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1章 焦り

1章ー1:マヒコとミサヤ、守り切れぬ怖さ

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 機械の巨人、汎用人型都市防衛用魔法機械〈ホシモリ〉の実戦稼働試験から、しばし時は過去へとさかのぼる。

 関西迷宮で発生した【逢魔が時】が終わり、関西迷宮に隣接する迷宮防衛都市、三葉市がその戦いの傷痕を修復して、ようやく復興した頃。
「うむう……」
 魂斬みぎり命彦まひこは、寝転んでじっと瞑目して考え込み、記憶を呼び起こしていた。
 真面目さと利発さが見え隠れした、多少の幼さが残る顔付きに、優しい眼差し。緩く弧を描いたくせのある黒い髪と、小柄だがやいばのように研ぎ澄まされた身躯しんくを持つ少年。
 見てくれこそ地味で凡庸ぼんようだが、その実、つい2週間ほど前に、人類の天敵たる魔獣を討ち滅ぼした、稀有たる学科魔法士の1人。それが、命彦であった。
 部屋着の甚平じんべえ姿で、自室の寝台ベッドに寝転ぶ命彦は、眉根を寄せて思考する。
 思い出すのは2週間前の激戦の記憶、【逢魔が時】の記憶であった。

 異世界エレメンティアの神を自称し、命彦達の暮らす世界にも様々に干渉する、3柱の神霊種魔獣【災禍さいかの三女神】。
 その【災禍の三女神】が生み出した眷属であり、自分達の意思の代行者たる魔獣が、眷霊種魔獣であった。
 そして、この眷霊種魔獣が【災禍の三女神】の指示を受けて起こす災害、次元空間交換装置とも言うべき【魔晶】を持って引き起こす災害こそ、【逢魔が時】である。
 【災禍の三女神】が地球へ送り込んだ【魔晶】の有する力、次元を超越した異世界空間と地球空間との入れ換え作用を、眷霊種魔獣が加速させ、異世界エレメンティアに生息する魔獣達を空間ごと地球に数多あまた流入させて、人類と魔獣との生存闘争を激化させる。
 出現した魔獣の種類や総数によっては、都市どころか国が滅亡するほどの災害。
 それが、【逢魔が時】。
 関西迷宮でもその【逢魔が時】が、つい2週間ほど前に発生した。
 というか、日本にある関西迷宮以外の3つの迷宮のうち、四国迷宮を除く2つの迷宮、関東迷宮や九州迷宮でも発生した。
 日本で【逢魔が時】の発生が、時差はあるもののほぼ同時に発生したのは、この時が初めてであり、国の対応も最善とは言えず、【逢魔が時】の発生が他の地方より遅れた関西迷宮では、対応する戦力が不足した。
 迷宮には、魔獣の活動域を狭めて封じ込めるため、防波堤とも言うべき幾つかの迷宮防衛都市が隣接する。
 そして、この迷宮防衛都市には魔獣に対抗し得る戦力、学科魔法士達が暮らしていた。
 日本のどこの迷宮で【逢魔が時】が発生しようとも、それが一定以下の規模であれば、その地方の迷宮防衛都市が有する戦力、軍や警察、一般の学科魔法士達だけで対処できるように、戦力が確保されていたのである。
 ところが、この時同時発生した関東迷宮と九州迷宮の【逢魔が時】は、想定以上の規模であり、援軍が必要だった。そこで国は、四国と関西の迷宮防衛都市から、学科魔法士の戦力を相当数、関東や九州へと移動させた。
 それゆえに、関東迷宮や九州迷宮にやや遅れて、関西迷宮でも【逢魔が時】が発生した時、関西地方の迷宮防衛都市では、戦力不足が深刻だったのである。
 生まれ育った環境と、優れた魔法の師である祖父母のお蔭で、16歳という年齢の割に腕の良い学科魔法士であった命彦は、自分の故郷である迷宮防衛都市、三葉市を守るため、【逢魔が時】の戦場で戦った。
 眷霊種魔獣とも激戦を繰り広げ、多くの人の力を借りて倒した。

 本来であれば、今の自分では1人で絶対に勝ち得ぬ眷霊種魔獣に対し、多くの人の助けとあらゆる力を総動員して勝った、得難い経験をした時の輝かしい記憶を思い出している筈だが。
「……ぐぬぬぬ」
 命彦の表情は硬く暗かった。
 自らの全てをかけて、異世界の神を称する者達の使者、眷霊種魔獣と戦った時の記憶。
 自分だけでは絶対に勝てぬ筈の敵に勝ったというその時の記憶は、命彦に得難い経験と自信、誇りを刻み込んでくれたが、それは同時にある事実を痛烈に示してもいた。
「ぐあああ~ダメだ、全然ダメだ! 次に戦っても勝てる方法がまるで思い付かねえ!」
 眉根を寄せて瞑目していた命彦が、突然そう言って悔しそうに飛び起きた。
 輝かしい勝利の記憶。
 そうである筈の2週間前の激戦の記憶は、戦った相手である眷霊種魔獣が、どれだけ桁外れの力を持っているのかを、明確に命彦の脳裏へ刻み込んでいたのである。
「眷霊種魔獣はアイツだけじゃねえ、まだまだいっぱいいる。今度また同じ事態が生じたら、今の俺の力じゃ家族を守って逃げるのが精一杯だ。実際に眷霊種魔獣から目を付けられて襲撃を受けたら……家族でさえ、守り切れるとは言えねえ」
 寝台に座り、しょんぼりする命彦の膝の上に、床で寝そべっていた真っ白い子犬が座り、思念を発する。
『考え過ぎではありませんか、マヒコ? 前回と同じく、【逢魔が時】が同時多発することは今後もあるでしょうが、それによって引き起こされた事態が、前回と全て同じとは限りません。前回の失敗を糧に、軍や警察、都市魔法士管理局や国家魔法士委員会も、今後は動く筈です。戦力不足でギリギリの戦いを行った前回と、全く同じ事態がこの先も起こるとは、早々思えませんよ?』
「それは俺も分かってるさ、ミサヤ。でも、もしもの事態は常に想定しとくべきだ。特に眷霊種魔獣は、簡単にどうこうできる魔獣じゃねえ……実際に戦ったから分かる。アレに狙われたら、文字通りの死の宣告だ。前回はある意味で幸運だった。勝てる算段がついた。その算段を実行できる材料も、人材もあった。多くの人の助けもあった。けど、次に遭遇した時、同じ幸運が舞い込んで来るとは限らねえ。それが……怖い」
 子犬を見て言う命彦の瞳には、ある種の怯えがあった。
 実際に戦い、命彦自身も命を奪われかけたがゆえに刻まれた、眷霊種魔獣への畏怖。
 その畏怖が、家族のことを一番に考える命彦に、焦慮を抱かせる、今のままではダメだと。
 命彦の心情を察した子犬が、凄まじい量の魔力を突然発してふわりと浮き上がり、言った。
『対抗策を持たぬがゆえの怖さ、というよりも、己の愛する者を守り切れぬことへの怖さ、ですか……心配要りません、我が主よ』
 魔力が渦を巻き、魔法が構築されて、溢れ出る波動が室内の物をカタカタと揺らす。
 子犬の姿が解除され、一瞬部屋の天井に届くほどの巨狼の姿が見えたが、展開された魔法の効力がすぐに発揮されて肉体を再構築し、見る間に美女の姿を形成して縮んで行った。
 巨狼の前足が手に、後ろ足が脚に再構築されると同時に、魔力を物質化して構築された浴衣が、美しい裸体を覆う。
 やがて魔法の効力が収束すると、楚々そそとした雰囲気の、1人の美女が命彦の膝の上に座っていた。
「マヒコには、このミサヤがついております。我が主の守りたいと願う者、その全てをミサヤが守りましょう」
 子犬から魔法によって人化した浴衣姿の美女が、そっと命彦を抱き締めて美しい声を発した。
 美鞘ミサヤ魔狼マカミ、命彦が家族として愛し、相棒として信頼する、融和型魔獣である。
 その本性は、人化する魔法を使用した時にチラリと見えた、しゃちや象ほどもある巨狼であり、高位魔獣の代表例にも挙げられる天魔種魔獣【魔狼】であった。
 基幹精霊や心象精霊に分類される、魔法の知識を持つ人間でも比較的見付けやすい種類の精霊とは違って、極めて希少性が高く見付けにくい精霊、基心外きしんがい精霊に分類される筈の人の精霊を容易く察知し、どの魔法の系統でも特に制御が難しい技術である、儀式魔法術式へと組み込んで、呼吸するように精霊儀式魔法を行使する。
 挙句、精霊儀式魔法で自分の身体を人間の身体へと再構築している間に、精霊魔法系統とは別の系統である、意志魔法系統まで同時併用し、儀式魔法術式で魔力を疑似的に物質化させて、魔力物質製の浴衣まで作り出す。
 一流の実力を持つ学科魔法士でも目を剥いて驚愕するほどの魔法を、ほいほいと簡単に使えるミサヤは、確かに高位魔獣と呼ばれるべき恐ろしい生物であった。
 表情こそ乏しいが極めて整った顔立ちに、知性を感じさせる翠緑色の眼差し。まっすぐ腰まである純白の長い髪と、すべらかに見える褐色の肌を持ち、着物の上からも分かるほど豊かに隆起した胸や腰付きが、命彦を惑わせる異国風の美女。
 それが、ミサヤの人化形態であった。
 人化したミサヤに抱き締められた命彦が、やや頬を緩めつつ、しかしてはっきりと言う。
「ミサヤ。俺の守りたい者には、ミサヤも入ってるんだ。ミサヤが傷付くのは……嫌だ」
「マヒコ……」
 頬を染め、見詰め合う2人。
 恋人のように互いを抱き合い、2人から出る桃色の空気が、部屋に充満したその時だった。
「そぉぉぉーこぉーまでええええーいっ!」
 ドダダダッと廊下と階段を駆け上がる震動と女性の声が聞こえ、命彦の自室の扉が蹴り破られた。
 衝撃で壁から剥がれた扉が空を舞い、部屋の壁に内蔵された収納空間クローゼットへ突き刺さる。
 命彦が引きつった表情で、部屋の入り口を見ると、魔力の波動を全身から発し、黒髪を蛇のように漂わせて、おたま片手に冷たい笑顔を浮かべた浴衣姿の美女が、仁王立ちしていた。
「ね、姉さん?」
「まったく、少し目を離したら抜け駆けして……命彦、ご飯できてるわよ?」
 美女がズンズンズンと近寄って来て、ミサヤと命彦の顔の間におたまを割り込ませ、命彦には優しく言う。
 魂斬みぎり命絃まいと、命彦が愛し、心より慕う、最愛の義姉あねである。
 美しく整った顔付きに、命彦に対しては常に温かい眼差し。肩まであるまっすぐに黒い髪と、女性らしいつややかさに満ちた胸や腰付きを持つ、しとやかに美しい女性の筈だが、今はその雰囲気のせいか、淑やかさよりも冷たさとおどろおどろしさが全面に出ていた。
 味噌の良い匂いがするおたまが、一瞬武器に見えたほどである。
 過去に幾度もあった【逢魔が時】による敵性型魔獣達との戦闘で、幼くして実の両親と死に分かれた命彦は、実の両親が魂斬家の遠い血族であったこと、実母が魂斬家と極めて親しかったこともあって、死に際の実母の遺言により、3歳という幼児期に魂斬家へと引き取られ、魂斬家の一員として愛情を注がれた。
 魂斬家の人々は基本的に愛情深いが、とりわけ命彦を溺愛しているのが義姉の命絃であり、弟の命彦を全身全霊で溺愛する命絃は、命彦とミサヤの睦み合いにとても敏感であった。
 命絃の嫉妬混じりの重たい視線が、人化したミサヤに浴びせられるが、ミサヤはどこ吹く風といった様子で、余裕を見せている。
 しかし、命彦はその視線の重圧に耐え兼ね、頬を引きつらせつつ言った。
「は、はい……行こうか、ミサヤ?」
「ええ、マヒコの望む通りに」
 姉の視線とその雰囲気に気圧された様子の命彦が言うと、ミサヤは笑顔で命彦の膝上から降りた。
 立ち上がった命彦の腕を命絃が取って、3人で部屋を後にする。
 魔法ですぐ修繕できるのだが、自室の扉は、収納空間に突き刺さったままだった。
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