24 / 36
第三章 君と交わしたサヨナラの先に
第19話
しおりを挟む
「実はね、近々手術を受けられることになりそうなの」
あと数日で七月になろうかという休日の夜。
満天の星空の下で彼女が口にした言葉は、一瞬で僕の熱に浮かされた心を冷やした。
「成功率は三パーセントにも満たない賭けみたいな手術で、失敗したらそれまでだし、お金もかかるから無理に受けなくていいって言われたけど、お父さんが準備してくれてて、あとは幸の気持ち次第だって言ってくれて」
成功率は三パーセント未満。賭けみたいな手術。失敗したらそれまで。
どこまでも残酷で、非情な文言の羅列だった。
これらに近い言葉は再会した当初にも聞いたことがあった。けれどあの時は受けられないだろうという前提の話で、そこまで現実味を帯びたものではなかった。ゆえに、いきなりそれが現実のものとなって幸の身に起ころうとしていることを受け入れるのは、並大抵のことではなかった。
「たくさん考えたんだけど、私、受けようと思うんだ」
そう言った彼女の瞳は、強い決意に満ちていた。
本当にたくさん考えたんだろうな、というのが伝わってくるほどに声には芯が通っていた。
相談なんてする必要もなく、迷いなんてまるでなくて、既に決まったことを彼女は真剣に僕に伝えようとしていた。
「死ぬまでにどうしてもやりたい……ううん、やっておきたいの」
恐怖の色はあった。
当たり前だ。
失敗する確率が九十七パーセント以上で、失敗したらそれまでなんて手術、怖くないほうがどうかしている。
「生きるために」
でも彼女の意志は固かった。僕のわがままな反論なんて、最初から封じ込められていた。
「だから健悟くん」
幸は僕の名前を呼んで、
「あと一ヵ月。全力で、死ぬまでにやりたいことをやろうね!」
満面の笑顔で、いつもの言葉とともに明確な時限を突き付けてきた。
息が止まるかと思った。
なんでそんなに急いでいるんだよと言いかけて、僕は前に幸が「手術をできる人が限られている」と言っていたことを思い出した。
さらに、僕が無意識のうちに失敗することを念頭に考えていることに気づいて、愕然とした。
「………………そう、だね」
散々、本当に散々迷って、僕はどうにかそれだけを口にした。
本当なら、応援するべきなんだろう。
幸は、自分の命が長くないと言っていた。具体的にいつとは言っていなかったけれど、幸を担当している秦野先生の言いぶりを思い返しても、それが遠くない未来であることは明白だった。
そんな最悪の未来が来る前に、できることはしておきたい。
それがどれほど可能性が低くて、賭けみたいな手術だとしても、チャンスがあるのならば逃したくない。
それこそ、「死ぬまでにどうしてもやりたい」のだと、「生きるためにやりたい」のだと、幸は言ったのだ。
それなら僕にできることはひとつだけだった。
幸が決めたその日まで、全力で今までの日々を送ること。つまりは、死ぬまでにやりたいことをこれまで通り交互にやっていくこと。
僕は幸のことが好きだ。大好きだ。
だからこそ僕は、幸の気持ちを尊重して、彼女の手術が成功することを誰よりも願って、誰よりも信じて、最後までそばにいる。
それしか、できない。
その週の木曜日には、改めて二人で天の川を眺めた。一年に一度、雲の上に広がる星空で会うことができる織姫と彦星に、一抹の羨望を覚えた。
日曜日には、幸と白山と一緒に海に行った。律儀にも幸はあの夜に僕が思いつくままに言った死ぬまでにやりたいことを覚えていて、それを実行しようと誘ってきたのだ。当初は二人で行こうかと話していたけれど、バーベキューや打ち上げ花火もするなら白山も誘ったほうが楽しいだろうということになって白山も誘った。七月の頭にしてはあまりにも暑すぎる日が続いていたこともあり、白山は二つ返事で乗ってきた。
海水浴を楽しんだ。幸の水着姿にはドキドキしたけれど、それでも僕の心の中は迷いのほうが大きく漂っていた。
バーベキューを楽しんだ。白山は肉の焼き方にこだわりがあるようで、その見事なテクニックを幸と一緒に感心しては眺め、香ばしく旨味たっぷりの肉を堪能した。でも、どこか味わい切れていない僕がいたのも、また事実だった。
砂のお城も作った。幸は言葉通り不器用らしくて、よく城門を崩壊させた。
打ち上げ花火もした。夜空には色とりどりの花火が打ち上がって、その数の多さもあってちょっとした花火大会みたいになった。
ちゃんと、楽しんだ。
翌週の平日にも、いろんな死ぬまでにやりたいことを、幸と一緒にやった。
その時間は、確かに充実していた……と思う。
でも、どうしても、一ヵ月後に控えている手術のことを思うと、気持ちが追い付いてこなかった。
幸に死んでほしくない。
ずっと一緒にいて、こんなふうに笑い合える時間を過ごしたい。
そんなことばかりを、僕は考えてしまっていた。
頭ではわかっている。幸もきっと一緒で、そのために賭けだといわれる手術にも臨もうとしているのだ。何も間違っていない。
それなのに、僕という人間はどうしても失敗した時を想像して恐怖に打ち震えていた。当人である幸は覚悟を固めたというのに、僕はまったくもって気持ちが定まっていなかった。不甲斐なかった。
たぶん、きっと、整理する時間が必要なのだ。そう、言い聞かせた。
一ヵ月後の当日までには、ちゃんと僕の心にも覚悟ができていて、笑って幸を応援することができる。成功を心から信じて、手術に送り出すことができる。
そう、言い聞かせていた。
それでも、現実は刻々と時を刻み、早くも十日以上が経過していた。
あと数日で七月になろうかという休日の夜。
満天の星空の下で彼女が口にした言葉は、一瞬で僕の熱に浮かされた心を冷やした。
「成功率は三パーセントにも満たない賭けみたいな手術で、失敗したらそれまでだし、お金もかかるから無理に受けなくていいって言われたけど、お父さんが準備してくれてて、あとは幸の気持ち次第だって言ってくれて」
成功率は三パーセント未満。賭けみたいな手術。失敗したらそれまで。
どこまでも残酷で、非情な文言の羅列だった。
これらに近い言葉は再会した当初にも聞いたことがあった。けれどあの時は受けられないだろうという前提の話で、そこまで現実味を帯びたものではなかった。ゆえに、いきなりそれが現実のものとなって幸の身に起ころうとしていることを受け入れるのは、並大抵のことではなかった。
「たくさん考えたんだけど、私、受けようと思うんだ」
そう言った彼女の瞳は、強い決意に満ちていた。
本当にたくさん考えたんだろうな、というのが伝わってくるほどに声には芯が通っていた。
相談なんてする必要もなく、迷いなんてまるでなくて、既に決まったことを彼女は真剣に僕に伝えようとしていた。
「死ぬまでにどうしてもやりたい……ううん、やっておきたいの」
恐怖の色はあった。
当たり前だ。
失敗する確率が九十七パーセント以上で、失敗したらそれまでなんて手術、怖くないほうがどうかしている。
「生きるために」
でも彼女の意志は固かった。僕のわがままな反論なんて、最初から封じ込められていた。
「だから健悟くん」
幸は僕の名前を呼んで、
「あと一ヵ月。全力で、死ぬまでにやりたいことをやろうね!」
満面の笑顔で、いつもの言葉とともに明確な時限を突き付けてきた。
息が止まるかと思った。
なんでそんなに急いでいるんだよと言いかけて、僕は前に幸が「手術をできる人が限られている」と言っていたことを思い出した。
さらに、僕が無意識のうちに失敗することを念頭に考えていることに気づいて、愕然とした。
「………………そう、だね」
散々、本当に散々迷って、僕はどうにかそれだけを口にした。
本当なら、応援するべきなんだろう。
幸は、自分の命が長くないと言っていた。具体的にいつとは言っていなかったけれど、幸を担当している秦野先生の言いぶりを思い返しても、それが遠くない未来であることは明白だった。
そんな最悪の未来が来る前に、できることはしておきたい。
それがどれほど可能性が低くて、賭けみたいな手術だとしても、チャンスがあるのならば逃したくない。
それこそ、「死ぬまでにどうしてもやりたい」のだと、「生きるためにやりたい」のだと、幸は言ったのだ。
それなら僕にできることはひとつだけだった。
幸が決めたその日まで、全力で今までの日々を送ること。つまりは、死ぬまでにやりたいことをこれまで通り交互にやっていくこと。
僕は幸のことが好きだ。大好きだ。
だからこそ僕は、幸の気持ちを尊重して、彼女の手術が成功することを誰よりも願って、誰よりも信じて、最後までそばにいる。
それしか、できない。
その週の木曜日には、改めて二人で天の川を眺めた。一年に一度、雲の上に広がる星空で会うことができる織姫と彦星に、一抹の羨望を覚えた。
日曜日には、幸と白山と一緒に海に行った。律儀にも幸はあの夜に僕が思いつくままに言った死ぬまでにやりたいことを覚えていて、それを実行しようと誘ってきたのだ。当初は二人で行こうかと話していたけれど、バーベキューや打ち上げ花火もするなら白山も誘ったほうが楽しいだろうということになって白山も誘った。七月の頭にしてはあまりにも暑すぎる日が続いていたこともあり、白山は二つ返事で乗ってきた。
海水浴を楽しんだ。幸の水着姿にはドキドキしたけれど、それでも僕の心の中は迷いのほうが大きく漂っていた。
バーベキューを楽しんだ。白山は肉の焼き方にこだわりがあるようで、その見事なテクニックを幸と一緒に感心しては眺め、香ばしく旨味たっぷりの肉を堪能した。でも、どこか味わい切れていない僕がいたのも、また事実だった。
砂のお城も作った。幸は言葉通り不器用らしくて、よく城門を崩壊させた。
打ち上げ花火もした。夜空には色とりどりの花火が打ち上がって、その数の多さもあってちょっとした花火大会みたいになった。
ちゃんと、楽しんだ。
翌週の平日にも、いろんな死ぬまでにやりたいことを、幸と一緒にやった。
その時間は、確かに充実していた……と思う。
でも、どうしても、一ヵ月後に控えている手術のことを思うと、気持ちが追い付いてこなかった。
幸に死んでほしくない。
ずっと一緒にいて、こんなふうに笑い合える時間を過ごしたい。
そんなことばかりを、僕は考えてしまっていた。
頭ではわかっている。幸もきっと一緒で、そのために賭けだといわれる手術にも臨もうとしているのだ。何も間違っていない。
それなのに、僕という人間はどうしても失敗した時を想像して恐怖に打ち震えていた。当人である幸は覚悟を固めたというのに、僕はまったくもって気持ちが定まっていなかった。不甲斐なかった。
たぶん、きっと、整理する時間が必要なのだ。そう、言い聞かせた。
一ヵ月後の当日までには、ちゃんと僕の心にも覚悟ができていて、笑って幸を応援することができる。成功を心から信じて、手術に送り出すことができる。
そう、言い聞かせていた。
それでも、現実は刻々と時を刻み、早くも十日以上が経過していた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
会社員の青年と清掃員の老婆の超越した愛
MisakiNonagase
恋愛
二十六歳のレンが働くオフィスビルには、清掃員として七十歳のカズコも従事している。カズコは愛嬌のある笑顔と真面目な仕事ぶりで誰からも好かれていた。ある日の仕事帰りにレンがよく行く立ち飲み屋に入ると、カズコもいた。清掃員の青い作業服姿しか見たことのなかったレンは、ごく普通の装いだったがカズコの姿が輝いて見えた。それから少しづつ話すようになり、二人は年の差を越えて恋を育んでいくストーリーです。不倫は情事かもしれないが、この二人には情状という言葉がふさわしい。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜
旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】
文化文政の江戸・深川。
人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。
暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。
家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、
「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。
常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!?
変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。
鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋……
その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。
涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。
これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる