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第一部 V.S.クルセイダーズ篇
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十三、
【第六のカルマ】
平安時代末期の怪力僧兵・武蔵坊弁慶の名は、源義経公の従者として有名であろう。
逸話の信憑性はともかく、五条橋での牛若丸――後の義経公との対決はあらゆる創作で見受けられ、その人気の高さがうかがえる。
五条橋の戦いから義経の忠臣として、兄・頼朝に終われる身となった義経が奥州藤原氏の下までの逃亡にも付き従い、最期は主人が自決した堂の入り口を降り注ぐ矢を身体に浴びながら立ったまま絶命したという。
この最期から「弁慶の立ち往生」という言葉まで後世に受け継がれる。またその怪力であった彼にも弱点が存在すると、両足の脛を「弁慶の泣きどころ」と別名が遺されるなど、義経の主従においては双方数え切れないほどの逸話が語り継がれ、現在でもその人気は高い。
◇
万博が開催されて二か月が過ぎた。
梅雨がないフランスは、これから乾燥が強くなる爽やかな夏へと変わり行く様相を見せる。白いマロニエや青い桐の花や紫色のジャガランダから、パリの街路樹で最も多いプラタナスが陽光を受けて青々と輝く季節となる。また一部では黄色い可憐な花をつける菩提樹の季節へと変わっていく。
「菩提樹が花を付けたのを見ると、バカンスシーズンが近づいているのを感じるよなあ」
見廻りとして万博の敷地内を歩いていると、花になど興味が無さそうな左文字がポケットに手を突っ込んで、本日の相棒であるアンリに話しかける。
「三大天使を刹那一人にやられてからは敵も大人しくなったねえ。各国の要人もしばらくは来ないし、バカンスが近いから観光客も少なくて、僕らとしてはありがたい限りって刹那も言ってたよ」
アンリは先日ルイーズに作って貰ったハンティングキャップを被って、鼻歌を歌いながら街を巡回する。
「あ、でも十四日の革命記念日だけは警戒態勢なんだっけ?」
「一応、アーヤの話は聞いてんだな……お前。危なっかしいけど」
「あんまり見くびらないでよ。もう十二だもん。『KARMA』の主戦力でもあるしね」
胸を張るアンリに、左文字は意地悪く「未だに刹那には勝てねえけどな」と笑った。
「……それ、気にしてるの!! そう言えばさ、セツナとサモンジはもう十年の付き合いなんでしょ? その割に二人が戦っているところって見たことないけど、どっちが強いの?」
「拳なら俺、剣ならあいつ」
「真面目に訊いてるのに!!」
アンリの素朴な質問に左文字は即答する。大人げないことこの上ない。
「得意分野が違うんだ。端から勝負にならねえってことだよ。適材適所ってな」
「サモンジ、意味を解って使ってる?」
「捻りつぶされたいか、くそガキ」
ごきごきと拳を鳴らす左文字から帽子を押さえたアンリが高い声を上げて逃げ回る。その拍子に正面を歩いていた黒いスーツの女にぶつかった。
「あ、ごめんなさ」
謝りかけたアンリは女と目を合わせると、急に後方に飛び退った。アンリを叱りかけた左文字は汗だくで瞳孔が開いているアンリの異常を見て、女を睨んだ。
「サモンジ、そいつの目を見ちゃ駄目だ!!」
アンリは被っていたハンティングキャップで左文字の視界を覆い隠し、女の顔の前に、アンリの武器である斧を形成する水素や酸素などの元素を集めて、女の視界をぼかす。
「……なんだ、これは?」
女が訝しんでそれに触れると、霧のようなひんやりとした冷気を感じた。それから顔を逸らすと、もうそこにはあの二人の姿は無かった。
「逃がしたか。頭のいい子供……」
咄嗟に路地に入り込んで、気配を殺していたアンリと左文字は女が立ち去ったのを確認してから、左文字が荒い息をするアンリを抱えて壁を駆け上がり、赤茶色の屋根の上でアーヤに語りかける。
「アーヤ、トロカデロ広場近くの東エロー通りに異能者が居る。アンリの機転で撒いたが、様子がおかしい。男装をした短い金髪の女だ。帽子やステッキは持っていない――至急、追跡してくれ」
『解った。アンリの状態は?』
「呼吸と脈が速い。瞳孔も開いているし、発汗量が多すぎる」
『危険ね……今、八区のアパルトマンに居るから急いで連れてきて!!』
アーヤの指示通り、左文字はアンリを抱えたまま屋根の上を駆けて、北東に進路を取る。しかし、背後に気配を感じて振り返ると、先刻の女が追いかけてくるのが見えた。
「やべ……追いかけてきやがった!! アーヤ、アンリだけ窓から放りこむから、受け取ってくれ!! 俺は応戦する!!」
『な、ちょっと左文字!!』
「どうも振りきれそうにねえんだよ!!」
走るスピードを上げて、左文字は八区の漆喰壁の中で一つだけ開いている窓にアンリを放り込むと、そこからまた東南に下がって復興中のコンコルド広場で女を待った。
「本っっ当に乱暴なんだから!! あの男は!!」
幸い、アンリはルイーズとアーヤが受け止めたが痙攣を起こして口の端には泡を吹いていた。
「アーヤ!!」
「大丈夫、落ち着きなさい」
アーヤはアンリの胸に手を置くと、聞きなれない呪文を唱える。徐々に痙攣がおさまり、瞳も通常の状態を取り戻したアンリはそのまま眠りに入らせようとしたアーヤの力に逆らって、彼女の腕を掴んだ。
「……サモンジ、に伝えて……。あいつ、精神汚蝕系の能力遣いだ。真っ向勝負は危険、だって」
それだけを言い終えるとアンリは意識を散じた。
「左文字、聞いたわね!? ――左文字!!」
その後もアーヤの呼びかけに左文字が応える様子はなかった。
◇
――なぜここに居るのだ。
前から駆け寄ってくるおそめ髷の少女に、刹那は今の自分と自身が身を置く時代を忘れた。
「瞬太郎はん」
「紅緒……なぜここに居るのだ? ここは……俺は、なにを……?」
辺りは見渡す限り真っ白で、刹那――冬月瞬太郎と紅緒の二人だけだった。白い肌と細い首や腕に扇に添える白魚の指。舞えば百合、話せば鈴蘭、芸妓の化粧を落とすと年齢よりも幼くなる白牡丹のような彼女は、愛しい男の胸に擦り寄って満面の笑顔で「瞬太郎はん」と呼んだ。
◇
コンコルド広場では、左文字の鳩尾に女の膝が入った。身体が常人の何倍も強靭なはずの左文字ですら、その一撃に骨が軋む音が聞こえる。
胃の内容物をすべて吐き出して、口の中には不快な胃液の酸味が残る。だが、それ以上に深刻なのは体感したことのない胸の痛みだった。
「……いてて。こんなの初めてだぞ」
「それは重畳――貴方はルーベルトを素手で貫く程の怪力の異能者と知って、私も薬で身体能力を向上させました」
「へえ。わざわざ俺一匹の為にご苦労なこった」
胸の痛みがあっても、付け焼刃の女の怪力には負けてはいられないと左文字は、拳を構える女に正面から突っ込む。
眼の前で逆さに飛びあがって女の顎下に組んだ手を入れて後方に引き、自身の右肩で女の首裏をぶつける。
「ちっ、これでも骨が折れねえのかよ」
常人ならば間違いなく脊椎粉砕なのだが、女は痛みに顔を歪めるだけで左文字が期待した通りにはならなかった。だが、アンリが目を見ただけで身体に異変を起こしたことから、あちらがこの女の真価だと察知している左文字は、女と目を合わせないように積極的にルーベルト戦で見せた『縮地』を使って、女の背後を取る。
「くそっ……!! ちょこまかと!!」
「姉ちゃん、名前は? アリシア・バルバトス、ヨセフ・ルーベルト、ラファエル・ミラーその他諸々――これでも異能力犯罪者の顔と名前は全部記憶してんだけど、あんたは知らねえんだよなあ」
振り向いた女の顔に、左文字は全力の蹴りを見舞いながら、記憶の海を探る。女は折れた歯を吐き出し、口端の血を拭う。
「私に名前はありませんし、異能者の中でも最終兵器として秘匿され続けてきましたから。今の私は『アズライール』と呼ばれている」
「アズライールぅ? なんでカトリックが回教の死の天使の名前を使うんだ? なりふり構ってられなくなったか」
立ち上がりかけたアズライールの顔に今度は横から蹴り、吹っ飛んだ彼女が建物にコンコルド広場中央のオベリスク柱に激突する前に、左文字は柱に張り付いて連撃となるタックルで彼女を地面にめり込ませる。
「がっ!!」
やっとのことで攻撃が止んだアズライールの目の上に固い物が乗せられ視界を奪われる。
「……貴様、不死身か……? 確かに肋骨にはひびくらいは入っているはずだ」
「おう。ちゃんと痛えよ。けど、いつまでも相棒のぼんくら剣士にばっかり敵は譲れないんでね。第六カルマとしての矜持がある。別嬪を殺すのは気が引けるが、まあ、悪く思うな」
左文字の靴の下で彼の語りを聞いていたアズライールはくつくつと笑いだし、終いには五体をなげうった状態で声を上げて哄笑を響かせる。
「なんだ? 顔ばっか殴りすぎて気でもふれたか?」
的外れな質問をする左文字に、アズライールはさも楽しそうに話し始めた。
「ふふっ……お前達の中で一番厄介なのがあの剣士だとは承知の上だ。首領でさえ警戒される人物――否、魔王だと」
「過大評価じゃねえ?」
「私の真の異能は格闘ではなく、精神汚蝕。――そして、貴様らの最終兵器である剣士は既に我が術中にはまった!!」
「はあ!? なにやってんだよ、あの馬鹿……!!」
「私を殺したければ殺せ。だが、私が死んでもあの男にかけた術は解けない!! 第五カルマの能力を以てしてもなあ!!」
「なんてこった」と左文字は耳障りなアズライールの顔を卵でも潰すかのように踏みつぶし、頭を抱えた。ひとまずはアーヤに報告だ、とアズライールの言葉をそのまま伝える。
『……で、そのアズライールとかいう女は殺したのね?』
「ああ、とりあえず刹那をぶっとばして意識を戻させるから、あいつの居場所を教えてくれ」
『それはできないわ』
「あ? なんでだよ!?」
『正気じゃない刹那と戦うことになったらどうするの? まだ万博は終わっていない以上、貴方を失う訳にはいかないわ。刹那が使えないなら尚の事ね』
苦渋の決断をするアーヤに左文字が怒りの沸点を超えて怒鳴る。
「じゃあ、あいつを見捨てるのかよ!!」
『……そうよ』
「ざけんな!!」
左文字はアーヤの制止を振り切って、痛む胸を押さえつつも暮れ行くパリの街を駆けまわった。
「どこだ、ボケナス!!」
薄暮の中では昼に観た菩提樹の黄色がくすんで見えた。
★続...
【第六のカルマ】
平安時代末期の怪力僧兵・武蔵坊弁慶の名は、源義経公の従者として有名であろう。
逸話の信憑性はともかく、五条橋での牛若丸――後の義経公との対決はあらゆる創作で見受けられ、その人気の高さがうかがえる。
五条橋の戦いから義経の忠臣として、兄・頼朝に終われる身となった義経が奥州藤原氏の下までの逃亡にも付き従い、最期は主人が自決した堂の入り口を降り注ぐ矢を身体に浴びながら立ったまま絶命したという。
この最期から「弁慶の立ち往生」という言葉まで後世に受け継がれる。またその怪力であった彼にも弱点が存在すると、両足の脛を「弁慶の泣きどころ」と別名が遺されるなど、義経の主従においては双方数え切れないほどの逸話が語り継がれ、現在でもその人気は高い。
◇
万博が開催されて二か月が過ぎた。
梅雨がないフランスは、これから乾燥が強くなる爽やかな夏へと変わり行く様相を見せる。白いマロニエや青い桐の花や紫色のジャガランダから、パリの街路樹で最も多いプラタナスが陽光を受けて青々と輝く季節となる。また一部では黄色い可憐な花をつける菩提樹の季節へと変わっていく。
「菩提樹が花を付けたのを見ると、バカンスシーズンが近づいているのを感じるよなあ」
見廻りとして万博の敷地内を歩いていると、花になど興味が無さそうな左文字がポケットに手を突っ込んで、本日の相棒であるアンリに話しかける。
「三大天使を刹那一人にやられてからは敵も大人しくなったねえ。各国の要人もしばらくは来ないし、バカンスが近いから観光客も少なくて、僕らとしてはありがたい限りって刹那も言ってたよ」
アンリは先日ルイーズに作って貰ったハンティングキャップを被って、鼻歌を歌いながら街を巡回する。
「あ、でも十四日の革命記念日だけは警戒態勢なんだっけ?」
「一応、アーヤの話は聞いてんだな……お前。危なっかしいけど」
「あんまり見くびらないでよ。もう十二だもん。『KARMA』の主戦力でもあるしね」
胸を張るアンリに、左文字は意地悪く「未だに刹那には勝てねえけどな」と笑った。
「……それ、気にしてるの!! そう言えばさ、セツナとサモンジはもう十年の付き合いなんでしょ? その割に二人が戦っているところって見たことないけど、どっちが強いの?」
「拳なら俺、剣ならあいつ」
「真面目に訊いてるのに!!」
アンリの素朴な質問に左文字は即答する。大人げないことこの上ない。
「得意分野が違うんだ。端から勝負にならねえってことだよ。適材適所ってな」
「サモンジ、意味を解って使ってる?」
「捻りつぶされたいか、くそガキ」
ごきごきと拳を鳴らす左文字から帽子を押さえたアンリが高い声を上げて逃げ回る。その拍子に正面を歩いていた黒いスーツの女にぶつかった。
「あ、ごめんなさ」
謝りかけたアンリは女と目を合わせると、急に後方に飛び退った。アンリを叱りかけた左文字は汗だくで瞳孔が開いているアンリの異常を見て、女を睨んだ。
「サモンジ、そいつの目を見ちゃ駄目だ!!」
アンリは被っていたハンティングキャップで左文字の視界を覆い隠し、女の顔の前に、アンリの武器である斧を形成する水素や酸素などの元素を集めて、女の視界をぼかす。
「……なんだ、これは?」
女が訝しんでそれに触れると、霧のようなひんやりとした冷気を感じた。それから顔を逸らすと、もうそこにはあの二人の姿は無かった。
「逃がしたか。頭のいい子供……」
咄嗟に路地に入り込んで、気配を殺していたアンリと左文字は女が立ち去ったのを確認してから、左文字が荒い息をするアンリを抱えて壁を駆け上がり、赤茶色の屋根の上でアーヤに語りかける。
「アーヤ、トロカデロ広場近くの東エロー通りに異能者が居る。アンリの機転で撒いたが、様子がおかしい。男装をした短い金髪の女だ。帽子やステッキは持っていない――至急、追跡してくれ」
『解った。アンリの状態は?』
「呼吸と脈が速い。瞳孔も開いているし、発汗量が多すぎる」
『危険ね……今、八区のアパルトマンに居るから急いで連れてきて!!』
アーヤの指示通り、左文字はアンリを抱えたまま屋根の上を駆けて、北東に進路を取る。しかし、背後に気配を感じて振り返ると、先刻の女が追いかけてくるのが見えた。
「やべ……追いかけてきやがった!! アーヤ、アンリだけ窓から放りこむから、受け取ってくれ!! 俺は応戦する!!」
『な、ちょっと左文字!!』
「どうも振りきれそうにねえんだよ!!」
走るスピードを上げて、左文字は八区の漆喰壁の中で一つだけ開いている窓にアンリを放り込むと、そこからまた東南に下がって復興中のコンコルド広場で女を待った。
「本っっ当に乱暴なんだから!! あの男は!!」
幸い、アンリはルイーズとアーヤが受け止めたが痙攣を起こして口の端には泡を吹いていた。
「アーヤ!!」
「大丈夫、落ち着きなさい」
アーヤはアンリの胸に手を置くと、聞きなれない呪文を唱える。徐々に痙攣がおさまり、瞳も通常の状態を取り戻したアンリはそのまま眠りに入らせようとしたアーヤの力に逆らって、彼女の腕を掴んだ。
「……サモンジ、に伝えて……。あいつ、精神汚蝕系の能力遣いだ。真っ向勝負は危険、だって」
それだけを言い終えるとアンリは意識を散じた。
「左文字、聞いたわね!? ――左文字!!」
その後もアーヤの呼びかけに左文字が応える様子はなかった。
◇
――なぜここに居るのだ。
前から駆け寄ってくるおそめ髷の少女に、刹那は今の自分と自身が身を置く時代を忘れた。
「瞬太郎はん」
「紅緒……なぜここに居るのだ? ここは……俺は、なにを……?」
辺りは見渡す限り真っ白で、刹那――冬月瞬太郎と紅緒の二人だけだった。白い肌と細い首や腕に扇に添える白魚の指。舞えば百合、話せば鈴蘭、芸妓の化粧を落とすと年齢よりも幼くなる白牡丹のような彼女は、愛しい男の胸に擦り寄って満面の笑顔で「瞬太郎はん」と呼んだ。
◇
コンコルド広場では、左文字の鳩尾に女の膝が入った。身体が常人の何倍も強靭なはずの左文字ですら、その一撃に骨が軋む音が聞こえる。
胃の内容物をすべて吐き出して、口の中には不快な胃液の酸味が残る。だが、それ以上に深刻なのは体感したことのない胸の痛みだった。
「……いてて。こんなの初めてだぞ」
「それは重畳――貴方はルーベルトを素手で貫く程の怪力の異能者と知って、私も薬で身体能力を向上させました」
「へえ。わざわざ俺一匹の為にご苦労なこった」
胸の痛みがあっても、付け焼刃の女の怪力には負けてはいられないと左文字は、拳を構える女に正面から突っ込む。
眼の前で逆さに飛びあがって女の顎下に組んだ手を入れて後方に引き、自身の右肩で女の首裏をぶつける。
「ちっ、これでも骨が折れねえのかよ」
常人ならば間違いなく脊椎粉砕なのだが、女は痛みに顔を歪めるだけで左文字が期待した通りにはならなかった。だが、アンリが目を見ただけで身体に異変を起こしたことから、あちらがこの女の真価だと察知している左文字は、女と目を合わせないように積極的にルーベルト戦で見せた『縮地』を使って、女の背後を取る。
「くそっ……!! ちょこまかと!!」
「姉ちゃん、名前は? アリシア・バルバトス、ヨセフ・ルーベルト、ラファエル・ミラーその他諸々――これでも異能力犯罪者の顔と名前は全部記憶してんだけど、あんたは知らねえんだよなあ」
振り向いた女の顔に、左文字は全力の蹴りを見舞いながら、記憶の海を探る。女は折れた歯を吐き出し、口端の血を拭う。
「私に名前はありませんし、異能者の中でも最終兵器として秘匿され続けてきましたから。今の私は『アズライール』と呼ばれている」
「アズライールぅ? なんでカトリックが回教の死の天使の名前を使うんだ? なりふり構ってられなくなったか」
立ち上がりかけたアズライールの顔に今度は横から蹴り、吹っ飛んだ彼女が建物にコンコルド広場中央のオベリスク柱に激突する前に、左文字は柱に張り付いて連撃となるタックルで彼女を地面にめり込ませる。
「がっ!!」
やっとのことで攻撃が止んだアズライールの目の上に固い物が乗せられ視界を奪われる。
「……貴様、不死身か……? 確かに肋骨にはひびくらいは入っているはずだ」
「おう。ちゃんと痛えよ。けど、いつまでも相棒のぼんくら剣士にばっかり敵は譲れないんでね。第六カルマとしての矜持がある。別嬪を殺すのは気が引けるが、まあ、悪く思うな」
左文字の靴の下で彼の語りを聞いていたアズライールはくつくつと笑いだし、終いには五体をなげうった状態で声を上げて哄笑を響かせる。
「なんだ? 顔ばっか殴りすぎて気でもふれたか?」
的外れな質問をする左文字に、アズライールはさも楽しそうに話し始めた。
「ふふっ……お前達の中で一番厄介なのがあの剣士だとは承知の上だ。首領でさえ警戒される人物――否、魔王だと」
「過大評価じゃねえ?」
「私の真の異能は格闘ではなく、精神汚蝕。――そして、貴様らの最終兵器である剣士は既に我が術中にはまった!!」
「はあ!? なにやってんだよ、あの馬鹿……!!」
「私を殺したければ殺せ。だが、私が死んでもあの男にかけた術は解けない!! 第五カルマの能力を以てしてもなあ!!」
「なんてこった」と左文字は耳障りなアズライールの顔を卵でも潰すかのように踏みつぶし、頭を抱えた。ひとまずはアーヤに報告だ、とアズライールの言葉をそのまま伝える。
『……で、そのアズライールとかいう女は殺したのね?』
「ああ、とりあえず刹那をぶっとばして意識を戻させるから、あいつの居場所を教えてくれ」
『それはできないわ』
「あ? なんでだよ!?」
『正気じゃない刹那と戦うことになったらどうするの? まだ万博は終わっていない以上、貴方を失う訳にはいかないわ。刹那が使えないなら尚の事ね』
苦渋の決断をするアーヤに左文字が怒りの沸点を超えて怒鳴る。
「じゃあ、あいつを見捨てるのかよ!!」
『……そうよ』
「ざけんな!!」
左文字はアーヤの制止を振り切って、痛む胸を押さえつつも暮れ行くパリの街を駆けまわった。
「どこだ、ボケナス!!」
薄暮の中では昼に観た菩提樹の黄色がくすんで見えた。
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