大好きな君と離れる日まで

矢田川いつき

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第二章 きみに好きだと言えなくなった日

第九話

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 階段を下っていた。
 すれ違う生徒の中には教科書を手にしている人もいる。昼休みは既に半分を過ぎており、もう二十分もしないうちに五限目の予鈴が鳴るはずだ。

「ごめんね、こんな時間に呼んじゃってさ」
「あーいや、べつにいいけど」

 咄嗟にそう返すも、内心としてはかなり微妙なところだった。
 思いがけず彩月と昼食を食べることになりそうな流れの時に来てくれたのは良かった。さすがに今の心境で彩月と何食わぬ顔で世間話を交わせるような気はしなかったし、下手に態度に出せば今谷あたりに何を思われるかわかったものじゃない状況だったから。
 ただ一方で、別の不安もつきまとっていた。

「それで、どこに向かってるんだ?」
「ああ……うん、えと、もうすぐそこ」

 どこか気まずさにも似た空気が漂う。奥田っぽくないなと思った。昨年度までの彼女は、とても活発で遠慮を知らない図々しさがあった。でも今は、何かこちらの胸中を窺うような気配がある。
 不安が増す。こういう時、だいたい悪い予感というのは当たる。

「あの、さ。クラス別れちゃったし、もう早めに言っとこうと思って」

 体育館横にある人気の少ない通路まで来ると、前を歩いていた奥田は振り返って言った。

「実はあたし、ずっと篠山くんのことが」
「待って」

 そうあって欲しくないと思っていた。
 奥田には確か、中学の時から付き合っているカレシがいたはずだ。だから大丈夫だと思っていたけれど、年明けくらいからやたらとカレシの愚痴を話したがっていたから、念のため距離をとるようにしていた。
 そしてどうやら、俺の推測は当たっていたようだった。
 彼女の仄かに赤らんだ顔を見て、俺は咄嗟にその言葉を遮っていた。

「な、なに?」
「あーいや、えっと……」

 昼休みの喧騒から離れた静かな廊下に、沈黙が下りる。
 奥田の顔には、期待と不安が入り混じったような色が浮かんでいる。しまったなと思うも、もはやどうしようもない。

「……その、もし違ったらすげー恥ずかしいんだけど……今俺、カノジョとか作る気ないから」

 口にした途端、奥田の顔がそれと見てわかるほどに歪んだ。胸がチクリと痛む。

「だから、もし告白しようとしてくれてるなら、先に言っとく。ごめん」
「……どうしても?」
「どうしても」

 去年も一度だけ別の女子に呼び出されたことがあった。
 その時も、俺は相手の言葉を遮って謝った。
 本当なら、ちゃんと最後まで聞いてから自分の気持ちを伝えるべきだとは思う。
 でも、今の俺にはそれができない。そんなことをしてしまえば、俺はその相手に関する記憶を全て忘れてしまうから。そんな悲しいことは、できる限り避けたかった。

「……」
「……」

 また沈黙がその場を支配する。奥田はしばらく俺の目を見つめていたが、やがて俯いてしまった。重苦しい空気が流れていく。
 これ以上はいない方がいいよな……。
 そう思って、俺は踵を返した。

「待ってよ」

 でも、奥田はそうさせてくれなかった。すがるような声で止められ、腕を掴まれる。

「断るのは、いいよ。篠山くんの自由だもん。でもせめて、最後まで言わせてよ。じゃないと、踏ん切りがつかないよ」
「いや、それは……」
「あたし、篠山くんのこと好きだったよ」

 止める間もなかった。
 涙の入り混じった震える声で、彼女は真っ直ぐに気持ちを吐いてきた。

「優しいのに下心が全然なくて、そんな篠山くんと一緒にいると楽だった。カレシと別れてからもそれは変わらなくて、そんな篠山くんのことが好きだった」

 好きだった。
 その言葉が、重く耳奥を衝いてくる。

「でも、普通に考えたらそうだよね。下心ないんだもん。恋愛対象になんか、見られてるわけないよね」

 鈍痛が眉間に響く。視界が、軽くブレてきた。
 これは、まずい。

「なんとなくわかってた。だから、もういいの。ありがとう」
「うん……こちら、こそ……」

 ふらつく足で必死に踏ん張り、なんとか返事をする。当然ながら奥田自身も自分のことで精一杯のようで、俺の返事を聞くと特に不審がることもなく階段の方へ駆けて行った。

「……っ。はぁ、はぁ……」

 誰もいなくなると、俺は我慢できずに近くの壁に寄りかかった。そのままズルズルとへたり込み、頭を押さえる。
 痛い。痛い痛い痛い……!
 視界が明滅する。
 見慣れた廊下や窓から見える景色が歪み、別の記憶イメージと入り混じり重なっていく。
 どこかの公園。そして舞い散る桜の花びら。また、これか……。

「くっ、つうっ……」

 けれどそれもすぐにボヤけて、いよいよ意識が遠のいてきた。どうやら今回はかなり酷いらしい。前は家までなんとか帰れたが、今日はこのまま意識を失いそうだ。
 はあ……また忘れるのか。
 いよいよ痛みが目の奥にまで響いてきたところで、俺は平衡感覚を失った。
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