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第一部 風の魔物と天狗の子
第十二話 最澄 対 都度沖普賢坊
しおりを挟むこの地に立った時から気づいていた。
『あいつ』はもうあの夜とはがらりと違うのだと。
都度沖普賢坊様に伝えようとは思った。
けれど、できなかった。
矜持で立っている方であると知っていたから、それを折ることなどできなかった。
結局は俺の弱さが招いた事態だ。
弱いままの自分、強すぎる仇敵――否、もう仇敵も名乗る資格もない。
◇
滝夜叉姫が用意してくれた横穴を出ると、そこは森の中だった。明かりは無く、伸ばした手さえ見えなくなる。しっとりとした心地よい湿気と、樹木の匂いは存外悪くない。
最澄は森の空気を体内に循環させながら、道なりに山を下りていく。
「ここはどの辺りだろう?」
星が正しい配置をしてくれていれば、場所の特定は容易なのだが、今はそれができない。何より空も大樹の葉で覆われていて、空は一部しか見えないのだ。
「黄泉津平坂からそう遠くは離れていませんわ――ああ、主様、出口に石があります。おそらく人間が入る黄泉津平坂の入り口のようです」
双葉が白い狐の姿で先走ると、最澄は「双葉、待て!!」と制した。
「主様? あら、なにかが身体に絡みついて……」
「ほらね、羅天。私が言った通りだろう」
子供の身長ほどもある石の傍らに立っていたのは、羅天と、背に巨大な黒い羽根を持った痩身の天狗――都度沖普賢坊であった。双葉の身体には黒い糸が纏わりつき、狐の彼女を締め上げ、宙づりにした。
「双葉!!」
「――くっ、主、さま……来てはなりませ、きゃあっ!!」
「ふふっ、主人想いの狐だ。従順な子は嫌いではないが、今は静かにしておきなさい――さて、はじめまして。見事に罠にかかってくれたな、風魔。君はこの天狗四十八傑が一、都度沖普賢坊が同法の恨みを晴らすよ」
黒い糸は天狗の羽根で編まれたもののようだ。最澄は、普賢坊の横でこちらを睨みつけてくる羅天を一瞥して、普賢坊に向き直る。
「田舎天狗の分際で随分と態度がでかい。羅天、八大天狗はともかく助力を乞う相手は選んだ方がいいよ」
額に少しだけ力を込めると、双葉を拘束していた糸は脆く、ぱらぱらと細切れになった。解放された双葉はそそくさと最澄の後ろに走って隠れる。
「……それが諏訪の龍神の力か。私を田舎天狗だと抜かした口は切り裂いてやらないと、ねえ?」
糸目を細めて普賢坊は背中の羽根を大きく広げた。羅天が止める声も彼には届いていない。
「やれやれ、無駄に矜持が大きい奴は面倒だな……」
龍鱗を有した最澄を目の当たりにした羅天は、彼の変貌した姿に、気迫に震えが止まらなかった。それでも、必死に普賢坊の着物を引いて止めに入ろうと試みる。
「これでは無駄死にだ。規模が違う。力量が違う。龍神と同等の生きる天災に挑むのは蛮勇だ」と頭に浮かぶ言葉を並べ立てても、普賢坊には届かない。
轟と山の木々が悲鳴を上げる強風が吹いた。
羅天は立っているのもやっとの体だ。
そのせいで普賢坊を制していた手が離れた。
「しまった!! 普賢坊様!!」
普賢坊は風と黒い糸を駆使して最澄を捕らえようと滑空する。その瞳は爛々と輝き、獲物を認識した肉食獣のそれだ。
だが、最澄は「双葉、懐に入ってて」と冷静に告げて、紙人形の双葉がシャツの中に入ったのを確認すると空高く舞い上がる。そのまま高速で東へ飛んでいく。
「どうした!? 逃げるのか!?」
普賢坊と羅天も急いで後を追った。最澄は時々ちらりと背後の二人を悪人する。
羅天が「罠だ」と覚った頃にはもう十キロは飛んでいた。
下に広がるのは山と畑――そして山裾に這うような川がある場所の道路に最澄は降り立った。
「さすが出雲の国。こんな簡単に龍脈が見つかるなんてありがたい」
「やっと観念したのか。黙って殺されていればいいものを……風魔程度の卑しい身で」
「妖怪を束ねる天狗達は四十八傑の人選を考え直すべきじゃないかな。そこの子天狗よりも馬鹿だなんて救いようがない」
「負け犬の遠吠えか?」
「勘違いするな。あの場所で戦えば、間違いなく滝夜叉姫と三傑と再び刃を交えることになる。だからここまで離れたんだ。加えて、ここは龍脈がある。僕の龍鱗はひどく疲弊しているから、力を補ってやれる――まあ、お前程度は龍鱗を使うまでもないよ。こんな風にね」
最澄が右手を上げる。
ただそれだけの単純な動作だが、普賢坊の大羽根は見えない刃で四等分に切断された。風も微風しか感じない。普賢坊の絶叫が山間に木霊する。
羅天も、狐の姿の祭も、風が圧し掛かってきているようで動けない。
はくはくと口を開いては閉じる。嫌な汗が背筋を通って落ちておく。
――怖い。
単純に最澄が恐ろしかった。
羽根をもがれても、都度沖普賢坊の矜持はまだ折れない。
「普賢坊様……退いてください……!! 生きなきゃ。命さえあれば何度だってやり直せるんですから!!」
最澄は魂でさえ殺せるのだ。滝丸のように『無』になってしまってはもう誰にも手立てがなくなってしまう。
矜持や理想だけでは、この人の姿をした災厄の魔物には傷一つ付けることはできない。
普賢坊は「……羅天……」と掠れた声で囁く。
「……たとえ田舎天狗と謗りを受けようとも、私は天狗四十八傑の一角を担う者だ……それだけで私は立っている。それだけが私を支えるものだ……だから、私の最期の一矢を、お前に焼き付ける――これがお前の未来に、無残に散った鞍馬天狗達への手向けだ!!」
「風を操るのはお前だけじゃない」と言い残して、普賢坊は喉が破れるほどの雄叫びを上げて、雲を呼び、風を編み、局地的な台風を作り上げた。
木々の悲鳴が聞こえる。
川の水面が暴れ始める。
樹木の葉の泣き声は風の音にかき消されて、女の金切声のような音だけがその場を支配した。
しかし、それはぱんと風船が割れるように弾けて消える――ただ最澄が空を見上げたというだけで。
普賢坊は、この台風の結末を見届けることなく、事切れていた。
「……愚かだな。いくら四十八傑と言えど、風はより強い者に従う。これは抗いようのない大自然の理。力で従わせる天狗よりも、風を友人として暮らしてきた風魔の間の壁は超えられないよ」
「……最澄、最澄!!」
羅天が涙を坊だと流しながら、最澄に吠えた。一歩も動けないけれど、心で負けたくは無かった。
そうでなければ、都度沖普賢坊は犬死ではないか、と。
「羅天、鞍馬山へ帰れ。僕も京都に戻るが、清明様と八大天狗に伝えるがいい。清明様はお気づきだろうけど――滝夜叉姫はすべてを語ってくれた。滝丸を操って迎賓館を襲撃したのも、黄泉の永久牢を脱走したのも、天狐という神を食った風魔の女だ。名を鸞心という。これだけで通じる」
「……黄泉から脱走したのは、風魔……?」
「わかるだろう? 君は、少しは冷静になったようだから。ここからは全国の妖怪や天狗が結集しようとも、中には入れない、神の力を取り込んだ風魔の戦だ。下手な横入りは死を招く。鸞心は、僕が殺す。僕にしか殺せない」
最澄の眼は有無を言わせないほどに強い決意で揺らがなかった。羅天はぐっと黙りこくった。
「まあ、すべての決着が終わったら……お前には一発くらい殴られてやるよ。その後は、もう放っておいてくれ」
まるで遺言のような言葉を残して最澄は消えた。
あれほど猛り狂っていた風も、今は耳が痛いほどの静寂に包まれている。
「羅天、普賢坊様を弔ったら鞍馬山に帰ろう。一刻も早く、あの風魔が言っていた黒幕の正体を偉い人達に伝えないと。もう、普賢坊さまのような犠牲を出さない為にも」
祭の言葉に羅天は力なく「うん、そうだな」と涙を浮かばせながら、普賢坊の亡骸を背負った。
「祭、先に鞍馬山に帰って最澄の言葉を伝えてくれ……俺は、普賢坊様を隠岐の島に埋葬してから帰るよ」
祭は「わかった」と言って、走り出した。
羅天は祭が消えたのを確認して、普賢坊の死を悼んで泣いた。
「無茶な戦争だってわかってる……あのバケモノには誰も勝てないって。でも、俺はきっと頭でわかったふりをして、感情はいつだって最澄を憎み続けるんだ。あいつの、心が壊れてしまうほどの哀しみには無視を決め込んで……」
羅天はぐいっと乱暴に涙を拭って空に舞い上がった。
つい先刻まで横を飛んでいた普賢坊の姿が無いのが、ひどく心細かった。
続...
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