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ワークライフ・アンバランス
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鉢植えから伸びる植物の様子を見て、冴木俊はにやりと笑った。
築三十年のアパートの一室のなか、俊の目の前には新聞紙を敷いた畳みの上に、五つほどの鉢植えが並べられていた。どの鉢植えからも、植物が伸び伸びと育ち、青い葉を茂らせている。
鉢植えを見ていると俊は笑いがこぼれそうになる。
あともう少しで、この植物たちが自分の金へと変わるのだ。それを考えると口のにやつきが抑えられなくなりそうになるが、俊は自分を落ち着かせようと口元を手で覆った。
――まだだ。油断するなよ。まだ仕事は終わってないんだから。
そう自分に言い聞かせたあと、俊は部屋のカーテンと窓を僅かに開けた。暗い室内に陽射しが差し、鉢植えの植物たちに光が注がれる。俊は仕事を始めようと、水を入れたスプレーとタオルを手にした。
だが植物に触れようとすると、不意に強い風が吹き、カーテンが激しくなびいた。室内の陽射しが強くなり、煽られたカーテンの隙間から外の住宅街が見てとれた。
――マズい!
俊は植物に伸ばしていた腕を、カーテンを抑えるために使った。すぐに突風は治まり、カーテンは室内を外にさらすのを止めて、もとの役割へと戻る。
危ないところだった。近隣住民に見られて気持ちの良い思いをする状況ではない。作業をする時は、出来る限りカーテンがなびかないようにしなくてはならない。
俊は僅かに開けたカーテンをガムテープで窓に固定したあと、本格的に仕事を始め出した。植物の葉にスプレーで水をかけ、濡れた葉をタオルで拭いて、葉の汚れを取っていく。
葉は植物が光合成をし、成長するための大切な器官だ。本格的に植物の面倒を見るなら、これくらい丁寧にやらなくてはならないというのが俊の考えだった。
つやつやに光る葉を見ると、俊の口元はまた弛みそうになった。
だが弛緩した俊の心を引き締めるように、玄関のチャイムが鳴った。
俊は慌てて玄関の方を振り返った。
サンダルとスニーカーが置かれただけの玄関の向こうに、誰かがやって来ていた。
――……誰だ?
俊は緊張に身を硬くした。
さらに二度目のチャイムが鳴る。平日の真っ昼間。こんな時間に俊を尋ねてくる人間などそうはいない。宅配の可能性も考えたが、ここ最近配達の依頼をした覚えはない。
ならば誰かと考えていると、俊を急かすように三度目のチャイムが鳴り響いた。
どうやら相手はそれなりの用があって来たらしい。ならば出なければと思い、スプレーとタオルを床に置くが、自分のすぐ横にある鉢植えをどうしようかと一瞬迷った。
だが、その迷いが命取りだった。四度目に聞こえたのは、チャイムの音ではなく、ドアノブを捻る音だった。
俊は驚いた。施錠されている筈のドアが外部の者に開けられようとしているのだ。
俊は慌てた。とにかく隠さなければと思い鉢植えに手をかける。
だが、あまりに行動が遅すぎた。
ドアは開かれ、玄関の向こうにひとりの男が立っていた。
「おーっす。ひっさしぶりー。元気してたかー」
「ってお前かよ! あーびっくりした!」
あまりにも緩い声に、俊はついツッコんだ。これまでの緊張が馬鹿みたいだ。
尋ねてきたのは、長年の友人である須藤誠だった。
大学時代からの友人で、背は高く、手足が長く、さらに顔も良いので女ウケの良い男だった。
大学で初めて出会った時以来、須藤が女に困るところは見たことがなかったので、俊を含め、彼の友人たちは何時かくたばってしまえと日々呪詛を呟いていたほどである。
とはいえ無闇に女にモテるということ以外、他に癇に障ることもなく、比較的気の合う男でもあるため、大学卒業後も須藤とは度々会い、こうして暇があればアパートにまで遊びに来る間柄となっていた。
問題は、その暇な時間帯があまりにも早すぎることである。
俊は鉢植えの手入れに戻りつつ、須藤に尋ねた。
「つか、お前来るの早すぎだろ。いま何時だと思ってんの。昼の二時よ。普通の社会人働いてる時間よ」
「有給だよ。有給。いや取ったは良いけど、別にやることとかなくてさ、仕方ないからここに来たんだよ。俊ならどうせ暇だろうし」
「暇じゃねえよ。今も仕事中だっての」
「仕事、ねぇ……」
須藤は呆れたような目付きで俊の部屋を見回した。
部屋にあるのは新聞紙の上に置かれた幾つもの鉢植えと亀の入った水槽、そして床に散らばった造花の花だった。
「これ仕事か?」
「仕事だよ! 金稼いでんだからちゃんと仕事だよ!」
俊はムキになって叫んだ。
一般的にはあまり仕事と捉えられづらいものではあったが、確かに俊が室内で行っているのは仕事だった。
亀は旅行に出かけた家族の代わりに面倒を見て、造花の花は組み立てて完成品を依頼先へと送り届ける。そして鉢植えから伸びるトマトやらナスやらの植物たちは、これまた旅行に行った女性の代わりに面倒を見るという仕事だった。
亀の世話に、造花の組み立てに、鉢植えの水やり。ひとつとして統一性のないこれらの仕事は、しかし、ひとつの職業によって為されるものであった。
須藤は玄関から畳みへと来ると、胡座かいて、造花を一本手に取った。
「よろず屋ねぇ。未だにそんな仕事があったってのが俺は驚きだよ。ソーシャル・クラウドって便利だな」
俊は個人事業主として、よろず屋を営んでいるわけではない。ネット上で公開されているWebサービス、よろずワークスによって、依頼人からの仕事を受けていた。
よろずワークスは、今流行りのソーシャル・クラウドを用いたサイトで、利用者からの依頼を引き受け、登録している者に仕事を振り分けている。
労働者に割り振った仕事の数%の利益を徴収することで資金を得ているサイトだった。
俊は手入れの終わった鉢植えを壁際に移動させながら言った。
「便利な時代になったもんだよな。自分から動かなくても、Webページが勝手に仕事を持ってきてくれるんだからさ」
「うん。便利便利。で、お前いつ定職つくの?」
どきりと心臓が跳ね、俊は鉢植えを持った態勢のまま停止してしまう。
そう。平日の真っ昼間から、用もないのに人ん家に来る須藤もおかしいが、皆が仕事をしている最中に家に引き蘢っている俊も大概おかしいのである。
ぎぎぎ、と硬いネジを回すように、俊は須藤へと顔を向ける。
「こ、今度、就活するつもりです」
「へぇ。今度っていつ?」
まだ予定はない。いつになるかも未定である。
「は、早いうちにやる、つもりです」
冴木俊、二十四歳。よろず屋。
自営業を名乗るにはあまりに稼ぎが少なく逃げ道のない状況の青年の、あまりにも切実な逃げ口上であった。
築三十年のアパートの一室のなか、俊の目の前には新聞紙を敷いた畳みの上に、五つほどの鉢植えが並べられていた。どの鉢植えからも、植物が伸び伸びと育ち、青い葉を茂らせている。
鉢植えを見ていると俊は笑いがこぼれそうになる。
あともう少しで、この植物たちが自分の金へと変わるのだ。それを考えると口のにやつきが抑えられなくなりそうになるが、俊は自分を落ち着かせようと口元を手で覆った。
――まだだ。油断するなよ。まだ仕事は終わってないんだから。
そう自分に言い聞かせたあと、俊は部屋のカーテンと窓を僅かに開けた。暗い室内に陽射しが差し、鉢植えの植物たちに光が注がれる。俊は仕事を始めようと、水を入れたスプレーとタオルを手にした。
だが植物に触れようとすると、不意に強い風が吹き、カーテンが激しくなびいた。室内の陽射しが強くなり、煽られたカーテンの隙間から外の住宅街が見てとれた。
――マズい!
俊は植物に伸ばしていた腕を、カーテンを抑えるために使った。すぐに突風は治まり、カーテンは室内を外にさらすのを止めて、もとの役割へと戻る。
危ないところだった。近隣住民に見られて気持ちの良い思いをする状況ではない。作業をする時は、出来る限りカーテンがなびかないようにしなくてはならない。
俊は僅かに開けたカーテンをガムテープで窓に固定したあと、本格的に仕事を始め出した。植物の葉にスプレーで水をかけ、濡れた葉をタオルで拭いて、葉の汚れを取っていく。
葉は植物が光合成をし、成長するための大切な器官だ。本格的に植物の面倒を見るなら、これくらい丁寧にやらなくてはならないというのが俊の考えだった。
つやつやに光る葉を見ると、俊の口元はまた弛みそうになった。
だが弛緩した俊の心を引き締めるように、玄関のチャイムが鳴った。
俊は慌てて玄関の方を振り返った。
サンダルとスニーカーが置かれただけの玄関の向こうに、誰かがやって来ていた。
――……誰だ?
俊は緊張に身を硬くした。
さらに二度目のチャイムが鳴る。平日の真っ昼間。こんな時間に俊を尋ねてくる人間などそうはいない。宅配の可能性も考えたが、ここ最近配達の依頼をした覚えはない。
ならば誰かと考えていると、俊を急かすように三度目のチャイムが鳴り響いた。
どうやら相手はそれなりの用があって来たらしい。ならば出なければと思い、スプレーとタオルを床に置くが、自分のすぐ横にある鉢植えをどうしようかと一瞬迷った。
だが、その迷いが命取りだった。四度目に聞こえたのは、チャイムの音ではなく、ドアノブを捻る音だった。
俊は驚いた。施錠されている筈のドアが外部の者に開けられようとしているのだ。
俊は慌てた。とにかく隠さなければと思い鉢植えに手をかける。
だが、あまりに行動が遅すぎた。
ドアは開かれ、玄関の向こうにひとりの男が立っていた。
「おーっす。ひっさしぶりー。元気してたかー」
「ってお前かよ! あーびっくりした!」
あまりにも緩い声に、俊はついツッコんだ。これまでの緊張が馬鹿みたいだ。
尋ねてきたのは、長年の友人である須藤誠だった。
大学時代からの友人で、背は高く、手足が長く、さらに顔も良いので女ウケの良い男だった。
大学で初めて出会った時以来、須藤が女に困るところは見たことがなかったので、俊を含め、彼の友人たちは何時かくたばってしまえと日々呪詛を呟いていたほどである。
とはいえ無闇に女にモテるということ以外、他に癇に障ることもなく、比較的気の合う男でもあるため、大学卒業後も須藤とは度々会い、こうして暇があればアパートにまで遊びに来る間柄となっていた。
問題は、その暇な時間帯があまりにも早すぎることである。
俊は鉢植えの手入れに戻りつつ、須藤に尋ねた。
「つか、お前来るの早すぎだろ。いま何時だと思ってんの。昼の二時よ。普通の社会人働いてる時間よ」
「有給だよ。有給。いや取ったは良いけど、別にやることとかなくてさ、仕方ないからここに来たんだよ。俊ならどうせ暇だろうし」
「暇じゃねえよ。今も仕事中だっての」
「仕事、ねぇ……」
須藤は呆れたような目付きで俊の部屋を見回した。
部屋にあるのは新聞紙の上に置かれた幾つもの鉢植えと亀の入った水槽、そして床に散らばった造花の花だった。
「これ仕事か?」
「仕事だよ! 金稼いでんだからちゃんと仕事だよ!」
俊はムキになって叫んだ。
一般的にはあまり仕事と捉えられづらいものではあったが、確かに俊が室内で行っているのは仕事だった。
亀は旅行に出かけた家族の代わりに面倒を見て、造花の花は組み立てて完成品を依頼先へと送り届ける。そして鉢植えから伸びるトマトやらナスやらの植物たちは、これまた旅行に行った女性の代わりに面倒を見るという仕事だった。
亀の世話に、造花の組み立てに、鉢植えの水やり。ひとつとして統一性のないこれらの仕事は、しかし、ひとつの職業によって為されるものであった。
須藤は玄関から畳みへと来ると、胡座かいて、造花を一本手に取った。
「よろず屋ねぇ。未だにそんな仕事があったってのが俺は驚きだよ。ソーシャル・クラウドって便利だな」
俊は個人事業主として、よろず屋を営んでいるわけではない。ネット上で公開されているWebサービス、よろずワークスによって、依頼人からの仕事を受けていた。
よろずワークスは、今流行りのソーシャル・クラウドを用いたサイトで、利用者からの依頼を引き受け、登録している者に仕事を振り分けている。
労働者に割り振った仕事の数%の利益を徴収することで資金を得ているサイトだった。
俊は手入れの終わった鉢植えを壁際に移動させながら言った。
「便利な時代になったもんだよな。自分から動かなくても、Webページが勝手に仕事を持ってきてくれるんだからさ」
「うん。便利便利。で、お前いつ定職つくの?」
どきりと心臓が跳ね、俊は鉢植えを持った態勢のまま停止してしまう。
そう。平日の真っ昼間から、用もないのに人ん家に来る須藤もおかしいが、皆が仕事をしている最中に家に引き蘢っている俊も大概おかしいのである。
ぎぎぎ、と硬いネジを回すように、俊は須藤へと顔を向ける。
「こ、今度、就活するつもりです」
「へぇ。今度っていつ?」
まだ予定はない。いつになるかも未定である。
「は、早いうちにやる、つもりです」
冴木俊、二十四歳。よろず屋。
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