大好きな君と離れる日まで

矢田川いつき

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第三章 君に好きだと言いたくなる日々

第十三話

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 翌日の月曜日。
 新学期初日からの遼くんへの不満を晴らすべく、はしゃぎにはしゃいだ昨日とは打って変わって、私は頭を悩ませていた。

「うーん……」
「どうしたのー? 彩月」

 朝の教室特有の喧騒をBGMに私が机に頬を置いて唸っていると、ちょうど登校してきたらしい瀬奈が鞄を片手に話しかけてきた。

「あ、瀬奈」
「やっほ、彩月。なになに、まーた例の幼馴染関係?」

 瀬奈は呆れたように肩をすくめる。けれど、その所作にはこの前と違って深刻さは含まれていない。むしろどこか微笑ましいものを見るような、どうからかってやろうか様子をうかがっているような、そんなふざけている雰囲気すらある。

「まあ、そんなところ」
「でもあんたたち、気まずい関係だったのは解消されたんでしょ? 先週の放課後も一緒に帰ってたし、今日だって生徒玄関で」
「わーっ、待って!」

 案の定どころかさらにその上を行く話題を投下しようとしてきた瀬奈の口を、私は慌てて塞いだ。
 まったく、いきなりなんてことを言い出すのか。というか今教室に入ってきたくせにどうして知っているのか。いや、べつにやましいことがあったわけではない。ただローファーから内履きに履き替えようとした時にバランスを崩してたまたまその先にいた遼くんに抱き留められたというだけの話……。

「なにニヤニヤしてるの」
「べふに~」

 手の感触から瀬奈のにやけ具合が伝わってくる。本気で困っている時はちゃんと助けてくれるけど、こういう意地悪モードになると途端に瀬奈は面倒くさくなるのが玉にキズだ。
 かといって永遠に口を塞いでいるわけにもいかないので、私は生徒玄関での一件を懇切丁寧に説明し瀬奈を頷かせてから、おもむろに手を離す。

「あー苦しかった。窒息するかと思った」
「大げさな」
「えーそれは彩月にだけは言われたくないなー。だってあんなに篠山とのことで落ち込んでたのに、結局ただの勘違いだったんでしょ?」
「ま、まあ」

 私は曖昧な返事をする。相談に乗ってくれた瀬奈には悪いが、遼くんの記憶障害については言わないことにしていた。
 これは瀬奈に限ったことではない。元々、遼くんは記憶障害について、極力他言無用のこととしていた。
 それもそのはず。世の中には、良からぬことを画策している人が一定数存在する。その中で、規則的な方法によって特定の人に関する記憶を忘れるという症状は実に都合が良く、下手をすると犯罪に巻き込まれかねないほど危険なものなのだ。また、自分だけに留まらず周囲の人にも危害が及ぶ可能性があるため、遼くんの記憶障害については一部の教師と家族、そしてこの学校の生徒においては私と日野瀬くんしか知らない。
 だから、私は瀬奈に遼くんのことを話すことはできない。今の悩みも、もちろんそうだ。
 私が悩んでいるのは、今日の放課後から本格的にする記憶障害の原因探しだ。
 昨日、遼くんは記憶を失う直前に何かイメージが見えると言っていた。どこかの公園で、桜の花びらが舞っていたような気がすると。
 正直、心当たりはない。そのような場所で、遼くんが「好意を伝えること」に紐付く大きなショックを受けたという記憶がなかった。
 けれど、遼くんが引っ越す中学一年生まで、一番彼の近くにいたのはおそらく私だ。遼くんは中学一年生までのどこかで大きな精神的ストレスを抱え、本人や周囲も気づかない間に解離性健忘症を発症したはずだから、私がその精神的ストレスに繋がる出来事を全く知らないという可能性は低い。遼くんと出会った小一の頃から現在に至るまでのどこかで起こっているはずなのだ。
 どうにか、力になりたかった。遼くんは昨日、そんなに考え込まないように言ってくれたけれど、正直言ってそれは難しかった。
 遼くんに一度突き放されて、私は改めて自覚した。私はやっぱり、どこまでも遼くんのことが好きなのだと。
 遼くんから「嫌い」だと言われた日、私は家に帰ってたくさん泣いた。泣いて泣いて泣いて、涙が枯れ果てるまで泣いて、それでも残った気持ちは、やっぱり遼くんのことが諦められないという未練だった。だからこそ、その日以降も遠目ながら遼くんとの関係を修復する機会をうかがい、遼くんが他のクラスの子に呼ばれて顔色悪く出ていく時も瀬奈に背中を押されつつ様子を見に行くことができたのだ。
 我ながら歪んで拗らせている自覚はある。でもきっと、この歪で不器用な在り方が私なのだ。そんな私はやっぱり誰よりも遼くんの力になりたくて、往生際が悪い。

「……ねぇ、瀬奈」
「ん? なに?」
「瀬奈ってさ、去年遼くんと同じ環境委員だったじゃん。その時に、その……遼くんって、告白とかされてなかった?」
「は?」

 時期は違えど、少しでも手がかりが欲しかった。そんな気持ちから思わず発した問いだったが、前の席に横向きで座っていた瀬奈はポカンとして固まった。
 あ、待って。これだと……

「えー、なになになに? やっぱり彩月と篠山って、ただの幼馴染じゃない感じ? そして彩月、まさか告白すんの?」
「あ、や、その……」

 想像通りの反応をされた。
 私は瀬奈に遼くんから冷たくされたことは相談したけれど、そこで意中の相手だとまでは言ってなかった。いや多少は察せられてはいるかもだけど、明確に口にしたわけではない。今朝の件も相まって悪戯モードの瀬奈に要らぬ餌を与えてしまった。

「うんうん、いやーやっぱりそうだったかー。にしても彩月から告白しようとしてるなんてなーいやーお姉さん嬉しいよー姉冥利に尽きるねえ」
「ちょっと、言ってる意味がよくわかんないけど」

 ここまで来たらもう無理だ。ひとり勝手に納得した瀬奈の考えを変えるのは至難。それならいっそ、そういうことにするしかないか。

「……えーと、ね、まあ、実はそんな感じ。だから、今後の参考にしようかと思って。遼くんとの誤解は解けたけど、その、気持ちはまだ、伝えられてないから」
「うんうんなるほどね。まあ、気持ちを素直に伝えるって難しいもんねー。篠山のこと気になってる女子は結構いたけど、去年告白というか気持ちを伝えようとしたのは一人だけだったし」
「あ、そうなんだ」
「うん。チラッと聞いた噂程度だけど、なんか気持ち伝える前にフラれたらしいんだけどね」
「気持ちを、伝える前に……」

 どこかで聞いたような話だ。というより、身に覚えがある。
 そっか。だから遼くん、私の時も……。
 事情があったとはいえ、あまり思い出したくない過去だ。私が勢い余って遼くんに「好きだ」と言おうとした時、彼は言葉を遮って「嫌い」と返してきた。
 遼くんの記憶障害は、告白をきっかけに起こる。あれは遼くんなりの、これ以上記憶障害を引き起こさないための対策なんだろう。
 胸が苦しくなった。最後まで気持ちを伝えさせてくれない辛さは、きっと遼くんもわかっている。それでもあえて、記憶を忘れないために相手を傷つけてでもそれをしないといけないこともまた相当に辛いはずだ。元来優しい性格の遼くんが、そのことを気にしていないはずがない。
 やっぱり、私が支えていきたい。
 手掛かりは得られなかったけど、代わりにそんな気持ちが、また一段と強くなる。

「あれ、もしかして今の話で決意固まった感じ?」
「うぇっ!?」

 気を引き締め直したところでいきなり突っつかれ、声が裏返った。そんな私の反応を見て瀬奈がケタケタと笑う。

「もうー、ほんと彩月ってわかりやすいんだから。見てて面白いわ~」
「遊ばないでほしいんだけど」
「あははっ、ごめんごめん。でも、いい顔になったよ。その顔なら、いつか好きだって伝えられると思う」

 瀬奈が何気なく、けれど確信を持っていってくれた言葉に、私の胸は微かに反応した。

「そうだと、いいな」

 ずっと伝えたかった言葉。けれど、今は伝えることが許されない言葉。
 私の気持ちを一番端的に、それでいて確実に相手に伝えることができる言葉が、今は言えない。
 いや、昔も言えなかったか。
 思い出されるのはやはり、中学での別れ際の記憶だ。
 結果的には良かった。もしあの時、遼くんに好きだと伝えていたら彼は私に関する記憶を失っていたかもしれないから。もっとも、遼くんのことだからこの前みたく直前で止めてくれたかもしれないけれど。
 それでも、私はあの時、自分の気持ちを伝えることに関して何の制約も受けていなかった。ただ勇気が出なかったという、自分の心の問題を除いて。そして、言えなかったのだ。
 いつか私は、遼くんに好きだって言えるのかな。

 ――わたしも、リョウくんのこと大好きだよ。

 何の邪推も迷いもなく、真っ直ぐに言えたあの頃のように、とはいかないかもしれないけれど。
 いつか、伝えられたらいいなと思う。

「というかさ、ほとんど接点のなかった日野瀬にウチが伝えられてるんだから、彩月ならヨユーでしょ」
「そんなわけないじゃん。幼馴染には幼馴染特有の悩みというものがあってですね。それに私は瀬奈みたいに素直に口に出せないし」
「え~ひど。ウチだって結構勇気振り絞ってるんだけど。あっ、日野瀬~! おっはよ~! 今日も一段とクールだね~!」
「……どこが?」

 朝のホームルームの予鈴が鳴る間際に教室に入ってきた日野瀬くんに明るく手を振る瀬奈に呆れと尊敬を覚えながら、私はツッコみを入れた。
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