KARMA

紺坂紫乃

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第三部 影喰み-shadow bite-篇

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六、


 南方面、敵二体撃破の一報に、東と北の四名は一息つく。しかし、シスの予言は『南が有力』と述べただけで、四名もまだ気を抜けない。
 東方面の左文字とZEROはエミール・デシャネル通りを練り歩きながら周囲に気を配る。

「さて……どちらに来るか、はたまた両方か」

 ポケットに入っていた銀貨を親指で弾いた左文字はそれを手の甲で受け止め、もう片方の手で覆い隠す。

「なんだ、おめえも占いができるのか? 初耳だな」

 ZEROが左文字に驚いていると「いや、さっぱりだ」と呆気なく返され、この青年に殺意を抱いた。
 左文字が覆っていた手をどけると銀貨は表向きに鎮座していた。

「占いはできねえが、博打ばくちは結構自信があるぜ。特にイカサマを見抜くのは、俺と刹那は朝飯前だ」

「ま、お前らの眼にかかれば、イカサマや小細工を見破るのなんか屁でもねえだろうなあ」

 左文字は銀貨をポケットに再び戻し、視線を右に流す。ZEROもそれを読んで大通りであるエミール・デシャネル通りを外れた路地に入り込んだ。
 路地に入ったと同時に姿を現した式鬼は路地に入ったはずの二人の姿がどこにもないことに、首を巡らせる。

「な、目敏いだろ」
「ああ、大したもんだ」

 左文字は路地の上にかかっていた木の棒からぶら下がり、ZEROは壁との同化を解いた。

「……挟み撃ちか……!!」

 影から出てきた式鬼は、二人の姿を確認すると手を剣印に結ぶ。それをZEROが「おっと」と右手の白蛇で式鬼の両手を喰い潰した。

「ぎゃああ!!」

 当然ながら痛みに悶える式鬼は膝を折って倒れ伏す。その顔の横に左文字がしゃがみ込んだ。

「ちいっと聞きたい事があるんだよなあ。悪いけど、付き合ってくれ」

 そう断ると、左文字は式鬼の面を剥いだ。その面の下にあった顔に左文字は吃驚を隠せなかった。

「――おま、アズライール!!」

 面を剥いだ下にあったのは『クルセイダーズ』が切り札として残しておいた精神汚蝕系能力者・アズライールの顔であった。地に頬を擦り付けながら苦悶に満ちた顔は、間違いなく左文字が殺した彼女だった。

「アズライールって……回教イスラームの死天使の名前だよなあ? 『クルセイダーズ』にも居たんだっけか」

「ZEROのおっさん、知ってんのか!?」

「あのさあ、一応俺が情報シンジケートの上級幹部だってこと……誰か思い出してくれん?」

 左文字の問いにZEROは「そろそろ泣こうかな」と言いだした。
 そんなことよりも、問題は眼の前の女である。何故死んだ顔がここにあるのか。

「お前、『クルセイダーズ』のアズライールじゃねえの?」

「……なんのことだ……? たとえ知っていたとしても、私の正体を話すつもりはない……!!」

 それもそうだと思いながらも左文字は苦手な脳を働かせて情報処理に努める。しかし、あっさりと答えをくれたのはZEROだった。

「この女がお前と戦った『アズライール』のコピーだったとしても『夢幻泡影』の所属なら、なんら不思議はない。連中の頭領であるバサラは複製の技術に優れていた。今、指揮をとっているのがカーンであれ、代々の頭領はバサラ一人なんだ」

 ZEROの話がまったく理解できない左文字が、言葉を発しないので、ZEROは後頭部を掻きながら補足をくわえた。

「解りやすく言うとだなあ、人間の複製技術は連中の専売特許だ。だから、今の頭領であるバサラも三代目になるはずだが、今でも頭領の椅子に座って複製を作り続けているってこと」

「……つまり死んだ『アズライール』も元を辿れば『夢幻泡影』の一員だったってか……?」

 「そうなるな」とZEROさらりと相槌を打つ。

 ルィアンが話していた『精神系異能者を生み出す技術を考案した』の意味に合点がいった左文字は抑えつけているアズライールもどきが、突如風船のように徐々に膨らんで破裂し、ZEROと共にその血を浴びた。

「自爆……?」

「馬鹿、左文字!! 身体をよく見ろ!!」

 顔を中心に黒い血液を浴びた左文字は、血を浴びた部分が高熱を放って焼かれているように湯気を上げていた。

「いてえ!! 痛えし、あっちい!!」

 顔の半分が湯気を上げる中、ZEROが懐から取り出した一粒の錠剤を指で潰して、右手の蛇の口の中に放り込んだ。薬らしきものを口に含んだ蛇が赤い舌で、左文字の湯気を発している顔や手を舐めていく。「お」と気がつくと、皮膚を焼いていた血は拭われ痛みも引いた。

「ふう……助かった。ありがとよ、ZERO」

「これくらい朝飯前だ。……それより、俺達東方面はこれだけか? 他にも殺気は感じられねえし、嫌な予感がするんだよな……」

 それは左文字も同じだった。万博の来訪客を人質にしている割には、まともな戦闘はアンリとリチャードだけ。北の刹那達が交戦したとの情報も入って来てはいない。
 二人は胸にすっきりとしないわだかまりを抱えたまま、ひとまず合流地点であるエッフェル塔の手前に向かうことにした。



 カーンは八枚のカードらしき掌サイズの紙を裏返しにして、部下からの報告に耳を傾ける。深緑の天鵞絨ビロードが張られた椅子の金メッキされた肘置きを残った片手でとんとんと規則正しく叩く。

「キリークの遺した半身と同行した一人が南方面で撃破されました。どうやら金髪の子供が元素使い、成人男の方は念動力使いだった様子。また東方面の旧型『アズライール』も自爆して終わったとのことです……」

「南と東、ね。笠木刹那はまだ戦っていないんだろ?」

「は、報告によれば笠木刹那は北から西方面をうろついていたと」
 
 ――刹那はまだ戦ってすらいない。

 この事実に、カーンは笑みを深くする。この段になって、カーンはテーブルの上の紙を一枚めくった。

「なら、彼には地獄の一端を見せてあげようか。彼の絶叫が届くように、仕込んでおけ」

 男の式鬼は「御意」と短く答えると、姿を消した。

「さあ、宴はまだ始まってすらいないんだよ……」
 
 ――せいぜい宴の始まりに相応しい断末魔を聞かせてくれ。



 同じ頃、刹那とルイーズも人ごみの中を警戒しながら歩いていた。だが、アンリ達の朗報を受け取ってからは、東の左文字とZEROも交戦したがあまりにも拍子抜けな終焉だったという。
  そして、現在、刹那とルイーズ北と西のどこにも影の殺気どころか可笑しな点は一切感じられない雑踏に、安心感よりも不安感が募る。

「こっち、気持ちが悪いくらいに何もないわね」

 どうやら隣を行くルイーズも同じ考えだったらしく、刹那は「これだけではないはずだ」と彼にしては険しい語調で応じた。
 秋の陽は落ちるのが早い。ゆるやかに日没の茜色を放ち始めた太陽を見ながら、刹那は注意深く周囲をもう一度見渡すが、籠釣瓶も反応が無いところから判ずるに敵はいないと結論づけるしかなかった。

「しかたがない。注意をしながら、合流地点のエッフェル塔まで戻ろう」

 ルイーズに困ったように笑って、刹那は踵を返した。ルイーズも「そうだね」と少々の安心を抱きながら、刹那と肩を並べて歩いた。



 サンクは打ち上げられた魚のように、びくりと身体をソファの上で跳ねさせた。

「お姉ちゃん?」

「なあに? サンク、何を見たの?」

 サンクは今朝からカーンと意識を『同調シンクロ』させていた。昼に南の戦いが終わり、一旦、意識を解いたが小休止の後にすぐにまた『同調』を始めた。

「……狙いが、変わった……」

 サンクの言葉を受けて、シスも『千里眼』を発動させる。アーヤとデュークはただ見守るしかなかった。

「……だめ……見えない。お姉ちゃんの『同調』に合わせているのに、見えない。向こうもあたし達に気づいている……」

 シスは「悔しい」と唇を噛んだ。
 アーヤがカードを広げようとしたらシスから「待って」と制止がかかった。

「もう少し、もう少し……お姉ちゃんの意識には映し出されているの。待って……あ、エッフェル塔の眼の前……!! グスターヴ・エッフェル通りに複数の影がいる……!!」

 シスの予言をアーヤが風に乗せ、全員に伝えた。

 ――しかし、シスの予言が伝えられるまでの数秒単位の時間差が命取りとなった。



 時間は十五分ほど遡る。
 焼き栗を食べ終えて、グスターヴ・エッフェル通りで刹那達を待っていたアンリとリチャードは、改めて眼の前にそびえ立つエッフェル塔に二人揃って口をぽかんと開けて「でっかいねえ」などと暢気な感想を言い合っていた。

「ところで、他の連中の交戦情報はほとんど聞かなかったな」

「そうだね。万博の客を囮にして、せっかく僕らを出てこざるを得ない状況にしたのに……まだ何かある気がするんだよねえ……」

 アンリは食べ終わった焼き栗の包みをポケットに入れた時に猛烈な吐き気に襲われた。殺気と憎悪を混ぜて固めたらこんな感じだろうか、などと考える。
 唐突に目つきとオーラが変わったアンリに、リチャードも声を固くして「どうした、アンリ?」と尋ねた。
 
 野生動物さながらの目つきで周辺を忙しなくギョロギョロと探るアンリは、隣に居たリチャードを力の限り突き飛ばした。

 ――アンリの身体は影から生えた三本の槍に身体を貫かれ、また潜んでいた槍がアンリの両脚を腿から切断した。

 上からはアンリの脚がぼとぼとと大量の血液と共に落ちてきた。

「うあああ!!」
「アンリ!!」

 リチャードが目を瞠り叫ぶと、鋭い風圧が槍を切り裂く。

「アンリ、リチャード!!」

 刹那である。
 上から落ちてきたアンリを抱き止めると、そっと地に寝かせて籠釣瓶を抜き払って、迫りくる四つの影を切り裂いた。
 少し遅れてルイーズも到着する。
 影の中に潜む人間を斬った手ごたえを確かめると、即座に刹那は落ちているアンリの脚を抱えて、自身の単衣の袖を破って裂き、漏れい出るアンリの両脚に巻きつけて止血帯とする。

「セ、セツナ……アンリ、アンリの脚が……!! お、俺を庇ったせいだ……!!」

 狼狽えて泣きながら震えるリチャードに「ルイーズ、傍に居てやってくれるか?」と声をかける。ルイーズは黙って頷き、恐慌パニック状態に陥っているリチャードを宥め続けた。

「アーヤ、ZEROはどこだ? アンリが重体だ。至急、戻るゆえベッドの用意と君も治癒術をすぐに使えるようにしておいてくれ」

『……遅かったわね……!! ZEROなら、もう到着するわ。こちらも準備しておくから、最短で連れて帰ってきて』

「わかった」

 刹那はここでようやくリチャードに正面から声を掛けた。肩に手を置いたら、涙を溢れさせながら「俺のせいだ……!!」と繰り返す。

「違う。誰も君を憎まないから自身を責めるな。アンリは最良の選択をしたんだ。双方がやられるか、片方が生き残るか――あの子は第一線に立つ以上、命の危険は覚悟している。お主の気持ちも解るが、リチャードが自身を責めるという事はアンリの選択の否定に値する――だから、もう責めてやるな。好いな?」

 刹那の真剣で凪いだ双眸が、涙で濡れるリチャードの目を覗き込む。
 リチャードは逡巡した後、小さく頷いた。

「刹那!!」

「止血だけはしてある。脈は弱いが、脚の断面も悪くはない。後は任せるぞ、ZERO」

「ああ。止血って言っても動脈をやられてるから今完全に止めるぜ。モンマルトルに運ぶのはそれからだ」

「頼んだ」

 ZEROはいつかのように手を灼熱に熱し、刹那の着物に血を滲ませている両脚に手を当てた。ZEROが頷くと、顔色がどんどんと白く、唇が真っ青になるアンリの身体と切り離された脚を左文字が抱いて、モンマルトルまで全員が駆けた。



 隠れ家に到着すると同時に処置に入ったZEROとアーヤが応接室の横にある書斎のベッドで処置に入る。
 他の残りのメンバーで口を開く者はいなかった。サンクとシスも手を繋いで、窓際のソファで身を寄せ合っていた。痛いほどの沈黙に支配された応接室で皆がアーヤとZEROを待った。


 二人が奥の書斎から出てきたのは、一時間後――時計は六時を指していた。

「なんとか持ったわよ」

 アーヤのその一言に、全員が長い溜息を吐いた。

 しかし、次の言葉に身が硬直する。

「ただ……元のように歩いたり、戦ったりするのは不可能と思って。元通りのパフォーマンスができるようになるには……相当つらいリハビリをこなして、になるわね。早くて三年、遅ければ五年はかかる」

「それは、アンリの事実上の戦線離脱という意味かね?」

 問うたのはデュークだった。

 アーヤは「そうなるわね」と冷静に返答する。

 愕然とするルイーズとリチャードの表情は言葉にならない。サンクとシスは小さな涙声で「ごめんなさい」と囁き続けた。

 ――だが、アーヤの言葉に異論を唱えたのは刹那だった。

「戦線離脱は早計だと思うが」

「俺も同感だな。離脱するかはアンリが決めることだろう?」

 刹那と左文字にアーヤは、怒りを露わに顔を顰める。

「……あんたたち、どこまで非人道的なの……? どんなに主戦力でも、自覚して実力があろうとも、アンリはまだ十二歳なのよ!?」

 激昂するアーヤに対して静かに答えたのは刹那だった。

「なにも無理に戦場に戻す、と言っている訳では無い。あの子の意見も訊かずに戦力から外すのが性急だと申しておるのだ」

「どう違うって言うのよ!!」

「――私なら、両脚がもがれても刀を振るえるなら首だけになろうとも戦う。アンリはそういう類の人間だ。幼い、とは戦士を戦場から離す理由にならぬ――この続きはアンリが目覚めてから、本人の言葉を待つべきだろう」

 刹那はそれだけを言い残すと、風呂に向かった。
 灰色の単衣はもう着られないだろうとゴミ入れに放り込んだ。
 


 全てを脱ぎ捨て、シャワーコックを捻ると冷水が出てくる。それを頭から浴びながら刹那は「くそっ!!」と水色のタイル壁が割れそうな力で殴った。
 これが『夢幻泡影』の戦いだと身に染みる。カーンが残酷な方法を取るのは目に見えていたのに、注意を怠ったのは自身だ。責められるべきはリチャードではなく自身だと刹那は水を浴び続けた。
 風呂から上がると左文字がタオルを差し出してくれた。

「すっげえ凶悪な顔してんぞ。アンリのところに行くんだろ? ただでさえ過敏になってんだ。アーヤとは目を合わせるなよ」

「そうだな」

 渡されたタオルでざっと水気を拭いて、藍の単衣にのろのろと腕を通した。入れ替わりに入った風呂からは左文字がシャワーを浴びている音が聞こえてくる。
 灰鼠はいねず色の帯を貝ノ口に締めるとタオルで顔を隠しながら、応接室を抜けて白い顔で眠るアンリの隣に腰掛けた。

 ――この部屋は窓が無い。燭台に灯した火だけではますますアンリが死んだように見える。

「アンリ、よく戦ったな。見事であったぞ」

 いつもなら抱きついて喜ぶのに、今はその熱が無いことが刹那の心に重い石を落とす。


★続...
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