連合艦隊転成記

石崎 蒼次郎

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開戦

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1941年、大日本帝国は開戦の危機に直面していた。
松岡外務大臣の必死の呼び掛けもむなしく、
南京政府の非公認および中国からの無条件撤兵を国連からは要求され、アメリカ イギリス 中国 オランダからの資源供給の停止、いわゆるABCD包囲陣による、日本国内の資源、主に石油などの燃料が枯渇される事を懸念し、この危機から脱するため、国連からの要求を無視し、アメリカへ戦争を仕掛け、大打撃を与えたのちに、和平という、案が出ていた、しかし当時の首相東条英機は、天皇陛下のご意向に反するとの理由で廃案とし、1942年7月国連の要求を飲み、中国から全面撤兵および南京政府を解体とした。
これにより、日本の国益は減少し、同年11月発生した関東地方大地震により国力が低下したが、戦争という最悪な事態は避けられ事なきことを得た。
一方、第1次世界大戦において敗戦国となり多額の賠償金を課せられ国力は低下し、国内情勢も不安定な状況が今なお、続いていたドイツでは、ヒトラーを党首とするドイツ労働者党が、ドイツの若者の絶大な支持をうけ、急成長していた。

そして、1943年1月、ドイツ労働者党はミョンヘンにてクーデターを敢行しその日の内にドイツの政権は、ドイツ労働者党あらためナチスが握ったのであった。
同年3月ドイツの長い年月の技術の遅れや、軍事的協力を基に日本とドイツによる、日独協力同盟が交わされた。
しかし、長い年月の技術の遅れがあるものの、ナチスが政権をとった後の急成長を危険視する国は少なくなく、そのなかにアメリカ イギリスなどの主要国がいた。
1945年は、兵器の革命が起きたのだった。
ドイツと日本が共同で開発していたジェットエンジン技術が発明されたのだった。
他国も全く開発していなかった訳ではないが、かねてより構想を持っていた両国の開発速度が早いのも必然的だった。
そのころ、裏では大陸間弾道ミサイルの開発もドイツのフォン・ブラウン博士によって進められていた。

1946年5月世界で大きな動きがあった。
アメリカ、イギリス、中国が海洋進出や植民地獲得の動きが活発化したのであった、東南アジアの国々やアフリカはみるみる植民地となった。
同年8月、日本とドイツそして以後同盟に参加するイタリア及び、オーストリアがベルリンに集まりアメリカ イギリスなどのかつての列強の暴走についての対策は、話合われた、のちにこの会談はベルリン平和会談と言われた。
会談では
全会一致で、1947年にドイツ イタリア オーストリアでイギリスに、日本と一部のドイツはアメリカへ宣戦布告する事が取り決められた。

そして、1947年12月7日ヨーロッパでは、ドイツ オーストリア イタリアの連合軍が宣戦布告と同時に奇襲し、日本は帝国海軍兵力を結集させ大艦隊をもって第一のターゲットとなるアメリカの大型基地の真珠湾へと艦隊を向かわせた。
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