玲眠の真珠姫

紺坂紫乃

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海の章

終、大いなる命に涙は溢れ

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終、「大いなる命に涙は溢れ」


 ロンとセツカの間に三人目の子となる娘・ユウが生まれて三カ月が経とうとした頃、『海の賢者』海底龍王エイシャは病床に臥した。会話はできるものの、老齢の身体はすっかり衰えてしまい、起き上がることは叶わない。
 正式な王位継承は宣言されていないが、いよいよ政務は皇太子・エイルの手に委ねられ、エイルは宰相である義姉・セツカと百官の補助を受けながら王の代行をしていた。
 エイルには正妃・ミュウリンとの間に娘をもうけた。現状のエイルの悩みはこれに尽きる。東方王と西王母の末娘と結婚したヤンジンが、エイシャの見舞いとユウの顔を見に来た午後に、エイルが悩みを打ち明けた。

「……俺って、側室を持たないと駄目なのかな?」

 椅子の背もたれに顎を乗せて、ロンとヤンジン、授乳を終えたばかりの娘を抱くセツカを見回してエイルはそう呟いた。ちなみに双子はこの場にはいない。すっかり自我が確立した二人は、竜宮の外にある学校に通っている。

「世継ぎ候補の数が多いに越したことはないが、姫が一人いる現状。これからもまだ兄弟ができるかもしれない。王に性別は関係ない……となれば、無理に側室を持つ必要はないだろう」

 ロンの正論に珍しく冷やかしを言わないヤンジン。しかしエイルは「そうだけど」とまだどこか煮え切らない様子だった。

「エリン、長老らがおっしゃったことなら気にする必要はありませんよ」

 セツカの言葉が図星だったのか、エイルは身を竦ませる。

「なんだ、長老衆に側室の話を出されたのか」

「……うん。俺もミュウリンも娘も持病もないから必要ないってきっぱり断ったけど、保険は必要じゃないかって食い下がってきてさ。義姉上が一蹴してくれたから助かった」

「わたくしは『側室は保険』という男尊女卑のような考えに腹が立ったのです」

 今も眼が据わっているセツカは「ミュウリンにも失礼極まりない」とよほど頭にきているようだ。
 エイルと正妃・ミュウリンは、友人関係から始まったせいか、今も仲が良い。初恋の女性との間にできた一人娘を目に入れても痛くないほどに可愛がっている。従兄弟にあたる双子も一足先に産まれた妹だと思っているのか、ミュウリンの部屋をしょっちゅう訪れては三人で貝合わせやままごとで遊んでいると聞く。

「いざとなったら双子のどちらかを跡継ぎに……」

 エイルの安易な考えにロンが即答で「それはやめておいた方がいい」と言った。

「なんで?」

「双子が王位を望まなくとも、周囲がどちらを擁立しようかと派閥が生まれる恐れがある。それはまた争いの火種だ」

「……そ、うだな。ごめん。俺、やっぱりまだまだ考えが足りないなあ」

「王を諫めるのも臣下の仕事だ。気にするな」

 ロンの意見にほっとしたエイルに嫌な笑みを浮かべるのがヤンジンである。

「双子を跡取りに数えないんだったら、せいぜいお前が励むんだな。婚礼前は笑わせてもらったが、今はその心配が無くてつまらん」

「……人が忘れたい過去をいちいち掘り返さないでくださいよ。真君だって、妊娠騒動は奥方の体調不良だっただけじゃないですか……」

「おい、やめろ」

「人の部屋で互いの古傷に塩を塗り合うのはやめてください」

 男三人のくだらないやり取りに呆れながら、セツカは眠った娘を子供用の寝台に寝かせようとすると、娘は険しい顔をする。

「……あら、まただわ」

「俺が変わるから、セツカは休め。昨日もほとんど眠っていないだろう?」

「ありがとう。お言葉に甘えさせて頂きます。双子があまり手のかからなかったせいか、この子は気難しいわね」

 ロンに娘を託して、セツカはヤンジンとエイルに「ごゆっくり」と一礼すると、隣の続き間の方へと消えて行った。
 扉がぱたりと閉まるのを見届けるとヤンジンが「乳母じゃなくて姫が全部やってるのか?」と怪訝な顔をする。ロンは娘を揺らしながら「ええ、まあ」と答えた。

「双子は乳母に任せていたんですが、この子はどうも神経質な性格のようで……俺かセツカじゃないと大泣きして大変なんですよ。交代で相手をしていますが、それでもセツカの負担が大きすぎるので宰相位を一時的に休暇扱いとさせてもらえないか検討中です」

「セツカ姫の後任ねえ……そりゃあ、簡単には見つからねえよな」

「まあ、人を探すのは俺の仕事だから、ロンは義姉上と子供たちの世話に集中してくれよ」

 エイルが「俺も一度はロンに心配は要らないって言ってみたかった」と白い歯を見せて笑うと、ヤンジンが「へえ、ガキだとばかり思ってたら成長したな」と心底感心したように目を伏せた。

「ところで、双子の帰りが遅くないか? もう授業は終わってるだろう」

 時刻は八つ時をとっくに超えている。いつもなら、先を争って帰ってくるのに今日はその様子が無い。

「……あの悪ガキ達は、また黙って地上に行ったか……?」

 ロンは娘を抱いたまま、後頭部をかいた――。




 ロンの予想は的中した。双子は夕陽に変わろうとしている太陽を、手を繋いでじっとたたずむ。

「……ショウ、緑の匂いだ」

「うん。太陽が茜色になっていく……風も涼しいなあ」

「長かったな」

「ああ、憧れ続けた。父上と母上がどんな愛おしいものかも知った」

「妹も産んでくれた」

「お前と一緒に肉の身体を得た」

 二人は夕陽を浴びながら、ぽたぽたと涙する。この身体を得てから、焦がれ続けたものすべてが愛おしくて、狂おしいほどの歓喜が満ちている。

「綺麗だな」

「うん。お前が居るから、一人じゃないから、余計に綺麗に見えるんだ」

 二人はこつりと互いの額を当てた。地上を訪れるのはこれが二度目だ。
 一度目は父となったロンと母になったセツカに抱かれて草木のざわめきを、風の唸り声と、動物の匂いと芝生の感触に触れた。二人揃って号泣し、両親になだめられたものだ。
 今も涙が止まらない。あの夕陽は決して捕まえられないけれど、あそこまで走ってみようとなった――が、首根っこをロンに捕まえられた。

「見つけた。地上に行くなとは言わないが、ちゃんと声がけして行きなさい。驚いて、心配したぞ」

「何事もなくて良かったこと」

 ロンの後ろには妹を抱いたセツカの姿もあった。
 二人は「ごめんなさい」と謝罪を口にする。ロンは二人の頭を乱雑にかき回した。

「まだ地上の夜空は知らぬか。――見たいか?」

 二人は揃って「見たい!!」と叫んだ。ロンはふと笑った。

「では師匠に頼むとしよう。星空を堪能したら、遅くなる前に帰ってくること。約束できるなら、師匠に星の解説をして頂くといい。明日も学校だ。繰り返すが、遅くならないようにな」

 二人は目を輝かせる。喜色満面とはこのことだ。

「父上ありがとう!!」
「母上いってきます!!」

「いってらっしゃい」

 ロンとセツカに見送られて、二人は草原を走りまわった。転んでも草が受け止めてくれる。ふかふかの草の匂いにまた涙がこぼれた。
 夜空がやってくると、ヤンジンも現れて星の説明をしてくれる。空一面を覆いつくす星々の瞬きは死の瞬間に放つ光なのだと教わったら、無性に両親が恋しくなった。

「師匠、帰りたい」
「帰りたい」

「お前たちは本当に唐突だな。いい時刻だ。また連れてきてやるよ」

 ヤンジンに礼を言って、二人は竜宮の奥殿を目指した――「いってらっしゃい」の後には、「おかえりなさい」があるとも知っているから。


 孤独だった。
 永劫続く孤独から解き放ってくれた一人の若者。彼と、彼が愛した女性は二人で産んでくれた。

 ――そして、今は二人で護るべき小さな命がある。
 
 一匹の寂しがり屋の龍は、五人で余りある幸せに浸って眠りについた。

了...

※ここまでのお付き合いいただきありがとうございました。詳細は近況ボードにて。
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