KARMA

紺坂紫乃

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第四部 血染めの十字架篇

4-10

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十、

 虎の咆哮のような強風がブローニュの森に吹き荒れていた。
 マデリカファミリーから差し向けられて二人は飛んでくる石飛礫いしつぶてや木片から両腕で顔を覆うのが精いっぱいだ。連れてきた死体の兵士も風で再生不可能な状態にまでバラバラにされてしまった。
 先ほどの連中は先制攻撃が成功したが、こちらはたったひとりの剣士に手をこまねいていた。

「……これがカサギ・セツナか。異能力は剣が見えなくなるだけのはずだが、なぜこんな強風が起こせる?」

「ヤン。分析は良いから、挟み撃ちにして俺の電撃を喰らわせれば一発だ」

「それこそ姿を見せない向こうの思うつぼだろう。データ通りなら、神速の剣を捕えられない。確固撃破が奴の狙いだ。奴の炙り出しに乗るな」

 刹那は樹の上で気配を殺して、この会話を聞いていた。

「なるほど。電撃はイタリア人の異能、死体を操るのはあのヤンという男か。気になるのは左文字の言葉と光を操る異能だが……」

 『籠釣瓶』の異能は不可視化と風圧による広範囲の斬撃である。ひとまず不可視化を解き、風圧を緩めて、死体の兵士を一掃する風を起こせぬものかと試みてみたが、思わぬ成果が得られている。
 光の異能がある限り、不可視化にはできないが新たな戦力としては申し分ない――。

「……アンリがいないのが悔やまれるが、もう一つ、試してみるか」

 刹那は刀を鞘に納めると、音も無く、アンリ達と待機していた草原に立った。敵は二人で行動する。死体の兵士が消えた以上、ヤンという男の方が光の異能を持っている確率が高い。
 果たしてこの予想が吉と出るか、凶と出るか。刹那は草原で刀を鞘に納めて口で鞘の下緒さげおを解いた。
 下緒を解き終えた瞬間に二人の男が気配を察して樹海から出てきた。

「居たぞ!!」

 イタリア人の方は勝ち誇ったように笑って、広範囲に電撃を草原に放った。
 しかし、同時に刹那は姿を消す。
 電撃が不発に終わった男は、焦って刹那の気配を探す。

 背後からの静謐な声を伴ってきたのは、首への違和感と微量な酸素の通過も許さぬほどの凄まじい締め付けだった。

「侍が刀を振るっているだけだと思ったか? それなら考えを改めるべきだ。たった一本の紐でさえ立派な凶器となり得るのだとな……!!」

 男は口の端から溢れる涎を流しながら、首を絞めつける紐を爪で引っ掻いた。だが、刹那は一本背負いの要領で紐を強く引き、自身の肩に男の首を強打させる。ごきっと重い音がして、下緒を掻いていた男の手がだらりと下がると、急いで紐を手に収めて後方へ飛んだ。

 男の遺体の周辺には黒く焦げた円ができている。

「やはり死体使いと光を操るのは貴殿の方であったか」

 ヤンは、冷や汗が一滴、彼の輪郭をなぞって落ちた。

「……恐ろしい男だ。刀ばかりを警戒していたが、まさか絞殺するとは……」

「おかしなことを言う。殺し合いに手段がひとつだと思うのか? 殺し合いになんの決まりごとがある? 命を賭して戦うのならば使える物は使う。刀が通じないのならば、私はここに転がる石でも凶器にするぞ」

 刹那は適当に纏めて左手に握っていた下げ緒と刀から素早く刀を抜き払った。
ヤンもまた月光を刹那に向けるが、刹那はこれを刀身に反射させて光線の軌道を変える。

「……刀の不可視化を解いたのはこの為か……!!」

「如何にも。『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』だ。もっともこれは『負けない』為の教えだが、私は勝たせてもらうぞ――」

「やれるものならやってみろ!!」

 ヤンの光線が雨のように降り注ぐ。いくら刀身で反射させてかわしたところで、この豪雨のような光の中では無意味だ、とヤンは刹那の袖や袴の端が焦げるのを見て「勝てる!!」と笑った。

「下手な鉄砲は数を打てば当たると思うたか? たかが袖や袴が焦げたくらいで勝ちを確信したのなら殺し合いの経験の無さを嘆くことだな」

 ヤンの光の豪雨からどう抜け出たのか、刹那はヤンの右側面に回り込んで首を刺し貫いた。
 ヤンが反射的に上げた右手もかわされ、一度引き抜かれた刀を腰まで下げた刹那はそのままヤンの首を斬り落とす。

 ヤンの着物で血糊を拭うと「アーヤ」と呼ぶ。

「左文字達は合流したか?」

『ええ、今合流したわ。ヴェルサイユ方面にはルィアンさんが向かってくれて、その……』

 アーヤの言い淀んだ言葉を刹那は継いだ。

「ルイーズと葵は救いだしてくるゆえ手出しは無用、と言ったところか?」
『……そうなの。貴方、どう思う?』
 あのルィアンが動いた。ならば、可能性はひとつだ。

「ベレッチ枢機卿を殺すつもりだな。我々だと判明しては後々の処分が待ち受けているが、彼女なら存在もすべて闇の中だ――任せよう。万が一、ビニとベレッチ枢機卿が同時に屋敷にいるのなら、彼女らに任せた方が得策だ、と左文字達にも伝えてくれ」

『わかったわ』

 ルィアンが動く。
 枢機卿は教皇の次の地位に君臨するカトリックの重鎮だ。刹那はルィアンとベレッチには因縁めいたものを疑った。
 仮に両者の間でなにかあったとしても、それは刹那の領分ではない。そう結論づけて、刹那はブローニュの森から隠れ家への道を辿った。




 荘厳な屋敷全体に『黒蛇神ノワール』から吐き出された毒ガスが充満する屋敷の中を、腰まである輝くハニーブロンドを靡かせて、カツカツとヒールを鳴らしながら廊下を進むのは黒いイブニングスーツと眼帯を付けた女だ。屋敷の中には所々に使用人が倒れていた。
 女は、後方を懸命に付いてくるZEROに「おい、『白蛇神ブランシュ』と『黒蛇神ノワール』を私に返せ」とクラバットを外しながら命じた。

「……へいへい、ボス、本気ですか? 素顔さらしちゃって」

「少女二人をかどわかす神の僕とやらに鉄槌を下すのだ。こちらも畏敬の念は払って然るべきだろう」

 前半の「少女二人」の部分を強調する上司に、嘆息しながらZEROは白と黒の蛇を自身の右腕から彼女の左腕に移した。二匹の蛇は彼女の腕に絡まり、幽鬼のように姿を消した。

 そのまま廊下を道なりに歩き、ルィアンは白いドアを蹴破る。

「何者かね?」

 厳しい声でルィアンにそう問うたのは、チャコールグレーのナイトガウンを着た鷲鼻と禿頭を持った老人だった。
 ドアの陰に隠れているZEROは、中の遣り取りをひやひやとしながら聞き耳を立てる。今の間にルイーズと葵を救い出そうかと思ったが、二人も中のようだ。

「ふん、腐れた神の僕に名乗る名など持ち合わせておらぬわ。そこの少女二人は返してもらうぞ。私の憩いの場を蹂躙した罪は重い。マフィアとの癒着、異国人少女二人の誘拐を表に出されて教皇閣下の目を汚したくなくば、娘二人を返されよ――ベレッチ猊下」

 身長差でベレッチを見下ろすルィアンが引く様子はない。不遜な女にベレッチは「誘拐? それは随分な言いがかりだな」と酷薄な笑みを浮かべる。

「なんだと?」
「彼女らは神聖なる生贄に嘆願してきたのだよ。あるイタリア人の男と共になあ」

 イタリア人男がマデリカファミリーのボスであるビニであることは明白だ。そのビニは、パチパチと弾ける暖炉の灯りが届かない闇の中から、ルイーズと葵を後ろ手に捕えてルィアンの方へと投げて寄こした。

 二人に駆け寄ったルィアンが助け起こすと二人の眼は光が無く、眼の前のルィアンを見ようともしない。

 不意にビニから放たれた蹴りを左手で容易く止めたルィアンは隻眼でビニを睨みあげる。

「二人に何をした……?」

「ははっ、美人が怒ると迫力があるねえ。別に。ちょいと鎮静剤を軽く打っただけだ。しばらくは俺と猊下の言葉しか受けつかないがね」

 ベレッチは孫を甘やかすような声で、二人に「帰りたいのかね?」と尋ねた。二人は口々に否定の言葉を言葉を口にする。

「……いいえ、罪深き『業』を崇高なる神に捧げ、この穢れた身にマグダラのマリアのように神の子よりの洗礼をお与えください……」

 ルイーズの口から漏れた言葉はルィアンの怒髪天を突いた。
 部屋中の空気が張りつめ、ぴしっ、ぱしっと屋鳴りさえ起こる。

「なんだね、これは……」
「猊下、お下がりを。この女、タダ者じゃあない……!!」

 ルィアンは眼帯をむしり取ると、ルイーズと葵両者の腹を抉るように白蛇の腕を捩じ込んだ。
 そのまま立ちあがると、二人の腹から白蛇を抜く。
 途端に、ルイーズと葵は「あ、え……?」と正気を取り戻した。眼の前のスーツ姿のスレンダーな金髪美女は誰だろうと考えていると、本気で怒っている時の刹那にも似た迫力に萎縮する。

「ヴァチカンにも覚えていて頂こう。この私がこの世で最も忌み嫌うのはどんな高位の身であろうと下衆で無粋で無骨な男だとなあ!!」

 女の碧眼の瞳孔が具現化する。
 白黒まだらの身体から首だけが白と黒に分かたれた双頭の蛇は、金の逆さ十字に絡む。

 神々しい黄金の光を放ちながら逆さから正位置になった黄金の十字架に、ベレッチとビニはそれぞれ白と黒の蛇に喰らわれ、はりつけとなった。

 磔になった男二人に蛇は容赦なく足から始まり、徐々にその身体を食らっていく。

「やめ、やめろ……!!」
「うわあああ!!」

 耳障りだとばかりにルィアンは手を掲げ、無情にも二人の口を縫い付けた。蛇にじわじわとその身を喰われ続ける男二人は涙と鼻水まみれのまま、ルィアンに「……汚らわしいのはどちらだろうな」と吐き捨てて二人に背を向けた。

「あ、の……ルィアンさん、ですか……?」

「左様。さあ帰ろうか。まだこれで終わった訳では無い。まずは君達の身を案じている仲間に元気な姿を見せてやれ」

「はい。……あの、あの人達は……?」

 ルイーズと葵は、窓にただ磔となって恐怖に顔を歪め、泣き喚き続けている男達を一瞥した。

「終わらぬ幻影を見ているのだ。これまで犯した罪の分だけ、蛇は食らい続ける。朝陽が昇れば自然と消えよう――その時にあの二人の心まで生きているとは限らぬがな」

 さも当然だとばかりに笑った美女の笑みに、少女二人は身震いをした。

 これが『インフィニ』のボスの正体なのだ、と。

 扉の陰から出てきたZEROの顔を見るとほっとした。二人を労いつつ、部屋の中の惨状を見たZEROは苦笑するしかない。

「あちゃー……叫び声から予想はしていましたけど、ボス、手加減ないですね……」

「あの程度でぎゃあすか喚く雑魚に慈悲など無用だ。こんな狭いところでは全力を出せん」

「あんたが本気出しちまったら、パリが吹っ飛びますよ!!」

 ZEROの反論に、ルイーズはあれもまだルィアンの一端なのだとまた鳥肌が立った。

 ――初対面の時、刹那はルィアンの足元にも及ばないと言ったのを思い出した。

 天には円い月。知らぬが仏。ルイーズは、まだふらつく葵に手を貸しながらZEROが用意した馬車に乗り込んだ。

 胸のロザリオが消えていることに気づいたのは、馬車を降りてからのことだった。


★続...
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