狐の迎賓館-三本鳥居の向こう側-

紺坂紫乃

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弐、


   狐面に手を引かれ、仮の宿となる『迎賓館』へと繋がる石段を登る。不思議なことに、この石段はある程度登ったところで下っていることに気が付くのだ。おかげで大した労力を使わず、紫苑は『迎賓館』へとたどり着くことができた。

 最初に迎賓館の外観を見て、紫苑は「どこの豪商のお住まいでしょうか」と狐面に尋ねて、大笑いされた。絢爛豪華、重厚にして美麗――生まれて初めて目にした壮麗な建物がこれから仮初の宿となるなどと、この時の紫苑には想像がつかなかったのだ。

 広大な前庭には噴水、白いアーチや洋風の柱と同じ真っ白な漆喰の壁、屋根こそ浅葱色だが、窓の数を目算したが何部屋あるのかは想像を拒否した。

 「ここに、旦那様はお一人でお住まいなのですか?」
 「基本的にはせやねえ。紫苑みたいな仮暮らしがおったら多少は変わるんやけどなあ……」
 「どういう意味ですか?」

 なぜかきまりが悪いように、狐面は頬を掻いた。その意味は、一人でに開いた重厚な扉の中を拝見して痛感する。外観からは遠くかけ離れた混沌のエントランスに、紫苑の時間は止まってしまった。
 
「は、どうしたもんかなあ? まずは紫苑の寝床を確保せなあかんのやけど」

 この広大な屋敷を、どうすればこれほどまでのガラクタ収集の蔵にしてしまえるのかと紫苑は狐面に仄暗い怒りを覚えた。この凄惨な状態を作った本人からは本気で悩む気配は感じられない。痺れを切らした紫苑は狐面を凄んだ。

「旦那様……ここは風が通りますか? いえ、通してください」
「はい」

 紫苑の威圧感に耐え切れず、狐面は指で印字を切ると「ええよ」と紫苑に合図を出す。それを確認してから、紫苑はごうと唸る風を呼んだ。風はエントランスで小さな竜巻となり、周囲の部屋からも、ありったけの綿ぼこりと小さな塵やゴミを集積した。骨董品や絵画は元の場所へ配置され、キノコが生えそうだった布団は窓から外の物干し竿に掛けられ、風に何度も叩かれていた。



 半刻で掃除を終えた紫苑に狐面は他人事のように拍手を送る。

「いやいや、素晴らしいなあ。これが風魔の力か。僕、感激やわあ」

 小山を気づいている綿ぼこりと塵芥を集めて「ゴミを入れる袋をください」と凄む紫苑に狐面は嬉々として指定のゴミ袋を渡した。

「これ……人間の世界の物じゃないですか?」
「せやねん。最近、『裏側』も分別とかうるさいねん」

 妙に甘えた声で擦り寄ってくる狐面に若干の苛立ちを感じながらも、とりあえず仕事は見つかったことに紫苑はひと息吐く。神々しい本来の姿を取り戻した金の階段と赤い毛氈もうせんのエントランスから紫苑は謎の達成感を得た。

「さて、いきなり掃除を頑張ってくれたことやし、お茶にでもしよか」

 狐面がいそいそと炊事場の方へ向かうが、嫌な予感しかしない。貝ノ口に結われた主人の帯を急いで引き止める。

「旦那様……よもや炊事場や風呂、洗濯場まで斯様な有様とは申されませんよね?」

 ややドスの利いた尋ね方をする紫苑に、狐面は口を袖で隠してゆっくりと彼女を振り返って「あはは」とわざとらしい笑みを漏らした。
 そんな狐面を押しのけて、紫苑は炊事場に立ってくらりと立ち眩みを起こした。

「ごめんなあ。僕はどうも家事が苦手でなあ……」

 洗っていない皿や湯呑み等々の食器がうず高く積まれ、せっかく複数の料理人が立てる厨房はゴミ袋に隙間なく占拠され、異臭を放っている。獣道のように細い通路があるので、想像するに、ここだけを毎日使って茶を飲んでいるようだと推測できた。

「ここは『迎賓館』なのでしょう? こんな惨状で一体今までどうやっておもてなしをしてきたのですか!?」
「前はお局妖怪やら、小物の付喪神があれこれと世話を焼いてくれてたんよ。せやけど、お局が腰を痛めてしもうてからは、とんと誰も寄り付かんようになってもうて」
「今に至る、と」
「そういうこと」

 まったく悪びれる様子の見られない狐面に呆れ、結局はここも何とかせねばなるまいと紫苑は再び風を呼ぼうとしたが、それは狐面に遮られた。

「初日やのに働きすぎや。まあまあ、後は僕がやるから大人しく見とき」

 紫苑の頭を軽く叩くと狐面は面の下に手を入れて、ピュイと指笛を鳴らした。
 すると、愛らしい割烹着を着て三角巾を着けたコマネズミ達が集まり、流れ作業で皿洗いとゴミの分別を手際よく終わらせていく。ものの数分でゴミ溜めと化していた厨房やついでに風呂場まで輝きを取り戻した。厨房から外に出る勝手口を覗くと、先ほど紫苑が集めたゴミと共に厨房から出たゴミを、小さな身体から豪炎を吐き出すネズミが燃やし尽くしていた。

「あれは火ネズミやね。いやあ、すっきりしたなあ。皆、ご苦労さん」
 ネズミ達に、どこから取り出したのか、黄色いトウモロコシを放り投げるとネズミ達は一目散にそれに向かって消えてしまった。



 ものの数分の出来事に紫苑はぽかんと口を開いていると、陽気な鼻歌を歌いながら狐面が背を押す。

「さささ、お茶入れるから紫苑はそこの畳の上におって。トキ、お茶菓子を出してくれるかあ?」

 トキ、と呼ばれたのはコマネズミ達と同じ三角巾を着けた雪のように白い兎のようだ。軽快に跳ねて、厨房の一角に設けられた六畳程の和室で赤い縮緬ちりめん座布団を敷き、紫苑を仰ぎ見る。ここに座れとのことらしい。大人しく座布団に正座をした紫苑は藺い草ぐさが放つ若々しい緑の香りを堪能しつつ、きょろきょろと茶室を見渡す。その間にトキが白餡の練り切菓子を差し出してくれた。
 
「ここを使うんは何年ぶりやろ。膝は崩してもええで。無礼講や」

 行儀の悪いことに、足で障子を開いた狐面をトキが足に齧りついた。「あいたた。しゃあないやん、両手塞がっとるんやから」などと、地団駄を踏んで怒りを表すトキに、狐面はぶちぶちと文句を垂れる。

 ひとしきりささやかな喧嘩が終わると、茶釜を開いて背筋を伸ばした狐面がしゃかしゃかと樺茶色の茶碗で手際よく茶筅ちゃせんを動かして二人分の茶を点ててくれた。紫苑の隣では、三角巾を取ったトキが葉付きの人参をのろのろと食べている。

 「はあ、一仕事終わった後の茶は最高やねえ」
 「……旦那様は何もなさっていませんが」
 「そう言われると僕は形無しやなあ」

 器用に面をずらして、茶を飲み、綺麗な所作で菓子を食べる狐面との時間は、なんとものんびりと緩やかなのだろうかと紫苑は血腥い日々が夢であったかのようにさえ思えてくる。

 「このトキも化生の類なのですか?」
 「うん、僕の相棒。トキは『貴い兎』と書く。なにを頑なになっとるんかは知らんけど、えらいその姿が気に入ってるらしゅうて、人間の姿にはなりたがらへんのや」
 「人間に、なれるんだ……」

 道理で知能が高いと思った、と紫苑は茶碗を傾けて、舌に広がる苦みとその後に訪れる僅かな甘みを堪能した。すると、茶碗を持ったままの狐面が紫苑に妙な問いを投げてきた。

 「紫苑は春夏秋冬、いつの生まれ?」
 「えっと、春です」
 「ふむ。ほんなら、テントウムシ、蝶々、クワガタ、イナゴやったらどれが好きや?」
 「……強いていうなら蝶々、でしょうか」
 「よし、じゃあ部屋は『安芸波あげは』やな。兎貴、用意はあんじょう頼むで」

 兎貴は緑の葉を口に納め終わると、兎貴はまた跳ねて和室を出て行った。

 「あの、部屋の名前……旦那様がお考えになったんですか?」
 「せやで」
 「居候が差し出がましいとは思いますが……季節はともかく虫の名前から考えるのはちょっとどうかと思います」
 「え、一番解りやすいと思ったんやけど!?」
 「せめて花や樹の名前の方がよろしいかと」
 「……そうか。女性客は形容しがたい顔する思てたんやけど、それが原因かあ。いやあ、僕としたことが失敗やなあ」

 こうやって茶の湯に通じる風流な一面があるのかと思いきや、絢爛豪華な館をゴミ溜めにしたり、感性を疑う名前の部屋へ割り振りしたりと、逢って間もないゆえだけではなく、紫苑にはこの狐面の男の本質がまったく見えないでいる。今後の生活にも不安しかない。
 しかし、その点に目を瞑れば、人柄は悪くはない。弟の行方も手掛かりが掴める場所がここ以外には思いつかない以上は紫苑に他に行き場がないのだ。

 「ご馳走様でした」
 「お粗末様でした。あのな、紫苑」
 「はい?」
 「我慢や無理はせんでええねんで。ここは何度も言うたが、仮の宿や。気に入らんかったらいつでも出て行くのも、残って僕の尻叩いてくれるんも、すべては君の自由――せっかくの風の羽根や。大きく伸ばさんと勿体無いで」

 面がずれているせいで彼の弧を描く口が垣間見える。読心術でも使えるのだろうか、と疑ってしまうくらいには狐面の指摘に紫苑は自然と視線が下がる。

 「……私は、風魔です」
 「うん」
 「風魔は、この力と気性ゆえに人間からも、物の怪からも爪弾き者にされていることは存じております」
 「うん」
 「旦那様がおっしゃる通り、過去の鳥居にさっさと入って、弟を探しに現世に戻るのが最善の道なのでしょう。ですが、恥を承知で申し上げると、私は……弱い……!!」

 狐面は茶化すことなく、絞り出すような紫苑の独白を真摯に聞いていた。膝の上で作った拳が震えるのは、紫苑が自身の弱さを認める羞恥と悔しさからのものだ。
 狐面はぐいっと茶碗を空にして口を付けた部分を指で拭うと、また口元を面で隠してしまった。

 「紫苑、『能力』と『力量』は似て非なるものやで。――僕は茶を点てることはできても、この茶碗を洗うことに関してはからっきしや。それとおんなじ」
  どういう意味だろうかと眉尻を下げる紫苑に狐面は説教ではなく、説法のようにじわりと広がるような諭し方をする。

 「自信過剰な連中の方が多い中で、君は『風を操る力は弱い』と認められる強さがある。自分の弱さを認める方がどれだけ難しいか知ってるか? 実は早々無いもんでなあ……みいんな、『自分ならやれる』『自分ならこれくらいは』ってなもんや。なんで実績もなくそう思えるのか――簡単や。『自分が可愛いから』に他ならん。能力の弱さを認められる君は強い――間違えたらあかんで」

 「ありがとう、ございます」

 「ええ子や。今後の身の振り方は風呂と布団でゆーっくり考えたらええわ。掃除でほこりまみれになってしもうたなあ。兎貴が戻ってきたら風呂の準備してもらおか。一緒に」
 「入りませんよ」
 「冗談やん。ふふ、君がおったら退屈せえへんわあ」

 こののんびりとした話し口調のせいか、風魔の里には冗談を言うゆとりすら無かったせいか、紫苑は面映ゆい感情に胸を擽られる。早く弟との再会を果たしたい傍らで、もう少し、この生まれて初めて味わう感情に身を任せていたいと紫苑は願ってしまう。



 兎貴が用意してくれた湯はちょうど一人か二人ほどが入れる大きさの露天だった。だだっ広い湯船だったらどうしたものかと言う紫苑の考えは杞憂に終わった。まともな風呂なども初めての経験の紫苑は、腰まである白い髪と身体を洗った後で湯船に浸かって居ると、烏の鳴き声が聞こえてくる。

 「ああ……もうそんな時刻なのか」

  茜色と白い三日月が連れてきた群青がぶつかる部分の色は、とても複雑な色合いだった。そんな事を考えながらとろとろと訪れた眠気に、必死に抗い、脱衣所に用意された浴衣を覚束ない手つきで着たところまでは覚えている。
 その後は、誰かがくすりと笑う気配とふかふかとした太陽の匂いがする柔らかい物に包まれて、泥のように眠った。

「力が弱いだけやのうて、あの無防備さの方が危ういと思うんやけど。なあ、兎貴」
「あんたは人が悪ぃやね……。あたしの目が黒いうちは、風魔に不埒な真似はさせないよ」
「おお、怖い怖い」
 中庭に面した床几しょうぎの上で足を伸ばした狐面は朧な三日月を見上げた。兎貴が差し出した小さな木箱から精緻な飾り細工が入った煙管を取り出し、煙草の葉ではなく、刻んだ桐の葉を摘めて火を点ける。
 狐面は煙草を吸わない。その代わりに、ヨモギ、桑、桐、イタドリを代用するのだ。気分によっては茶葉や柿の葉の日もある。要は気分の問題なのだ。
 月光浴を楽しみながら、彼は狐面を外した。
 
「……ええお月さんや」

 面の下から現れたのは闇夜の黒髪と白い睫毛の青年だった。青年はまた一口、煙管に口を付けて煙を吐き出した。いつのまにやら姿を消した相棒に、くすりと笑む。とうとう床几の上で横になり、彼は肘を枕にして三日月の光に全身余すところなく浸るのだった。


★続...
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