僕と雨

辻川優

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僕と雨

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 僕は、雨の日が好きだ。
 ずっと家の中にいても、許されるような気がするから。
 僕は、雨の日が好きだ。
 外に出なくても、世界からの疎外感がないから。
 
 今日は、朝から雨だ。予報では一日中、雨はやまないらしい。学校がある日に雨が降るのは少し嫌だけれど、今日みたいな休日に雨が降るのは嬉しい。
 一度、僕が唯一友達と言える木村君にそう話したことがある。木村君は「雨だと遊びに行きにくくなるじゃん」と答えた。行きにくくなる、ということは雨の日でも遊びにこともあるということだろうか。
 木村君と僕はどうやら根本から違うらしい。実際、木村君とは学校で話すくらいで、プライベートで遊びに行ったことは数える程度しかない気がする。 
 学校でしか仲良くなれない僕たちの関係を、何と表現したらいいのか、僕の貧困な頭では考えつかない。ただ、こんな僕とも普通に話してくれる木村君が優しい人だということは、こんな僕でもわかる。
 僕は、人と関わることが苦手だ。
 それに気づいたのは、中学生の時だった。通っていた中学校は、三つの小学校が合併してできていた。今まで、保育園からずっと一緒だった友達と和気藹々としながら過ごしてきた僕は、知らない人が増えた中学校という世界になじむことが困難だった。
 気が付けば、小学校時代の友達も次第に新しい友達を作り始めて、その流れに乗れなかった僕はだんだんと孤立していった。 
 そんな僕に対して、昔のように接してくれる唯一の人間は木村君だけだった。木村君がどんな人かと尋ねられても、正直答えるのは難しいのだけれど、一つだけ言えるのは周りに流されない人だった。
 そんな木村君だからこそ、高校生になってまで僕と関わりを持ってくれていたんだと思う。きっと、木村君の中で、僕は小学生の時から何一つ変わっていない。
 
 今日みたいに雨がやまないと分かっている日は、不思議と気持ちが落ち着いていた。基本的に休日は小説を読んで過ごすのだけれど、からからと晴れた日は気持ちが滅入って上手く小説の中に入り込めない。今日のようにしんしんと、まるで雲が涙を流しているんじゃないかと錯覚するような雨の日は自然と小説の中に入っていける。そんな僕は少し気持ちが高揚した。
 普段通り、勉強机に腰かけて降り注ぐ雨を映している窓に身体を向けながら、小説の中に入っていく。昨日から読み始めたミステリー小説は、なかなか僕の好みと合っていた。現実であってもおかしくなさそうだけど、現実ではまず起こりえないだろうというような、歯切れの悪い作品。そんな感じなのだが、小説を読むことと現実逃避に同じ意味合いを持たせている僕には、このくらいが丁度良かった。

 程よく小説を読み進めて、いったん小説を閉じる。窓から外を見渡すと、まだ雨は降り続いていた。
 晴れの日はあまり外へ出たくない。でも、雨の日なら少しくらい外へ出てもいいんじゃないかと思う。そう思うのには、ちょっとした理由があるのだけれどあんまり話したくはない。
 今日は外に出てもいいかな。ふと、そんなことを考える。もう一度、外を眺めてみる。小さな雨粒が、消えないように、消えないようにと自らを搾り続けているようだ。こんなに悲しそうに降るのなら無理しなくてもいいのにとも思うが、なんだか自分の気持ちと類似している気がして、少しだけ今日の雨が近しく感じた。
 いつも通りの大したことないパーカーとジーンズに四肢を通し、家から出る。今日の雨は想像以上に優しく、心なしか儚い。雨の日、僕が家を出て向かう先はだいたい二つに絞られる。一つ目は少し歩いた先にある本屋。本を読みことしか趣味のない僕は、人より本を消費するペースが速い。それで、仕方なしにほぼ毎週本屋に通っている。でも、今日行こうとしているのは本屋ではない。そう、二つ目の目的地だ。
 優しく降りしきる雨を浴びながら歩くのもいいが、濡れると面倒なので渋々傘を差した。
 本屋と反対方向に向かって足を運ぶ。家の屋根、公園の遊具、草木、アスファルトに「さー」と音を立てながら雨粒が砕ける。
 その「さー」という音が雨の声のような気がして、耳を傾ける。そうすると雨粒一滴一滴の落ちる音が違う風に感じて、雨と会話をしている気分になる。そして同じように僕の指している傘にも雨が降り注ぐ。
 ぽつぽつと雨粒が僕にも話しかけてきた気がして、心の中で軽く会話をする。当たり前だけど雨が何を言っているか分からないので、独り言のようになってしまう。
 何を、訴えかけているんだろう。僕は時々、聞こえるはずのない声が聞けたらいいなと思う。そんなファンタジーの世界に入ったような妄想を繰り広げている僕は、結局現実から逃げたいだけなのだと思って、また自分に幻滅する。
 現実から目を背けようとしている僕にとって、太陽の光はまぶしすぎるのかも知れない。必要以上に現実を明るく映すから、僕は太陽が嫌いだ。晴れた日が嫌いだ。
 そしてもう一つ、太陽が嫌いな理由がある。
 それは、あの日を思い出すから。あの明るさを思い出すから。
 思い出してしまうと、いくら晴れた暖かい日でも僕の心は曇って、知らぬ間に雨が降り出してしまう。そんな自分を見ていると、晴れた日に僕みたいな人間が外に出ているのは不釣り合いに思えてくるのだ。だから、僕は太陽が嫌いだ。いや、実際に嫌いなのは僕自身なのかもしれない。そんなこと、自分でも薄々気が付いている。
 木でアーチを描かれたような階段を上ると、僕の目的地にたどり着く。本屋以外に僕が行く唯一の目的地。それは墓地だ。
 雨が降っているのは分かっているけど、あえて柄杓に水を溜める。これは僕なりの遊び心なのだけれど、やられてる方はたまらないかもしれない。柄杓をもって一つの墓石に向かう。雨ということもあって、今日墓参りに来ている人は僕だけのようだ。普段から雨の日しか墓参りに来ない僕は、この墓地で誰かにあったことがない。まあ、実際会いたくはないのだけれど。
 目的の墓石に辿り着き、僕はそっと呼びかける。
 「木村君、久しぶりだね」
 そこに眠っているのは、僕の唯一の友達。木村君だ。
 木村君は、四か月前に亡くなった。木村君がいなくなったせいで、僕は学校で誰とも話さない日々を送ることになったけど、そんなことはどうだっていい。ただ、木村君がいなくなって、僕の世界から光が消えた。
 木村君は、僕にとって太陽だった。あの暖かく、優しい光に僕は何度救われただろう。あの暖かさを思い出すから、僕は太陽が嫌いだ。
 
 僕は高校に入って、虐められることが多くなった。もうどうにでもなってしまえ。そう思っていた僕に、手を差し伸べてくれたのは木村君だった。
 木村君とは、結局小学校から高校まで一緒だったけど、まともに話すようになったのは高校からだ。
 初めはたまたま知っているのが僕しかいなかったからだと思っていた。でも、僕が陰口を言われたとき、毎回傍にいてくれた。何かを取られたとき、取り返してくれたのは木村君だった。
 一度、木村君に聞いたことがある。「どうして僕を助けてくれるの」と。木村君は逆にびっくりしたように「だって友達じゃん」と答えた。その一言で、僕がどれだけ救われたか木村君は知らないだろう。何かあっても逃げ場がある。そう思えた。
 そして、あの日。あの日は太陽が燦燦と照り尽くす暖かい日だった。
 学校帰り、僕はクラスのいじめっ子に体操着を取られていた。いじめっ子は僕の体操着で軽くサッカーの真似事をしてから公園から飛び出た木に体操着を放り投げた。それで満足したのかいじめっ子は帰っていったが、僕は体操着が取れずに悩んでいた。そんな僕をたまたま見つけたのが、木村君だった。木村君は「俺がとってくる」と言いその木に登り始めた。元々運動神経のいい木村君は、するすると上まで進み、体操着を取ってくれた。そこまでは良かった。
 突然、強い風が吹く。木はそれになびかれるとともに、木村君の乗っている枝が折れる。
そして、木村君は道路に投げ飛ばされた。正直、その後のことはあまり覚えていない。ただ、その瞬間だけは映像として僕の頭の中にこびりついて消えない。
 鼓膜が破裂しそうなほどのブレーキ音。衝突の瞬間。凹んだトラックのフロント。アスファルトを這うように流れる血液。それを不思議に包む太陽の日差し。

血にまみれた木村君が、そこにはいた。そして、僕に向かって「体操着取ってきた」と笑顔で微笑む。それが、木村君の最後の笑顔になった。あの笑顔は一生忘れることができないだろう。
葬式にも出たと思うけど、あんまり覚えていない。僕にとっても衝撃が強すぎて、何も考えられなかった。涙が出た覚えもないから、周りからは本当に冷たい人間に見えたと思う。 
「木村君、ごめんね」
墓石を前にして僕は毎回謝るようにしている。そこに墓石があるからと言って、木村君がずっとそこにいるかは分からないけど、これが僕にとって唯一の償いだ。
言い終わると、毎回あの時の光景が頭に浮かぶ。思い出したくなんてないのに。まるで呪いにでも掛けられた気分だ。それでも、あの光景を思い出してしまうと、僕の心も曇り空になるようで、自然の涙が溢れ出る。僕が雨の日が好きな理由は、この涙を隠せるからかも知れない。
止まらない涙を雨に流してもらおうとして、わざと傘を閉じる。思ったよりも雨は妻たかったけど、僕の心を冷やすには丁度いい。
そよ風に吹かれ、墓石の後ろにある木が揺れる。それと同時に誰か他の参拝者が来た気がしたので、醜い姿を隠すべくそっと木の裏に身を隠した。
こんなことは慣れっこなので、いつものように声を殺す。こんなことを繰り返している僕は、木村君の為でなく、もしかしたら僕のためにここに来ているのかもしれない。
ただ、いつもと違ったのは何故か木を挟んだ後ろに人の気配がすること。一気に恐怖が襲ってくる。
「おい、何泣いてるんだよ」
「え」
突然かけられた声に、反射的に声が漏れる。驚いたと同時に身体が固まってしまったらしく、その声の主を確認することができない。
「お前、毎回泣いてるな」
その声の主は、かかっと笑い声をあげた。その特徴的な笑い方に心当たりがあったけど、まさかそんなはずはない。そんなこと、あるはずがない。
 「何か言ってよ。もしかして、誰か分かってない。俺だよ俺」
 オレオレ詐欺かと問いただしたくなるような物言いで僕はそれが誰か確信した。でも、どうして。
 「なんで、木村君」
 震える声を無理やり抑えて投げかける。まさか。まさか。まさか。
 「おう、久しぶり」
 涙が、また溢れ出る。嗚咽しながら、声をあげて泣いた。
 「そんなに泣くなって」
 「だって」と言いながら後ろを振り向こうとすると「こっち向くな」と木村君が声を荒げた。
 その声に、びくっと体が反応する。申し訳なさそうに「ごめん」と言ってから、木村君は続けた。
 「俺、姿を見せることができないんだ。見せたらそのまま消える。だから、少しこのまま話さないか」
 その声は少し寂しそうだった。僕は一言「うん」と返す。
 どちらが声を掛けたわけでもなく、お互いに木の根元に腰を掛ける。雨のせいで湿っているかと思ったけど、不思議と濡れてはなかった。
 腰を掛けたまま正面を向く。しとしとと降り続く雨粒は、この僕らの情景を悲しんでいるように思えた。
 最初に口を開いたのは僕だった。
 「ごめんね」
 言いながら、声が震える。せっかく涙が止まったのに、また流れ出そうになる。
 「それはもう何度も何度も聞いたよ」
 木村君は笑みを浮かべたのか、軽く「ははっ」と声を挙げた。それとともに、木村君の笑い顔を思い出す。木村君は誰に対しても優しい笑顔を見せる人だった。話し方は少し不良っぽいのに、それが何だかミスマッチだと常々感じていた。
 「ごめん」
 「だから、もういいって」
 こんな奇跡的なことが起こっているにも関わらず、上手い言葉の一つも言えない自分が情けない。木村君に謝りたい。その思いが心の中に溢れかえっていたせいか、次の言葉が見つけられない。
 少しの、沈黙が生まれる。それを包むようにして雨音が優しく響く。
 「最近、学校楽しい?」
 沈黙を破ったのは木村君だった。
 「楽しくないよ。独りぼっちだし」
 「はははは、そりゃお前らしいや」
 「お前らしいってなんなの」
 木村君が思った以上に笑ったので、僕は少しむすっとする。一人が僕の個性みたいで、何だかいたたまれない。
 「ごめんごめん。まだ、虐められてんの?」
 木村君から軽率な態度が伺えたが、何だか僕のことを気にかけてくれているみたいだったので許すことにした。
 「もう、最近は何もされてない。木村君のおかげかな」
 「そっか、それならよかった。ちょっと心配してたからなー」
 ふざけ調子で話す木村君が懐かしく思えた。
 「いつもかばってくれてありがとう」
 こんなこと言おうと思っていなかったのに、自然と言葉が口から出ていた。どうやら、これが僕の本心らしい。
 「なんだよ急に。びっくりした」
 「ごめん」
 顔が見えないから何とも分かりにくいのだけど、木村君は照れ笑いを見せていたと思う。軽く、木村君の体が動いた気がした。
 「そんな謝んなよ」
 「木村君はなんで僕のことを助けてくれたの」
 ふと出たのは素朴な疑問だった。それは僕が常に思ってきたことであり、僕がずっと聞きたかったことだ。どうして僕なんかをかばうのか。それが僕は不思議でならなかった。木村君に、僕をかばう筋合いなんてない。
 「なんでって」
 話し方から、困惑している様子が伺える。こんな機会だから聞いてみようと思ったけれど、失敗だったかもしれない。理由なんてないんじゃないか。そんなことは、僕も薄々感じていた。理由なんて、木村君が優しかったから。それだけかもしれない。
 そんなことを思っていた矢先、木村君は答えた。
 「友達だから」
 「そっか」
 冷静を装ってみたけれど、まさかこんな風に思ってくれていたなんて思ってもいなかった。木村君と対面して会話ができなくて少し良かったと思う。正直、今自分がどんな顔をしているか分からない。
 でも、それと同時に罪悪感が込み上げてくる。そう思ってくれた人は、それが原因で命を落とした。それは何だか、僕が殺したと同意義な気がする。
 「でも木村君は、僕を気にかけなかったら、死ぬことはなかった。ごめん」
 「そんなこと、言うなって」
 そう言った木村君は少し悲しそうだった。雨が、徐々に弱まる。今日はそれが何故か悲しく感じた。
 「むしろ、俺の方がごめんな」
 「何が」
 突然木村君から言われた言葉の意味が分からなかった。木村君が謝る理由が見当たらない。
 「ちょっと、俺の話をしてもいい?」
 「いいよ」
 僕がそういうと木村君は話し始めた。優しい風になびかれて、雨粒が僕の頬にかかる。木村君は一度大きく息を吸ってから話し始めた。
 「お前さ、小学生の時の事覚えてる」
 「小学生?」
 そのままオウム返しをすると、木村君は「うん」と返し続けた。
 「小学生の時、俺が教科書盗んだって疑われたこと」
 「ああ、覚えてるよ。あの時は災難だったね」
 薄れゆく記憶の中で、ぼんやりとその時の光景を思い出す。確か小学五年生くらいだった。教科書が無くなった時にいたのがたまたま木村君だけだったという理由で、木村君が犯人扱いされた。今思えば証拠不十分もいいとこなんだけど、当時の僕らにそんなことを考えることは到底できなかった。
 「そうだよな。あれは本当に堪えたよ」
 木村君は笑いながら話す。木村君にとって、いや僕にとてもいい思い出の一つだ。
 「あのとき、初めて学校に行きたくないって思ったんだよな」 
 遠い過去を話すような、そんな話し方だった。それを聞いて、木村君もそんなことを思うのかと、少し驚く。楽観的で開放的、木村君はそんな人間だと思っていた。
 「そうだったんだ」
 しんみりとした空気が流れたので、僕も便乗して声のトーンを下げた。少しだけ、雨が冷たくなった気がする。
 「あの時、お前がいてくれなかったら不登校になってたかも知れない」
 「え、僕が」
 「そう。覚えてないの?」
 全く身に覚えがない。あの時、僕は木村君に何かしたのだろうか。小心者の僕に何かできたなんて到底思えない。気恥ずかしくなったのか、「がさっ」と音を立て後ろの影が動く。きっと木にもたれかかったのだろう。学校で椅子にしてたみたいに。
 「ごめん、全然覚えてない」
 「なら思い出さなくていいや」
 「なんでよ。気になるし」
 「嘘だよ。お前、小学校の一時期だけ俺と一緒に帰ってたの覚えてないの」
 木村君に言われて、何となくそんなときもあった気がする程度に思い出す。でもなんでそうなったんだっけ。
 「そんなときもあったね」
 嬉しそうな声で木村君が「だろ」と言った。
 「あの時、みんなが俺を泥棒扱いして遠ざかっていったけど、お前だけは歩み寄ってくれたよな」
 「きっと、そんなこと考えてなかったよ」
 照れ隠しのつもりで軽く笑いながら答える。木村君がそんな風に思ってくれたことが嬉しかった。
 「でも、俺はそれが嬉しかったんだ。その頃別に仲良かったわけでもないのに、俺を一人にしないでくれたって思った。こいつみたいなやつが本当の友達なんだって実感したよ」
 正直どうして僕がそんな行動をとったのか、僕自身も分からない。無意識だったのかも知れないし、友達になれるかもと言った悪どい感情だったのかも知れない。よくわからないまま「そっか」とだけ返す。
 「お前は俺が困ってるとき助けてくれたのに、俺はお前を助けてあげられなくて、本当にごめんな」
 後ろから鼻をすするような音がする。僕はただ、「そんなことないよ」と話す。
 「中学の時、俺はお前がいじめられてるのを見て見ぬふりをしてた。下手に俺が止めに入ったら、また俺は仲間外れになるんじゃないかって思って」
 「本当にごめんな」
 木村君は、声を殺して泣いていた。木村君の心が、かすかに振動する木を通して伝わった気がした。
 「ううん、その気持ちは分かるよ」
 「だから高校はお前の味方でいよう。お前の友達として、力を貸そうって思ってたのに、俺はまたお前に迷惑をかけた。本当にごめん」
 その「迷惑」というワードが何を指しているのか、手に取るように分かってしまう。
 「僕は木村君と入れて楽しかったよ」 
 唐突に何を言い出したのか、自分でもよくわからなかった。頭が追い付く前に口だけ先走ってしまったようだ。
 ただただ、木村君は泣いていた。そして、僕の瞳からも涙が溢れた。もう、涙を隠そうとはしなかった。
 「だから、もう自分を責めるのは止めてよ」
 声を震わせながら、僕は精一杯声を発する。
 「でも」
 歯切れ悪く話そうとする木村君を声で制する。
 「僕にとって、木村君は太陽だった」
 「なんだそれ」
 軽く木村君が笑ってくれたので、少し安心した。木村君が自分の素直な気持ちをぶつけてくれたから、僕も正直に話してみようと思う。
 「中学のときね、木村君は僕にとって憧れだったんだ。だって、木村君の周りはいつも笑いが絶えないし、何かの中心にはいつも木村君がいた」
 「恥ずかしいこと言うなよ」 
 そういう木村君をお構いなしに僕は続ける。
 「本当、僕とは生きる世界が違うんだって思ってたよ。だって、僕みたいないつも雨模様の人間とは正反対な人種だし」 
 木村君は、何も言わなかった。
 「高校に入って、木村君と話すようになって、木村君がいつも僕をかばってくれて、何だか僕は別の世界に来たようだった。でも、木村君と一緒にいると、ああ、僕の人生は今回り始めたんだって思えた」
 「俺はそんなたいそれたことはしてないよ。罪滅ぼしだよ。それにお前を巻き込んだ。最後にまたお前を傷つけてな」
 「だから、それは違うんだって」
 木村君の言葉に対して、僕は反射的に声を荒げた。ただ、木村君に分かってほしかった。
 「僕は、木村君に会えたことが財産だと思ってる。友達になれて幸せだったと思ってる。木村君は、ただ罪滅ぼしだけのために僕といたの」
 感情的になり、涙と鼻水が漏れ出る。感情に任せてぐちゃぐちゃと出た言葉は木村君にちゃんと伝わったか疑問だった。
 「そうじゃないよ」
 後ろから、聞き取りにくい言葉が聞えた。
 「そうじゃない。それだけじゃない。俺はお前を本当に友達だと思ってる。だから友達の手助けをできないことが申し訳ないんだ」
 かろうじて聞き取れた言葉を頭の中で繋げる。きっと、木村君の顔はぐちゃぐちゃだ。
 「申し訳ないなんて言わないでよ。僕は木村君が、最後まで僕のことを友達だと思ってくれてただけで嬉しい。友達なんだから、助け合いは当たり前でしょ。僕は小学生のときに、木村君は高校の時にお互い助け合えたんだ。それでいいんだよ」
 木村君はただ、「ありがとう」とだけ言った。その声は普段とは比べ物にならないくらいか細い声だった。
 先ほどまで降り続いていた雨が、止む。空を覆う雲も次第に薄くなっていく。その隙間から一筋の太陽の光が姿を見せる。
 木村君が「もう、終わりだな」と呟いた。そして立ち上がり、僕の正面に立った。
 そこにはあの人何一つ変わらない木村君の姿があった。
 「姿は見せられないんじゃないの」
 「うん、見せたら消えることになってる」
 「じゃあ、なんで」
 僕としてはもう少しこの時間を過ごしたかった。それなのに。
 「ごめん、それとここにいられるのは雨が降ってる時間だけなんだ。だから、もうじき俺は消える」
 「そっか」
 そう言う木村君の体は、すでに薄くなっていた。
 「ごめんな、そういう約束でここに降りさせてもらったんだ」
 木村君は泣いていた。そういえば、木村君の泣き顔を見たのは初めてかも知れない。
「祐一、ありがとな」
 「こちらこそ、ありがとう」
 お互い、涙が止まらない。そんな二人を雲の隙間から顔を出す太陽が照らす。
 「お前、もっと外に出ろよ。友達できるかも知れないから」
 「そんなこと、わかんないよ」
 「いや、大丈夫。俺が見てるから」
 「それなら安心だ」
 ああ、もうすぐ木村君が消える。最後に、一つ伝えよう。
 「ねえ木村君。晴れた日も案外いいかも知れないね。ありがとう」
 「そうだろ」
 木村君は、やっぱり優しい笑顔を見せた。
 「もう時間かな」
 「そうだな。祐一またな」
 「うん。またね」
 僕が言い終わると同時くらいに木村君は消えた。この場を照らす太陽が、必要以上に暖かく感じた。

 僕は、雨の日が好きだ。
 ずっと家の中にいても、許されるような気がするから。
 僕は、雨の日が好きだ。
 外に出なくても、世界からの疎外感がないから。

 でも、最近は少しだけ晴れた日が好きになった。太陽の光は、木村君の暖かさを思い出すから。前まではそれが嫌だったけど、太陽の暖かさはあの日を思い出させくれるようになった。
 たまに、あの日は僕の夢かなんかじゃないかと思う時がある。あれ以降木村君に会えないし、非現実的すぎる。あの日を思い出そうとして、最近はたまに外に出ている。目的はないけど、少しだけ太陽を浴びるために。
 でも、そのおかげだろうか。ぶらっと外に出て木陰で本を読んでいたら共通の本を読んでいた人に話しかけられた。今日はその人と待ち合わせをしている。
 待ち合わせの場所へ向かう。今日を照らす太陽が、必要以上に暖かく感じた。
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