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湯を沸かして水にする
第7話
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404号室の死体は結局自殺として処理されるようだ。俺は簡単な事情聴取を受けただけで解放され、報酬の五十万円を手に入れた。
何だか狐に摘ままれたような気分である。
そのまま直帰しようとしたところで再びスマホが震える。今度は小林からだ。お化けは怖くても、やはりこの件が気になったらしい。
「鏑木、無事か?」
「ああ、俺は何ともないよ。そんなことより……」
俺は浴室で発見した西條《さいじょう》アキラの死体の様子と、浴槽になみなみと張られていた湯のことを話した。
「……なるほど、大体事情は把握した。鏑木、今すぐ404号室に戻って桶狭間警部に伝えてくれ。これは自殺なんかではない。殺人事件だ」
「へ?」
俺は思わず間の抜けた声が出てしまう。
「それはどういうことだよ小林?」
「まだ気付かないのか? お前は田原に利用されたんだよ」
小林の声が鼓膜を通り過ぎても、脳が情報を上手く処理できない。
「そもそも向こうから日時を指定しておいて、当日になって急用で来れないというところからして妙ではないか。田原は最初からお前と一緒に404号室に行く気などなかった。そして事故物件の調査という依頼の真の目的は、お前を死体の第一発見者にすることだったのだ」
「俺に死体を発見させて、それで田原にどんなメリットがあるんだよ?」
「自殺に偽装してはいるが、万が一のときの為にアリバイが欲しかったのだろう。お前の話では死体発見時、西條アキラの死体は死後三十分以内だったというじゃないか。名古屋にいる田原には、西條アキラを練炭自殺にみせかけて殺すことは不可能だ」
「なるほど」
確かに俺が偶然あのタイミングで404号室を訪ねなければ、西條の死亡推定時刻はここまで正確に絞れず、田原にはっきりしたアリバイはなかったかもしれない。
「だが、田原が名古屋にいたことは事実なんだろう?」
俺は電話で話しただけだが、そんなことは警察が後で裏を取るに決まっている。すぐに見破られる嘘をつくことに意味はない。
「それはまァそうだな」
これには小林も反論しない。
「それじゃあ田原にアリバイがあることは確かなんじゃないのか?」
「そんなことはない。浴槽の中の湯。田原のアリバイを崩す鍵はそこにある」
「…………」
俺も浴槽に張られた湯については不自然だと考えていた。しかし本当にそれだけで田原のアリバイが崩せるのか?
「田原の行動を順を追って説明しよう。まず田原は甥のアキラを薬で眠らせて浴室に運ぶ。このとき、自殺に見せかける為に石炭をたっぷり入れた七輪に火を入れる。そして、浴室を締め切って浴槽に湯を溜める」
「何の為に?」
「浴槽に溜まった湯は蒸発して気体になり、天井まで上昇する。天井まで上った水蒸気は冷えて液体に戻り、水滴となる」
「あッ!」
俺は思わず声を上げる。
――浴槽の湯は時限装置だったのだ。
「そして、田原は眠らせたアキラを巨大なシャボン玉で覆っていた」
「シャボン玉?」
「浴室に充満していた煙は、このシャボンのバリアの中には入らない。つまり、シャボン玉の中だけが綺麗な空気のある安全地帯となる。しかし天井から落ちてくる水滴でバリアは破られ、アキラは一酸化炭素中毒で結局死ぬことになる。これが田原の仕掛けたアリバイトリックだ」
なるほど。このトリックを成功させるには、事前に何度も実験を繰り返す必要があるだろうが、あのマンションは田原の所有物なのだ。同じ条件で何度も実験することも充分可能である。
「浴室を詳しく調べればトリックの痕跡が見つかる筈だ」
「とはいっても、浴室に石鹸の泡が残っていても普通のことじゃないか?」
「その通り。そこがこのアリバイトリックの良く出来ている点だ。だがそう簡単に割れるようなシャボン玉ではトリックに使えないだろうから、グリセリンか砂糖をシャボン液に混ぜている可能性が高い。それに仮に浴室に証拠が残っていなかったとしても、奴のアリバイは既に破られたも同然。死亡推定時刻の二時間前の田原の行動を付近の防犯カメラや目撃情報で抑えれば、チェックメイトだ」
――圧巻。
ものの五分もしない間に本当に田原の鉄壁のアリバイを崩してしまった。
「でも小林、田原は金払いのいい上客だぞ。それに俺は死体の第一発見者にはなったが、警察から厳しい取り調べを受けたわけでもないし、何らかの損害を被ったわけでもない」
「……鏑木、お前何が言いたい?」
「見逃してやってもいいんじゃないか?」
電話の向こうから溜息が聞こえる。
「これだからお前は三流なのだ。依頼人に騙されて犯罪の片棒を担がされる探偵がどこにいる? あまつさえ、それに気付いていながら目を瞑るなど探偵の風上にも置けない奴め。恥を知れ、恥を!」
何だか狐に摘ままれたような気分である。
そのまま直帰しようとしたところで再びスマホが震える。今度は小林からだ。お化けは怖くても、やはりこの件が気になったらしい。
「鏑木、無事か?」
「ああ、俺は何ともないよ。そんなことより……」
俺は浴室で発見した西條《さいじょう》アキラの死体の様子と、浴槽になみなみと張られていた湯のことを話した。
「……なるほど、大体事情は把握した。鏑木、今すぐ404号室に戻って桶狭間警部に伝えてくれ。これは自殺なんかではない。殺人事件だ」
「へ?」
俺は思わず間の抜けた声が出てしまう。
「それはどういうことだよ小林?」
「まだ気付かないのか? お前は田原に利用されたんだよ」
小林の声が鼓膜を通り過ぎても、脳が情報を上手く処理できない。
「そもそも向こうから日時を指定しておいて、当日になって急用で来れないというところからして妙ではないか。田原は最初からお前と一緒に404号室に行く気などなかった。そして事故物件の調査という依頼の真の目的は、お前を死体の第一発見者にすることだったのだ」
「俺に死体を発見させて、それで田原にどんなメリットがあるんだよ?」
「自殺に偽装してはいるが、万が一のときの為にアリバイが欲しかったのだろう。お前の話では死体発見時、西條アキラの死体は死後三十分以内だったというじゃないか。名古屋にいる田原には、西條アキラを練炭自殺にみせかけて殺すことは不可能だ」
「なるほど」
確かに俺が偶然あのタイミングで404号室を訪ねなければ、西條の死亡推定時刻はここまで正確に絞れず、田原にはっきりしたアリバイはなかったかもしれない。
「だが、田原が名古屋にいたことは事実なんだろう?」
俺は電話で話しただけだが、そんなことは警察が後で裏を取るに決まっている。すぐに見破られる嘘をつくことに意味はない。
「それはまァそうだな」
これには小林も反論しない。
「それじゃあ田原にアリバイがあることは確かなんじゃないのか?」
「そんなことはない。浴槽の中の湯。田原のアリバイを崩す鍵はそこにある」
「…………」
俺も浴槽に張られた湯については不自然だと考えていた。しかし本当にそれだけで田原のアリバイが崩せるのか?
「田原の行動を順を追って説明しよう。まず田原は甥のアキラを薬で眠らせて浴室に運ぶ。このとき、自殺に見せかける為に石炭をたっぷり入れた七輪に火を入れる。そして、浴室を締め切って浴槽に湯を溜める」
「何の為に?」
「浴槽に溜まった湯は蒸発して気体になり、天井まで上昇する。天井まで上った水蒸気は冷えて液体に戻り、水滴となる」
「あッ!」
俺は思わず声を上げる。
――浴槽の湯は時限装置だったのだ。
「そして、田原は眠らせたアキラを巨大なシャボン玉で覆っていた」
「シャボン玉?」
「浴室に充満していた煙は、このシャボンのバリアの中には入らない。つまり、シャボン玉の中だけが綺麗な空気のある安全地帯となる。しかし天井から落ちてくる水滴でバリアは破られ、アキラは一酸化炭素中毒で結局死ぬことになる。これが田原の仕掛けたアリバイトリックだ」
なるほど。このトリックを成功させるには、事前に何度も実験を繰り返す必要があるだろうが、あのマンションは田原の所有物なのだ。同じ条件で何度も実験することも充分可能である。
「浴室を詳しく調べればトリックの痕跡が見つかる筈だ」
「とはいっても、浴室に石鹸の泡が残っていても普通のことじゃないか?」
「その通り。そこがこのアリバイトリックの良く出来ている点だ。だがそう簡単に割れるようなシャボン玉ではトリックに使えないだろうから、グリセリンか砂糖をシャボン液に混ぜている可能性が高い。それに仮に浴室に証拠が残っていなかったとしても、奴のアリバイは既に破られたも同然。死亡推定時刻の二時間前の田原の行動を付近の防犯カメラや目撃情報で抑えれば、チェックメイトだ」
――圧巻。
ものの五分もしない間に本当に田原の鉄壁のアリバイを崩してしまった。
「でも小林、田原は金払いのいい上客だぞ。それに俺は死体の第一発見者にはなったが、警察から厳しい取り調べを受けたわけでもないし、何らかの損害を被ったわけでもない」
「……鏑木、お前何が言いたい?」
「見逃してやってもいいんじゃないか?」
電話の向こうから溜息が聞こえる。
「これだからお前は三流なのだ。依頼人に騙されて犯罪の片棒を担がされる探偵がどこにいる? あまつさえ、それに気付いていながら目を瞑るなど探偵の風上にも置けない奴め。恥を知れ、恥を!」
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