BLUE BLOOD BLOOM

紺坂紫乃

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Ⅸ,堕チル――遠い記憶

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Ⅸ、「堕チル――遠い記憶」



 黄金の刃が描いた横一文字――時間が止まった気がした。

 しかし、ユーリの記憶は襲い来る「黒」に飲み込まれたところで途切れている。

「ユーリ!!」
「お嬢!!」

 墜落するユーリを間一髪でエルが受け止めた。犬神の気配はない。だが、ユーリは焦点が合わないまま、もがいていた。

「……っ……っ……!!」

「おい、王様!! なにがどうなってんだよ!?」

「わからん。だが、犬神という悪神を中途半端な『神殺し』のユーリが斬り殺したリバウンドの可能性が高い」

 エルに背を支えられて、ユーリはびくびくと痙攣を起こしている。その肌にはじわじわと蝕むように黒い模様が広がっていく。

「王様、このままじゃあ、お嬢さんと戦うことになる……。それだけは回避しなきゃ!!」

 ベルフェゴールの言葉に、エルは「ユーリが堕ちたら、殺すしかない」と無情な決定を下した。



 ユーリはハッとして、迫る大薙刀を大きく交わして受け身を取る。体勢を立て直したら、さらりとした白髪をなびかせて、瑠璃色の瞳が鋭くユーリを見つめていた。

「考え事? 余裕じゃないか」

「……うるさい」

 なぜか笑みを浮かべるノラ。

「俺の援護を断っておいて余裕だな」

 影の中から勘に障るような言葉を投げてくるエル。さきほど酸の中に突っ込んだ手がじくじくと痛む。

(……あれ……?)

 ユーリは爛れた左手の中で輝くアーマーリングを見た。

(……どうして■が使えないの……?)
 
 記憶が混線を起こしているのか、思考が纏まらない。ただ一つ、明確なのは目の前で笑うノラを殺さなければ、雪に逢えないということだった。

(……そうだ、雪くんが■■と一緒に待ってる……!! 殺さなきゃ、ノラを)

 ――コロス。コロセ。コロセ。

 脳内でリフレインする言葉に従って、ユーリは全身の力を解き放った。
 ユーリの感情に呼応して、空気が震える。
 酸雨を生み出す厚い雲すら揺らして、同時に大地も揺れ始めた。
 地鳴りに舌打ちを漏らすノラに、ユーリは突っ込む。
 互いの切っ先がぶつかり、ノラは薙刀をしたから上に振り上げた。
 ユーリの脇差が弾かれた隙を狙ったノラだったが、地震でバランスを崩し、上から振り下ろされた脇差に右肩を削がれた。

「……くそっ、ユーリ、やめるんだ!! 暴走しては君の身体が……!!」

 敵の身を案じるノラに苛立ちが増した。ユーリの攻撃が激しさを増す。

「殺さなきゃ……逢えない……だから死んでよ、ノラ……!!」

「無茶を言わないでよ、ユーリ……!! だって、ボクは――」


  君が『異界』で殺したじゃないか――。




 
「ユーリ? 気分でも悪い?」

 ユーリの正面に座っていた雪が、心配そうに覗き込んできた。ひどい倦怠感がしている。きっとノラとの戦いで「暴走」したせいだとユーリは自身に言い聞かせる。
 静かなレストランには似つかわしくない話題だ。ユーリは「疲れが残っているだけだと思う。平気よ」と笑って見せた。

「そう? 無理はしないでね。せっかくの料理が冷めちゃうから、頂こうか」

「うん。ありがとう。美味しそう」

 雪が案内してくれたレストランで食べるアフタヌーンティーセットは、やはり焼き立てのスコーンに心を奪われた。

「美味しい!!」

 戦いに明け暮れていたユーリに、こんな時間を与えてくれる雪。ずっと変わらない笑顔がユーリの帰る場所だった。雪も饒舌に話す。
 姉夫婦の話、フランスのユーリの両親の話、今携わっているプロジェクトの話は少しだけ。雪の話はどれも楽しかった。戦いの日々を忘れさせてくれる、貴重な時間だ。
 対してユーリは自身から発する話題選びに困った。世界中を飛び回っていても、『異界』の敵と戦うことしかないからだ。

「早く戦いが終わって、日常に戻れたらいいのになあ」

 ユーリは一口大に割ったスコーンにクロテッドクリームを塗りながら、唇を尖らせる。その様子を、雪はくすくすと笑った。

「そうだね。■■との時間も作ってあげないと。今日は姉さんに預けてきちゃったけど」

 雪の声にノイズが混じる。スコーンの味も解らぬまま嚥下し、ユーリは「本当に疲れてるのかな」と己を疑い始めた。

「雪くん……今日の私、おかしい?」

 雪は「いつも通りだと、僕は思うよ」と返してきた。
 増幅する違和感――こんな時、ユーリを叱る声の主が居た。

「肝心な時に出てこないんだもんなあ」

「ユーリ、誰の話?」

「え、誰ってあのうるさい魔族だよ。雪くんも逢ったでしょ……あの――」

 ユーリはぴたりと止まった。ガンガンと脳を揺さぶられる感覚に、頭を抱えた。
 強烈な頭痛がする。食器ががしゃりと鳴る音も、雪に呼ばれる声も、すべて遠く感じる。

 どうして忘れていたのだろう。

 忘れられる訳がないのに。

 最期も看取れなかった、たった一人の友人――そして、最愛の人との間に生まれた天使。

「……ベリアル……星良……!! 帰して……私を元の世界に帰して――!!」

 ユーリは頭を抱えたまま、絶叫する。目の前が暗転しても、二人の名を呼び続けた。
 すると、瑠璃色の光がはじけ飛んで、満天の夜空が落ちてきてはユーリを包み込んだ。

「……リ!! ……ユーリ!! ユリア=ロゼッタ!!」

 ハッと意識が浮上すると、ユーリはエルのプレアデスと脇差の刃を交えていた。周囲には、腕を押さえたベルフェゴールや、大の字で荒い息をしているベルゼブブ、メフィストをかばって衣服の所々が破れているアスモデウスがレイピアを掲げていた。

「……みんな……これ、私がやったの……?」

 思わず、脇差を手放し震える両手を見るユーリに「あなたは……本当にお騒がせですね……」と、メフィストが呆れ口調でほのかに笑う。

「……ごめん、ごめんなさい……」

「もういい。それよりも、お前、体内になにか仕込んでいるか?」

 エルの質問の意図が解らず、「なんの話?」とユーリはこわごわと答えた。

「いや、解らないならいい。おそらく、お前じゃない」

 自己完結したエルは、黒いマントを翻し、メフィストに「余力がある程度で頼む」と全員の傷の処置を任せて、一人、どこかに消えた。

「ユーリよ」

 岩の上で胡坐をかいているシヴァに「ずっと傍観決め込んでいた神様が何の用?」と食ってかかるが、シヴァは「ふん、嫌味など効かぬわ」と一蹴する。

「犬神を倒したのだ。早く家族のもとに帰ってやれ。魔王は我に任せよ」

「でも、みんなをこのままにはできない……!!」

「なら、ベリアルに報告だけしてやってください。我々はお気になさらず、行かれませ」

 メフィストの言葉に、涙ぐんだら「ほら、あなたはまたそうやって泣くでしょう?」と困ったような穏やかさを見せる。

 ユーリは乱雑に涙をぬぐう。

「みんな、ありがとう!! また戻ってくるから!!」

 そう言って駆けだしたユーリの背を見送り、シヴァも消えた。

 ――途端にベルフェゴールだけでなく、全員がその場に倒れた。

「メフィスト様の意地っ張り」

「……今くらい、いいでしょう……やっと犬神から解放されたのです。私が一体どれだけの魔力を消費したと思って……!!」

「わーかってるって。あんたが一番よく働いてたってのはさ」

 全員が口々に言いたいことを遠慮なく吐き出す。ここにヒステリックな声がないことが、ひどく虚しいが、その張本人も冥府で笑っているだろうと全員が信じている。

「……気になるのは、王のお言葉ですか。レディに随分と意味深な質問をされていた」

 アスモデウスの一言に、全員が黙り込む。アスモデウスは「失敬」と断ったが、メフィストは「いや、その通りです」と肯定する。

「王がなにかしらお気づきになった。私の推測ですが、お嬢様も知りえないこと。おそらくは一度は『神殺し』の余波で堕天を疑似体験していたお嬢様を、正気にさせた方法でしょう」

「宰相閣下、推論に続きがあるならお聞かせ願いたい」

 メフィストはふうと息を吐いて、糸目を開いた。

「関係しているとしたら、間違いなく死神殿と聖女様でしょう。以前、お嬢様がフランスに帰っておられた時に、お二人ならば『仕込み』をすることは可能です。『仕込み』の正体がなんなのかを、王は具体的に問い質しに行かれたと考えています」

 ユーリ自身にも知りえない『何か』――ユーリはベリアルの遺体ごと燃やされた小さな宮殿跡に触れながら、「終わったよ、力を貸してくれてありがとう」と優しく礼を述べる。しばらくベリアルと語るように、祈りを捧げて、ユーリは雪と星良が待つ家に帰った。

 背後では、ベリアルがふわりと笑った気配がした。
 
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