KARMA

紺坂紫乃

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第一部 V.S.クルセイダーズ篇

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 未然に防げたテロに、多少の物足りなさを感じながらも、警察を呼び、アンリとデュークが「気がついたらこんな穴があって」とお得意の演技で刑事らを誤魔化す。
 隠れていた刹那と左文字は一本離れた路地でその遣り取りを聴いていたが、アンリは目に涙を溜め、デュークがそれを慰める。

 やっと帰路に着いた頃には烏の鳴き声が聞こえていた。左文字はすっかり涙の引っ込んだご機嫌なアンリに「ちょっと演技過剰だったんじゃねえの?」と左文字が眉を顰める。

「えー、セツナとサモンジには絶対できないでしょ。僕の外見とデュークの説得力の成せる技だよ」

 ね、と刹那に同意を求めれば、刹那は笑ってアンリの頭を撫でた。

「お前が甘やかすから、そのガキが調子に乗るんだぞ」

「しかし、アンリとデュークでなければ、ああいった状況説明の説得力がないのは事実ではないか」

 左文字の苦言に刹那はあっけらかんとそう言い放った。
 確かに刹那の言い分にも一理ある。日本人の、しかも刀を所持しているみすぼらしい身形の刹那と短気な左文字では、この国の警察は真摯に耳を傾けてくれなかったことは過去に山ほど経験しているからだ。



「あー、疲れた。当分は刹那と行動したくねえ」

 そんな嫌味を言いながら、アーヤが待つ隠れ家の扉のノブを握った左文字を、なぜかピリピリとした刹那が、彼をドアが開くと同時に後方へ強く引っ張った。
 そのせいで左文字は背後の壁に激突し「おい、こらあ!!」と当然ながら刹那に怒る。
 だが、その怒りも全身を血塗れにして立っている刹那を見て三人はぎょっと目を瞠った。

「……ほお、ルイーズの神気を喰らって立っていられる人間が居るのか。これは多少の期待ができそうではないか」

「だ、誰だよ、お前ら!?」

 刹那の隣からアンリが金髪碧眼を持つ長身のスーツ男と、ルイーズと呼ばれた栗色の髪と緑の眼をした少女を威圧する。そんなアンリをそっと手で制して刹那はにっこりと笑った。

「アーヤ、ただいま戻った。このお二人が残りの仲間か」

「早速やらかしてくれたわね……。そうよ、まずは手当をするから入って。リチャード、ルイーズ、貴方達も座りなさい」

 アーヤは頭から被っていた黒いレースを外して、全員を応接室へと誘う。しかし、刹那に無視をされたのが気に入らないのか、リチャードという男は刹那の正面に立って行く手を阻む。

「日本人のガキが我々を無視するのか?」

「ガキとはまたご挨拶だ。左文字はともかく、私はこれでも三十路なのだが……」

「え!?」

 なぜか仰天の声は目前の男と少女よりも背後の四人から聞こえたことに、刹那は少なからず傷ついた。

「それに先ほどのマドモアゼルの『神気』とやら。あの程度なら私にもできるぞ」


「大口を叩くな、小汚い外見が更に貧弱に見えるぞ」

「百聞は一見に如かず。せっかくの高級スーツの代償は払わぬ。――御覚悟」

 前髪から僅かに覗いた黒い目が狂気を宿した。

 瞬間、リチャードは気を逸し、彼の前に立ったルイーズは震えながら全身で彼を庇ったが、蒼褪めて刹那と目を合わせないよう下を向く。
 
「なにがどうなってんだあ?」

 後ろからひょっこりと顔を覗かせた左文字だが、アーヤは額を押さえ、なぜかアンリとデュークも刹那を化け物でも見るように見上げていた。

「なに、『神気』と大仰な名で呼んでいるが、武道に於ける『遠当て』に殺気を乗せたものであろう? 日本では『剣気』とも言う。収束させた気を声と共に発する気孔術。マドモアゼルの技はその応用だな」

「……あなた、なに?」

「名乗り遅れてすまぬ。私は笠木刹那という。これから仲間になるというのに、君の大切な人にひどいことをした。許してくれ」

 ルイーズの消え入りそうな声に血をダラダラと流しながらも、笑顔で刹那は彼女に跪いて視線を合わせる。

 しかし、「お」と笑顔のまま横に倒れ「ははは、貧血だ。左文字、助けてくれ。起き上がれん」と助けを求める。
 致し方なく左文字に首根っこを掴まれ、アーヤの呼ぶ方へと刹那はリチャードと共に引きずられて応接室へと入った。

◇ 

 十分後、リチャードはソファから飛び起きた。

「よお、目が覚めたかよ。色男」

 乱暴な左文字の物言いにカチンときたが、先刻の刹那の気に当てられて気絶したことを思い出した。なんたる不覚、と刹那を睨むが、なぜか全員が窓際のソファで楽しそうに談笑している。
  無論、ルイーズもその輪の中でアンリに薦められた、デュークお手製のカスタードプディングを頬を染めて味わっていた。

「貴方、セツナとルイーズに御礼を言いなさいよね。刹那の『気』をルイーズが緩和してくれたから気絶程度で済んだのよ。プライド云々を盾にするなら、今度は私が貴方のその白い首を掻き切るから」

 アーヤの黒いマニキュアが塗られた浅黒く長い指が、すっとリチャードの首を撫でた。刹那とはまた違う殺気を放つ女から、リチャードは舌打ちをして顔を逸らした。

「せっかく紹介しようと思ったのに、刹那とデューク以外は本当に単細胞ばっかり」

 アーヤはあからさまに溜息を吐いて、左文字の隣に腰掛ける。起き上がったリチャードの元へは、ルイーズが紅茶とプディングを無言で運んできてくれた。香りから察するにダージリンのようだ。

「せっかくの一張羅も破れてしまった。またつくろいものの腕が上がるなあ」
 
 刹那は暢気に灰色の着物を広げていた。今は継ぎ接ぎだらけの藍染めの単衣を着ている。

「自分の着ている物をよく見てから言えよ。どこが繕いものの腕が上がってるって?」

 その単衣の惨状を見た左文字が紅茶を飲みながら刹那に、至極最もな意見を述べた。
 
「そんなにひどいか?」

「ひでえな。頼むから、それで外は歩くなよ」

「あ、あの……」

 刹那と左文字の遣り取りを聞いて、蚊の鳴くような声でルイーズが口を開いた。

「裁縫なら、私、得意……! 自分の服も作っている。その、良かったら、私が、直してあげられるけど……」

 真っ赤になりながらたどたどしく話すルイーズに、刹那は「おお」とさも嬉しそうにルイーズに灰色の単衣を押し付けた。

「ルイーズは器用なのだなあ。では、私の他の着物も頼めるか?」

「え、ええ……良いわよ」

「ありがたい」

 あまりに刹那が喜ぶので、やや狼狽しながらもルイーズは灰色の着物を握りしめていた。

「……ルイーズ、あまりお節介が過ぎると刹那が調子に乗るぞ?」

「然り」

 左文字と、ティーカップをソーサーごと持ち上げて紅茶の味わいを楽しんでいたデュークまでもがルイーズに忠告するが、この時の彼女はそれが何を意味するのかはまだ解っていなかった。



 全員の輪から離れていたリチャードも左文字に半ば強制的に、同じ対面テーブル脇のソファに座らされ、アーヤが六人の顔を見渡して微笑んだ。

「やっと全員が揃ったわね」

 アーヤは一人掛けのソファに身体を沈めた。そこで刹那が思い出したように、懐から封書を取り出してアーヤに手渡した。

「先刻テロリストの一団が所持していた万博と来賓客の日程及び爆弾の設置箇所が記されているものだ」

「いいわ。あとで見ておいてあげる。バックの組織が解り次第、こちらも割り振りをしましょう」

 アーヤが封書を手に楽しそうに笑むと、反対にリチャードが不機嫌を露わに口を開いた。

「おい、なぜここの連中はフルネームを名乗らないんだ。そんな奴らを仲間だと言われても信じきれないじゃないか」

「……お前、本当に頭悪いんだな」

「なんだと!?」

「左文字」

 リチャードの言葉に呆れ返った左文字がストレートに思ったことを口にする。当然ながら憤慨したリチャードとまた衝突が始まりかけたところを刹那が諫める。それを聞いて、左文字はふいとリチャードから視線を外した。

「良いこと、リチャード。貴方が如何にイギリスの名家のご出身だろうが、ここではミドルネームは無いも同然なのよ。死にたくなければ、お坊ちゃまには耐えがたきを耐えてもらうしかないの。あと、私が全員を紹介しかけた時に貴方が先に喧嘩をふっかけたせいで、刹那から返り討ちにされたのも頭に叩き込んでおきなさい」

 アーヤの一睨みに、リチャードはぐっと反論を飲み込んだ。眼の前の美女の言う通り、みすぼらしい刹那の外見を侮って、ついさっきまで自失していたのは彼にとっては末代までの恥である。

「で、では、なぜミドルネームを名乗らないのだ!? こっちは命を賭して万博をテロリストから護ることに協力すると言うのに、素性も知れない日本人やルイーズよりも小さな子供と徒党を組めと言うのか!?」

「アーヤ、やっぱりこいつはいらねえんじゃねえの?」

「同感だけど仕方ないじゃない。カードに出た名前は彼なんだもの」

 他の面々はリチャードを相手にせず、相変わらず茶菓子に夢中だったが、左文字とアーヤだけは、どこまでもプライドの高いリチャードが、上流階級特有の物言いをすることに溜息を禁じられなかった。

「あのねえ、セツナを除く全員がミドルネームを隠すのは、テロリスト側にも私のような呪術師がいることを想定して、わざと秘匿しているの。そんなに呪い殺されたいなら、どうぞ名前を触れ回りなさい。その代わり、私達には一切迷惑をかけないでよね」

「それにせっかく『能力を貸してくださる』みてえだけど、アンリの斧は戦車五台くらいなら一撃で粉砕できるし、アームストロング砲の砲撃にも耐えられる。正直に言うと、俺はお前の必要性を感じねえんだよなあ。まだ納得がいかねえってんなら、アンリと一対一サシで戦ってみろよ」

 アーヤと左文字に矢継早に畳みかけられて、リチャードは口いっぱいにクッキーを頬張っているサラサラと輝く金髪の少年を一瞥する。
 しかし、アンリは「えー、刹那の気も碌に受け止められない奴と戦っても楽しくないよ」とリチャードの本日一番の恥を適格に抉ってくる。子供の無邪気さとはげに恐ろしいと刹那は、ソファに撃沈した様子に同情すら覚えた。

「あの、どうして……刹那だけはフルネームなの?」

 リチャードの助け舟なのか、ルイーズが小さく尋ねるとようやくティーカップに口を付けたアーヤが少し切なく揺れる目で応えた。

「セツナには呪術の類は効かないの。第一に、彼が持っている刀が妖刀であること。第二に妖刀すら自在に扱う彼の『業』の深さ――それゆえ、刹那だけはフルネームを名乗っても問題が無いと判断したのよ」

 正面から刹那の殺気を受け止めたルイーズには、その理由がありありと解った。

「変なこと訊いて、ごめんなさい」

 萎縮するルイーズに刹那は「気にしてはおらぬよ」とルイーズの口に小さなアプリコットジャムが乗ったクッキーを銜えさせた。

「……美味しい」

「だろう? デュークの菓子はすべて美味い。リチャード、お前も食え」

 意気消沈していたリチャードは刹那の声を無視するが、ルイーズが「本当に美味しいよ」と囁くとしばし逡巡してから乱暴に一枚を取り上げた。

「万博まであと三日――ま、それまで親交を深めておくことね」

 アーヤはそう言い残すと、また黒のレースで口元を覆い隠して応接室を後にした。

★続...
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