KARMA

紺坂紫乃

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第四部 血染めの十字架篇

【番外編】「仮面舞踏会(マスカレード)」 前篇

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【番外編】「仮面舞踏会マスカレード」 前篇


 ちらちらと粟粒よりも儚い雪の日、左文字はシテ島の刑事部屋で温かいコーヒーを飲んでいた。

「お、久しぶりだな。サモンジ。またお偉いさんをルーヴルの壁にめり込ませたか?」

「ちっげーよ!! その過去の話、むしかえすのはてめえで四人目だぞ」

 よれたスーツ姿の老刑事は煙草で黄ばんだ歯を見せて、左文字をひやかしては去っていく。

「……ったく、さっさと続きを話せよ。アラン」

 むすっとしながらアランと呼ばれた刑事へ、八つ当たり半分に左文字は呼び出された話の先を促した。アランは「はははっ」と乾いた笑いを浮かべる。
 先輩の古株刑事らと対等に話す、眼の前の日本人の青年がとんでもない怪力の持ち主で、彼の相方と共に数年前まで暴れまわって留置所の常連だったのも懐かしい話だ。アランは今年で還暦を迎えるが、親子ほども歳が離れたアランを左文字は呼び捨てにする。相方と違って、敬語は使わない。アランもこの態度のでかい日本人とは飲み友達なので、気安く話す。

「ま、お前とセツナは俺らの間じゃあ有名人だからな。それで続きだったな、どこまで話したっけ?」

「ふざけてんのか。グランゼとかいう元伯爵邸に怪盗が予告状を出したって話だ!!」

「お、そうだった。歳は取りたくないねえ。本題はというと、三日後にその伯爵邸で行われる仮面舞踏会の警護を頼みたい。お前らの腕はよく知っているし、俺達みてえな常人よりも怪盗の捕獲と狙われている首飾りの警備も容易いだろう?」

 額をぺしりと叩いたアランの話を聞きながら、眉間の皺を徐々に深くする。

 そもそもの発端はジャン=ルネ・グランゼ伯爵邸の家宝である「マリー・アントワネット妃の首飾り」というダイヤが多分にあしらわれた首飾りを狙った予告状が届いた。この首飾りは鑑定士によると現在の百七十万フラン (現在の一億七千万円)に相当するという。警察の威信にかけても徹底した警護をしたいところだが、予告状を送った「怪盗ロベス・ピエール」は、かのフランス革命家の名前を名乗るふざけた名前だが、どうやら異能力者らしく、多数の被害届が出されて警察も頭を痛めていた。
 そこで白羽の矢が立ったのが、この怪力少年と相方の剣士であった。あの国際宗教テロ組織『クルセイダーズ』に属していた複数名の指名手配犯を殺した刀傷が刹那のものだと判明した。
 そして、刹那よりも飲み友達として呼び出しやすい左文字にこの話を持ち掛けたと言うわけだ。

「あいつの刀傷は御目こぼしじゃなかったっけ?」

「今回は特別だ。なあ左文字、頼む!! 報酬は出せねえが、グランゼ伯爵邸での舞踏会では好きに飲み食いしていいから!! 怪盗を捕まえられたら俺の実家が隠してる秘蔵のスコッチもタダで出してやるぜ!!」

「お、まじかよ。じゃあ、仲間にも話してみる」

 左文字の安請け合いの話を聞いたメンバーの反応は様々だった。



 刹那は「アラン警視の願いか……」と、どうせ酒好きの二人の約束なら上等のスコッチを奢るとでも言われたのだろうと、相方の行動パターンを呆れつつもピタリと言い当てる。巻き込まれることには慣れている。長年の付き合いが為せる技だ。
 アーヤとリチャードは当然ながら怒り、アンリと葵は縁の無い「仮面舞踏会」にきゃっきゃとはしゃぐ。
 ルイーズとデュークは無言で見守るに徹するが、デュークはパーティよりも、厨房の方を警備と称して覗く算段をつけている。

「パーティドレスなんか持ってないよ? デュークとリチャードくらいじゃない? ちゃんとした正装を持っているのって」

 アンリが左文字に問うと「その心配なら要らねえ」と言いきられた。

「アテがあるのか?」

 警視庁にこの人数分の衣装を貸し出してくれる経費など無いはずだ。左文字は目逸らして「ちょっとな」と曖昧に答えた。この時に是が非でも問い詰めるべきだった。
 刹那はほぼ裸に剥かれて採寸を受けながら口角をひくつかせる。

「やっだ。あんた、地味に見えるけど、磨けば光るタイプよ。断然好みだわ!!」

「賛辞はありがたいが……私は生粋のストレートなので、採寸に乗じてさりげなく尻だの太ももを撫でるのはやめてくれるか。ムッシュウ・エヴァン」

 左文字が連れてきたのは一組の男女だった。現在、刹那の採寸をしているレイモン・エヴァンとマリア・フロッツは、服飾界ではフランス一、二を争う人物だそうだ。それを聞かされた時は、どこでそんな人脈を培ったのかと思えば、なんのことはない。モンマルトルの裏通りで酒の飲み比べで潰して以来の友人だと左文字は言いきった。もうあそこまで悪気もなく開き直られたら付き合うしかない。
 そして、モンマルトルの裏通りと言えば、セクシャル・マイノリティ達の集う場所である。レイモンも例に漏れず、黒い口髭を蓄えた見た目は紳士、中身は淑女だった。一目で刹那を気に入ったレイモンににやりと笑い、左文字は採寸している男部屋に顔を出した。

「よお、レイモン。どうよ、うちの相方は」

「最高よ、サモンジ。食べちゃいたいわ」

「それはやめておけ。三枚におろされるぜ」

「……今はお主を三枚におろしたいぞ」

 ちゃっかり自身はルイーズに採寸をして貰った左文字は、一枚の紙片をレイモンに投げると颯爽と去って行った。その紙片には左文字のサイズが書かれている。刹那は「あやつは一度、真剣にお灸をすえるか」と採寸の苦行に耐えながら青筋を立てた。

 刹那だけは採寸が通常の倍以上かかり、終わった後の彼は過去最高に疲れた表情をしていた。だが、左文字の顔を見るなり目を獣のように光らせ、室内にも拘わらず『籠釣瓶』を抜きかけて二人でじりじりと間合いを読み合っていた。


 
 問題の舞踏会当日、葵が目を潤ませて両手で口を押さえていた。

「……刹那さん……とても、とてもお似合いです!! かっこいい……!!」

「首元がいささか苦しい上に、前髪をがっちり上げられて落ち着かぬがな。葵とルイーズもよく似合っているぞ」

 刹那と左文字の滅多にない洋正装に、女性陣も大人っぽいアーヤ以外の二人は対人形のようにルイーズはピンクの腰が細いふんわりと鳥籠型のスカート、葵はそれの水色版である。

「ふうん」
「なによ」
「いや、胸がでかいのが協調されて良いなと思って――ぶっ!!」

 刹那と同じくイヴニングに身を包んだ左文字も前髪を上げて、正装姿でアーヤをじろじろと眺めていた。
 葵やルイーズと違って、コルセットを使わずに身体のラインに沿った黒いレースとビジューをあしらったドレスのアーヤは髪も纏め上げられて、艶美なことこの上ない。
 左文字はそう褒めたつもりだったのだが、語彙の選びに問題があったせいで顔面に拳を叩きこまれていた。殴られたばかりの左文字に、刹那までも「ちゃんとエスコートしろ」と後頭部をはたかれて渋々アーヤに白い手袋をした右手を差し出す。アーヤも手負いの獣のように遠慮がちにその手を取った。

「……なんであの二人はいつまで経っても恥じらいが抜けないの?」

 自然とできあがった刹那と葵、リチャードとルイーズの二組と左文字らを比べて、車いすのアンリが嘆息する。アンリの車いすを押すデュークは「恥じらうアーヤが貴重だと思えば児戯に等しいと思える」と外套マントを翻して、馬車に乗り込んだ。



 モンマルトルの補修工事の間の隠れ家だった十六区の閑静な高級住宅街にグランゼ伯爵邸はあった。
 「仮面舞踏会マスカレード」ということで全員が煌びやかな飾りがふんだんに使われた仮面をつけて、邸宅に招き入れられた。
 内部のダンスホールでは香水と化粧の匂いが漂い、淑女の潜められた笑い声が響く。真っ先にダンスホールの端にある料理に飛びついたアンリとデュークが目的を見失ってはいないかが心配だ。

「グランゼ伯爵に警視は話をとおしてあるのだろうな?」

「アランはそう言っていたが、この仮装まみれじゃあ、どれが伯爵かわかんねえよ」

 今夜の刹那は見えないのを良いことに『籠釣瓶』を腰に差してはいるが、イヴニングスーツなど慣れない姿でいつもの動きができるかは怪しかった。

「左文字……先日、ヴィドックとやらの『回想録』を読んだだろう。コナン・ドイルもだ」

 ミステリー小説好きの左文字、都合よく舞い込んできた「怪盗」を名乗る泥棒の話――刹那は「やはりか」と顔を背ける相方に溜息が禁じられない。アーヤも気づいたようで、左文字の頬をつねっていた。

「なにか関係があるのですか?」

 葵がひそりと尋ねてくる。隣の葵に刹那は詳しい説明を始めた。

「フランソワ・ヴィドックとは、今から七十年ほど前に泥棒から一転。警視庁のスパイを経て、今の警視庁の重鎮となった人物でな。その生涯を『回想録』という題名で出版しているのだ。コナン・ドイルという作家も左文字が好きなミステリー小説家で……要約すると「怪盗」などというふざけた泥棒から守るというミステリー小説のような話に興味を持って、この話を引き受けたのだよ。あの単純男は」

「つまりは楽しそうな話だったから、左文字さんは刑事さんのご依頼を受けたということですか?」
「そういうことだ」

 そして酒にもつられた、と。
 生真面目なくせに、こういうところはまだ子供じみている左文字に、刹那はどうお灸をすえたものかと頭の中で考えを巡らせる。
 しかし、グランゼ伯爵の下に予告状が届いたのは事実だ。くだんの「怪盗」が実在し、異能力を使って犯行を重ねていることも、だ。

「やはり伯爵を探して、話を聞くのが先決――」

 刹那がそう提案した時、ダンスホールのシャンデリアが消え暗闇に包まれる。ほうぼうから女性の悲鳴やざわめきが立つ。

 刹那はこの場にはそぐわないほのかな林檎の匂いを嗅ぎ取った。
 
 仮面のまま、声を潜めて左文字を呼んだ。暗闇の中でも、声音で彼も林檎の香りに気づいたことがうかがい知れる。

「葵、アーヤ、ここを動くな。左文字、行くぞ」
「おう」

 葵の眼は異能力が見抜けない。刹那は左文字と共に硝煙の匂いを追ってダンスホールから庭園へと出た。

 泥棒がなぜ林檎の匂いなどさせるのか――。

 今日の料理にも林檎は使われてはいない、と後から追ってきたアンリとデュークに確認を取った。
 たった一つの手がかりを握ったまま、刹那と左文字は庭園の緑に身を潜めた。


★続…
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