身を起こすと、近くの牢にいる者達も同じく動きをみせた。器同士が触れる小さな音や、布団を捲るような衣擦れの音が鳴った。
それは、この無音の世界にもたらされた明らかな変化だった。
足音は段々と近づき、やがて、ヒスイの前で止まった。
そこには、ランタンと大きな剣を持った、筋肉質の男が立っていた。
男はヒスイを人とも思わぬ感情のない目で一瞥すると、鍵束から一本の鍵を選んで南京錠を開ける。
「出ろ」
男が無機質な声で言う。
ヒスイにはそれに従う他、選択肢がない。
男とヒスイは会話を交わすことなく歩く。
ヒスイは俯いていたが、時々横目で視線を巡らせ、自分と同じように牢に閉じ込められている人間がいることを確認する。
見たところ、人間だけではなくゴブリンやオークといった魔物もいた。
実に様々な種族が、老若男女問わず集まっていた。
(この人達も魔物と戦うのか。……って、今は俺が戦うんだよな)
男は何も言わなかったが、ヒスイは自分がこれからどこに連れて行かれるのか、ハッキリと分かっていた。
コロシアム。
(また、テスト……みたいなやつかな)
ヒスイはパンプキンが行なったものを、自分の実力を測るためのテストのようなものとして捉えていた。
実際、それは間違いではない。
だがあのとき、ヒスイは空腹と戸惑いによって力が全然出せなかった。
今も空腹であることに変わりはないが、気分は多少マシになったし、何より、今回は突然ではない。
何が起こるか、ある程度予想できている。
(勝てば、いいんだよね)
ヒスイはパンプキンの言葉を思い出した。
働けば、フカフカのベッドに、美味しいご飯が食べられる。
彼が言ったのはそういうこと。
(ゴブリン、勝てるか分からないけど……やるしかない)
ヒスイは歩きながら覚悟を決めた。
そうこうしているうちに、また例の明るい場所が近づいてきた。
ヒスイはそこで、前回との違いに気づいた。
地面が揺れている。それに、多数の大きな声が響いている。
(え……?)
また同じ場所に辿り着く。
しかし、満員の観客を迎え、コロシアムは以前とはまったく違った雰囲気を見せていた。
そして、目の前には――体長二メートルを超える犬がいた。
◆
『ここで人族、ヒスイ君の登場だぁー!』
場内が、実況者の声で沸き上がる。
しかし熱く燃え上がっている会場とは裏腹に、ヒスイは固まっていた。
『さぁ! 実はこのヒスイ君は、昨日入ったばかりの新入り! 食事もこの数日でパン一つしか取っていないとのことです!』
実況の陽気な声に反応し、観客達のざわめきが場内に響き渡る。
「俺はステイバーちゃんに銀貨五枚だ!!」
「俺もだ! ステイバーに銀貨十枚……いや二十枚いくぞ!」
「僕は金貨を! 金貨を一枚ステイバーに!」
ステイバー。
それはヒスイの眼前で涎を垂らしながら睨みつけている犬の名前に違いない。
そして、客達はヒスイと犬の戦いの勝敗に金を賭けている。
場内の至る所に賭けた金を回収する人々がいて、観客は金を預けている。
『おぉーっと! 人気はステイバーが圧倒的だぁ! 対するヒスイ君は……はは! 言ってしまったら可哀想だ。これでは賭けにならないぞ? さあ、懐に余裕のある諸兄は、お金をドブに捨てるつもりでヒスイ君に賭けてください』
その実況を聞いて、場内が爆笑に包まれる。
『――それじゃあ始めていただきましょうか! ファイっ!』
少し間を置いて実況が言うと、どこからか甲高いゴングの音が鳴り響いた。
それが試合開始の合図だった。
慣れた動きでステイバーがヒスイへと襲いかかる。
「ちょ、ちょっと待って!」
ヒスイは両手を前に出して制止する。
相手が巨大犬とは聞いていない。
だが……
「ガァッ!」
ステイバーは容赦なくヒスイの首元に牙を剥く。
ヒスイは慌てて背を向けて逃げ出す。
しかし、前回同様、格子が勢いよく閉じ、退路を断った。
絶望に打ちひしがれている暇はない。
後ろから襲ってくる気配を察知して、ヒスイは進路を変えて走り出す。
速度的には圧倒的にステイバーが上回っているが、不規則にジグザグに動けば、まだ逃げられた。
「なんだよそりゃー! つまんねぇぞ小僧!」
逃げ出すヒスイを見た観客の一部から、ヤジとともに酒瓶やゴミが投げ込まれる。
行儀が悪い態度だが、責める者はいない。
むしろほとんどの客が同調している。
これがコロシアムの通常状態なのだ。
(そんなことを言われたって……!)
ヒスイは投げ入れられる物を避けつつ、襲ってくる犬から逃げ回らなければいけなかった。
客達は悪ふざけのつもりでも、酒瓶が頭に当たればただではすまないし、足を取られて転べば立ち所に大犬の餌食だ。
どう考えても勝ち目はない。
――はずだった。
突然、一本の剣が投げ入れられた。他の酒瓶などとは明らかに異なる金属質の音に、注目が集まる。
ヒスイは投げ入れられたそれを反射的に拾い、ステイバーに向けた。
ヒスイの抵抗に、場内が静まり返った。
最初は「誰だよ、あれ投げたの」や「武器を与えるのは禁止のはずだろ?」といった不満の言葉が響いたが、やがてそれはヒスイへの嘲笑に取って代わられる。
いくら武器を持っても、人間の子供が勝てるはずはないとの意見が多数を占めた。
『おぉーっと! ヒスイ君、剣を手に取ったァ! これは一筋の光明が見えたか!?』
「ははは! そりゃねえよ! ステイバーは経験豊富な魔物だぞ!」
「そうだそうだ! 今回はただガキが無様に死ぬ姿を見せるショーだろ!」
人を人とも思わない外道どもの声。
そもそもが違法な場所だからか、そういった輩しかいない。
誰もヒスイに同情したり、助け舟を出したりすることなど考えていなかった。
幼いヒスイにもそれが分かり、ぶつけようのない悔しさに、自然と剣を握る力が強くなる。
(やる! やる……ッ!)
迫るステイバーに、ヒスイは剣を振るう。
ステイバーの牙がヒスイの首元を捉えそうになる。だが、ヒスイは上半身をよじって狙いを逸らし、逆にステイバーの口にカウンターの剣を見舞った。
「ギゥヒッ」
そんな、奇怪な音が漏れる。
ステイバーの口が裂け、頭の半分ほどがヒスイの剣によって斬られていた。
ぐったりと体を重力のままに垂らし、ステイバーはヒスイにのしかかるようにして絶命する。
あまりの重さにヒスイは剣を投げ捨てて、死体の下から這い出た。
そして、横たわるステイバーを見る。
魔物の死体は元父親に連れて行ってもらった狩りで幾度となく見た。
だから、特に何も感じない。
今彼が感じるのは、疲れと、勝利した安堵だけ。
『うぉぉぉー!! これは大番狂わせだぁ!? ステイバーが絶命してしまった!』
実況の興奮した声がやけに響く。
観客席は開いた口が塞がらない様子だ。
「うそ……だろ」
そんな声が大半だった。
誰も予想していなかったヒスイの逆転が、現実になった。
やがて、コロシアムのヒスイ側の鉄格子が上がり、道が開かれた。
出てもいい、という意味だ。
ヒスイが視線を向ければ、通路には、コロシアムへ案内してきた男が立っていた。
ヒスイは一瞬、このイカレた場所から逃げる方法がないか考える。
(ない……よね)
観客席にいるのは、頭のネジの外れた者達。
目の前の男も只者ではないだろう。
立ち向かう方法がない以上、ヒスイは諦めて現実を受け入れるしかない。
弱々しい足取りで、ヒスイは男に近づく。
「何か欲しいものはあるか?」
男がヒスイにそう尋ねた。
「え?」
ヒスイは聞き返す。
予想だにしていなかった問いで、なんと答えて良いか分からなかったのだ。
「それがここのルールだ。勝者には褒美が与えられる。欲しいものはあるか」
男は淡々とそう告げた。
「ルール……」
この男は優しさからヒスイの勝利を労っているのではない。
ルール。それがこのコロシアムのルールらしかった。
(そういえばパンプキンも言ってたな。〝働けば〟って)
思い返せば、ヒスイの部屋には何もなかった。
だが、隣の者達は、布団やら器やらを持っているようだ。それが、彼らが勝ち取った些細な褒美ということなのだろう。
「じゃあ、美味しいご飯を」
ヒスイは何も考えず、今一番欲しいものを口にした。
「食事か。今回の働きに見合うな。分かった、用意させよう」
男は頷く。
どうやら、なんでも手に入るというわけではなさそうだ。
(勝てば、いいんだ。殺せば、いいんだ)
ヒスイもまた、何度も頷く。
『仕組み』を知り、納得して、それを受け入れた。
「では戻るぞ」
「……ああ」
男が促し、ヒスイは後に続く。
そこに……
「ふフふ。ちょっと待った」
「パ、パンプキン様っ!」
薄暗い廊下に、陽気な声が響いた。
男が姿勢を正して目を見開いている様子が、ヒスイの目に映る。ヒスイもこの聞き覚えのある特徴的な声に意識を向けた。
「やァ、ヒスイくん。元気してて、何よりだ」
不意に、ヒスイの頭にポンっと手が置かれる。
いつの間にか背後に現れたパンプキンの手だった。
ヒスイは動転しながらも振り返る。
だがそこにパンプキンの姿はない。
「こっチだよ。ふフふ」
パンプキンが、今度はまた逆方向から声をかける。
ヒスイは弄ばれている自覚がありながらも、また振り返った。
今度は、頬をムニュっと人差し指で突かれた。
「はイ。引っかかっタ」
道化師は無邪気に笑う。
「……なんの用だ?」
ヒスイは不機嫌さを隠さず、パンプキンに聞いた。
大剣の男の態度を見ても、立場的にヒスイの方がよっぽど下であることは明らかだったが、この振舞いに苛立ってしまうのは仕方がない。
「そんな顔をすることはないだロ? わざわざ会いに来てあげたんだかラ、感謝するべきだと思うけド?」
「感謝なんてするわけない。むしろ、こんな場所に連れてこられて、恨みたいくらいだ」
「なら、スラムで野垂れ死んだ方が良かったのかイ?」
「……」
意地悪く言うパンプキンに、ヒスイは一言も反論できない。
「まァいいサ。それよりもどうだっタ、さっきの戦イ? ボクが投げた剣を使ってくれて、嬉しかったヨ」
「あれ、あんたが……」
「そウそウ。君に賭けたからサ。負けて欲しくなくて、ズルしちゃっタ」
ヒスイが死なないように、ではなく、賭けに勝つために、という辺りから、パンプキンの情のなさが分かる。
もっとも、今更指摘するまでもないことなので、ヒスイは気にせず再度問いかけた。
「それで、なんの用なんだよ」
「ンー。いい感じにやってたからサ、ボクからも何かご褒美をあげようかなって思っテ。何か欲しいものはないかナ!」
「じゃあ……ここから出してよ」
大剣の男の対応を見る限り、パンプキンがこのコロシアムでもかなり偉い立場にあることをヒスイは察していた。
だから、彼は、あえてこの無理な願いを口にした。
パンプキンの動きが、一瞬止まる。
「仮に、ヒスイくんはここを出て行ったら、どうするのかナ?」
「……どうって。どうにかする」
ヒスイは不満げに答える。
「どうにもならなかったから、ああやって野垂れ死にそうになっていたんじゃないのかナ?」
「今度は――」
「そう言う人に限っテ、〝今度も〟同じようになるんだヨ。って、ヒスイくんは若いから分からないかナ……ふフふ」
パンプキンが笑う。
道化を演じている彼にしては、随分教訓めいたマジメなことを言っている。
素直に納得できないヒスイだったが、パンプキンが自分を解放する気はなさそうだと感じ取って、代案を出す。
「なら、前の……ここに来たときに寝ていた部屋に移りたい」
「ふフふ。もうちょっと働けば、住めるようになル。今のままじゃ、ダーメ。剣か布団か、それくらいのものしかあげられないなァ。どっちがイイ?」
パンプキンが二つの選択肢を挙げる。
「剣」
ヒスイは間髪容れずに答えた。
「やっぱリ、そうだよねェ」
聞くまでもなかった、とばかりに言うパンプキン。
硬い床で寝ると体の節々が痛くなり、疲れも取れない。
布団があれば大分違うはずだ。
だが、それも生き残らなければ意味がない。
実戦で使う剣は、絶対的に必要だった。
パンプキンは「用意しておくよ」とヒスイに告げて去って行った。
今度は突然姿を消すのではなく、廊下を歩いて。
ヒスイは大剣の男に連れられて、元いた部屋に戻った。
2
それから三年間、ヒスイはずっとコロシアムにいた。
家を勘当されてからずっと、彼は薄暗い地下で戦いに身を投じてきたのだ。
幼少期の三年。それまで彼が生きてきた年月を考えると、その重みはとてつもない。
最初はヒスイに罵倒を浴びせる者も多かった。
しかし、勝ち星を上げ続け、まったく死ぬ気配のないヒスイには、次第に熱狂的なファンがつくようになっていた。
それからどれくらいの時が経ったか。
暗闇の中では時間の感覚が麻痺してしまって分からない。
足音がした。
響くような高い音ではないが、静寂の中では目立つ音だった。
ヒスイがその足音に反応して身を起こすと、近くの牢にいる者達も同じく動きをみせた。器同士が触れる小さな音や、布団を捲るような衣擦れの音が鳴った。
それは、この無音の世界にもたらされた明らかな変化だった。
足音は段々と近づき、やがて、ヒスイの前で止まった。
そこには、ランタンと大きな剣を持った、筋肉質の男が立っていた。
男はヒスイを人とも思わぬ感情のない目で一瞥すると、鍵束から一本の鍵を選んで南京錠を開ける。
「出ろ」
男が無機質な声で言う。
ヒスイにはそれに従う他、選択肢がない。
男とヒスイは会話を交わすことなく歩く。
ヒスイは俯いていたが、時々横目で視線を巡らせ、自分と同じように牢に閉じ込められている人間がいることを確認する。
見たところ、人間だけではなくゴブリンやオークといった魔物もいた。
実に様々な種族が、老若男女問わず集まっていた。
(この人達も魔物と戦うのか。……って、今は俺が戦うんだよな)
男は何も言わなかったが、ヒスイは自分がこれからどこに連れて行かれるのか、ハッキリと分かっていた。
コロシアム。
(また、テスト……みたいなやつかな)
ヒスイはパンプキンが行なったものを、自分の実力を測るためのテストのようなものとして捉えていた。
実際、それは間違いではない。
だがあのとき、ヒスイは空腹と戸惑いによって力が全然出せなかった。
今も空腹であることに変わりはないが、気分は多少マシになったし、何より、今回は突然ではない。
何が起こるか、ある程度予想できている。
(勝てば、いいんだよね)
ヒスイはパンプキンの言葉を思い出した。
働けば、フカフカのベッドに、美味しいご飯が食べられる。
彼が言ったのはそういうこと。
(ゴブリン、勝てるか分からないけど……やるしかない)
ヒスイは歩きながら覚悟を決めた。
そうこうしているうちに、また例の明るい場所が近づいてきた。
ヒスイはそこで、前回との違いに気づいた。
地面が揺れている。それに、多数の大きな声が響いている。
(え……?)
また同じ場所に辿り着く。
しかし、満員の観客を迎え、コロシアムは以前とはまったく違った雰囲気を見せていた。
そして、目の前には――体長二メートルを超える犬がいた。
◆
『ここで人族、ヒスイ君の登場だぁー!』
場内が、実況者の声で沸き上がる。
しかし熱く燃え上がっている会場とは裏腹に、ヒスイは固まっていた。
『さぁ! 実はこのヒスイ君は、昨日入ったばかりの新入り! 食事もこの数日でパン一つしか取っていないとのことです!』
実況の陽気な声に反応し、観客達のざわめきが場内に響き渡る。
「俺はステイバーちゃんに銀貨五枚だ!!」
「俺もだ! ステイバーに銀貨十枚……いや二十枚いくぞ!」
「僕は金貨を! 金貨を一枚ステイバーに!」
ステイバー。
それはヒスイの眼前で涎を垂らしながら睨みつけている犬の名前に違いない。
そして、客達はヒスイと犬の戦いの勝敗に金を賭けている。
場内の至る所に賭けた金を回収する人々がいて、観客は金を預けている。
『おぉーっと! 人気はステイバーが圧倒的だぁ! 対するヒスイ君は……はは! 言ってしまったら可哀想だ。これでは賭けにならないぞ? さあ、懐に余裕のある諸兄は、お金をドブに捨てるつもりでヒスイ君に賭けてください』
その実況を聞いて、場内が爆笑に包まれる。
『――それじゃあ始めていただきましょうか! ファイっ!』
少し間を置いて実況が言うと、どこからか甲高いゴングの音が鳴り響いた。
それが試合開始の合図だった。
慣れた動きでステイバーがヒスイへと襲いかかる。
「ちょ、ちょっと待って!」
ヒスイは両手を前に出して制止する。
相手が巨大犬とは聞いていない。
だが……
「ガァッ!」
ステイバーは容赦なくヒスイの首元に牙を剥く。
ヒスイは慌てて背を向けて逃げ出す。
しかし、前回同様、格子が勢いよく閉じ、退路を断った。
絶望に打ちひしがれている暇はない。
後ろから襲ってくる気配を察知して、ヒスイは進路を変えて走り出す。
速度的には圧倒的にステイバーが上回っているが、不規則にジグザグに動けば、まだ逃げられた。
「なんだよそりゃー! つまんねぇぞ小僧!」
逃げ出すヒスイを見た観客の一部から、ヤジとともに酒瓶やゴミが投げ込まれる。
行儀が悪い態度だが、責める者はいない。
むしろほとんどの客が同調している。
これがコロシアムの通常状態なのだ。
(そんなことを言われたって……!)
ヒスイは投げ入れられる物を避けつつ、襲ってくる犬から逃げ回らなければいけなかった。
客達は悪ふざけのつもりでも、酒瓶が頭に当たればただではすまないし、足を取られて転べば立ち所に大犬の餌食だ。
どう考えても勝ち目はない。
――はずだった。
突然、一本の剣が投げ入れられた。他の酒瓶などとは明らかに異なる金属質の音に、注目が集まる。
ヒスイは投げ入れられたそれを反射的に拾い、ステイバーに向けた。
ヒスイの抵抗に、場内が静まり返った。
最初は「誰だよ、あれ投げたの」や「武器を与えるのは禁止のはずだろ?」といった不満の言葉が響いたが、やがてそれはヒスイへの嘲笑に取って代わられる。
いくら武器を持っても、人間の子供が勝てるはずはないとの意見が多数を占めた。
『おぉーっと! ヒスイ君、剣を手に取ったァ! これは一筋の光明が見えたか!?』
「ははは! そりゃねえよ! ステイバーは経験豊富な魔物だぞ!」
「そうだそうだ! 今回はただガキが無様に死ぬ姿を見せるショーだろ!」
人を人とも思わない外道どもの声。
そもそもが違法な場所だからか、そういった輩しかいない。
誰もヒスイに同情したり、助け舟を出したりすることなど考えていなかった。
幼いヒスイにもそれが分かり、ぶつけようのない悔しさに、自然と剣を握る力が強くなる。
(やる! やる……ッ!)
迫るステイバーに、ヒスイは剣を振るう。
ステイバーの牙がヒスイの首元を捉えそうになる。だが、ヒスイは上半身をよじって狙いを逸らし、逆にステイバーの口にカウンターの剣を見舞った。
「ギゥヒッ」
そんな、奇怪な音が漏れる。
ステイバーの口が裂け、頭の半分ほどがヒスイの剣によって斬られていた。
ぐったりと体を重力のままに垂らし、ステイバーはヒスイにのしかかるようにして絶命する。
あまりの重さにヒスイは剣を投げ捨てて、死体の下から這い出た。
そして、横たわるステイバーを見る。
魔物の死体は元父親に連れて行ってもらった狩りで幾度となく見た。
だから、特に何も感じない。
今彼が感じるのは、疲れと、勝利した安堵だけ。
『うぉぉぉー!! これは大番狂わせだぁ!? ステイバーが絶命してしまった!』
実況の興奮した声がやけに響く。
観客席は開いた口が塞がらない様子だ。
「うそ……だろ」
そんな声が大半だった。
誰も予想していなかったヒスイの逆転が、現実になった。
やがて、コロシアムのヒスイ側の鉄格子が上がり、道が開かれた。
出てもいい、という意味だ。
ヒスイが視線を向ければ、通路には、コロシアムへ案内してきた男が立っていた。
ヒスイは一瞬、このイカレた場所から逃げる方法がないか考える。
(ない……よね)
観客席にいるのは、頭のネジの外れた者達。
目の前の男も只者ではないだろう。
立ち向かう方法がない以上、ヒスイは諦めて現実を受け入れるしかない。
弱々しい足取りで、ヒスイは男に近づく。
「何か欲しいものはあるか?」
男がヒスイにそう尋ねた。
「え?」
ヒスイは聞き返す。
予想だにしていなかった問いで、なんと答えて良いか分からなかったのだ。
「それがここのルールだ。勝者には褒美が与えられる。欲しいものはあるか」
男は淡々とそう告げた。
「ルール……」
この男は優しさからヒスイの勝利を労っているのではない。
ルール。それがこのコロシアムのルールらしかった。
(そういえばパンプキンも言ってたな。〝働けば〟って)
思い返せば、ヒスイの部屋には何もなかった。
だが、隣の者達は、布団やら器やらを持っているようだ。それが、彼らが勝ち取った些細な褒美ということなのだろう。
「じゃあ、美味しいご飯を」
ヒスイは何も考えず、今一番欲しいものを口にした。
「食事か。今回の働きに見合うな。分かった、用意させよう」
男は頷く。
どうやら、なんでも手に入るというわけではなさそうだ。
(勝てば、いいんだ。殺せば、いいんだ)
ヒスイもまた、何度も頷く。
『仕組み』を知り、納得して、それを受け入れた。
「では戻るぞ」
「……ああ」
男が促し、ヒスイは後に続く。
そこに……
「ふフふ。ちょっと待った」
「パ、パンプキン様っ!」
薄暗い廊下に、陽気な声が響いた。
男が姿勢を正して目を見開いている様子が、ヒスイの目に映る。ヒスイもこの聞き覚えのある特徴的な声に意識を向けた。
「やァ、ヒスイくん。元気してて、何よりだ」
不意に、ヒスイの頭にポンっと手が置かれる。
いつの間にか背後に現れたパンプキンの手だった。
ヒスイは動転しながらも振り返る。
だがそこにパンプキンの姿はない。
「こっチだよ。ふフふ」
パンプキンが、今度はまた逆方向から声をかける。
ヒスイは弄ばれている自覚がありながらも、また振り返った。
今度は、頬をムニュっと人差し指で突かれた。
「はイ。引っかかっタ」
道化師は無邪気に笑う。
「……なんの用だ?」
ヒスイは不機嫌さを隠さず、パンプキンに聞いた。
大剣の男の態度を見ても、立場的にヒスイの方がよっぽど下であることは明らかだったが、この振舞いに苛立ってしまうのは仕方がない。
「そんな顔をすることはないだロ? わざわざ会いに来てあげたんだかラ、感謝するべきだと思うけド?」
「感謝なんてするわけない。むしろ、こんな場所に連れてこられて、恨みたいくらいだ」
「なら、スラムで野垂れ死んだ方が良かったのかイ?」
「……」
意地悪く言うパンプキンに、ヒスイは一言も反論できない。
「まァいいサ。それよりもどうだっタ、さっきの戦イ? ボクが投げた剣を使ってくれて、嬉しかったヨ」
「あれ、あんたが……」
「そウそウ。君に賭けたからサ。負けて欲しくなくて、ズルしちゃっタ」
ヒスイが死なないように、ではなく、賭けに勝つために、という辺りから、パンプキンの情のなさが分かる。
もっとも、今更指摘するまでもないことなので、ヒスイは気にせず再度問いかけた。
「それで、なんの用なんだよ」
「ンー。いい感じにやってたからサ、ボクからも何かご褒美をあげようかなって思っテ。何か欲しいものはないかナ!」
「じゃあ……ここから出してよ」
大剣の男の対応を見る限り、パンプキンがこのコロシアムでもかなり偉い立場にあることをヒスイは察していた。
だから、彼は、あえてこの無理な願いを口にした。
パンプキンの動きが、一瞬止まる。
「仮に、ヒスイくんはここを出て行ったら、どうするのかナ?」
「……どうって。どうにかする」
ヒスイは不満げに答える。
「どうにもならなかったから、ああやって野垂れ死にそうになっていたんじゃないのかナ?」
「今度は――」
「そう言う人に限っテ、〝今度も〟同じようになるんだヨ。って、ヒスイくんは若いから分からないかナ……ふフふ」
パンプキンが笑う。
道化を演じている彼にしては、随分教訓めいたマジメなことを言っている。
素直に納得できないヒスイだったが、パンプキンが自分を解放する気はなさそうだと感じ取って、代案を出す。
「なら、前の……ここに来たときに寝ていた部屋に移りたい」
「ふフふ。もうちょっと働けば、住めるようになル。今のままじゃ、ダーメ。剣か布団か、それくらいのものしかあげられないなァ。どっちがイイ?」
パンプキンが二つの選択肢を挙げる。
「剣」
ヒスイは間髪容れずに答えた。
「やっぱリ、そうだよねェ」
聞くまでもなかった、とばかりに言うパンプキン。
硬い床で寝ると体の節々が痛くなり、疲れも取れない。
布団があれば大分違うはずだ。
だが、それも生き残らなければ意味がない。
実戦で使う剣は、絶対的に必要だった。
パンプキンは「用意しておくよ」とヒスイに告げて去って行った。
今度は突然姿を消すのではなく、廊下を歩いて。
ヒスイは大剣の男に連れられて、元いた部屋に戻った。
2
それから三年間、ヒスイはずっとコロシアムにいた。
家を勘当されてからずっと、彼は薄暗い地下で戦いに身を投じてきたのだ。
幼少期の三年。それまで彼が生きてきた年月を考えると、その重みはとてつもない。
最初はヒスイに罵倒を浴びせる者も多かった。
しかし、勝ち星を上げ続け、まったく死ぬ気配のないヒスイには、次第に熱狂的なファンがつくようになっていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。
小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。
「マリアが熱を出したらしい」
駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。
「また裏切られた……」
いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。
「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」
離婚する気持ちが固まっていく。
没落した貴族家に拾われたので恩返しで復興させます
六山葵
ファンタジー
生まれて間も無く、山の中に捨てられていた赤子レオン・ハートフィリア。
彼を拾ったのは没落して平民になった貴族達だった。
優しい両親に育てられ、可愛い弟と共にすくすくと成長したレオンは不思議な夢を見るようになる。
それは過去の記憶なのか、あるいは前世の記憶か。
その夢のおかげで魔法を学んだレオンは愛する両親を再び貴族にするために魔法学院で魔法を学ぶことを決意した。
しかし、学院でレオンを待っていたのは酷い平民差別。そしてそこにレオンの夢の謎も交わって、彼の運命は大きく変わっていくことになるのだった。
※2025/12/31に書籍五巻以降の話を非公開に変更する予定です。
詳細は近況ボードをご覧ください。
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
詠唱? それ、気合を入れるためのおまじないですよね? ~勘違い貴族の規格外魔法譚~
Gaku
ファンタジー
「次の人生は、自由に走り回れる丈夫な体が欲しい」
病室で短い生涯を終えた僕、ガクの切実な願いは、神様のちょっとした(?)サービスで、とんでもなく盛大な形で叶えられた。
気がつけば、そこは剣と魔法が息づく異世界。貴族の三男として、念願の健康な体と、ついでに規格外の魔力を手に入れていた!
これでようやく、平和で自堕落なスローライフが送れる――はずだった。
だが、僕には一つ、致命的な欠点があった。それは、この世界の魔法に関する常識が、綺麗さっぱりゼロだったこと。
皆が必死に唱える「詠唱」を、僕は「気合を入れるためのおまじない」だと勘違い。僕の魔法理論は、いつだって「体内のエネルギーを、ぐわーっと集めて、どーん!」。
その結果、
うっかり放った火の玉で、屋敷の壁に風穴を開けてしまう。
慌てて土魔法で修復すれば、なぜか元の壁より遥かに豪華絢爛な『匠の壁』が爆誕し、屋敷の新たな観光名所に。
「友達が欲しいな」と軽い気持ちで召喚魔法を使えば、天変地異の末に伝説の魔獣フェンリル(ただし、手のひらサイズの超絶可愛い子犬)を呼び出してしまう始末。
僕はただ、健康な体でのんびり暮らしたいだけなのに!
行く先々で無自覚に「やりすぎ」てしまい、気づけば周囲からは「無詠唱の暴君」「歩く災害」など、実に不名誉なあだ名で呼ばれるようになっていた……。
そんな僕が、ついに魔法学園へ入学!
当然のように入学試験では的を“消滅”させて試験官を絶句させ、「関わってはいけないヤバい奴」として輝かしい孤立生活をスタート!
しかし、そんな規格外な僕に興味を持つ、二人の変わり者が現れた。
魔法の真理を探求する理論オタクの「レオ」と、強者との戦いを求める猪突猛進な武闘派女子の「アンナ」。
この二人との出会いが、モノクロだった僕の世界を、一気に鮮やかな色に変えていく――!
勘違いと無自覚チートで、知らず知らずのうちに世界を震撼させる!
腹筋崩壊のドタバタコメディを軸に、個性的な仲間たちとの友情、そして、世界の謎に迫る大冒険が、今、始まる!
【完結】実はチートの転生者、無能と言われるのに飽きて実力を解放する
エース皇命
ファンタジー
【HOTランキング1位獲得作品!!】
最強スキル『適応』を与えられた転生者ジャック・ストロングは16歳。
戦士になり、王国に潜む悪を倒すためのユピテル英才学園に入学して3ヶ月がたっていた。
目立たないために実力を隠していたジャックだが、学園長から次のテストで成績がよくないと退学だと脅され、ついに実力を解放していく。
ジャックのライバルとなる個性豊かな生徒たち、実力ある先生たちにも注目!!
彼らのハチャメチャ学園生活から目が離せない!!
※小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも投稿中
わたくしがお父様に疎まれている?いいえ、目に入れても痛くない程溺愛されております。
織り子
ファンタジー
王国貴族院の卒業記念パーティーの場で、大公家の令嬢ルクレツィア・アーヴェントは王太子エドワードから突然の婚約破棄を告げられる。
父であるアーヴェント大公に疎まれている――
噂を知った王太子は、彼女を公衆の面前で侮辱する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
