4 / 69
分裂マトリョーシカ
第4話
しおりを挟む
小林は恵比寿に向かって、勝ち誇ったように邪悪な笑みを浮かべている。
「…………」
何が起こっているのかさっぱり分からないが、どうやら恵比寿を追い詰めていることには間違いないようだ。
「答えないということは、降参と考えて宜しいですか? 恵比寿さん」
「くッ」
恵比寿は大量の豆板醤で真っ赤に染まった、最早食べ物ではなくなってしまったものを未練がましく見詰めていた。
「無駄ですよ。貴方の負けです。もう貴方の使った手品のタネはすっかり分かっています。貴方に隠された小達磨を見つけることが出来たトリック。それはこのドブ川を流れるヘドロのように濃いラーメンにあった」
小林は自分のラーメンをズルズルと勢い良く平らげてしまうと、底に残ったスープを傾けた。
「見て下さい、丼の底に『16』という数字が書いてあります。貴方はこの丼の底の数字を見て、小達磨の在り処を当てていたのです。恐らく数字は達磨の大きさの順を表していたのでしょう」
「ぐゥ」
なるほど。だから恵比寿は小達磨を見つける前に、必ずラーメンを平らげていたのだ。丼の底なら持ち上げてスープを飲むときに、自然に数字を確認することが出来る。また、スープを少し残しておくことで、丼をカウンターに置いていても底にある数字を隠すことが出来るというわけだ。
「店内の丼の数が幾つかは知りませんが、小達磨を隠せる達磨の数は11です。つまりこの店のご主人は恵比寿さんに1~11の番号のついた丼を渡せばいい。他の客には12以上の丼を使えば勝負に支障は出ません」
「ということは小林、店主は恵比寿さんと共謀していたのか?」
それはどうも釈然としない。そんなことをしたところで達磨軒の店主に利益があるとは思えないからだ。ただの悪戯にしては手が込み過ぎている。
「そこがこのトリックの実に面白い点だよ、鏑木。恵比寿さんは私の推理通り、本物の牧師ではなかった。お金だって本当は持っていないのではありませんか?」
そう問われても恵比寿は柳のように項垂れたまま、ピクリとも動かない。
「恐らく、恵比寿さんは無銭飲食の常習犯か何かだったのでしょう。そしてそのことをご主人はよく知っていた」
「おいおいちょっと待ってくれよ、それなら普通警察に突き出すとか、少なくとも出禁にくらいなるだろう?」
「ところがそうはならなかった。恵比寿さんは偽者とはいえ聖職者の格好をしているのです。牧師様がそんなことになっては忍びない。毎週日曜日に教会に通う敬虔なクリスチャンでなくとも、そんなことを考える客が店内に一人くらいいてもおかしくはありません」
「そうか」
つまりあの黒尽くめの格好は、物乞いする為の衣装だったというわけだ。
「しかしそうは言っても、毎回都合よく食事を恵んでくれる人が現れるとも限らない。そこで恵比寿さんは考えました。達磨軒のご主人と利害を一致させる方法を。それが今回のこの勝負でした」
「待ちな嬢ちゃん! 何だってアタシがそこの柳みてェな貧相な野郎と利害が一致するんでェ!」
突然声を荒げたのは達磨大師のような髭の店主である。
……何だ。喋れたのか。
「簡単なことです。単純に考えてみるといいでしょう。金を持っている鏑木と、無銭飲食の常習犯である恵比寿さん。ご主人にとって、どちらが勝った方が都合がいいでしょうか?」
考えるまでもない。つまり恵比寿は自分が金を持っていないことをアピールした上で、店主に自分を勝たせるように協力させていたのだ。
盗人猛々しいとは正にこのことである。
「それだけではありません。恵比寿さんとの勝負で頭に血が昇った鏑木は、最初の勝負から毎日達磨軒に足を運ぶようになりました。鏑木以外にもあと何人かそういう客がいたとするなら、ご主人にとってもそう悪いことばかりではなかった筈です」
ゴトン。
そのとき、先刻まで項垂れていた恵比寿が椅子ごと転げ落ちた。恵比寿は口から泡を噴いて倒れている。
「恵比寿さん?」
「大変だ。鏑木、今すぐ救急車を!」
〇 〇 〇
その後、恵比寿は救急車で近くの病院まで搬送され、無事一命を取り留めた。原因は単なる食べ過ぎだったのだという。
後で分かったことだが、恵比寿は俺以外にもう五人とあの勝負をしており、達磨軒のドロドロのラーメンを一日三食以上食べていたらしい。倒れるのも無理からぬことだった。
「いやー、食った食った」
事務所までの帰り道、小林は満足そうに腹をポンポンと叩いている。とても年頃の娘とは思えない行動だ。
「これで当面の間、鏑木が飢えて餓死する心配はなくなったわけだ。めでたしめでたし」
「…………」
俺は小林の隣で大きく溜め息を吐く。
恵比寿と勝負をしていた他の五人にイカサマが発覚することを恐れた達磨軒の主人は、迷惑料及び口止め料として、俺と小林にラーメン一年間無料チケットを渡したのだった。
今思えば、小林が店内を人払いしたのはこの為だったのだろう。全ては小林の描いたシナリオ通りに運んだというわけだ。
呆れるのを通り越して、もはや感心する他ない。
俺はそんな小林に対して、多分これからもずっと頭が上がることはないのだろう。
「…………」
何が起こっているのかさっぱり分からないが、どうやら恵比寿を追い詰めていることには間違いないようだ。
「答えないということは、降参と考えて宜しいですか? 恵比寿さん」
「くッ」
恵比寿は大量の豆板醤で真っ赤に染まった、最早食べ物ではなくなってしまったものを未練がましく見詰めていた。
「無駄ですよ。貴方の負けです。もう貴方の使った手品のタネはすっかり分かっています。貴方に隠された小達磨を見つけることが出来たトリック。それはこのドブ川を流れるヘドロのように濃いラーメンにあった」
小林は自分のラーメンをズルズルと勢い良く平らげてしまうと、底に残ったスープを傾けた。
「見て下さい、丼の底に『16』という数字が書いてあります。貴方はこの丼の底の数字を見て、小達磨の在り処を当てていたのです。恐らく数字は達磨の大きさの順を表していたのでしょう」
「ぐゥ」
なるほど。だから恵比寿は小達磨を見つける前に、必ずラーメンを平らげていたのだ。丼の底なら持ち上げてスープを飲むときに、自然に数字を確認することが出来る。また、スープを少し残しておくことで、丼をカウンターに置いていても底にある数字を隠すことが出来るというわけだ。
「店内の丼の数が幾つかは知りませんが、小達磨を隠せる達磨の数は11です。つまりこの店のご主人は恵比寿さんに1~11の番号のついた丼を渡せばいい。他の客には12以上の丼を使えば勝負に支障は出ません」
「ということは小林、店主は恵比寿さんと共謀していたのか?」
それはどうも釈然としない。そんなことをしたところで達磨軒の店主に利益があるとは思えないからだ。ただの悪戯にしては手が込み過ぎている。
「そこがこのトリックの実に面白い点だよ、鏑木。恵比寿さんは私の推理通り、本物の牧師ではなかった。お金だって本当は持っていないのではありませんか?」
そう問われても恵比寿は柳のように項垂れたまま、ピクリとも動かない。
「恐らく、恵比寿さんは無銭飲食の常習犯か何かだったのでしょう。そしてそのことをご主人はよく知っていた」
「おいおいちょっと待ってくれよ、それなら普通警察に突き出すとか、少なくとも出禁にくらいなるだろう?」
「ところがそうはならなかった。恵比寿さんは偽者とはいえ聖職者の格好をしているのです。牧師様がそんなことになっては忍びない。毎週日曜日に教会に通う敬虔なクリスチャンでなくとも、そんなことを考える客が店内に一人くらいいてもおかしくはありません」
「そうか」
つまりあの黒尽くめの格好は、物乞いする為の衣装だったというわけだ。
「しかしそうは言っても、毎回都合よく食事を恵んでくれる人が現れるとも限らない。そこで恵比寿さんは考えました。達磨軒のご主人と利害を一致させる方法を。それが今回のこの勝負でした」
「待ちな嬢ちゃん! 何だってアタシがそこの柳みてェな貧相な野郎と利害が一致するんでェ!」
突然声を荒げたのは達磨大師のような髭の店主である。
……何だ。喋れたのか。
「簡単なことです。単純に考えてみるといいでしょう。金を持っている鏑木と、無銭飲食の常習犯である恵比寿さん。ご主人にとって、どちらが勝った方が都合がいいでしょうか?」
考えるまでもない。つまり恵比寿は自分が金を持っていないことをアピールした上で、店主に自分を勝たせるように協力させていたのだ。
盗人猛々しいとは正にこのことである。
「それだけではありません。恵比寿さんとの勝負で頭に血が昇った鏑木は、最初の勝負から毎日達磨軒に足を運ぶようになりました。鏑木以外にもあと何人かそういう客がいたとするなら、ご主人にとってもそう悪いことばかりではなかった筈です」
ゴトン。
そのとき、先刻まで項垂れていた恵比寿が椅子ごと転げ落ちた。恵比寿は口から泡を噴いて倒れている。
「恵比寿さん?」
「大変だ。鏑木、今すぐ救急車を!」
〇 〇 〇
その後、恵比寿は救急車で近くの病院まで搬送され、無事一命を取り留めた。原因は単なる食べ過ぎだったのだという。
後で分かったことだが、恵比寿は俺以外にもう五人とあの勝負をしており、達磨軒のドロドロのラーメンを一日三食以上食べていたらしい。倒れるのも無理からぬことだった。
「いやー、食った食った」
事務所までの帰り道、小林は満足そうに腹をポンポンと叩いている。とても年頃の娘とは思えない行動だ。
「これで当面の間、鏑木が飢えて餓死する心配はなくなったわけだ。めでたしめでたし」
「…………」
俺は小林の隣で大きく溜め息を吐く。
恵比寿と勝負をしていた他の五人にイカサマが発覚することを恐れた達磨軒の主人は、迷惑料及び口止め料として、俺と小林にラーメン一年間無料チケットを渡したのだった。
今思えば、小林が店内を人払いしたのはこの為だったのだろう。全ては小林の描いたシナリオ通りに運んだというわけだ。
呆れるのを通り越して、もはや感心する他ない。
俺はそんな小林に対して、多分これからもずっと頭が上がることはないのだろう。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
13
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる