玲眠の真珠姫

紺坂紫乃

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海の章

陸、婚礼前夜

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陸、「婚礼前夜」


 ロンとセツカの婚礼がいよいよ明日となった。龍王エイシャは、竜宮の外れに隠れるように建てられている霊廟に酒瓶を持って、ふらりと現れた。
 霊廟はしんと静まり返り、生き物の気配すらない。明かりも水面で屈折した乏しい月明かりのみ。広さも三十畳ほどの部屋は、最奥に無数の位牌が並べられている祭壇があった。エイシャ王は祭壇前の大理石に胡坐をかいて座り、祭壇に酒杯を一つ置き、酒を注ぐ。そして自らの杯は手酌で満たし、祭壇に掲げた。

「ここに来るのは久方ぶりだ。すまぬなあ。仕事に忙殺されてなどとは言い訳だが……やっと世界が落ち着いて、セツカに花嫁衣裳を着せてやれる運びとなった。エイルも縁談に前向きになってくれたので、報告にきたぞ」

 ここにはエイルを産んで死んだ王后と、エイシャの妹でありセツカの母が眠っている。いずれエイシャもここに眠ることになる場所だ。

「まだまだ子供とばかり思っていた二人が、いつの間にか手を離れて、儂の庇護下から違う相手の手を取る。己も歩んできた道だが……やはりいささか寂しいものだ」

 エイシャは祭壇と語り合いながら、時間をかけて酒杯を干していく。

 セツカもエイルも、ロン・ツーエンという一人の男の存在によって大きく成長した。セツカを一途に想い、セツカもまたその想いにひたすら答える。
 エイルもロンとセツカに育てられ、大戦で魔力を著しく失ったセツカを蘇らせる危険を冒した旅に同行することで見識を広げて帰ってきた。ヤンジンと出逢ったおかげで、奇しくもエイシャと同じ星詠みの勉強に力を入れていると聞く。
 成長した我が子の姿を見守ることが叶わなかった妻と妹は、どう思っているだろうか。生きてさえいてくれればと何度も不毛な考えをしたが、エイシャは二人に代わって見届けると誓ったのだ。
 二杯目が空になると、入り口からかたんと音がした。振り返れば、夜着のセツカが立っていた。湯から上がったばかりなのか、下ろした髪がまだしっとりと濡れていた。

「義父上様」

「セツカか。どうした?」

「水が、義父上様はここに居ると教えてくれましたので、わたくしも昼にロンと報告に参りましたが……お身体を冷やしますよ」

「お前の方こそ、まだ髪が濡れたままだ。明日の主役が風邪を引いたら一大事だぞ」

「すぐに戻ります。今は親子水入らずで話したいのです」

 セツカは、羽織を畳んでその上に腰かけた。暗がりでもセツカの顔はよく見えた。ここまで美しく成長したことを、義父として誇りに思うほどに。

「そういう飾らないところはエマにそっくりだ」

「わたくしが記憶している母上は病床の方でしたが、お元気だった頃に似ていますか?」

「ああ、よく似ている。エマも水の匠であった。其方ほどではないが、よく悪戯を仕掛けては父に叱られ、空と大地の諍いを憂いておったなあ」

「それは……初耳です。わたくしの父と母上は政略結婚だったと伺ってますが」

「其方の父は将軍家の跡取りであったが、武よりも歌を愛する者だった。おかげでエマも歌が好きだったが、風雅を愛する者には王妹の夫、軍閥の家の跡取りは重責で、長年苦しんだ末に行方をくらましてしまった」

「……母上は、お寂しくはなかったのでしょうか?」

「さて、ずっと気丈に振る舞って本心を隠してしまったゆえ、儂も深追いはできなんだ」

 軍人として生きることを拒み、妻子さえ重荷に感じてしまった繊細な実の父――セツカの記憶に父はいない。そしてセツカが選んだのは同じ将軍であるロンだ。奇縁だと思うが、これは紛れもなくセツカ自身の選択である。

「わたくしにとって、『父』はずっとエイシャ伯父様だけです。もしも実の父が生きていて、明日に名乗り出られても到底『父上』とは呼べません」

「ロンは実の家族に恵まれず、其方も『家族』に対して寂しさがあった。ロンと其方は深いところでよく似ている。ゆえに惹かれ合ったか」

「よくわかりませんが……珊瑚の森で出逢った時、全身傷だらけなのに純真は眼で自然を大切にしている姿に、ひどく惹きつけられたのは確かです。大人になっても根っこは変わらないまま。ずっとなぜ始祖の龍がロンの左眼に潜んでいたのか、不思議でなりませんでしたが、今なら解る気がします――わたくしは、幸せ者です」

 宮中独特の愛憎劇を知らず、ただ一人、想い続けた男が想いを返してくれた。未来は解らないが、展望は明るいと信じたい。彼と同じ歩調で歩く未来に待ち受けているものも、二人で乗り超えたいと切に願う。
 エイシャは隣で祭壇を見つめたまま、すっかり大人の顔をして微笑む娘の髪をさらりと撫でた。

「明日は早い。儂も床につくゆえ、もう寝なさい」

「はい、おやすみなさいませ……義父上様」

 エイシャは祭壇の杯に、供えられた菊の花をひとひら浮かべて、セツカと共に霊廟を出た。
 夢では妻と妹がセツカのように柔い微笑みを浮かべていた――。





 セツカが廊下を進んでいると、今度は廊下の柵に腰かけているエイルと出くわした。また星を見ていたらしい。セツカを見つけると満面の笑顔で「見てください」と夜空を指さした。

「明日は吉日ですよ。どの星も巡りがいいし、海底なのにこんなにも全部が輝いてはっきり見えます。だから、義姉上は心配せずにロンと幸せになって下さいね」

 どこか少しだけ寂しそうに笑う義弟の頬を軽くつねってやった。セツカの突然の行動にエイルはきょとりとする。

「馬鹿ね。わたくしはお嫁に行っても宰相なのだから、ここを出ては行きませんよ。あなたもそう。わたくし達の『家』はずっと竜宮なのです。これからもずっと――」

 そう答えてやったら、エイルは「そうですね」と頬を押さえながらへらりと笑う。

「それにしても、義父上以上に星を見ていますね」

「真君が毎晩星と語らえっておっしゃったのがきっかけですけど、今日書庫に行ったら面白い天文学の本を見つけたせいもあります」

「勉強熱心になったこと。エリンは逃げてばかりで先生泣かせだったのに」

 昔を掘り下げると、わかりやすく視線を逸らして「あの頃は、その……」などともごもご言い訳を口にする。

「エリンは自分の星は詠まないのですか?」

「詠みますよ。でも、俺はまだまだ知識が少ないから、なかなか難しくて……」

「真君も名高い星詠みですけれど、ここにはもうお一人、偉大な星詠みがいらっしゃるでしょ? きっと喜んで教えてくださいます」

「父上ですよね。うん、次からはお尋ねしてみます。ただ、今日は……明日が最高の一日になると解って、すごく嬉しいのです」

 エイルは器用に柵の上で身体を捻って廊下に着地した。セツカの正面に立ったエイルは両手を伸ばしてセツカを抱きしめる。

「……おめでとうございます……本当に、ずっと、ロンは……義姉上を待っていたから……俺、嬉しくて……」

 しゃくりあげながら泣くエイルの頭を撫でていたら、つられてこみ上げてくるものがある。

「優しい義弟を持ったわ……わたくしは、こんなにも幸せでいいのかしら。あなたはわたくし達の自慢で誇り。エリン、次はあなたが幸せになる番なのを忘れないで――ありがとう……」

 もう抱き上げてやることはできないけれど、さらさらとした黒髪に頬を寄せてなだめてやることはできる。エイルはこくりと頷くと、涙を拭いながら「おやすみなさい」と駆けて行った。

 その背が小さくなるのを見つめ続けるセツカに、背後から「身体が冷える」と褙子長羽織が掛けられた。

「ロン、いつから居たの?」

「つい先ほどから。なかなか湯から帰ってこないと思って待っていたら、エリンが、な」

 セツカはロンが掛けてくれた褙子長羽織あわせを握りながら「少し驚いたわ」と言った。

「義父上とお話しして、エリンと話して、今更自分が五百年も眠っていた実感が湧きました。特にエリンは……見違えるように変わったのね」

「エリンが玉座に座る時、どんな王になるのかが楽しみで仕方がない」

「そうね。あの子は、愛される王になるはず」

 セツカはロンの胸にぽすりと抱き着いた。
 ロンはなにも言わずに、セツカのおとがいをすくい上げる。

 満天の夜空の下で交わす口づけは、未来への誓いの第一歩だと――。

続...
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