明日、君は僕を愛さない

山田太郎

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2020年12月25日

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 あの日から純平と英介はまた、一緒に住むようになった。以前のように純平がことさらに気を使うということもなく、ただ欠けていたものが埋まったような、そんな充足感のある生活が始まった。
 恋人だったときのように甘やかな関係ではないが、隙を見ては英介が純平にハグやキスなどのスキンシップを仕掛けてくるので、完璧に健全なお友達というわけでもなかった。純平も軽い触れ合いに関しては拒まずに受け入れたが、英介にどんなに迫られても最後までは許さなかった。英介は時折何かもの言いたげに純平を見ていたが、純平はその視線に気付かないふりをして、ただひたすらに待ち続けた。
 そして、その日がやってきた。




「今日は早く帰ってくるから」
「期待しないで待ってる」
 気のない返事に傷ついたようにしょげた英介に、純平はため息をついて弁当を渡した。
「無理しなくていいってことだから」
 年末に近いせいか、ここ数日英介は泊まり込みに近い状態で仕事をしていた。去年まであまり気にして無かったが、クリスマスなんて休みたい人ばかりだろうに、かなり無理をして帰ってきていたのだということに今更ながら気がついた。
「ケーキも俺が買っとくのに…」
「いや、俺が無理言ったんだしこれくらいさせてよ」
「お前がいいならいいんだけど」
「うん、じゃあ行ってきます」
 早めに帰ってくるから!と二度目の宣言を残して出ていく英介を玄関で見送り、純平は気合を入れて掃除に取りかかった。
 クリスマスを祝いたい、と言われたのは2日前の夜だった。12時を回って帰ってきた英介に夕飯を食べさせたあと、一緒に洗い物をしている最中に突然、英介が翌日の予定を尋ねてきたのだった。
「明日? 明日っていうか今日か。今日は、納品で遅くなるよ」
「そ、そっか。クリスマスだから、ケーキでも買ってこようかと思ったんだけど」
 純平は目をぱちくりとさせ、そういえば明日はクリスマスイブか、と手を打った。納品前の仕事で忙しかったし、何より恋人でもないこの男とクリスマスを祝うつもりもなく、純平の頭からはすっかりそのことは抜け落ちていた。
「そっか、あれからもう一年になるのか」
 純平は感慨深くそう呟いた。あの事件があった日のことも、ついこの間のように鮮明に思い出せるが、時が経つのはなかなか早いものだ。
「うん、毎年祝ってたし、今年も…」
「いや、いいよ。英介、また転びそうだし…」
 純平は首を横に振った。口にした言葉も本音だったが、一番の理由はこんな曖昧な関係のままで、恋人だった頃と同じようにイベントを過ごすのが嫌だったからだ。そんなことは口にしないけれど。
 英介は尚もやろうと言い募ったが、純平の意思が固いと見ると、ちょっと言葉に詰まってから、ゆっくりと声を発した。
「違う、ごめん、違うね。俺が…俺が、祝いたいんだ」
 純平はびっくりして英介の顔をまじまじと見た。なんで、と問う言葉が喉の先まで出かかったが、それを発してしまうのはとても野暮な気がして、結局何も言えずにわかったと答えてしまったのだ。
「ーー期待しちゃうよな、あんなん」
 掃除機を動かしながらも頭の中を占めるのは、あの時の英介の真剣な表情だ。付き合っていた頃も英介は別にロマンチストではなかったが、記念日を大事にするタイプではあった。物言いたげな表情といい、強固にやりたいと言う意思といい、もしかして…と思うだけの要素は十分そろっていた。
 もし、好きだーーとストレートに告白されたとしたら?
(信じられるんだろうか、俺は…)
 言葉や態度で英介が純平のことを好きなのは、嫌というほど伝わってくる。でもそれはあんな風に決別する前だって同じで、それでも英介はその後半年もの間、純平を迎えには来なかったのだ。そのことは純平の心の底で、知らぬうちに大きなしこりとなって残ってしまっていた。
 思案に沈む脳内とは裏腹に、この半年で家事炊事の染み付いた身体はテキパキと仕事を終わらせていき、何も結論が出ないまま全ての準備が整ってしまった。時刻はもう19時をまわっていて、そろそろ英介が帰ってくる時間になっていた。ブブッと震えた携帯の画面に『もう帰る』というメッセージを見てすぐ、玄関扉がガチャリと開く音がした。





「すごい美味しい!」
「そんな褒めるほどじゃ…うん、でもありがとう」
 気合を入れていると思われたくなくて、作った夕食はいつもよりちょっとだけ手の混んだメニューだった。クリスマスっぽさのあまりない料理だったが、英介は大袈裟なくらい喜んでくれて、純平は変な意地を張った自分がちょっと恥ずかしくなった。
 なんだかお互いにちょっとそわそわした雰囲気の中で、何もないまま料理を食べ終わり、冷蔵庫からデザートにケーキを取り出した。
 英介が買ってきたのはホワイトチョコの真っ白なデコレーションケーキだった。切り分けるためにナイフを持ってきた純平は、その美しさに感嘆の声を上げた。
「美味しそう」
 ケーキの上側にたっぷりと散らされたホワイトチョコレートのチップをいろいろな角度から眺めていた純平は、そこでふと横顔に英介の視線を感じて振り向いた。
「あ、ごめん。切るな」
「え、え、ううん、全然急がなくて…」
 早く食べたいのかと思ってナイフを手に取ると、英介は歯切れ悪く否定しながらケーキに視線を移したが、純平がケーキを切ろうとするとまたじっとこちらを見ているのを感じる。何がそんなに気になるのか、と思いながら、純平はもぞもぞと背中を動かした。
「そんなに見られたら切りにくいんだけど…」
「いや、気にしないで」
 穴が空くほどこちらを見てくる英介に、座りの悪い思いをしながらケーキにナイフを入れる。なんでそんなにこっちを見るんだ、という疑問は、ケーキに入れたナイフが、何かに当たったことで霧散した。チョコレートか何かと思ったが、明らかに食べ物の硬さではない。純平は首を傾げた。
「なんか…入ってる」
「えっ、本当?」
 相槌を打つ英介の声はなんだかいつもより上ずっていたが、ケーキに集中していた純平は、その小さな違和感には気がつかなかった。切り口を広げ、ナイフの先でさっき触ったよくわからない硬い物をつつく。カン、と明らかに金属と金属が触れ合う硬質な音がして、純平はさっと顔色を変えた。頭に思い浮かんだのは、異物混入の四文字だ。
 純平はナイフを置き、ガタリと立ち上がった。
「店に電話する。金属みたいだし、こんなの口に入ったら危ないだろ」
 まさか他のケーキにも入ってるとは思いたくないが、こんな大きな異物が混入するような現場では他にも何かがおこっていてもおかしくない。眉をひそめ、ケーキの箱から電話番号を調べ始めた純平に、英介は慌てたように立ち上がり「駄目だよ!」と叫んだ。
「何が駄目なんだよ、こんなのおかしいだろ」
「ち、違う、違うんだよ、純平! ちょっと待って!」
 英介は焦ったようにナイフでケーキをいじり出し、手を突っ込んで何か小さな塊を取り出した。呆気にとられる純平の前で、英介はクリームやスポンジに塗れたその塊を指でぬぐって、純平の目の前に突き出した。
「これ!」
 目の前に突きつけられたそれは、あちこち白く汚れてはいたが、銀色の輪とそこにはめ込まれた小さな赤いきらめきから、それがなんなのかというのはすぐにわかった。純平は目を瞬かせ、小さく声を上げた。
「…指輪…?」
「うん、ほら指輪だよ」
 ぐちゃぐちゃになったケーキと、手をクリーム塗れにした必死な顔の英介を見比べて、純平はようやく英介がなんであんなに自分のことを、じっと緊張したような顔で見ていたのかを理解した。
 純平は指輪と英介の顔を交互に指差し、吃りながらもしかして、と声を上げる。
「これ、英介が入れたの…?」
「そうだよ」
 ケーキでべたべたになった指輪と、情けなく垂れ下がった英介の眉毛を見て、驚きより先にこみ上げてきたのは笑い声だった。
「……っぷ! あはは! あはっ、お前、ケーキに指輪って…っふふ、あは、あははっ」
 純平が腹を抱えて笑い始めたのに、英介はちょっとびっくりしたように目をパチパチさせて、すぐに首まで真っ赤になった。
「わ、笑わないでよ! 純平が夢だって言うから、用意したんだろ」
「ふふ、俺、そんなこと言ったっけ…」
「言ったよ! 付き合う前に、ケーキに指輪入ってて告白されたいって言ってた!」
 必死に言い募る英介が可笑しくて、よけいに笑いが収まらず、純平はうずくまって肩を震わせた。
「だって、古典的…すぎて…あははっ、付き合う前っていつの話だと思って……ふふっ」
「だってずっといつか叶えてあげたいと思って…純平?」
「あはは、ほんっと、馬鹿、だ……っ、ふ、う……うー…」
 笑い声はいつしか涙を堪えるうなり声に変わっていた。ぽたぽたと落ちる涙に、英介は驚いたように息を呑んだが、顔をくしゃくしゃにしてしゃくり上げる純平をそっと引き寄せ、宝物のように優しく包み込むように抱きしめた。純平はその腕に身を任せ、声を上げて泣いた。
 ずっと好きだった。それでも信じられなくて、確かな言葉が欲しくて、こんなに遠回りをしてしまった。
 英介は純平をしっかりと抱きしめたまま、純平の耳元で、困ったような顔をしながら優しく言葉を紡いだ。
「好きだよ…純平。俺ともう一度付き合ってください」
「うん…」
 英介の腕の中で、すすり泣きながら純平は何度も首を縦に振った。言葉よりも何よりも、七年も昔の、純平がちょっと軽い気持ちで言ったことをずっと覚えていて実現しようとしてくれたことが何よりの証拠だと思えた。純平は愛しい男の首にしがみつき、涙に濡れた声で囁いた。
「俺も好き」

 明日、君は僕をーー。




(終)
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みんなの感想(5件)

転生ストーリー大好物

泣けるわい
良かったの

解除
(・v・)
2021.12.11 (・v・)

くっ泣ける…!ティッシュ1枚じゃ追いつかなかったです

英介よ、ゲイにとって1番最悪な女との浮気+最低な振り方して記憶なくして、純平君と幸せな日々過ごして思い出した時さぞ苦しかったでしょう!が、許さんぞ純平君は許しても俺らが許さん!純平君はその何億倍と辛ったからな!()

キャラクターもストーリーもめちゃくちゃ面白かったです!純平君の不器用健気っぷり可愛すぎます(笑)
作者様の小説これからも楽しみにしてます(^o^)

山田太郎
2021.12.24 山田太郎

嬉しいご感想をいただき、ありがとうございます。純平は最初の頃に比べると、苦しい恋を経てすごく成長したなあと思い感慨深くなります。番外編の構想はずっと温めているので、また機会があればお読みいただけたら嬉しいです。

解除
マルチーズももちゃん

ありがとうございます!
続きをじっとお待ちしていました!
わー、純平くん良かったねーーー!!と、私まで一緒に泣いてしまいました😭😭😭
また最初からじっくり読み返したいと思います!
文章がとてもお上手で私には感情移入しやすかったです。
また出来れば番外編とかで、英介がヤキモチ焼いたりとか、幸せな生活おくる2人のお話をよみたいです。
完結読めて本当に嬉しいです。
あらためてありがとうございました✨✨✨

山田太郎
2021.04.13 山田太郎

長い間不定期な更新にお付き合いいただき、こちらこそありがとうございます!読んでくださったみなさんのおかげで、最後まで書き切ることができました。
後日談についても、おいおい書いていけたらなあと思っておりますので、また気長にお待ちいただけたら嬉しいです!

解除
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