偽りの聖者と泥の国

篠雨

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第1章:主人公

第6話:騎士団長の拒絶

 セシルが追放されてから、わずか数時間後。王宮は新たな「救世主」を祝う狂騒に包まれていた。 

 レオは、カスティエ公爵から贈られた白銀の礼服に身を包み、豪華な食卓を囲んでいた。昨日まで「いらない子」だった自分を、誰もが神の如く称え、美しい女官たちが恥じらいながら酒を注いでくれる。

(これが……これこそが、僕の求めていた世界なんだ……)

 レオがその全能感に酔いしれていた、その時だった。 
 祝宴の喧騒を切り裂くように、暴力的なまでの足音が響いた。

「開けろ。……俺を、誰だと思っている」

 扉の外から聞こえたその声は、冷徹で、死地を潜り抜けてきた者だけが持つ、重苦しい威圧感を孕んでいた。 
 衛兵が止める間もなく、重厚な扉が内側へとはじき飛ばされる。

 そこに立っていたのは、全身に返り血を浴びたままの、一人の男だった。

 黒い鎧は傷だらけで、マントの裾はボロボロに裂けている。だが、その瞳に宿る鋭い光は、室内にいた軟弱な重臣たちを射竦め、一瞬で場を静寂に叩き落とした。

「……アルヴィス卿」
 カスティエ公爵が、顔を引きつらせて立ち上がる。

「遠征から戻ったばかりか。ご苦労だった。だが、今は新たな聖勇者様との祝宴の最中……」

 アルヴィスは、カスティエの言葉を無視した。 

 彼の視線は、王座の傍らに座る見慣れぬ少年――レオを、まるで「そこに転がっているゴミ」でも見るかのように冷たく射抜いた。

「……陛下は」 

 アルヴィスの低い声が響く。

「陛下は、どこにおられる」

 レオは、その視線の鋭さに呼吸を忘れた。ゲームのボスキャラなんて比較にならない。目の前にいるのは、本物の「獣」だ。レオは、この美しい騎士を自分の力で「救ってやりたい」と一瞬思ったが、アルヴィスの放つ殺気にその言葉は喉に張り付いた。

「ああ、アルヴィス卿、落ち着いて聞きなさい」

カスティエが、わざとらしく溜息をついた。

「あの方は、自らの欺瞞が勇者様によって暴かれると、罪を認めて国を去られたのだ。今は、こちらのレオ様こそがこの国を導く真の……」

「黙れ、クズが」

 アルヴィスの一喝に、カスティエが絶句した。 

 アルヴィスはゆっくりとレオへ歩み寄る。一歩ごとに、彼が纏う戦場の「死臭」がレオの鼻を突き、本能的な恐怖が背筋を駆け上がる。

「すごいな。……確かにな。あの方が死に物狂いで守ってきたものを、貴様は一瞬で上書きした。……見事だよ、勇者様」

 アルヴィスはレオの目の前で止まり、嘲笑うように口角を上げた。だが、その瞳は一切笑っていない。そこにあるのは、深い奈落のような憎悪だ。レオは必死に声を振り絞った。

「貴方が……騎士団長様、ですよね? セシルさんのことは聞きました。でも、効率の悪い呪術で国をすり減らすより、僕の力で救う方が、みんなが幸せになれる。見て! この草も花も僕のおかげで元気になったんだ! すごいでしょう? これからは僕が……」

 レオが自慢げに足元の花を指差した瞬間、アルヴィスから刺すような殺気が噴出した。

「……触るな」 

 地を這うような低い声。アルヴィスは、レオの手を撥ねのけることさえせず、ただその瞳だけで少年を射抜いた。

 「すごい、だと? お前のような、出どころも知れぬ小僧に……セシルの、あの方の何がわかる!!」

「ち、違う、僕はただ……!」

「……ああ、そうか。見事だよ、勇者様。だがあの方がいないこの場所は、ただの死体置き場と同じだ。この花も、この国も、俺には死臭がしてたまらないんだ」

 アルヴィスはふらりと立ち上がり、出口へと歩み出す。

「待て! アルヴィス卿! 騎士団長としての義務を忘れたか!」 

 背後から飛んできたバルトロ宰相の怒声を、アルヴィスは乾いた笑いで撥ね退けた。

「黙れ。……こんな、恩知らずな連心の集まりなど、もうどうでもいい。義務だと? ……そんなものは、あの方が追放された瞬間に、この国の泥水に捨ててきたよ。お前たちが陛下と呼ぶあの方は、この国のためにすべてを捧げた! それを、力がなくなった途端にゴミのように捨て、代わりの『おもちゃ』が来たからと、よくもまあそんな反吐が出るような笑顔でいられるものだ!」

 アルヴィスは、腰の剣から騎士団長の証である房飾りを引き千切り、バルトロたちの足元に投げ捨てた。

「俺は、あの方を追う。……待っていてください、セシル」

 アルヴィスは一度も振り返ることなく、祝宴の会場を去っていった。  

  静まり返った室内で、レオは自分の喉に触れた。まだ、アルヴィスの放った死の気配が肌にこびりついている。 
 自分は勇者で、みんなを救ったはずだった。 

 なのに、どうして「おもちゃ」なんて言われなきゃいけないんだ。

 転移前の、あの「余計なことを言った」瞬間の記憶が、アルヴィスの蔑むような瞳と重なる。
 
 称賛の声は、もはやレオの耳には届かなかった。ただ、アルヴィスが吐き捨てた「おもちゃ」という言葉だけが、呪いのようにレオの心に深く突き刺さっていた。
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